それでもわたしは生きてるよ
「羽有どのを呼び出したのはあの
緊迫した雰囲気に満ちた宿直室を後にした志穂は、桐原姫妃と肩を並べて廊下を歩いていた。
「度重なる幸運があなたに味方し、霊障を解決できたこと自体は喜ばしいことです。しかしながら、これ以上は過剰であると進言いたします」
腕を引かれて連れていかれる自分を、雪梁は止めることなく黙って見送っていたのがずっと志穂の心に残っている。
「あなたが先ほどのような憐れな霊を屠る行為に加担するならば、医の道を志すあなたの夢は大いなる欺瞞。いち女性として軽蔑するところでございました」
水子の霊の永らえない寂しさもまた、志穂の心に残っている。
「しかし、あなたは善良で優しき女性だった。仲良さげな様子から、すわ外法者と同類かと人心地なかったのですが、某の杞憂でありました」
これらは楔となりて志穂の決意を、雪梁を支えると決めた想いをゆらゆらと揺らしていた。
「争い事は某の本懐ではありません。救済、救世、慈愛、献身、仏の道とは況や愛の道なり」
桐原姫妃は廊下をきゅきゅと鳴らし以て志穂と対面。俯きがちだった志穂の両手を取り、強く握り込む。
「羽有志穂どの、あなたの資質と人格、なにより霊を慈しむことができる情愛の深さを見込み、折り入ってお願いの義がございます」
「な、なに?」
「聖輪館女学院を襲う原因不明の霊障を解決すべく、某の協力者になっていただきたいのです」
◆
昼休み/中庭
翌日、志穂は桐原姫妃と中庭のベンチで昼食を取っていた。
志穂はベーグルサンド、桐原姫妃は雑穀米のおむすびと、両者の個性は分かれている。
話題はやはり妖霊、そして
話題の多さから翌日である今日へと誘われた志穂からすれば、桐原姫妃は初の正道たる霊能者。あらゆる意味で興味は尽きない様子だった。
「前述の通り、外法者は農民の出身。徳と教養の低さから仏門に入信することが許されなかった
例えるなら、職人が高い技術で屋敷を建てるために用いられる廃材を素人が盗用して掘っ立て小屋を作るかの如き所業。正道な霊能者の価値観において、これは許されざることらしいと志穂は理解した。
「個人的に最も腹に据えかねるのがあの無様な大鍬です」
「個人的? てか大鍬じゃなにかダメなの?」
「仏門でない者に法具は扱えませぬ。故に彼奴の祖先は手近な農耕具で代用したと考えられます。あんなにも硬く尖り、冷たい道具で魂は救われない。加害にしか使えぬ無機質な鉄塊……ただの兵器だ」
「そう……あ、あのさ」
これ以上雪梁を非難する言葉を聞きたくないとし、志穂は話題を少し変えてみる。
「昨日桐原さんが使ってたのがその法具ってやつ? そもそも法具ってなんなの?」
「よくぞ聞いてくださいました!」
キランと桐原姫妃の眼が光った。どうやら志穂は彼女のツボを突いたらしい。
「これは
懐から取り出された独鈷は使い込まれた年代物。おそらくは数百年と受け継がれてきたであろう珠玉の逸品。
「それがしは、ってことは、他の人は違うの?」
「然り。箒、はたき、手鎚、筆、扇、笛といった形で使用する者も居ります。これらの共通項は
「桐原さんの弓は武具じゃないの?」
「矢がなければ弓は武具足りえませぬ。それに弓は神事や祭りごとにおいて用いられる神具でもあります。他にも、金剛杵、金剛鈴、金剛盤、錫杖、塗香器、火舎香炉といった法具も存在し、神話に登場する武器や道具を
矢継ぎ早なマシンガントークに情報過多で煙を吐きそうになっていた志穂の様子に桐原姫妃は遅まきながらに気付く。
「のべつまくなしに失礼いたしました。何分こういった会話は久方ぶりなもので」
「だ、だいじょうぶだいじょぶ。これでもオカルトには平均より詳しいつもりだから」
「聞けば日々妖霊について勉強していらっしゃるとか。その器量で勤勉さすら備えるとは感銘を受けました」
握り拳を震わせながらしみじみとそう零す桐原姫妃を見て、大げさだけどマジメなんだなぁ、と志穂は苦笑いを零した。
そして同時に、自分に関するほとんどの情報が伝わっていることも察した。雪梁の報告書➡桐原学院長➡桐原姫妃というルートで志穂の個人情報や交友関係、家族構成や成績等まで全て筒抜けになっている。
「でさ、昨日言ってた協力者になってくれってどういう意味なの? 雪梁さんと違って桐原さん学生なんだから内情にも詳しくなるし、怪しい人にも接触しやすいし、もちろん霊能に関してもエキスパートだし、わたしの出る幕なくない?」
「某はこの学院に転校して来て早三ヶ月が経ちますが、浄霊できた御魂はたった10体。首尾は芳しくないと言わざるを得ない状況です」
「へ? どしてそんなに少ないの?」
「某には友人が一人もいません。故に、外からの情報が全く入ってこず途方に暮れています。羽有殿には主に情報収集方面でご助勢くださると助かります」
「……………………」
ものすごく悲しいことをまっすぐな目で言われた志穂はしばしフリーズ。そして「……わたしにできることなら」と観念したように答えた。
◇
放課後/来賓駐車場付近
放課後、授業終わりに志穂のクラスにやって来た桐原姫妃は「警らに行きましょう」と有無も言わさず志穂を連行した。
敷地内を練り歩くこと一時間。西日が瞳を刺激する黄金色の来賓駐車場の近くで、桐原姫妃は妖霊の気配を感じ取った。
「ヤ、ヤバい系? それともキモイ系? あれ、でも桃籠鳴ってない」
「霊気自体に悪意はありません。しかし悪霊よりも邪悪な、唾棄すべき存在の気配はします」
険しい表情で駆けて行った桐原姫妃を志穂は慌てて追いかけた。
追いついた先は駐車場の隅に立つ大きな樫の木の前。そこにいたのは――、
「そこまでだ下郎」
いつもの大鍬とマルチツールバッグを携えた作業着姿の雪梁が背を向けて立っていた。
樫の木の根元に視線を落とす彼の正面には、制服姿の女生徒の霊がうずくまっている。どうやら泣いているようで、鼻を鳴らす音が志穂の耳にも聴こえてきていた。
「地縛霊……しかも自殺者か」
桐原姫妃の見立てに志穂は戦慄した。学校という環境においてある意味必然の存在に、またも痛みを覚える。
「じ、自殺って、まさかこの学院で⁉」
「およそ30年前といったところでしょう。年齢は16。原因はイジメ。教師はおろか親にすら信じてもらえず、絶望的な孤独と苦痛の中、この樹で首を」
「酷いッッ」
「外法者よ、貴様はこの霊を如何にするつもりだ」
桐原姫妃の問いに雪梁は答える。いつもの声で、いつもの眼で。
「排霊する」
そんな言葉聞きたくなかった。――志穂は悲哀に歪んだ顔を伏せ、膝を地に着けてしまう。
「させん」
桐原姫妃は通学鞄から伸縮式特殊警棒をジャキンと伸ばした。振り返った雪梁はやはり動じていない。
「イマドキの陰陽師はそんなもん使うのか」
「争い事は本意ではないが、これも憐れな魂を救済する浄霊の一環である」
「さすがは本山、弁が立つな」
「愚弄するかッ」
「雪梁、さん」
振り絞ったような志穂の言葉に場は少し温度を落とす。
「その子、悪霊じゃないんですよね? だったら排霊なんてしなくても」
「前に言ったろ。この学院内の瘴気にやられて、今は無害でもじきに人を襲うようになる。放置はできない」
「っっ、でも、でもっ」
志穂の縋るような涙目を受けてもなお動じない雪梁は大鍬の柄を握り――、
「貴様ッ」「雪梁さんっっ!」
少女の霊の前で刃を下にし、"レ"の形で立てた。
それぞれが違う方法で雪梁を止めようと駆けた桐原姫妃と志穂は、想像と違う雪梁の所作に戸惑い、寸前で足を止めた。
屈んだ雪梁は、大鍬の傾く柄を首で支えながらツールバッグをまさぐり、小さな缶ケースを取り出す。中には幾重もの真空パックに包まれた木片が入っていた。
次いで取り出したシースナイフを用いて木片を削り切っていく。鍬の刃の裏に段々と溜まっていく木片の削り節は、わずかな風で揺れるほど薄いものだった。
「雪梁さん……?」
「なんのつもりだ……」
そして再びツールバッグに手を伸ばした雪梁は、掌に収まるほどの金属片と石を取り出した。
溜めた木片の皮に向け、キンキンキンキンとリズムよく金属片に石を打ちつけていく。するとその度に生じる火花で段々と木片から煙が立ち昇り始めた。
「この香り、よもやショレア・ロブスタ!」
「なにそれ? メキシコのプロレスラー?」
「メキシコのプロレスラーに非ず! 沙羅の樹とも呼ばれる仏教三大聖樹の一つで、釈迦の入滅を見届けたとされる最高位の霊木です! しかもあれは日本国内において仮託されているナツツバキではなく、原種であるインド産のショレア・ロブス……な、なにぃ⁉」
「そんな驚き方マンガだけだと思ってた……てかテンション高くない?」
「あの鍬の刃と火打金はまさか玉鋼か⁉ 石も星糞峠産の黒曜石だとぉ⁉ くぐぅッ、外法者の分際で生唾ものの逸品をぉぉぉッ」
「要するに桐原さんて法具オタなんだね……あ」
ふと雪梁を見てみると、彼は鍬の刃の裏に焚かれた火を挟んで少女の霊と対面していた。
蹲って見えていなかった少女の顔はいつの間にか持ち上げられており、涙の痕も残っていない。どこか安らかな面差しをしている。
「逝きな」
キィンッッと特に強く打たれた火打石の甲高い音を受け、火が起こす白煙に包まれた少女の霊は……薄い笑みを浮かべながら塵と消えていった。
「今のって、桐原さんが昨日浄霊の時にしてた"鳴弦"と同じ……?」
「馬鹿な……!」
驚愕と動揺に染まった志穂と桐原姫妃を背に、清酒で消火した雪梁はいつもと少し違う経を読む。
「迷える御魂に平安を……
霊木の燃えカスを地面に還した雪梁は、大鍬を抱えてその場を去らんと歩き出す。そうはさせじと立ちはだかるのは……桐原姫妃。
「今のは、浄霊か? それとも排霊か?」
「逆に聞くが、お前にはどっちに映った?」
「……使う道具こそ高徳かつ霊験あらたかな逸品であったが、読経も手順も違う。なにより貴様は入信していない百姓の出、なにをどうしようとも……外法だ」
桐原姫妃の語気に先ほどまでのすっぱりとした鋭さはない。未だ動揺は続いているようだ。
「その通り。俺はどこまでいっても
「ッッいけしゃあしゃあと」
「でもあの子、笑ってた」
桐原姫妃の憤怒を差し止めたのは涙目の志穂が奏でる淑やかな声であった。
「あの子、安らいでた。一時でも苦しみを忘れられた顔、してたと思う。でも雪梁さんも、桐原さんも、あれは排霊、魂を害する行為だって言う。じゃああれは、悪いことなの? わたしにはわからない……でも」
言葉を区切った志穂は瞳の潤みを増やしながら歩を進め、ぎゅうと雪梁に抱きついた。
「それでもわたしは生きてるよ。雪梁さんに助けてもらって、今こうやって生きてるよ。わたしはこの命を、大事にしちゃいけないのかな。誰かを犠牲にした命なら、いつか返さなくちゃいけないのかな」
「羽有殿、それは……」
涙を流しながら綴られた志穂の言葉に桐原姫妃は答えられなかった。
救われた命があるからといって、害された魂を蔑ろにしていい道理はない。死した先の生命はすべからく平等であり、俗世から離れた魂に貴賎などない。――それが彼女、桐原姫妃の正義にして絶対の理。
「大丈夫だ」
しかし、外法者には外法者の理も存在する。
「人は生きている限り、命の本当の大切さなんてわかりっこない」
雪梁は志穂の体をぐいと抱き、肩に、頭に手を添え、撫でた。
そんなことはないと異を挟まんとした桐原姫妃も、二人から醸し出される雰囲気に言葉を飲み込んだ。
「死んでから、失ってから、もう二度と帰らないとわかってから、初めてその真価に気付く。他人のものであろうと、自分のものであろうと」
高尚な思想も伝統ある格式も不要。ただここに在る命の意味を知ってほしい。雪梁はそう伝えていく。
「命の価値を知る生ある者は、失う痛みに耐えられない。だから鈍くいないと生きていけない。そんなヘタレの鈍感野郎だ、人ってやつは」
ところがだ、と雪梁は折り返す。誰の命も誰かの特別である以上、命は全て特別であると訴える。
「鈍感野郎は鈍感野郎なりに、大切だと感じられる命と出会う。俺にとって志穂、お前の命がそれだ。だから、手放してくれるな」
もし命の意味に迷ったなら、見失ったなら、こうして思い出せばいい。
そんな一念を込めて強められた雪梁の掌から伝わる力に、志穂は抱擁の腕を更に締め、応える。
「好き」
雪梁の言いたいことを受け取った志穂の口をついて出た言葉がこれだった。
「わたし、雪梁さんの"大丈夫だ"って言葉、大好き」
そんな気がしてくるから。実際その通りだから。不安なんてどこかへ行ってしまうから。
「雪梁さんを悲しませたりなんてしたくない。だから、大事にするね」
志穂は笑った。もう己の命を軽んじたりしない、そう約束できたことが嬉しかったのだ。
「こっほん」
言い表せない雰囲気に満たされた場の空気を咳払いで吹っ飛ばす新たな人物があり。
小柄なその者は雪駄に和装といういつもの格好で三人を微笑み以て眺めていた。
「おばあ様」
現れたのは聖輪館女学院の長、桐原花園。
「雪梁くんたら、実はギャル好き?」
「い、いえ、これはそういうあれではなく」
「ほほ、冗談よ。それにしても、やっぱり衝突しちゃったのねあなたたち。といってもうちの孫が一方的に絡んだだけっぽいけれど」
「おばあ様、某は再三再四、外法者の雇用に反対の意を示していたはずです」
「ほんと、我が孫とは思えぬ固さねぇ。いいわ、ちょっと学院長室へ来なさい。志穂ちゃんもね」
「わ、わたしも?」
「きちんとお話ししたことなかったでしょう? 日頃協力してくれてるお礼も言いたいし、紅茶でも飲みながらゆっくりガールズトークといきましょう。雪梁くんはもう上がっていいわよ。おつかれさま」
「お、お疲れさまでした」
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