第一章 ~『ドレスと魔女』~
次の日、ベッドで快眠したメアリーは窓から差し込む光で目を覚ます。身支度を整え、ダイニングに足を運ぶと、人は誰もいなかったが朝食は用意されていた。
夕飯と比較すると、豪華とはいえない。だが質素ながらもサラダに目玉焼き、そしてパンとサーモンのムニエルが並べられており、食欲を唆る。
(量がたくさん残っていますし、お父様の食事もまだのようですね)
レオルは健啖家だ。常人の三倍の食事量でもまだ満腹にならない鉄の胃袋を持っている。並んだ朝食もほとんどが彼のために用意されたものだろう。
「メアリー、起きていたのか?」
「嫁いでから早起きが得意になりまして」
「人は変われば変わるものだな。昔は昼まで寝ていることも多かったのに……」
「私も成長したんですよ」
メアリーたちは一緒にダイニングテーブルに腰掛け、料理を前にする。天窓から差し込んだ光で料理が輝き、胃袋を誘惑される。
「夕飯と比べると質素だろ」
「そんなことは……」
「安心しろ。美味しさは保証する。肉以外は何でも美味いのがシルバニア辺境伯領だからな」
食事こそが活力になる。それを証明するように、レオルは焼き立てのパンを頬張る。バターの溶ける匂いと小麦の甘い香りが合わさり、メアリーの空腹が刺激された。
「では私もいただきます」
目をつけたのは黄身がとろけ出している目玉焼きだ。塩を振りかけ、ナイフとフォークで切り分けて口の中に運ぶ。
濃厚な黄身が口の中に溢れ出す。それと同時に疑問が浮かんだ。
「この卵はどうやって手に入れたのですか?」
シルバニア辺境伯領は家畜を育てるのに不向きだ。鶏を飼わずに、新鮮な卵をどうやって手に入れたのかと問うと、レオルはニンマリと笑う。
「実はな、その卵は魔物から採れたものだ」
「でも美味しいですよ。高ランクの魔物というわけでもありませんよね?」
「Fランクの魔物だな」
「この味でですか?」
「この味でだ」
魔物肉はまずい。これが社会常識になったのは、魔物肉が脅威度に応じて味が変わる傾向にあるためだ。捕らえるのが困難な高ランク帯のドラゴンなどは肉も美味だが、オークやゴブリンのような魔物の肉はお世辞にも美味しいとは言えない。
高ランクの肉は当然、市場にも滅多に流通しないため、魔物肉はまずいという印象が根付いたのだ。
このランク差による肉の味の違いは、魔力が生命力と結びついているからという説が主流だ。鶏や羊の肉も老いているより若い方が旨味を増す。それと同じ理屈だそうだ。
「実はな、低ランクの魔物でも採れたて卵の状態だと旨いんだ」
「それは初耳ですね」
「原理は知らないがな」
「おそらくですが……お肉よりも卵の方が魔力残留しやすいのでしょうね。だから新鮮な状態だと、まだ卵に魔力が残っていて美味しいのです」
新しい発見に驚きながら、メアリーは目玉焼きを完食する。今度はサーモンのムニエルと添えられたレモンを一度に口の中に放り込む。旨味と酸味が調和し、これもまた絶品だった。
「朝食を堪能しているようだね」
「カイン様、おはようございます。朝から出かけていたのですか?」
「魔物刈りを日課にしているからね」
この卵もその成果さと、カインは続ける。新鮮な卵を手に入れた功労者は彼だったのだ。
「僕も朝食をいただくね」
「遠慮するな。お前は家族みたいなものだからな」
カインは屋敷に客人として滞在しているが、その期間はすでに十年を超えている。その長い付き合いもあり、レオルは彼を息子のように扱っていた。
(お父様と仲良くやれているようで安心しました)
昔のカインは引っ込み思案な少年だった。だが今の彼は違う。積極的にコミュニケーションを取り、屋敷の使用人たちとも友好的な関係を築いている。
(立派になりましたね……)
友人の変化に感心していると、視線に気づいたのか、彼は頬を掻く。
「僕の顔に何か付いているかな?」
「いえ、そういうわけでは……ただ子供の頃から成長したなと感じていただけです」
「それは君もさ。とても綺麗になっている」
「褒めても何もでませんよ」
「お世辞じゃない。本心さ」
キラキラと輝く澄んだ瞳を向けられる。その目を直視できなくて横に逸らすと、レオルと視線がぶつかった。彼は言い淀むような素振りで声を漏らす。
「お父様、どうかしましたか?」
「その、なんだ……指摘しづらいんだが、その黒のドレスは昨日着ていたものじゃないか?」
「デザインは同じですね。でも別のドレスですよ」
「……俺が新しいドレスを買ってやろうか?」
レオルは憐れむような目を向ける。新しいドレスを購入する資金がないため、同じデザインを着回していると誤解したのだ。
「お父様は勘違いしています」
「勘違い?」
「はい。黒のドレスに統一しているのは意味があるからなんです……高名な学者によると人間は一日に三度しか決断ができないそうですから。私は服選びにその貴重な一度を使用したくないから、同じデザインを採用しているのです」
メアリーはドヤ顔を浮かべるが、その話を聞いていたカインは小さく微笑む。
「君のこだわりの強さは変わらないね」
「こだわりではなく、合理性です。きちんと理由があるんですから」
「でも、子供の頃も黒一色だったよね」
「それは……」
大人ならともかく、子供が一日の判断回数を減らすために、ドレスの色を黒だけにするはずがない。合理性以外の理由があるはずだと問うと、レオルが笑う。
「その答えなら俺が知っているぞ」
「お父様!」
「カインが黒のドレスを似合っていると褒めたことがあっただろ。それ以来、メアリーは黒のドレスばかりを着るようになったんだ」
「~~~~ッ」
恥ずかしさで耳まで顔を真っ赤にするメアリーに、カインは「光栄だね」と微笑む。朝食は昔話で盛り上がり、恥ずかしくも楽しい時間を過ごしたのだった。
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