1-1 遭遇(2/3)
「んっ……ハァ……」
陶器のように青白い肌に月と同じ色の髪。
甘い紅色の瞳が暗闇に光る。
美しい顔立ちの青年が私の胸の中で悩ましげな声を上げていた。
柔らかい肉に吸い付き、いやらしい水音を立てて舐め回している。
ドロッと糸を引いた唾液が垂れてシーツを汚す。
真っ赤な鮮血が口元について彼のふくよかな唇はてらてらと滑っていた。
さらに彼は私の頬を包み込んで唇を寄せた。
「ン……」
無意識に喉から声が漏れて自分でもどうしようもない快楽に溺れていく。
気が遠くなる。
意識を保つのがやっとだ。
「彰人兄さんの血、甘くてほろ苦くて、すごくとろけた舌ざわりなんだ。わかるかな。これがわかんないってかわいそう。本当に損してるよね。食べられるだけで自分は味わえないんだから」
べらべらと軽口をきく彼はなんだか酔っているようだった。
彼が話するたびに首筋に生暖かい息がかかって変な気持ちになってしまう。
「ああ、人のものを奪るってなんて楽しいんだろう」
彼の口から覗いた舌の紅色が強烈に目に焼き付く。
「ハッ――」
そこで景色が一転した。
薄明るい月の光が差し込む。
ここは寝台の上だ。
横には心地よく寝息を立てている息子の顔があった。
(――なんだ、今のは)
しかも妙な現実味がある。
不思議な心地がしてすっかり目も覚めてしまったから一旦布団から出て、水でも飲もうと台所に向かった。
息子が起きないように静かに扉を閉めた。
「……」
いや、そもそも息子の部屋は隣だしいつも一緒には寝ない。
なぜ葉月が隣に居たんだ?
***
翌朝、私は部屋でいつものように支度をしていた。
朝は葉月が着替えを手伝ってくれる。
クロゼットからスーツやシャツを揃えて、私が袖を通しやすいように後ろで待っている。
ネクタイまで結んでくれるのも葉月だ。
普通こんなことは妻がやってくれるのだろうが、私の妻は随分前に亡くなったからそんなことはしてもらったことがない。
ただ葉月の見た目は母親似だからどうしても妻を思い出して嬉しくなるのだった。
最後にカバンを手渡される。
「あっ、ハンカチ入れ替えたかな」
「替えた」
「財布の中身が足りなくて齋藤くんに出させてしまったんだった。今日は返さなきゃ」
「昨日入れておいた」
「そうか……」
今日はやけに気を利かせてくれるな。
私から頼んだわけじゃないし少し過保護すぎないかと思ったが。
それにしても何か不機嫌そうだ。
「あ、そういえば葉月。昨日の朝おもしろいことがあったんだ。何度思い出しても笑ってしまって。玄関を出たとこになぜか魚の骨が落ちてたんだよ。拾いあげたら……」
「ネコとカラスが同時に襲いかかってきたんでしょ」
「あ、ああ」
葉月に笑って欲しかったのに、思っていたのと違う反応でがっかりした。
しかも何故かオチを知られていた。
「……この話、昨日したんだっけ?」
「たぶんね。あと、別に笑えないから」
「そっか……」
何故かわからないが本当に葉月は機嫌が悪かった。
鞄を手渡されたときも気のせいか少し乱暴だった。
「ありがとう、じゃあ行ってきます」
「ん」といつもの無表情で頷く。
だが、部屋を出る前に引き止められた。
「お父様、昨日何時に会社を出たか会社の人に確認してみて」
「うん?昨日は残業して8時半前に」
「自分の記憶じゃなくて。ちゃんと人に確認して」
昨日から変だ。
妙に私の周りを詮索してくるな。
「わかったよ」
苦笑いして返事をした。
○ ○ ○
会社では秘書の斎藤くんが私の身の回りのことをしてくれる。
必ず私が出るまで残ってくれるから、朝は何時何分に会社に来て、どんな仕事をしてどこへ出かけていつどこで昼食を食べたか、私の行動は全て彼が知ってるはずだ。
「斎藤くん、昨日私は何時に退社したかな?」
「何言ってるんですか社長、最近お疲れのようでぼんやりしてたから、やっぱり頭がおかしくなってたんですかねぇ」
多少言葉がキツいのは彼の性格だから気にしない。
「昨日はいつも通り五時四五分に会社を出たじゃないですか」
私は一瞬頭が凍りついた。
「いや、八時半ごろまで残業を」
「ちょと何が言いたいのかがわからないんですけど……残業したいってことですか?僕だって早く帰りたいんです。やめてください」
と笑顔で答えた。
斎藤くんははっきりした物言いをするし、冗談や嘘は言わない。
彼のいうことには間違いは無いのだろう。
私の納得していない顔が不満だったのか、
「運転手にも確認しては?家まではいつも彼が一緒でしょう?」
そしてその日は斎藤くんに急かされて五時四五分きっかりに会社の玄関を出た。
運転手にドアを開閉して貰って車に乗り、不安になりながら訊ねた。
「ねえ、私は昨日何時に家に帰り着いたかな?」
バックミラー越しに運転手が微笑む。
「昨日は私は家まで行きませんでしたから、詳しくは私もわかりませんよ」
「えっ?」
予想外の答えだ。
そんなはずはない。
確かに家の門の前で下ろしてもらった記憶があるのだが。
「じゃあどこで……」
「家の二つ手前の角でいいとおっしゃって、そこで降りられましたね」
「ふたつ手前?」
そんなところ、夜は薄暗くてよく見えない公園だ。
わざわざ寄る用事もないが。
「そこで私が降りたのは何時ごろ?」
「六時五分前後でしょうか。家より五分くらい手前ですからね」
運転手が嘘を言っているようには見えない。
いつもの機嫌のいい笑顔だ。
「散歩でもしてるんですか。最近は夜桜が綺麗ですもんね。今日もそこで降りられますか?」
「いや……」
考えてもわからない。
「……」
思考が麻痺してなにも考えられなくなっていた。
だんだんと視界が暗くなり、身体に力が入らなくなる。
「……ああ、そこで下ろしてくれ」
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