第三章 ~『ボロボロの屋敷と魔女』~


 会いたいとの手紙を受けて、メアリーたちは馬車を走らせていた。アイスビレッジ公爵領に入り、脇目も振らずにアンドレアの元へと向かう。


 領内に大きな変化はない。一方で辿り着いた彼の屋敷は以前と様変わりしていた。


 かつての屋敷はまるで童話から抜け出したような美しさだった。荘厳な門に加えて、白い石灰で塗り固められた外壁や花々に彩られた庭園は息を飲むほどの景観だった。


 しかし今、メアリーたちが見上げる屋敷は、かつての面影を色濃く残しつつも、悲哀に包まれていた。


 庭園は雑草が乱れる荒地に変わり、美しい花々は枯れて土に還っている。壁の石灰は剥がれ落ち、所々に暗いシミが形成されていた。


「以前から屋敷がこうだったわけではないよね?」


 カインの問いにメアリーは首を横に振る。


「かつては立派なお屋敷でしたね」

「いったい何があれば、これほど荒廃するのか……」

「この屋敷のメンテナンスはペンドル様が魔術によって担当していました。あの人がいれば、このような結果にはならないと思います」


 屋敷は魔素の溢れる土地に建てられており、魔術師にとっては効率的に魔力を運用できる場所だ。


 だが魔素は建物を劣化させ、花々を腐らせる。だからこそ保護の魔術を扱えるペンドルの存在が重要だった。


「アンドレア様のことですから、ペンドル様の役割を理解しておらず、クビにしたのでしょうね」


 メアリーが屋敷にいた頃は、仲介役としてペンドルを含めた使用人たちとの関係を良好に保っていた。


 彼女のフォローがなくなればどうなるかは容易に想像がつく。きっと彼は使用人たちに辛く当たったのだろう。


(ペンドル様には悪いことをしましたね)


 諸悪の根源はアンドレアだが、メアリーの婚約破棄が彼の退職に繋がったのも事実だ。どこかで会う機会があれば謝りたい。


 そう考えていると、噂のペンドルがゆっくりと近づいてきた。


「ペンドル様がどうしてここに……」

「メアリー様の方こそ……」


 ペンドルは以前と変わらない風格を保ち続けている。銀縁眼鏡と重厚な外套は彼の品位を際立たせ、失職した悲壮感は一切感じられなかった。


「私はアンドレア様から謝罪したいとの手紙を頂いたので……もしかしてペンドル様も同じですか?」

「はい。一言謝りたいと……」


 ペンドルはこの僅かな期間に何があったのかの事情を明かす。予想は的中しており、アンドレアの横暴な性格とウィルスの感染リスクが一斉離職に繋がったのだという。


「手紙は他の使用人たちにも送られたようです」

「でも姿が見えませんね」

「誘ったのですが、来たくないと……」

「無理もありませんね」


 尊敬できない相手に尽くす理由もない。


 メアリーたちは目を見合わせ、三人だけで屋敷の中へと足を踏み入れる覚悟を決める。


 屋敷内は外よりもさらに荒れていた。魔術による保護が失われた影響で、壁を植物が這い、床の大理石はひび割れていた。


「アンドレア様がどこにいるか、ペンドル様なら分かりますか?」

「おそらく寝室でしょうね。あそこには大きなベッドがありますから」


 ペンドルが先導する形で寝室へ向かう。扉の前まで辿り着くと、彼は足を止めて振り返った。


「私が先に様子を見てきます」

「それは危険だ。僕が先に――」

「いえ、これだけは譲れません。あんな主人でも私が長年仕えてきた人です。見届ける責任から逃げるわけにはいきませんから」


 アンドレアの傲慢な性格は彼自身の問題だ。だが教育係としての役目を十全に果たせなかったことを、ペンドルは悔いていたのだ。


「外で様子を伺っていてください」


 ペンドルはノックした後、寝室の扉を開く。その先には苦悶の声をあげるアンドレアの姿があった。


(随分と弱っているようですね……)


 扉の隙間から寝室の様子を伺うと、アンドレアの顔は遠目でも分かるほどに青ざめていた。暗い室内でモゾモゾと起き上がると、ペンドルに頭を下げる。


「よく来てくれたな」

「あなたに招待されましたから」

「正直、期待はしていなかったんだがな……まぁ、座ってくれ」


 用意していた椅子に腰掛けるように促され、ペンドルは素直に従う。死ぬ間際の逆恨みの可能性も疑っていたが、彼からは敵意を感じられなかった。


「まずは謝罪させてくれ。ペンドルは俺を成長させようと指導してくれたのに、暴言を吐いてしまった。すまなかった」

「驚きましたね……」

「俺が頭を下げたことがか?」

「はい。死ぬまで変わらない人だと思っていました」

「追い詰められると人の心も変わる。考え方もな……以前の暴言は訂正する。ペンドルの代わりはいない。お前は唯一無二の存在だ」


 代わりなんていくらでもいると、かつてのアンドレアは吐き捨てた。その言葉を反省していると知り、ペンドルは戸惑う。


「それとな、今日呼んだのは謝罪だけが目的ではない。お前に渡すものがあったからだ」

「これは……」

「新しい就職先の紹介状だ。知り合いの伯爵家にペンドルのことを頼んだら、二つ返事で快諾してくれてな。ケチな俺よりも高い報酬を出してくれるそうだぞ」


 荒れ果てた屋敷を立て直すためにはペンドルの力が必要だ。だがアンドレアは屋敷に戻ってきてほしいと口にしない。そこに彼なりの誠意を感じられた。


「私の仕えた主人は見どころのある人物だったようですね」

「褒めても何もでないぞ」

「私は最後にあなたと話せて満足できましたから。もう何もいりませんよ」

「ペンドル……」

「実は私の他にも、あなたにお客様がいます」


 ペンドルは椅子から立ち上がると、扉を開けて、部屋を退出する。


「あとは任せました」


 それだけ言い残して彼は去っていく。代わる形でメアリーとカインが入室し、アンドレアは驚きで目を見開くのだった。

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