第一章 ~『散歩と魔女』~
朝食を終えたメアリーは食後の運動も兼ねて屋敷の周辺を散歩していた。朝の爽やかな空気が溢れる畦道は鮮やかな緑に包まれていた。
傍にはシロの姿もある。風に揺れる木々の葉を眺めながら、上機嫌に尻尾を振っている。
(シロ様と一緒に散歩するのも久しぶりですね)
屋敷の周辺は自然豊かで、背後には大規模な森もある。このような土地に屋敷が建てられたのは、騎士たちの訓練のためだ。
他国との戦争は機会が限られる。だが剣を振るだけの毎日を繰り返しても強くなるには限界があった。
そのため実践経験を得る手段として魔物討伐が用いられていた。領内の魔物被害も減らせる一石二鳥の訓練のために、森が活用されていたのだ。
「シロ様はいつもこの辺りを散歩しているのですか?」
「にゃ~」
「ふふ、そうですか」
シロは人間の言葉を理解しているような素振りをみせることがある。肯定なら尻尾を、否定なら首を横に振るのだ。
(飼い主贔屓かもしれませんが、知能の高さなら世界一の猫様からもしれませんね)
自慢のペットだと微笑んでいると、シロが突然に走り出した。向かった先は森の中だった。
「シロ様、待ってください!」
シロを追いかけて森の中に足を踏み入れる。虫たちが奏でる音や、見上げるほどに高い木々が揺れる姿は不気味な雰囲気を演出していた。
(シロ様はどうして森の中に……)
魔物が潜む森は危険だ。そんな場所に理由もなく足を踏み入れるほど、シロは愚かではない。
「にゃ~」
「この声は……」
シロの鳴き声が聞こえた先に走ると、カインが剣の素振りを繰り返す場面に遭遇する。傍にはシロの姿もあった。
(なるほど。カイン様の匂いを感じ取ったのですね)
メアリーが嫁いでいた間、シロの世話をしていたのはカインだ。彼に懐いているシロが、その存在を感じ取って駆け寄ってもおかしくはない。
(綺麗な剣筋ですね……)
カインの剣技に見惚れていると、気配を察知したのか、彼は振り向く。傍にいるシロの存在から、なぜ彼女がここにいるのかを察する。
「恥ずかしいものを見せてしまったね」
「素晴らしい剣技でしたよ」
「それでもまだレオルさんには程遠いよ」
「お父様と比較すれば誰だってそうです」
「でも僕はあの人を超えなければならない。でないと、レオルさんも安心して娘を嫁がせられないだろうからね」
「どういう意味ですか?」
「こちらの話さ。気にしないで欲しい」
カインは微笑んで話を誤魔化す。メアリーはそれを追求するような真似はしない。
穏やかな空気が流れるが、突然、シロが尻尾をピンと立てて周囲を警戒する。茂みが揺れて、緊張感が増していった。
「メアリー、僕の後ろに隠れていてくれ……この反応は魔物だ」
カインの予想は的中する。茂みの向こう側から、蛇の化物が姿を現したのだ。
毒々しい瞳を光らせ、鋭い牙を剥き出しにする。体躯を黒の皮で覆わられた魔物の正体に、メアリーは心当たりがあった。
(ブラックサーペントですね)
アイスビレッジ公爵領で魔物刈りをしていた頃、何度も遭遇した敵であり、今のメアリーなら一瞬で消し炭にできる相手でもあった。
魔力を練り上げようとした瞬間、カインの剣がブラックサーペントに向けられる。
「僕が相手だ」
ブラックサーペントは毒液を吹きかけるが、彼はそれを巧みな動きで躱し、距離を縮めていく。
そして間合いに入ると、剣を振りかざして、ブラックサーペントの首を一刀両断する。宙を舞う首が地上に落下したときには、彼の剣は鞘に納められていた。
「カイン様に守られてしまいましたね」
「君の魔術でも楽に倒せた相手だったさ」
「ふふ、でも私も女の子ですから。守られるのも悪くない気分です」
アイスビレッジ公爵家に嫁いでいた頃は、魔物と戦わされる立場だった。皆から『魔女のメアリー』として畏怖されてきたからこそ、お伽噺の騎士に守られる姫の立場も悪くない。彼女は本心からそう思えたのだった。
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