しかしデカいな

 学院長室


 すっかり夜の帳が下りた頃、学院長室に運び込まれた夕食を自己紹介と近況報告に費やしながら食べ終えた三人はソファー席で紅茶を飲みつつ寛いでいた。


「水子は本来、人を害することはない。だから除霊も供養も必要ないとされているの」


 なにを語らんとしているのかハッキリさせないまま、花園かえんは穏やかに、唱えるように、対面に隣合って座る志穂と姫妃ひきへ向けて言の葉を紡いでいく。


「え、でも水子の供養とかって色んなとこで行なわれてませんか?」

「水子供養というのは、戦後間もない頃に堕胎が合法化されたことで生まれた、一つの商売なのよ」

「商売⁉」


 志穂の驚愕は当然のことである。水子供養は日本中の神社仏閣で行なわれている、最も一般的な御供養の一つなのだから。


「始めたのはとある高名な寺の住職だったこともあって、日本中の神社仏閣や霊能者が同様の事を始めたわ。堕胎を決断した女性たちの罪悪感を利用した、下卑た商法よね」


 青ざめる志穂の隣では姫妃がうんうんと頷いている。


「正に然り。あれは俗欲に染まりし浅ましき外法。しかし某の行なった浄霊は左様な似非ではありませぬ」


 姫妃のふんすと鼻を鳴らす猛々しい様子に、花園はなにも返さず話を続ける。


「遥か昔から、集落の人口調整、商売ができなくなる売春婦の都合、飢饉を退けるための生贄といった理由で水子は産まれてきた。でも彼らは母親を祟らない。恨まない」


 子は親を憎まない。それは死した先だからだろうか、と志穂は思う。


「そして例え、水子供養の始まりがお金儲け目的の外法であったとしても、慰められてきた魂は生者死者問わず、ごまんといる」

「おばあ様⁉」

「それって、嘘もホントになる、みたいなことですか?」

「ホントのことが嘘のように語られる、という意味でもあるけれどね」


 何かをはぐらかすような口調で花園は詠み続ける。残問答のような、読経のような、何かの教えが込められたうたを。


「愛って、なんなんでしょうね。記憶なのか、感情なのか、因果なのか」


 言葉一つ一つが志穂の胸にすんと落ちていく。


「真実って、なんなんでしょうね。記録なのか、都合なのか、無実なのか」


 言葉一つ一つが姫妃の胸にさらと流れていく。


「それを追い求め続ける者こそが、真に魂を救える者なのだと私は思うわ」


 ◇


 校舎外/歩道


「学院長は、わたしたちになにを伝えたかったんだろう」


 神妙な空気の中、門限前に帰寮を促された志穂と姫妃は、夜空の星を眺めつつ静々と歩いていた。


「真意は不明ですが、霊能の最高位に居る者として不適切な御話だったように思われます」


 どこか納得のいっていない表情で姫妃はそう吐き捨てた。


「おばあちゃんのこと嫌いなの?」

「親族故、一概に好き嫌いでは語れません。強いて言うなら、些か楽観主義的なところが鼻につきます」

「反抗期?」

「断じて否」


 少し拗ねたような姫妃の様子に笑みながら、志穂は少し話題を変える。


「おばあちゃん、大切にしてあげてね」

「……含蓄が違いますな。ご祖父様は昨年ご病気で、そして民間医療団体に所属していたご両親はおよそ七年前に」

「うん。南アジアのある国を襲った大地震、その被災地支援に行って、土砂崩れで」


 志穂の両親は逝去済みであった。遺された財産や保険金はいくらかあったので生活に困ることなく祖父母に育てられていたが、今や祖母のみが唯一の肉親となっている。


「羽有殿が医の道を志しているのは」

「いつでもどこでも駆けつけて、最後まで諦めずに人を助けようと頑張ってたパパとママが、わたしは大好きだから。いつかわたしも誰かを助けられる人になりたいなー、なんて」

「感嘆の至りです。あなたは、強い人だ」

「そんなことないよ、単に好きな人と同じことが好きになったってだけの話だし。てか桐原さんのパパママは何してる人なの? やっぱ同じような?」

「某は祖母の才覚を濃く継いでいるので浄霊稼業に勤しんでいますが、両親は一般的な仏門に落ち着いていますのでとある神社の神主を勤めております」

「じゃあやっぱおばあちゃんを尊敬してる感じ?」

「尊敬などしていません。先ほども言ったように、某とは水が合いません」


 つんとする姫妃を見て、志穂のイタズラ心が顔を出す。


「へぇ~、てことは学院長ってあんまし浄霊とか上手くないんだ~」

「とんでもない! 地獄の鬼100体を単独で送還できるほどの手練れです。霊能は年齢と徳を重ねるほどに強力になるもの、今もって他の追随を許しません。聞けば源義経よろしく、伝説の特級妖霊である鞍馬山の大天狗様に指南を受けたこともあるとか。しかも某の年の頃には――」


 姫妃のくり出す興奮気味な弁舌に、やっぱり反抗期じゃん、と脳内でツッコみつつ、志穂は寂しげにほほ笑む。


「すごいおばあちゃんなんだね。……うちのおばあちゃんはさ、体の具合が悪いんだ。おじいちゃんが死んだ頃、治療法がなくて難病指定されてる病気が心臓に見つかって」

「なんと……」


 もし祖母に何かあれば志穂は天涯孤独になってしまう。この若さでなんと無体な、と感じた姫妃は自身が恵まれていることに気付く。


「……ひとつ、おばあ様に言われていることがあるのです」

「なぁに?」

「あの外法者を観察しなさい、と」

「雪梁さんを? どういう意味?」

「不明です。外法を奮う者をのさばらせるな、という意味に某は解釈しています」

「それって監視じゃない? 観察って、見て学べ的な意味じゃないの?}

「論外です」


 取りつく島もない姫妃の様子に志穂は少し諦めつつあった。言葉ではきっとこのわだかまりは解けない、それを実感したのだ。

 そうこうしているうちに二人は学生寮前に着いた。志穂はB棟で姫妃はC棟であることから、ここで別れることになる。


「んじゃ桐原さん、また明日ね」

「はい。またあし――!」

「きゃあ⁉」


 瞬間、とてつもなく大きな地鳴りが響いて二人の六感全てが揺れた。ほぼ同時に志穂の桃籠もけたたましく鳴り喚く。


「羽有殿、ご無事ですか」

「う、うん、でもびっくりしたー。今の衝撃なに?」

「大質量な霊気の発生が齎す振動現象、通称"霊波"です。しかもこの気配は悪性のもの」

「つ、つまり?」

「大物が出た、ということです」


 ◇


 運動場/第二体育館前


「ひぃやああああああああああああああああああっ⁉」


 第二体育館前の運動場に駆けつけた志穂は恐怖のあまり絶叫した。

 それは無理からぬこと、なにせ体育館の屋根の上に現われているのは……全長200メートル、太さ2.5メートルはあろうかという黒き大蛇だったのだから。


「あれは中国の上級妖霊、巴蛇はだ⁉ 何故あんな大物が日本にッ」

「ムリムリムリムリキモイキモイキモイキモイ爬虫類系とかナシナシナシナシっ‼」

「騒いでると狙われるぞ」


 慌てふためく志穂の傍らにはいつの間にか雪梁がいた。霊波を感じ取り、装備万端で排霊に臨まんと眼を尖らせている。


「雪梁さぁ~ん! あんな怪獣ありえないよ~~!」

「排霊時はあまりへばりつくな志穂。しかしデカいな」

「外法者よ、貴様は手を出すな」


 懐から独鈷を取り出した姫妃は巴蛇はだに挑まんと一歩前に出る。


巴蛇はだは某が鎮め、浄霊する」

「上級妖霊を相手するには、並の霊能者なら30人以上、高徳な修行僧でも5人以上は必要だ。矜持を優先して渡る必要のない橋へ踏み出すのは蛮勇ですらないぞ」

「オン・アビラ・ウンケン・ソワカ」


 全身を霊気に輝かせた姫妃は威風堂々宣言する――。


「軽く見るなよ下郎。これは某の……"覚悟"だ」


 およそ人間離れした身体能力を発揮した姫妃は物凄い勢いで疾走した。


「顕」


 霊弓を形成しつつ、体育館の屋根の上目掛けて跳躍。10メートル近い高さを一足で超えた姫妃は巴蛇はだと対峙。矢のない霊弓を撃ち出すかのような所作で行なわれた鳴弦は、ソナーのように姫妃を中心に響き渡る。


『射ァァァァァァ』


 鳴弦を受けてうねりながら頭を持ち上げる巴蛇はだ、その感情は怒りであった。

 浄霊を疎ましく思う不快感を露わに、長い身体を大木の鞭になぞらえて攻勢に出る。


「ノウボウ・タリ・タボリ・バラボリ・シャキンメイ・タラサンタン・オエンビ・ソワカ」


 一層に光り輝く姫妃は迫りくる猛威を俊敏な体さばきで躱しながら何発も鳴弦を放つ。

 時に巨躯を搔い潜り、飛び躱し、大口から伸びる牙を避け、隙を伺いながら霊弓の弦を何度も何度も引いていく。


「身体強化の術印を体に書き込み、しかも大元帥明王の真言で効果を高めてるな。あの若さであの霊力は大したもんだ」

「マジ凄いっ。ワンダーウーマンみたいでかっこいいっ! これならなんとかなりそうですね!」

「いや、ならない」


 そう、一見姫妃が優勢のようだが戦況は芳しくない。鳴弦は相手の苛立ちを煽るばかりで、巴蛇はだの攻勢は激しくなる一方だった。


「奴を浄霊するには火力が足りない。それにいずれ桐原の霊力と体力は尽きる。あの出力じゃあと五分動ければいい方だ」

「そんな……‼ じゃあ雪梁さんも加勢して――」

「不要だ‼ ぐわッ⁉」


 巴蛇はだのうねりに弾き飛ばされた姫妃は運動場の地面に叩きつけられた。

 濛々と煙る砂埃の向こうでフラフラと立ち上がる彼女の眼は……死んでいない。


「はぁはぁ、手出し無用だ、下郎」

「桐原さんッ、どうしてそこまで⁉ このままじゃ死んじゃうよ!」

「たとえ死すことになろうと、譲れぬのです。譲るわけにはいかないのです!」


 霊弓の消えた独鈷を握りしめ、姫妃は明かす。その覚悟、その信念を。


「妖霊を形作っている彼らの魂は、死して自由になれたはずだった」


 桐原姫妃は怒っている。


「生ある者が囚われてしまう、善悪や幸不幸から、ようやく解放されたはずなのに、くだらない怨嗟に囚われて、現世に留められている」


 桐原姫妃は悲しんでいる。


「まるで、因果の奴隷のようだ! 人は魂だけになっても安心して眠ることができないのか⁉」


 桐原姫妃は憐れんでいる。


「彼らは、彼らの魂は、救われるべきなんだ! 来世では幸せになりたいと願う心に貴賎などあってなるものか!」


 そして桐原姫妃は……戦っている。


「だから救う! 傷つけなどさせない! 排霊などさせない! 怨嗟を断ち切り、穢れを祓い、綺麗な身を温かくしてお休みいただく! そして新たな朝を清々しく迎えていただく! それが某の"浄霊"だ‼」


 まるでお宿の女将だな、――そう独り言ちた雪梁は動く。その表情に愉快そうな笑みを灯して。


「雪梁さんがんばって!」


 雪梁は姫妃を見捨てたりなんてしない。それが分かっていた志穂もまた微笑み、いつもの通り声援を送った。


「動くなよ若女将」

「下郎なにを⁉」


 俊足で姫妃の背後に回った雪梁は大鍬を振りかぶり――、


カイ‼」


 風切音を鳴かせながら姫妃の股下の地面、影の部分に突き刺した。


「うわ⁉」


 その瞬間、姫妃の身体を包む霊気の輝きは輝度を増して噴出し、旋風を周囲に巻き起こした。

 迸る霊気の衝撃、姫妃の霊波は一連の光景を眺め見ている志穂と、そして体育館屋根の上にいる巴蛇はだすらも怯ませた。


「なんという霊気の膨張! 貴様何をした⁉」

「お前の潜在能力を"掘り起こした"」


 掘り起こす。――これが雪梁の法具、その本質。


「更なる強化に不慣れだと体がついてこない。複雑な動作は避けて思い切り高く飛べ。奴の直上からこれでもかって鳴弦をかませ」

「加勢など不要だと!」

「なら俺が排霊する」


 姫妃を置き去りに巴蛇はだへと駆け出した雪梁。姫妃はこれを追わんとするが、とてつもない強化作用にうまく足が回らず、コケてしまう。


「くッ、せざるを得んか。は‼」


 打ち上げ花火のような号砲を響かせながら姫妃は高速跳躍。瞬く間に巴蛇の直上、100メートルの位置へと着いた。あまりの跳躍力に自身で目を見張りつつ、独鈷に霊気を込める。


けん――、うお!」


 霊弓を顕現させた姫妃はまたも驚愕に震えた。両端70センチほどだった霊弓はなんと180センチ級の大弓と化していたのだ。――これならイケる、と姫妃は勝利を確信する。


「♬――」


 上空から撃ち鳴らされた鳴弦は、目に見えるほどの霊波を何重にも発生させ、指向性を伴って巴蛇はだへと降り注ぐ。

 強制的に浄化されていく音に断末魔を混ぜた巴蛇はだは、次第にその巨躯を清浄な光の中に溶かしていった。


「サンティ・ソワカ。……あ」


 空中で経を読んだ姫妃から霊気の光は消えた。ガス欠のようで、霊弓はおろか身体強化すら消失した。――それ即ちこのままでは墜落死するということ。


「こっこここここれはしたりィ~~~~‼」


 あわや体育館屋根に激突かとしたその時、雪梁が姫妃を受け止める。その衝撃で屋根は崩落、体育館内に二人は落下してしまった。

 しかしツールバッグから高所作業落下防止用の伸縮式ランヤードを取り出し、天井の鉄骨に引っかけた雪梁の機転により、二人は無傷での体育館内着地に成功した。


「ふぅ……おい、大丈夫か?」

「ぶくぶくぶくぶくっ」


 目端から軽く涙すら流しながら泡を吹く姫妃の様子を見た雪梁は、やっと年相応の顔が見れたな、と少しずれた感想を抱いたのだった。

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