1-1 遭遇 (3/3)

 車を降りた彰人は躊躇いもなく公園に入っていった。

 ここの奥には煉瓦造りの礼拝堂がある。

 あまり使われることもないため、少しカビ臭い。

 今の時期はツンと寒く居心地のいい場所でもなかった。


 木製のベンチがズラリと規則的に並んでいる。

 祭壇の前まで行くと一人の人物が待っていた。

 

「やあ、今夜も来てくれたんだね」


 書生服を着た若い男だ。

 歳は二十歳前後だろうか。

 少し長い髪は月の色と同じ銀、甘い瞳は鮮やかな紅色。

 うっすらと優しい笑みを浮かべ、陶器のように滑らかで白い肌、整った目鼻立ちは横に並ぶ聖母像にも劣らぬ美貌だ。

 

「……」

 

 彰人はぼんやりしたまま、無言で足元に鞄を落とした。

 

「いつもみたいに、服を脱いで見せて」

 

 静かにネクタイを引き抜き、ジャケットとベストを脱ぎ捨てて、シャツのボタンを上から外す。

 そしてするりとシャツを半分下ろして肩が露わになる。

 

「そのまま座って」

 

 彰人は後ろを確かめることもなく椅子に腰掛けた。

 人物は彰人の膝にのり、抱き締める。

 

「はあ、やっぱりいい匂い」

 

 青年は首の周りを熱心にスンスンと嗅いだ。

 

「ズボンも脱いで見せて」

 

 彰人は無言で革靴と靴下を脱ぎ捨て、さらにズボンのウエストボタンに手をかけるが……

 

 そこで真横から鋭い拳が飛んできた。

 青年は全く同時もせずに拳を受け止める。

 安心したところで反対から平手打ちを喰らってしまった。

 

 バチン――!と乾いた音が礼拝堂の高い天井に響く。

 

「なんだ、君は」

 

 書生服の男が問う。

 

「この、ド阿呆!」

「はっ」

 

 その怒声で彰人はようやく意識を取り戻した。

 全く記憶がないのに、いつの間にか目の前に息子の姿が。

 

「えっ、葉月、なんでここに……というがどこだ……?」

 

 彰人はいろんなことに混乱する。

 さらに自分が肌を剥き出しにしてズボンまで半分ずり下がっていることに気付いて赤面した。

 

「お父様がぼんやりしているからこんな奴に誑かされたんです!しっかりして!」

「どういうこと?」

 

 目の前でニタニタと笑みを浮かべていた男に漸く気が付き、再度惚けた声を上げた。

 

「えっ、誰?」

「ひどいなぁ。彰人兄さんは僕を憶えてないの?僕はあのとき一目惚れしたのに。僕は誠二。岩波誠二」

「あの時?」

 

 青年は一旦俯いてから髪を振り乱して叫んだ。

 

「お願いです!血をください!僕の研究は間違ってないはずだ!調べさせてください!」

 

 自分で言って、青年はケタケタ笑い出した。

 

 葉月も「こいつは関わってはいけないヤバいやつだ」と顔を顰めていた。

 

「もしかして……精神病院の?」

「そう思い出してくれた?」

「精神病院……?いつそんなところに」

 

 葉月が訝しげな表情をする。

 

「いやっ……でも……それよりだいぶなんか違う気が……」

「お父様、だまされないで。彼は不死者です!人を惑わすのも外見を偽るのも簡単にできるんです!」

「……不死者?」

「そうです。ぼくは不死者に憧れすぎて本当に不死者になっちゃったマッドサイエンティストですよ!」

 

 誠二と名乗った青年は両手を広げて宣言した。

 

「何日か前からお父様の様子がおかしかった。その上に変な匂いをつけていたから、様子を見にきたらこんなことになってたなんて」

 

 葉月は彼に対して嫌悪感を剥き出しにしている。

 

「君のお父様ちょっと借りてたよ。実に美味しいディナーだった」

 

 それを聞いて彰人はぞっと寒いものを感じてしまった。

 

「お父様は私のです」

「いいじゃない?特別なものは分け合おう。僕ら同じ不死者の仲間だろう?」

「勝手に決めるな!」

「それにただ頂いてたわけじゃない。僕は彼の見たいものを見せてあげた。僕のことなんて呼んだっけ?たしか、ハツユキ?」

「――!」

 

 初雪は彰人の亡くなった妻の名前だ。

 彼に話した憶えもない。

 

「なんで、知ってるんだ?」

「いーい顔をしてその名前を呼んでたよ」


 ゾワッと背中が泡立った。

 

「もうやめてくれ!息子が聞いてるだろう!」

 

 彰人は居た堪れなくなり両手で顔を覆った。

 

「お父様、もういい加減に帰ります。服と鞄とって」

「ああ」

 

 葉月に促されるままそそくさと脱いだ衣服やカバンを拾い集める。

 

「その前に、あんたを一発殴る」

 

葉月は誠二を殺気立った睨みつけた。

 

「さっきもビンタしたじゃん?」

「あれで足りるか!」

 

 葉月は勢いよく拳を突き出したが、軽々と避けた。


「フンッ!」

 

 葉月はさらに拳を突き出すがやはり当たらない。

 誠二は涼しい顔のままだ。

 彰人は我が子が心配で見守っていた。

 

「あれぇ、君は不死者だよね?その程度のことしかできないの?」

「でやッ!」

 

 葉月が渾身の一発を繰り出すと、炎が誠二の周りを渦巻いた。

 しかし、やはり表情を変えずに青年は指をパチンと鳴らす。

 すると葉月は見えない幕に弾き返されるように吹き飛んでしまった。

 

「あッ!」

「葉月――!」

 

 彰人は驚いて葉月に駆け寄った。

 

「あはははっ」と誠二は意地悪く笑う。

 

「それが君の力か。面白い不死者さん。また会おうね」

 

 そう言って誠二の姿はフワッと消えてしまった。

 煙が巻くみたいに。

 

「なんなんだ?」

 

 彰人は混乱するばかりだった。

 葉月はすぐに身を起こした。

 強く打ち付けられた割にはなんともなさそうだ。

 

 というか、今まで息子が走ったり跳ねたりしたところも殆ど見たことがない。

 普段は静かにソファに座り一日中読書をしているだけ。

 そんな大人しい息子が突然他人に殴りかかり、おまけに炎まで出したのだから、彰人は幻を見たような心地だった。

 今日は不可解なことばかり起きて訳が分からない。

 

「お父様……」

 

 葉月はゆっくり身を起こし、睨むように彰人を見る。


「なんだ葉月、どこか痛いのか?」

「服、着て」

 

 葉月はかなり虫の居所が悪そうだった。

 

 ***

 

 「はぁ、せっかくお腹を空かせてから行ったのに食いそびれちゃったよ。へーえ、あの子が不死者になった彰人兄さんの息子か」

 

 誠二は顎に手を当て先程のことを思い出していた。

 

「思っていたよりもチョロそうだな……」

 

 面白いいたずらを思いついた子供のように無垢な表情で笑った。

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