第二章 ~『ゴールデリア公爵令嬢と魔女』~
カインがアンドレアを倒したとの噂はすぐに広まった。無敗の公爵を倒した彼の武名は高まり、シルバニア辺境伯領の市民たちの間では、その話でもちきりだった。
「有名になりすぎるのも考えものだね」
暖炉の薪がパチパチと音を鳴らす屋敷の談話室で、カインは口角を下げて困り顔を浮かべていた。
「アンドレア様の評判は最悪でしたからね。その分、決闘で勝利したカイン様を称える声が大きくなっているようですね」
「彼はそんなにも嫌われていたのかい?」
「高慢な態度で平民を差別すると悪名が轟いていましたから。それに決闘で対戦相手の魔力を封じていた件も明るみになったことが大きく響いているようですね」
不正を働く公爵が断罪されたニュースは、民衆にとってみればこれ以上ない朗報であり娯楽でもある。人々の話題に挙がるのも当然だった。
「でもどうして魔力封じの不正をしていたと明らかになったんだろうね」
「屋敷を辞めた使用人たちが暴露したそうですよ。粗雑に扱った上に、退職金なしで屋敷から放りだしたそうですから、アンドレア様の自業自得ですね」
使用人との信頼関係は雇用主が努力して生み出すものだ。公爵だからと無条件に部下から慕われるわけではない。人として不義理を働いた彼に罰が当たったのだ。
「このままだと、彼は一人になってしまうでしょうね……」
「アンドレアが心配かい?」
「……一応、元婚約者ですから。同情くらいはします」
「メアリーは優しいね」
彼への愛は既に失われている。だが彼の寿命は残り二ヶ月しかない。孤独に命を終えることに同情心を抑えきれなかった。
「お嬢様、よろしいでしょうか」
エマが談話室の扉をノックする。入室を許可すると、彼女はカインを見据える。
「カイン殿下にお客様です。いかが致しましょうか?」
「僕に?」
「ゴールデリア公爵家のご令嬢がカイン殿下にお会いしたいと……」
「知らない相手だね。僕にいったい何の用だろう……」
心当たりがないのか、キョトンとしているカインに対し、メアリーは訪問理由に察しがついていた。
「ゴールデリア公爵家の令嬢といえば、アンドレア様の現婚約者ですよ」
「決闘の結果に対して抗議しに来たのかな?」
「その可能性は高いでしょうね」
貴族の令嬢にとって嫁ぎ先の評価はそのまま自分の価値に直結する。アンドレアの評判が悪化したことは、即ち、その婚約者にとっても大きな不利益に繋がるのだ。
「私も付き添ってもよろしいでしょうか?」
「構わないよ。でもどうして?」
「私も彼女に言いたいことがありますから」
ゴールデリア公爵令嬢と会うと決めた二人は、客室へと移動する。アンティーク調の家具が配置され、鮮やかな花が飾られた室内は、公爵家の令嬢を出迎えるのに失礼のない内装だ。
黒塗りのソファに腰掛けながら、客人が現れるのを待つ。ノックと共に、ゴールデリア公爵令嬢が足を踏み入れた。
「はじめましてですわね、カイン殿下。私はエリーシャ。ゴールデリア公爵家の一人娘ですわ」
高慢な笑みを浮かべながら、エリーシャはドレスの裾を持ち上げて頭を下げる。優越感に満ちた瞳は他者を見下すかのように輝いており、隣のメアリーもその対象であった。
「あなたがメアリーですわね」
「私のことを知っているのですか?」
「アンドレア公爵から聞いておりますわ。なんでも魔女のメアリーと、皆から畏怖されているとか」
「…………」
「貴族令嬢は蝶よ花よと尊ばれてこその存在。あなたは社交界の恥晒しですわ」
エリーシャの侮蔑の真意を理解する。彼女は生まれながらの公爵令嬢であり、魔術師として生きてきたメアリーにとって相容れない価値観の持ち主だったのだ。
「あなたに恥晒しと馬鹿にされる云われはありませんね」
「反論があるんですの?」
「あなたは私の婚約者を奪い取りました。そのあなたが謝罪もなしに私の実家を訪問するのは、厚顔無恥といえるのではありませんか?」
貴族社会においても、パートナーのいる相手を誘惑するのはタブーだ。その禁忌を犯したエリーシャに人を侮辱する資格はない。
「ふん、あれは私から誘ったのではありませんわ。アンドレア公爵がしつこいから仕方なく誘いに乗ってあげましたの」
「苦しい言い訳ですね。子供でももっと上手い理由を並べ立てますよ」
「う、うるさいですわね!」
「不利になると喚くのも心が幼い証拠ですね」
「あなたと議論する気はありませんわ。私の来訪の目的はカイン殿下ですもの」
エリーシャの瞳がカインを見据える。その瞳には怒気が込められていた。
「あなたのせいで、私の婚約者の評判が暴落しましたわ。どう責任を取りますの!」
「僕を決闘会に招待したのは彼だよ。君の理屈だと誘った彼が悪いんだよね」
「そ、それは……」
自分の主張がそのまま返ってきたのだ。ぐぅの音も出ない反論を受けて彼女はたじろぐが諦めはしなかった。
「で、ですが、相手は公爵。負けてあげるのが筋なのではなくて?」
「そんな義理はないさ。それに彼はメアリーとの婚約を破棄した。大切な人を傷つけた相手に容赦するほど僕は優しくない」
「うぐっ……」
エリーシャの反論を正面から受け止めて、カインは一歩も退かない。彼女の方は黙り込むだけで二の句を継げずにいた。
これはカインの傍に婚約破棄されたメアリーがいるせいで、道義的責任を追求しても旗色が悪いと理解しているからだ。
「謝罪を引き出すのは難しそうですわね」
「ああ。僕は謝るつもりはないよ」
「仕方ありませんわね……私も大人ですもの。水に流すとしましょう」
「随分と潔いね」
「相手は隣国の王子。争っても得はありませんもの」
頭の中で算盤を弾いたエリーシャは怒りを引っ込めると、両手を二度鳴らし、外で待機していた使用人を呼び出す。
老紳士が手土産を運んでくる。シフォンケーキが手際よくテーブルに並べられていく。
「これは?」
「ゴールデリア公爵領の名産品は紅茶ですの。その紅茶を使ったシフォンケーキを用意しましたわ。お近づきの印にどうぞご賞味くださいまし」
カインと顔を見合わせ、このケーキの意図を察する。
(これは罠ですね)
エリーシャは怒りをぶつけるつもりで訪問したのだ。最初から友好のためのケーキを用意しているはずがない。
(毒でも入っているのでしょうか)
念の為、光魔術の応用でケーキの寿命を確認してみる。食べ物としての寿命、すなわち食べられる状態かどうかを判定すると、腐っているとの結果が返ってきた。
「さぁ、二人一緒に召し上がってくださいまし」
「私は食べません」
「公爵令嬢の厚意を無下にしますの?」
「悪意の間違いですよね?」
「ど、どういう意味ですの?」
エリーシャの額に汗が浮かぶ。狼狽が表情に現れていた。
「このケーキ、まずはあなたが食べてみてください」
「私はお腹いっぱいですの」
「心配はいりませんよ。私の得意な光魔術は食欲をコントロールすることもできますから」
衰弱した患者に栄養摂取させるために、光魔術には摂食中枢の生命力を増加させる治療術が存在する。つまり満腹の状態でも空腹だと脳に誤認させることができるのだ。
指先から光を放つと、エリーシャの腹の虫が鳴る。言い逃れのできない状況に、彼女は冷や汗を流しながら立ち上がった。
「どこに行くのですか?」
「帰りますの! でも次は負けませんから!」
負け惜しみを残して、客室から立ち去るエリーシャ。そんな彼女の背中を見つめながら、メアリーたちは苦笑を漏らす。
「嵐のような人でしたね」
「だね」
そんな彼女が新たな嵐を巻き起こすとは、この時のメアリーたちは予想さえしていなかった。
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