ぐすすすすん
「志穂。おい志穂」
ふわふわとした居心地の良さに微睡んでいた志穂は穏やかな、そして温かな呼びかけによって覚醒した。
「ん、ぅぅん」
志穂は朝の光が差し込む部屋でクイーンサイズのベッドに横たわっていた。
微睡みの向こうにいるのは雪梁で、すごく近い場所から志穂を覗き込んでいる。
「そろそろ支度しよう」
「ん……支度って、なんの?」
「ランド行きたいって言ったのお前だろ。高速混む前に出たいんだから、早く起きろ」
「あー、そだった。んしょ」
もぞもぞと上体を起こした志穂はほぼなにも着ていない状態だった。それは雪梁も同じで、二人とも肌を寄せ合って会話を行なっている。
「あれ、雪梁さん、わたしなんか」
「懐かしいな、その呼び方。出会った頃を思い出す」
出会った頃……そうだ、わたしと雪梁さんは聖輪館女学院を卒業と同時に付き合いだして、一緒に住んでるんだった。
わたしの年は20で、看護学校の学生。雪梁さん、彼氏になってからは
付き合いだして二年、同棲して一年半。とても、とても幸せ。
そう心中で"現実"を確認、自覚した志穂は少し照れながらも雪梁に密着する。
「ねぇ
「……なら、また敬語に戻せ」
志穂に覆いかぶさった雪梁は志穂を抱き、囁く。
「あの頃のお前を抱いてると思うと、また愛おしくなる」
「あ、雪梁さんっ、恥ずかしいですっ。やぁん♡」
「あー、んんっ、んーんん」
あれれ? なんで雪くんが二人? と志穂の脳が混乱を始めたその瞬間、周囲の景色は輪郭を失くし、桃色の空間に様変わりした。
「へぁ? 雪くん? 雪くぅん、どこぉ?」
「盛り上がってるとこ悪いが、ここは夢だ。現実じゃない」
「夢……っっ⁉」
志穂は完全覚醒を果たしたその瞬間、未だかつてない絶叫を叫びあげた。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああっっ‼」
「だから来るなっつったのに……」
「違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんです違うんですっ! これはえっととにかくわたしのアレじゃなくて祟りのせいですぜったいそうですきっとそうなんですぅ! おのれ悪霊めマジ許すまじ! マジ許すまじ!」
真っっっっ赤な顔と大量の汗を振り撒きながら悪霊に罪を擦りつける制服姿の志穂はともかく、眼を排霊モードに切り替えているつなぎ姿の雪梁は彼方を指差した。
「言いつけを守らなかった説教は後でするとして、羽有が来たことで予期せぬ収穫があった。アレを見ろ」
雪梁の指差すものを見て志穂は落ち着きを取り戻すことができた。それだけに桃色空間の奥に陰る闇は……禍々しい。
「あ、あのキモイ
「"
闇の穴からズズズと現れ出たのは、絵画に描かれていた黒髪の和服女性だった。しかし明らかに異形の様相が形作られていた。
彼女の体長は5メートルを超えるほどの巨躯で、手足は異常に長い。敵意を剝き出しに爪を伸ばし、牙を尖らせ、獣のように四つん這いになって悪意を発散している。
『クコココココ』
人を夢に引きずり込み、生気を喰らう悪意の権化。紛うかたなき、怪物。
「ひィィィ‼ ななななんなんですかあのバケモノォ! 超怖いんですけどっ! 怖すぎるんですけどっっ! てかわたしのせいであんなのが出たなんて超イミフなんですけどぉぉ!」
「この世に存在するあらゆる異能や、妖霊が起こすオカルト・怪異現象の類は全て、それぞれ異なるOSで稼働している一種のプログラムだ。此度の
「本体? てことは、アイツが須藤凛さんを祟ってる悪霊そのものってことなんですか?」
「そういうことだ。怨道を通って本体を探すよりかなり手間が省ける。お手柄だ」
「あは、あはは、ラッキ~」
戦闘態勢に入り、大鍬を構えた雪梁にへばりついていた志穂は離れ、ゴクリと息を飲む。
「夢の中だと現実と時流が狂う。須藤凛が奴に生気を吸われて死んでしまう前に祟りの本体、"夢喰い女"を排霊する」
「わたしたちに妙な幻を見せて惑わせた悪霊を懲らしめてやってくださいっ! がんばって!」
往生際の悪い志穂の声援を受けつつ悪霊へと疾走する雪梁。間合いに入るなり速度を上げ、大鍬を奮う。
「
夢喰い女は常識外の跳躍力でこれを飛び躱し、凶爪を振り返してきた。
大鍬で華麗に爪撃を受け流した雪梁は反転、卓越した瞬発力で夢喰い女の懐へドライブイン。柄頭で横っ面を殴打した。
「
『ア"ォ⁉』
連続で振るわれた接合部の強撃を防いだ夢喰い女は腕を折られながら彼方へと吹っ飛んだ。
二度、三度とバウンドしながら数十メートル後方へ吹っ飛ぶ夢喰い女の様子に、志穂は「雪梁さんマジマッスル」と感嘆を漏らす。
『グココココッ』
態勢を立て直さんと、夢喰い女は着地するや迂回を始めた。
そして雪梁との間合いが広がったその時、持ち前の長髪を蛇のように唸らせ、伸長させながら雪梁へと差し向けた。
「雪梁さん‼」
妖髪に両手足や胴体を拘束された雪梁のピンチに志穂も思わず声を荒げる。――しかし当の雪梁はすでに対処法を準備済みだ。
『ッッ⁉』
ばづんばづん、と瞬く間に妖髪は切断されていく。雪梁の両手に構えられた、大型の圧着ペンチとカッターの二刀流によって。
「
大鍬を口に咥えた雪梁は次々と迫りくる妖髪を圧着ペンチでかしめ、カッターで切断しながら怒涛の進撃。
慄く夢喰い女は避難しようと足掻くも、都度圧着ペンチで髪を捕まえられてしまうので後退も逃避もできない。――夢喰い女はもう詰んでいるのだ。
『ギグッ‼』
夢喰い女の額に大鍬の刃がめり込んだ。
潰された頭部から黒いナニカを噴きながら夢喰い女は絶命。露と消える。
次の瞬間、桃色の夢空間は輝きだし、真っ白に溶けていった。
◇
放課後/第一美術室
「荒ぶる御魂に平安を……
目を覚ました志穂が最初に認識した光景は経を読む雪梁の後ろ姿だった。
そんな雪梁の目の前にはドロドロと溶けていく件の絵があり、しばらくもしないうちに完全に消え去っていった。
「排霊、できたんですね」
「お陰さんでな。今回は羽有にかなり助けられた。ありがとな」
「えへ♪」
直接排霊の手伝いができたことに志穂はとても喜んでいる。――黒歴史を思い出すまであと12分。
「あの怨道ってのを探すために夢の中へ入るだなんて、怖いことしないでくださいよもぉ」
「大丈夫だって言ったろう。今度からはちゃんと言いつけを守れよ」
「ぶー……あ、そーいえば」
結局自分の取り越し苦労だったと知って口を尖らせる志穂はある疑問を思いついた。
「わたしだって誰だってこの絵見たことあるのに、なんで今回須藤さんだけが祟られたんです?」
「……なに?」
志穂の問いは雪梁にとって不可解な内容であった。
「お前、どうやって夢の中に入って来たんだ?」
「どうって、倒れてる雪梁さんに呼び掛けてたら桃籠が鳴って、この鏡と絵がキモく動き出して、それから……多分夢の中に」
「聖輪館女学院七不思議、"夢鏡"の話は知ってるか?」
「セイジョ七不思議? なんですそれ?」
「知らないのか……夢鏡ってのはな」
何事かを考えながら雪梁は"夢鏡"の話を志穂へ伝えた。
「へー、うちの学院にそんなんあったんですねー」
「そのセイジョ七不思議に関心を持った須藤凛は"夢鏡"の謎を解いた。その内容が、この鏡とあの絵に描かれていた鏡台とを合わせ鏡にすることだった。それが実は
「現世はこの鏡、常世は絵の鏡だったわけですね。確かに絵なら何も変化しない常世って言えるかも。合わせ鏡で異世界に迷い込むとか悪魔と出会えるとかって話もありますもんね」
「さすがはオカルト女子、予備知識に不足はないな」
「へへっ、雪梁さんの役に立つかなと思ってネットでオカルト漁り続けてますもん♪」
一時は辞めることを促しはしたが、なかなかどうして良い相棒に成長しつつある。そう感じ入った雪梁は少し肩の力を抜いた。
「あ! てか早く須藤さんの様子見に行きましょうよ! ちゃんと起きてるか確認しないと!」
一足先に駆けていった志穂の背中を見つつ、雪梁は夢鏡を一瞥し、懐に仕舞った。
◇
宿直室
「ぐすん、ぐすすん、ぐすすすすん」
志穂と雪梁が宿直室に戻ってみると、須藤凛はすでに覚醒していた。そして何故か泣いていた。
「羽有さぁん……恨むよもぉぉぉ」
「え⁉ ど、どして⁉」
「コロッケの散歩してたら、推しのイケメン俳優と出会って付き合いだして、プロポーズされてラスベガスで結婚式挙げて、撮った写真を掲載してたブログがバズって個展も開けて……超幸せだったのにぃぃ」
須藤凛はこれでもかと楽しい夢を見ていたようで、現実に帰還したことを心底残念がっている。
「はぁ……でも、このままだと死んじゃってたんだよね。助けてくれて、ありがとう」
「そ、そんなっ、わたしはなにも。須藤さんを助けてくれたのはこの人だよ」
「あぁ、用務員の彼氏さんかぁ。ありがとうございました」
「ちょ、ちょちょちょちょちょっと待ってっ。彼氏とかじゃないよやだなぁ」
「でも夢の中で、
「なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん⁉」
瞬時に顔面の毛細血管が爆ぜた志穂の汗腺は再び壊れた。
片や雪梁は、須藤凛の意識下において構築されていた夢の中で行なわれた自分たちのやり取りは全て筒抜けになっている事実を冷静に解釈していた。
「そっか、あの夢って中にいる人の願望を500%くらい盛ってくれるステキ空間だったから、まだ片恋ちゅ――」
「祟り祟り祟り祟り祟り祟り悪霊悪霊悪霊悪霊悪霊悪霊たいさーーーーーん‼」
消えてなくなりたい衝動に駆られた志穂は宿直室を駆け出して行った。
その様をくすくすと笑む須藤凛とは裏腹に、雪梁の表情は未だ緊張感を伴っていた。
「須藤さん、少し話を聞かせてもらっていいか?」
◇
夜/学院長室
「報告は以上です」
日付も変わらんとしている夜半、雪梁は事のあらましを桐原学院長へ報告した。
「まさかセイジョ七不思議が関わってくるなんて……」
「学校オカルトものの定番だと思うのですが、これまで調査はされなかったのですか?」
「もちろん当初、最優先で調査したわ。でもなにも出なかったの。未だ実在が証明されていない話もあるけれど、判明している話の舞台になっている場所や物にはまったく霊気を感じない」
「今回の一件は夢鏡がトリガーになっていました。特定の条件を整えることで正体を現すのだろうと推察できます」
「他の話にもトリガーらしきものの存在が仄めかされている節があるし、再調査が必要のようね。新たな霊障被害を出さぬよう、各員に改めて周知するわ」
「それだけでは足りないかもしれません。此度の一件、おそらく単一的な事象ではない。明らかに通常の霊障とは違う不可解な点が多々あります」
「……聞かせてちょうだい」
雪梁は一層に重い雰囲気で桐原学院長へある報告と進言を行なっていく。
「まず、須藤凛がセイジョ七不思議を調べていた理由が不明です」
これは須藤凛への聞き取り調査によって判明した一つ目の事実である。
志穂の調査でも須藤凛がオカルトに関心を持っていないことは明言されていたし、部室に飾られていた写真にも心霊っぽいものは一切なかった。
そんな彼女が何故セイジョ七不思議を追ったのか。当人曰く、え~となんでだっけ、とのことだった。
「次に、夢鏡を手に入れた経緯もわかっていません」
聞き取り調査によって判明した二つ目の事実である。
本人曰く、いつの間にか持ってた、とのことで、入手経路はやはり不明であった。
「祟りそのものにも不可解な点があります。何故夢鏡が写真部の部室にあったのか」
須藤凛は実習棟の美術室で祟りを受けた。にもかかわらず、夢鏡は文化棟の写真部部室に落ちていた。
「合わせ鏡の謎を解いて夢の中に入った俺はともかく、どうして謎はおろか話すら知らなかった羽有志穂まで夢の中に入って来れたのか」
「辻褄が合っていないことだらけね……」
「はい。ですが、その辻褄を無理やり合わせられるかもしれない人物が一人だけいます。写真部の部員名簿を顔写真付きで見せていただけますか」
桐原学院長はPCを操作し、生徒名簿から写真部委員を抜粋してモニターに表示。雪梁に見せる。
「……いない。あのメガネの女子が」
調査中の雪梁に接触してきた写真部と思しきメガネの女生徒。
彼女は授業中にもかかわらずふらりと部室に現われ、変態と名高い雪梁を恐れることなく会話を行ない、志穂の調査には出てこなかったあらゆる情報を提供していった。
もしも彼女が人外、もしくは異能の使い手だったならほとんどの謎が解ける。
須藤凛の記憶や認知や行動を操作し、夢鏡を別の場所に移し、事を調査しにきた雪梁に餌を与え、志穂をも夢の中に引きずり込んだ。
「気配はまんま人間のそれでした。妖霊の類が
「まさかこの一件、いや、セイジョを取り巻く広域霊障は……!」
人為災害の可能性がある。――この仮説に桐原学院長と雪梁は妖霊とは違う不気味さを覚えた。
「部外者の人間が元凶……生徒や教官たちの異能調査は健康診断に混ぜる形で行なってきたから、確かに盲点だったわね」
「もちろん断定はできませんが、直接的な接触があった以上、俺はその前提で行動するつもりです」
「ぜひお願いするわ。あとできる限りでいいからその子の似顔絵を作成しておいてくれる?」
「こちらに」
「あら、仕事が早い。……メガネ以外の特徴ないわね」
「す、すいません。正直、髪型も服装もメイクも同じようなものばかりで見分けがつきにくくて」
「それ、本人たちの前で言ったらまた炎上するわよ」
とりあえずの報告は済んだ。話題は雪梁が桐原学院長に頼んでいた、ある保険についてのものに移る。
「お孫さんに手間をかけさせてしまって申し訳ありませんでした」
「待機させていただけだから気にしないで。雪梁くんが排霊に失敗した時の保険だったわけだし、使わずに済んでよかったわ。本人は機嫌悪そうだったけれど」
「保険扱いされたことに気を悪くされているのですか?」
「厳密に言えばその言葉の頭に……
「それだけ誠実であるという証拠です。お気になさらず」
最後の話題も尽きたので雪梁は退散することにした。
[俺はそろそろ失礼します」
「ええ、お疲れさまでした。……ねぇ雪梁くん」
ところが去り行く雪梁の背に桐原学院長は声をかけた。
「そもそもあなたは
そんなやり方は不確実で非効率である。桐原学院長はそう指摘する。
「元々あなたは、夢の中から負荷をかけて本体を引きずり出すつもりでいた、でしょう?」
たまたま志穂の珍入で成り立った状況は雪梁の描いていた排霊方法そのものだった。
「でもこの作戦を行なうには必須の前提条件がある。――
そう、雪梁は祟りを受けて夢の中に入っても終始正気を保っていた。
須藤凛がそうだったように、夢の中なら他の者が見ている夢を理解できる。逆に言えば外の情報は全く入って来ない。だから雪梁は志穂が入ってくることを予想も察知もしようがない。
にもかかわらず、雪梁は夢の中の志穂を覚醒させ、排霊を為した。これもまた不自然であると桐原学院長は云う。
「祟りを受け入れながら正気を守り、中から単独で
さすがは桐原家当代、見透かされてやがる。と脳内で嘆息した雪梁は――、
「飯のタネは企業秘密、ってことにしといてください」
と明言を避け、学院長室を退室していった。
桐原学院長は提出された夢鏡を掲げ、柔和にほほ笑む。
「私の目に狂いはなかったようね」
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