これはしたり

 昼休み/中庭


 夢鏡の一件から土日明けの翌週月曜日。

 壁面の塗装作業を終え、昼食を取ろうと撤収作業を行なっていた雪梁の背後でピピ、と電子音が鳴った。


「おつかれでーす」


 振り返った先にいたのは先の一件の被害者、須藤凛だった。

 ローポニーテールで小柄な彼女はミラーレス一眼カメラを構え、雪梁を撮影したらしい。


「体はもういいのか?」

「おかげさまで。土日もたっぷり休んだんで、もう通常運転です」


 覚醒したばかりの須藤凛は生気を吸い取られていたこともあって歩けないほど衰弱していた。そんな彼女を背負いながら寮へと運んだのは雪梁である。


「夢鏡の件は誰にも話してないな?」

「あんなに怖い顔で念押しされたら話しませんよ。それに退学にまでなるんなら猶更です。高校中退とか親に泣かれますし」


 志穂の時と同じく、雪梁は須藤凛にも固く口止めをしている。しかも禁を破った際はセイジョを退学になるという脅し込みで。


「雪梁さんが学院長から依頼されてやって来た霊能者なら、似た雰囲気の人知ってるかも。うちのクラスにいるんですよ、ちょっと変わった子」

「目に見えない妖霊を相手にしてるんだ、少々の奇行は寛大に見逃してやってくれ」

「ぷぷっ、更衣室乱入とか?」

「うるせえ」


 とにかく、と須藤凛は姿勢を正す。


「雪梁さん、助けてくれてありがとうございました。あと、いつもこの学院を守ってくれて、ありがとうございます」


 ぺこりと下げられた頭に、まっすぐな謝意に、雪梁はどこか照れ臭さを覚えた。


「私にできることあったらお手伝いしますから、いつでも言ってくださいね。せ~つくん♪」

「こらーーーーーーーーーーーーーー‼」


 突如物陰から志穂が飛び出てきて須藤凛の胸倉を掴んだ。その形相は怒りに満ちている。


「あれほど蒸し返すなって言ったのになんで⁉ なんで本人前にして言うの⁉」

「私は普通に命の恩人にお礼言って親しみを込めただけだけど~? 雪くんって呼んで何が悪いの~?」

「ぐっ、ぐぐぐっ」


 やれやれそういうことか、と肩をすくめた雪梁は志穂の頭に手を置き、窘める。


「夢の中のことなら俺は気にしてない。だから落ち着け羽有」

「……………………」


 雪梁的に最善と判断した"気にしてない"というデリカシー皆無なセリフは怒れる志穂から表情を奪い、そして段々と歪ませていった。それは須藤凛から「うわブッス」と言わしめるほどに。


「それじゃ私行くね。雪梁さん、志穂ちゃん、またね」


 須藤凛は去っていった。


「……わたしも、行きます」


 生ける屍のようにヨタヨタと去っていく志穂の背に、雪梁は声をかけずにはいられなかった。


「わざわざ須藤に礼を言わせなくてもよかったんだぞ」


 志穂の足は止まる。雪梁の言葉をちゃんと否定するために。


「……雪梁さんの頑張りは、ほとんどの人の目に映らないから、見えたなら、見える人がいたんなら、ちゃんと感謝を伝えなきゃって、思ったんです」


 "いつもこの学院を守ってくれてありがとう"――志穂はこの言葉をどうしても雪梁に伝えたかった。


「凛ちゃんも、そうするべきだって言ってくれたんです。だから、言わされて出た言葉なんかじゃ、ないんです」

「……そうか。なら、受け取っておく」


 ペンキの入った缶と塗装道具を抱え、雪梁はその場を後にする。


「ありがとよ、志穂」


 午後の鐘の音が鳴り響く中、残された言の葉の揺らぎに志穂はただただ立ち尽くすことしかできなかった。


 ◇ 


 5限/運動場


「うぇへへへへへへへ♪」


「「いや顔よ」」


 スライムのように蕩けた表情の志穂はジャージに身を包んで体育の授業に臨んでいた。

 3クラス合同ということもあって結構な人数が運動場に集まっており、幅跳び、高跳び、鉄棒をそれぞれのクラスが順々に測定している。


「ますます顔芸に磨きがかかってんなコイツw」

「それだけ充実してるってことでしょ。やっぱ恋っていいよね」

「んだよ、ガテン系のこと認めたん?」

「わけないでしょ。早く死ねばいいのに」

「ツンデレみてーだぞオマエwwほんでなにがあったんだよシホ」

「うぇへ♪ 雪梁さんが志穂って呼んでくれたぁ♡」


「「……それだけ?」」


 こいつマジか、とリコナナは引いている。


「小学生かよ……これもうちらのせいなんかな……」

「シホに寄りつく虫は私たちが追っ払ってきたからね……やりすぎてたのかも」

「ご歓談中、失礼いたします」


 ふと、罪滅ぼしもかねてより一層に志穂をフォローしていく旨を新たに決意したリコとナナへかかる声があった。

 ジャージ姿に身を包んでいる彼女はどうやら他クラスの女生徒のようで、運動時故か黒髪長髪を前髪ごと簪結いしており、露わになっている凛々しい太眉は意志の強さと心の頑健さを象徴しているかのようだった。


「羽有志穂どののご学友とお見受けいたしますが、お間違いないでしょうか」

「どの……?」

「ご学友……?」

「彼女を探しておるのですが見当たりません。いずこに居られるかお教えくださいますでしょうか」

「えと、シホなら目の前にいんぞ」

「失礼ながら顔が違い過ぎます。おそらく別人かと」

「ご、ごめんね、これがほんとにシホなの。ちょっとシホ、お客さんだよ」

「うぇへへへ♪」

「……失礼いたします」


 突然リリリリリリリンッと鈴が鳴いた。志穂の腕に巻かれている桃籠が反応したのだ。


「へっ⁉ えっ⁉」

「これはしたり。本当にご当人でございましたか」


 テンパる志穂へ来訪者は歩み寄り、面と向かう。


「羽有志穂どのとお見受けいたします」

「へ? あ、あの、どちらさま? てかちょっと待って、今桃籠が鳴って」

「本人確認のため某が鳴らしました。吃驚させてしまって申し訳ありません」


「「「それがし⁉」」」


「折り入ってご相談があるのです。放課後、もしご都合が宜しければ時間をいただきたく――!」


 時代錯誤な口調で喋る彼女は言葉を止め、眉間ごと太眉を歪めた。


「志穂!」

  

 息を切らせながら駆けつけたのは、桃籠が鳴らした警鐘を感覚で受け取った雪梁であった。たまたま近くにいたこともあってかなり早くやって来た。


「志穂、なにがあった」

「雪梁しゃん、また志穂って。うぇへ♪」


 桃籠の捉えた悪意もどこ吹く風の志穂を見て「なんかキモイぞお前」と零してしまった雪梁はリコナナに怒られ始めた。


「てめーがキモイって言うなコラァ! シホのこんなとこもチョー可愛いんだよバカヤロー‼」

「はい最悪はい最低はいキモイはいキモイ。シホの可愛さがわからないとかマジB専マジ悪趣味」

「相変わらず過保護だな……。お前の仕業か」


 来訪者から醸し出される"悪意の霊気"を感じ取った雪梁は、志穂を庇うように割って入った。


「頭が高いぞ外法者げほうもの


 常人には悟られぬ敵意が来訪者の眼と言霊に灯り、雪梁を射抜く。


「某の名は、桐原きりはら姫妃ひきである」


 屈せよ下郎。――そう云い放つ桐原姫妃の瞳の奥はおどろおどろしい激情が燃えていた。


「……桐原学院長のお孫さんか」

「くっせ、なに?」

「えとね……」


 言葉の意味が分からずポカンとしていた志穂はナナから耳打ちで意味を伝えられ、段々と不機嫌になっていく。


「聞こえぬのか下郎。某は屈せよと命じたのだ」

「悪いが傅く理由がない。先日の件で気を悪くしているのなら詫びるが、被害を出さないための処置だったことは理解できるはずだ」

「所詮は外法者、話にならんか」

「ちょっと」


 あまりにもな物言いに遂に志穂がいきり立つ。


「さっきからなんなのその言い方。目上の人にする態度じゃなくない?」

「悪いが羽有どの、埒外のあなたには理解しかねるとは思うが、某にとって此奴は目上ではない。某が目上なのです。故に此奴の態度は目に余る」


 状況がわからない志穂、そしてもっとわからないリコナナは困惑の一途を辿るしかなかった。


「おい、なんか揉め始めてんぞ。しかもガテン系が責められてるっぽくね?」

「確かにいい気味だけど、痴情のもつれじゃないっぽいね。何系の話なのか全然わかんない」

「なにわけわかんないこと言ってんの! どう見たって雪梁さんが年上じゃん!」

「年の話ではなく、格の話です。田中という姓から察するに、貴様の家は農民の出だろう」

「ああ」

「百姓風情が公卿に口を利けるとでも? 目を合わせられるとでも? 同じ高さの空気を吸えるとでも? 噴飯ものだ」

「くぎょう? ふんぱん?」

「あのね……」


 困惑する志穂は再度ナナによる耳打ち解説を経た後、怒り直す。


「いつの時代の話してんの! このご時世に格式なんて!」

「生業が同一ならばその限りではありません」

「なり、わい?」

「あぁもう」


 ナナによる耳打ち解説――、以下略。おかげで間がグズグズである。


「てことは、やっぱりあなたも」

「とにかく」


 パン、と手を打って雪梁は場を締める。


「今は授業中だ。教師も睨んでる。話があるなら放課後に宿直室へ来てくれ。志穂もな」

「うぇへい♪」

「外法者が本山を呼びつけるか、痴れ者め」

「用がないなら出向く必要はない。お互いに、な」


 そう云って雪梁は去っていった。その背中を志穂は「雪梁しゃん♡」と蕩けた目で見つめ、リコナナは「ちぇっまた余裕かましやがって」「うん、やっぱキライ」と面白くなさげに眺め、そして桐原姫妃は……忌むべき者を軽蔑する眼差しで睨みつけていた。


 ◇


 放課後/宿直室


「なんなんですかあの子‼」


 ダンッとちゃぶ台を叩く志穂の怒りは放課後になっても収まらなかった。


「いきなり現れて雪梁さんを見下して、マジありえない! てかあの子の言ってた格ってどういう意味なんですか? 言葉がムズすぎてチンプンカンプンだったんですけど」

「桐原家は平安時代より続く陰陽師の超名家で、桐は時の最高権力者にしか与えられなかった天皇陛下の副紋でもある。つまり桐原学院長は日本における霊能界の女王で、桐原姫妃は王女さまってわけだ。片や俺は田中、読んで字の如く田んぼの中で細々と生活していた家柄、つまり農民だ」

「関係ないですよそんなの! 時代錯誤も華々しい!」

「いや讃えてんじゃねえかよそれ。甚だしい、な」

「い、いいんです細かいことはっ!」

「というより、そこが問題なんじゃない。要するに俺が――」

「恥ずべき外法者であるという事実」


 勢いよく扉が開き、桐原姫妃がどかどかと入室してきた。

 制服に着替えた彼女は結わえていた髪をほどき、艶のある流麗な黒髪を靡かせている。桜の花弁を模した簪はブレザーの襟に挟んであることから、大切にしているものなのだと伺えた。


「神仏の力を借り給うて妖霊を調伏し、清浄化した魂を輪廻にお返しするが我らの本道。即ち救済こそが霊能に通ずる者の使命。しかしそこな外法者はそれに能わず、ただ乱暴に駆逐するだけ。それでは御魂が救われぬ」


 志穂の脳裏に雪梁がセイジョにやってきた初日の言葉が蘇る。排霊は決して褒められた行為ではない、と。


「魂の破壊者たる外法者よ、貴様はこの件から手を引け。この学院から去ね。そして、二度と妖霊稼業に関わるな」

「断る」


 あまりにも冷徹な桐原姫妃の矢継ぎ早な言葉にも、雪梁は動じない。


「外法者だからこそできることもあると信じ、俺はこの道を歩んでいる。止まるつもりは毛頭ない」

「その道程で幾千もの哀れな御魂を犠牲にしてもか」

「ああ」

「下種め。……羽有志穂どの、あなたはこの者の行ないを知ったうえで協力しているのですか」

「う、うん」


 なにかに失望したように桐原姫妃は舌を打った。


「いいや、あなたは理解できていない。だから協力することができるのです」

「そんなこと……!」

「辞めろと言っても聞きますまい。故に、証拠をお見せしよう」


 桐原姫妃が徐に懐から取り出したのは、小さな札で封印されている雅な万華鏡だった。

 札に刻印されている術印に一瞬霊気を流した彼女は札を剥がし、蓋を開く。万華鏡から現れ出たのは……とある一体の霊であった。


「今朝がた学院の敷地内で発見、保護した水子の霊だ」


 "水子"――今生を行くことなく死した胎児の霊。

 水滴のように透明で柔らかな、水の精霊のような赤ん坊を模した姿には儚さこそあれ、悪しき気配は全くなかった。


「流産や中絶ないし、産後まもなく息絶えた儚い魂たちの集合体です」

「あっ、ああっ」


 女性である志穂の胸を穿つ痛みは途方もないもので、自然と瞳が潤みに沈み、溢れ出し始めた。

 この子を抱きしめたい。慰めたい。守りたい。愛でたい。温めたい。――そんな母性本能が志穂の中を暴れ回っている。


「外法者よ、貴様はこの哀れな魂にすらその大鍬を叩き込むのか」

「ぜったいダメェ‼ ……あ」


 思わず雪梁の視線から水子の霊を庇った志穂は己の行動が信じられなかった。


「羽有どの、あなたは正しい」


 桐原姫妃は懐から小さな独鈷どっこを取り出した。これが彼女の用いる専心の法具。


けん


 たった一つの言霊をきっかけに独鈷の両端から霊気の線が若干弧を描き気味に伸びてきた。しかも伸びた霊気の先端同士は極細の線でつながっている。


「それって、弓?」


 そう、これは独鈷と霊気が形作る云わば『霊弓』に他ならない。両端の長さは70センチほどと、弓としては小型である。


「この霊気が視えるとはご慧眼でありますな。しからば、某の行為の意味も分かりましょう」


 桐原姫妃は水子の霊に近寄り、小さな霊弓の弦を軽く引き、指を放した。


「♩――」


 ぷんと音が鳴るや、水子の霊は清浄な光に包まれた。


「こ、この子どうしたの?」

「矢のない弦を弾く"鳴弦めいげん"には穢れを祓った清らかな魂を天へと送る効果がある。これが我らの生業、"浄霊"です」

「浄霊? 除霊じゃなくて?」

「除霊とは言わば、正式な手続きに沿った立ち退き交渉のようなもので、その場から移ってもらったり追い出したりといった方法です。浄霊は鳴弦の意がそのまま当てはまります」


 この時、志穂は見た。水子の霊の穏やかに消え行く様子と、それを眺める桐原姫妃の優しい眼差しを。

 

「サンティ・ソワカ」


 これが浄霊。排霊とは違う、慈悲の救済。

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