第一章 ~『掃除と魔女』~
散歩から帰ってきたメアリーは、汗をかいたのでシャワーを浴びるために浴室へと向かう。
屋敷の外れにある露天風呂とは異なり、多くの人が入れる大浴場だ。普段は侍女たちも使う場所だが、まだ朝の早い時刻のため他に人の姿はない。
(大浴場のシャワーはお湯が出るだけでなく、水圧のコントロールまでできるのですね……良い魔石を使っている証拠ですね)
この世界には魔道具と呼ばれる魔物から採れる魔石を利用した便利なアイテムが存在する。
このシャワーもその一つで、魔石に込められた魔力が続く限り、無から水を産み出せるのだ。
このように魔道具は生活を豊かにしてくれる便利なアイテムだが、水圧のコントロールのような緻密な制御は、安価な低ランクの魔石では実現できない。このシャワーも立派な贅沢品の一つなのである。
「にゃ~」
「シロ様もシャワーを浴びますか?」
「にゃにゃ」
「ふふ、では体を綺麗にしましょうね」
シロにお湯をかけてあげると、気持ちよさそうに受け止める。嫌がる素振りは一切なかった。
(温泉にも喜んで入っていましたし、綺麗好きなのでしょうね)
シャワーを浴び終えると、メアリーは手の平に魔力を集中させて、風と火の魔術を発動させる。髪や体を温風で乾かしながら、タオルで拭っていく。
(ドライヤーの魔道具をアイスビレッジ公爵領に忘れてきてしまったのは失敗でしたね)
魔術を使えば代用は可能だが、魔道具ならメアリー以外の侍女たちも利用できる。屋敷に住む仲間たちの役に立てる機会を失ったが、落胆はしていない。
(風の魔石は予備がありますし、いずれ作ってあげるとしましょう)
髪と体を乾かし終えたメアリーは身支度を整え、シロと共に大浴場を後にする。火照った体で私室に向かうと、廊下で箒掃除をしていた侍女を見かける。
知らない顔に興味を向けていると、侍女もメアリーの存在に気づく。
「はじまして、お嬢様。侍女のエマと申します」
エマはエプロンドレスを掴みながら頭を下げる。鮮やかな茶髪は子犬のようだが、どこか品のある風貌だ。
「はじめましてですね。私が嫁いだ後に採用されたのですか?」
「働き始めたのは丁度一年ほど前からですね……母がこの屋敷で働いていたのですが、年齢を理由に退職することになったので後釜として採用されたんです」
「お母様ですか……もしかして、お父様の秘書だったアイロラ様ですか?」
「母を知っているのですか?」
「私もお世話になりましたから。言われてみれば、面影がありますね」
「ふふ、私にとっては最高の褒め言葉ですね」
母親を尊敬していると口ぶりからも伝わってくる。雑談を交わしたことで、二人の心理的な距離が近づいた気がした。
「お嬢様はシャワーを浴びてこられたのですか?」
「散歩で汗をかいたものですから」
「ここのシャワーは凄いですよね。私の実家は水しか出ませんでしたから」
「アイロラ様の実家は商会を営んでいると聞きましたが……」
「それでも魔石を二つ組み合わせる魔道具は高級品ですからね」
水や火を単純に出力する魔道具とは違う。温度と水量を適切に保ちながら出力するのは高度な技術が求められる。水圧変化までできる先端機能が搭載されていなくても、お湯が出るだけでシャワーは値が張るのだ。
「私、この屋敷で働こうと思った決め手が、あの大浴場でしたから。実は母もそうだったんですよ」
「お風呂の魅力、恐るべしですね」
使用人の福利厚生のために、ドライヤーも早急に作ってあげるべきかもしれない。そんなことを考えていると、エマが笑みを零す。
「どうかしましたか?」
「いえ、お嬢様がとても話しやすい人だったので安心しただけです」
「私、あまり表情豊かなタイプではありませんよ」
「でも、一緒にいて心地良いです。私、同年代の友人がいなかったので、お嬢様と知り合えてとても嬉しいです」
エマが子犬のような愛らしい笑みを向けてくれる。懐かれて悪い気はしないと、好意を受け入れたメアリーは、にっこりと微笑む。
「私も友達が少ないですから。エマ様が友人になってくれるなら大歓迎ですよ」
「本当ですか!」
「こんなことで嘘を吐いたりしませんよ」
「でも、お嬢様は友人がたくさんいそうですから」
「私は少数と深く付き合うタイプですので……エマ様の方こそ友達には困らないように思えますが……」
「そもそも使用人には若い人が少ないんです」
「なるほど。どこも人材不足で大変だと聞きますからね……」
貴族の屋敷で働く使用人は誰でも良いわけではない。身元保証がしっかりしており、なおかつ有能な人材でなくては務まらないからだ。そのため、常に人手不足に陥っていた。
「せめて掃除係が増えれば、私たち侍女も楽になるのですが……」
「掃除ですか……」
「広い屋敷ですから。大勢が暮らしていますし、一日でたくさんの埃が出るんです」
エマが感慨深げに呟く。そんな彼女の悩みを解決したいと、メアリーは妙案を思いつく。
「自動で掃除してくれる魔道具があれば楽になりますか?」
「そんな便利なものがあるんですか!」
「論より証拠。箒をお借りしても?」
「どうぞ」
「では、私の魔石を使って、この箒を自動掃除の魔道具にしてみます」
メアリーは何もないはずの空中に亀裂を生み出し、異空間とのゲートを作り出した。亀裂の向こう側には大量の魔石が積まれており、その内の一つを彼女は取り出す。
「お嬢様、その力はいったい……」
「空間魔術の応用――マジックボックスです。容量問わず、どんなものでも持ち運べる上に、時間も経過しないので食べ物の鮮度も保てるんですよ」
「魔術とは便利なものですね~」
感嘆の声を漏らすエマ。その反応にかつて父から教わった『魔術は人を幸せにするためにある』という言葉を思い出す。
(友のために魔術を役立てられる。魔術師にとって、これ以上の喜びはありませんね)
メアリーは魔石と箒を両手で持ちながら、意識を集中させる。
魔道具はシンプルな機構なら簡単な加工で実現可能だ。箒の柄の部分に、魔石を埋め込み、魔力を流し込んでいく。
数秒後、箒は生き物になったかのように、自立して掃除を開始した。エマの悩みを解決する自動掃除機が誕生したのだ。
「凄いです、お嬢様!」
「道具に生命力を与えるのは、光魔術の得意分野ですから」
他人の傷を癒やしたり、寿命を視認したりするだけの力ではない。光魔術の生命力操作には多彩な活用方法があった。
その力の一端こそが無生物に命を吹き込むことにある。半永久的に働き続ける箒は、使用人たちの業務の助けになるだろう。
「お嬢様にきっとみんな感謝します」
「そうでしょうか?」
「間違いなく、そうです。私、みんなに自動掃除機のことを紹介してきますね」
それだけ言い残して、エマは走り去っていく。役に立てたなら良かったと、メアリーは改めて自室へと向かう。道中の廊下は綺麗に清掃されていたのだった。
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