第二章 ~『四等分のケーキと魔女』~


 エリーシャの焼いたケーキを友好の印として分け合おうと決めたメアリーたちは、客室へ移動し、笑顔の花を咲かせていた。黒塗りのソファに腰掛けながら、談笑を楽しんでいる。


「メアリー嬢は、ゴールデリア公爵領が紅茶の産地だとご存知ですかな?」

「エリーシャ様からお聞きしました」

「我が領地で採れる茶葉は気候の影響を受けるので、季節ごとに風味が異なるのです。特にこの時期は甘みが強く、王族も好む一品に仕上がります。きっとメアリー嬢にも気に入っていただけるはずだ」


 クロイツェンの言葉から意図を察したのか、彼の連れてきた使用人たちが手慣れた動きで紅茶の準備を始める。


 適温に沸かしたお湯と茶葉をティーポットにいれると、抽出されるのを見守ってからカップへと注ぐ。


 最適な濃さに調整された紅茶は、香りや風味を最大限に引き出され、部屋を甘い匂いで包みこんでいった。


「娘の焼いたシフォンケーキが、この紅茶にとても合うのです」


 先程までの威厳ある態度は崩れ、親バカな父親とでもいうべき態度に変わる。一族の恥だと口にしてはいても、娘は可愛いらしく、どこか自慢げである。


「私が焼いたケーキですし、切り分けますわね」


 エリーシャがシフォンケーキを四等分すると、それぞれの皿に乗せる。


 上品な狐色に焼かれたケーキには軽やかな粉砂糖の雪が舞い、優美な模様を描いていた。香り高いバニラの風味が漂い、食欲を唆る一品に仕上がっている。


「前回、用意していただいたシフォンケーキとは違いますね」

「これは私の手作りですもの。当然、質が違いますわ」

「どうやらそのようですね」


 光魔術で確認してみるが、ケーキの寿命は健在である。即ち、食べてもよい状態なのは間違いなかった。


 安心したメアリーは、シフォンケーキに手を付ける。口に入れるとふんわりとした舌触りと共に上品なバニラの風味が広がる。贅沢な味わいが至福のひとときを与えてくれた。


「こんなに美味しいシフォンケーキは初めて食べました」

「僕もだよ。これは絶品だ」


 カインもまた賞賛を送る。エリーシャには間違いなく菓子作りの才能があった。


「ふふん、ケーキ作りなら誰にも負けませんわ」


 胸を張るエリーシャ。その態度にクロイツェンは僅かに呆れる。


「娘はこういう性格なのです……ご迷惑をおかけします」

「いえ、アンドレア様で慣れていますから」


 二人の共通点は精神が幼いことだ。思慮が足りず、後先を考えないで行動する。


 婚約者を奪われたのだ。恨んで当然の相手だが、どうしてもエリーシャを憎みきれずにいたのは、冷めた性格をしたメアリーだからこそ自分にはないパーソナリティに惹かれているからかもしれない。


「エリーシャ様、あなたは今でもアンドレア様と結婚したいですか?」

「どうしてそのようなことを聞きますの?」

「もしあなたが望むなら、私はその恋を応援したいからです」


 もうアンドレアに未練はない。彼女が本気で愛しているなら、クロイツェンとは違い、背中を後押ししても良いと考えていた。


「お父様はどう思いますの?」

「私は反対だ……ただメアリー嬢が認めてくれるというのなら、お前の気持ちを尊重してもよい」

「私は……」


 数秒間熟慮した末、エリーシャは結論を下す。


「婚約は止めておきますわ。元々、同じ公爵だからと誘っただけですもの。それに私のケーキを美味しいと言ってくれた人を悲しませるのは嫌ですから」


 ケーキ作りに誇りを抱いているエリーシャなりの本音だった。その言葉を正面から受け止めたメアリーは僅かに微笑む。


「あの、エリーシャ様、もしよろしければ――」

「ゴホッ、ゴホッ」


 メアリーの言葉尻を遮るように、クロイツェンが大きく咳き込む。腹を抑えて、背を丸める彼の様子は只事ではなかった。


「まさか毒かい!」


 カインが真っ先にケーキを疑う。だが光魔術で食べられることは確認済みだ。


「この症状、見覚えがあります。王都で流行っているウィルス性の心臓病です」

「――――ッ」


 体調不良の原因を聞かされたエリーシャは、心配そうに父親の背中を手で擦る。彼女の目尻には涙も浮かんでいた。


「心臓病で間違いないのかい?」

「健康状態からの急激な体調不良が症状の特徴ですから。別の病である可能性は低いでしょうね」

「……助かる見込みはあるのかい?」

「寿命を確認しましたが、残り三日の命でした」

「そうか……」


 若いアンドレアでさえ三ヶ月で死に至る恐ろしい病だ。クロイツェンは齢を重ねているが故に症状の進行も早く、死が恐ろしい速度で迫っていた。


「メアリー、あなたは魔女と畏怖されるほどの魔術師ですわよね! パパをどうか助けてくださいまし!」


 エリーシャは顔をくしゃくしゃにして、涙を流しながら縋る。貴族令嬢としての優雅さをかなぐり捨てた願いは、メアリーの心を打つのだった。

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