第二章 ~『クロイツェンと魔女』~
エリーシャが去ってから数日後、新たな嵐が巻き起こされる。屋敷の前に華やかな馬車隊が列をなしたのだ。
馬車の車体は煌びやかな装飾で飾られ、彩り豊かな旗が風に揺れている。馬車隊は一団として荘厳な雰囲気を醸し出し、周囲の注目を集めていた。
「あの旗の紋章は……」
「ゴールデリア公爵家の家紋だね」
メアリーとカインは玄関前に広がる光景を唖然としながら眺めていた。馬車隊の用件は安易に想像が付く。扉が開くと、大柄の男性とエリーシャが姿を現した。
(あれは……ゴールデリア公爵領の領主でしょうか……)
肩幅が広く、筋肉がしっかりと付いた体格の持ち主で、優雅な服装に身を包んでいる。
自信と風格が漂う顔立ちと凛とした目つきが周囲に威厳を示しており、高貴な雰囲気をもたらす立ち姿は、彼が公爵家の領主だと証明していた。
(今度は父親の権力を傘に着るつもりでしょうか……)
論破されたエリーシャが父親を連れてきた理由としてはそれくらいしか思い浮かばなかった。警戒しながら身構えていると、エリーシャもメアリーたちの存在に気づいたのか近づいてくる。
「パパ、こちらがカイン殿下と……」
「メアリー嬢だな」
エリーシャが紹介すると、彼女の父は真摯な瞳を向ける。
「私はゴールデリア公爵領の領主、クロイツェンと申します。この度は娘が失礼をお掛けしました」
頭を下げるクロイツェンに対し、拍子抜けしたようにカインと目を見合わせる。まさか謝罪されると思っていなかったため、面食らってしまう。
「ほら、エリーシャも謝らんか」
「わ、分かりましたわ」
父親の言う事には素直に従うのか、渋々、エリーシャも謝罪する。二人の関係性がこの短いやりとりだけでも見て取れた。
(ですが、まさか謝罪されるとは思いませんでしたね)
クロイツェンは王族に所縁のある人物であり、数ある公爵家の中でも強い権力を持つ人物だ。
アンドレアのような貧乏公爵ならともかく、彼のような人物が頭を下げたことに驚きを隠しきれなかった。
「私の謝罪が意外でしたかな?」
「正直、そうですね……」
「身分と誠意は関係ありませんから。礼節として間違いは謝罪すべきというのが私の考えです」
親と子は必ずしも似るとは限らないが、少なくとも彼はエリーシャと異なり、立派な人格者だった。格下の爵位しか持たない、しかも領主ですらない令嬢に頭を下げられる度量の深さに感銘を覚える。
「本当はもっと早くに謝罪に訪れるべきでした……ただ、お恥ずかしい話、私はメアリー嬢の方から婚約破棄をしたと聞かされていたのです」
「アンドレア様がそのようなことを?」
「いえ、娘のエリーシャからです。アンドレア公爵とも口裏を合わせていたのでしょう。私はあっさりと騙されてしまいました」
クロイツェンの表情には後悔が滲んでいる。その言葉に嘘はないように思えた。
「では、なぜ私が婚約を破棄されたと気付いたのですか?」
「メアリー嬢に婚約破棄の件で責められたと、娘が私を頼ってきたからですよ。もしあなたが一方的にアンドレア公爵を捨てたなら、娘が責められる道理はありません。話に矛盾が生じたのです」
嘘は少しでも穴があると一気に崩れる。すべての真実が明るみになり、クロイツェンは娘を連れて頭を下げにやってきたのだ。
「婚約者のいるアンドレア公爵に色目を使った娘は一族の恥です。本来なら家から追放すべきでしょうが……どうか許していただきたい」
「…………」
婚約破棄で傷つかなかったといえば嘘になる。だが娘の不義理を謝罪するクロイツェンに頭を下げさせるのは本意ではない。
「私はもう怒っていません……それにアンドレア様には愛想が尽きましたから。エリーシャ様を許しますよ」
メアリーの言葉を受けて、エリーシャの顔はパッと明るくなる。
「許されたわけですし、これで万事解決ですわね。パパもそれで納得かしら?」
「まったく、お前はどこまでバカ娘なのだ……」
眉間にシワを寄せるクロイツェンからは日々の苦労が察せられた。
「このような娘で申し訳ない」
「い、いえ……」
「ただ性根は優しい娘なのです。アンドレア公爵をメアリー嬢から無理矢理奪ったのも、体調の悪い私が早く孫を見たいと急かしたのが原因ですから」
公爵令嬢の結婚相手には格が求められる。王族、もしくは対等な公爵の地位にある者でなくてはならないが、そう都合良くフリーの男がいるはずもない。
だからエリーシャは強硬策に出たのだ。アンドレアに色目を使い、メアリーから婚約者を奪い取ったのである。
「事情は理解しました。それでアンドレア様との婚約は続けるのですか?」
「いえ、解消する予定です。聞いたところ、魔術師の魔力を封じて決闘を強いていたとか。そのような卑怯な男を我が一族に迎え入れるわけにはいきませんから」
アンドレアの悪評は想像以上に広まっていた。おそらく今後、アイスビレッジ公爵家に嫁ぎたいと思う令嬢は現れないだろう。破滅へ向かおうとする彼の人生に憐憫の情さえ湧きあがってくる。
「あの男の話は止めましょう。それよりも娘がお詫びにケーキを焼いたのです。どうか召しあがってくれませんか?」
「もしかしてシフォンケーキですか?」
「よく分かりましたね」
どうやら腐ったケーキを贈ろうとした件は父親に伝えていないようである。エリーシャは気まずそうに視線を泳がせていた。
「クロイツェン様も一緒に召しあがっていただけるなら構いませんよ」
「もちろんですとも。娘の焼いたシフォンケーキは私の大好物ですから」
友好的な関係を築くための厚意だと解釈したのか、クロイツェンは満面の笑みを浮かべる。カインとメアリーは、事情を知らないからこその快活な反応に苦笑を漏らすのだった。
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