名前はコロッケ

 ――絹を引き裂く乙女の悲鳴が深夜の校舎に木霊した。


 悲鳴とほぼ同時にがばりと跳ね起きた妖務員雪梁は、ベテラン消防士もかくやのスピードでマルチツールバッグと大鍬を携え、上下スエット姿で廊下へと飛び出した。

 悲鳴こそ遠すぎて雪梁には届いていないし、こんな深夜に人がいるとも考えにくいが、雪梁の感覚に伝わってきた霊気は紛れもなく悪性のものだった。誰かに危機が訪れているのは明白であるとし、大鍬を構えた雪梁は深夜の廊下を走り、教育棟1Fから実習棟3Fへと駆け上がった。


「誰かいるのか!」


 しん、と静まり返る教室群の中の一室から霊気が漂ってくる。

 意を決して雪梁は『第一美術室』へと入室。警戒を厳に室内を見渡すが……妖霊の気配はいつの間にか消えていた。


「……ん?」


 ふと教室中央の床を見ると、一人の女生徒が厚手の私服姿で倒れているのを発見した。

 やはり被害が出ていたかと舌を打ち、女生徒に声をかけようと近寄るが――、雪梁の表情は曇る。


「祟られてやがる……」


 忌々し気にそう零した雪梁は、清酒を口に含んで半分を両手に霧吹き、半分を口内に残したまま女生徒を抱え上げ、宿直室へと戻っていった。


 ◇


 早朝/宿直室


 授業開始前の早朝、雪梁に呼ばれた志穂は宿直室を訪ねた。


「おはよーございます雪梁さん。入りますよ……え"」


 直された戸を叩いて入室した志穂は絶句した。

 何故なら雪梁は、見知らぬ女生徒を部屋に連れ込み、あまつさえ己が布団に寝かせ、しかもキスまでしようとしていたのだから。


「早朝にすまんな羽有……どうした、ピカソの絵みたいな顔になってるぞ」

「……信じて、たのに、変態じゃ、ないって、犯罪者じゃ、ないって」


 真っ青な顔色で溶けるように全身を項垂れさせていく志穂を見て、どうやら誤解を招いたかと勘づいた雪梁は、穏やかに志穂を招き入れ、改めて状況の説明を行なった。


「深夜に悪しき霊気を感じて第一美術室に駆けつけたら彼女が倒れていたんだ。しかも祟られてるようでな、ここに匿っているというわけだ」

「でも、キスしようと、してたし……」

「口の中を確認してただけだ。祟りや呪いは口から入るから口内の穢れ具合いで進行度が推し量れる。……とにかく、俺では女子の世話はしきれないんだ。手伝ってくれないか?」

「も、もう、紛らわしいんだから」


 いまいち納得いかないが、雪梁から初めてはっきりと助けを求められた嬉しさが買った志穂の機嫌はとりあえず治った。


「この子、隣のクラスの須藤凛さんですよ。話したことはないけど、選択授業で一緒だから知ってます。てかわたしにはただ寝てるだけにしか見えないんですけど、祟られてるってどういうことなんですか?」


 志穂の疑問は至極尤も。雪梁はまず"祟り"の解説を行なっていく。


「"祟り"とは"呪い"とも呼ばれる霊障の一種で、簡単に言えば遠くから対象者を攻撃できる方法だ」


 先の体験から多少はオカルトに明るい志穂の「丑の刻参りとか蟲毒とかですよね」という言葉に雪梁は頷きつつ、イマドキの女子高生が吐く言葉じゃねえな、と脳内でツッコんだ。


「悪意の霊気と複雑な法則性と困難な使用条件を課すことで、姿を見せることなく相手に加害効果を与えられるのが利点だが、大きな効果には大きなリスクを伴う。それが"祟り返し"、"呪い返し"、と呼ばれる逆流現象だ。これがそのまま解決法になる」


 人を呪わば穴二つ。因果応報の自業自得。他の不幸を望む者は報いを受ける。――それが祟呪スイシュの理。


「つまり祟りをなんとかできれば跳ね返して排霊できるし、この子も助かるってことなんですね」

「そういうことだ。ただあまり時間はない」

「どうしてですか?」

「この子にかけられた祟りはおそらく――、"夢不知ユメシラズシュ"。強制的に夢を見せたうえで夢であるという認知を奪い、決して目覚めない眠りの中でどんどん生気を奪っていくものだ。24時間以内に解呪しないと死に至る」

「そんなッ、じゃあ早くなんとかしないと! わたしはなにをすればいいんですか⁉」

「この子の人格や人間関係、それらの変化に関する情報を集めてくれ。一応桐原学院長経由で出自や家族構成や内申についての記録は確認したが、やはりパーソナルな情報が欲しい。そこに祟りを祓うヒントがあるかもしれない」

「りょーかいです! 女子間ネットワークで洗いざらい調べてきます! それで雪梁さんは今からなにを?」

「方針決定の報告と、対処に関する相談をもう一度桐原学院長と行なう。その後は羽有待ちだ。とはいえ、なるべく祟りの進行を食い止めないといけないから、この子の口内を洗浄するために清酒を口移しで流し込んで――」

「いやバカなの? バカなの?」


 瞬時に目が据わった志穂の様子に雪梁は狼狽えた。


「た、祟りや呪いには伝染するものが多くあるから、口内に清酒を含めながら対処するのが鉄則なんだ。だから口移しが基本になっていて、要するに人工呼吸と同じような――」

「もう黙れし。てかわたしがやるから」

「いや、でも酒だぞ」

「わ・た・し・が・や・る・か・ら!」

「わ、わかった、任す」


 清酒を沁み込ませたガーゼを二つ用意し、一つを自身で咥え、もう一つをピンセットで挟んで須藤凛の口内を洗浄する志穂の手際に雪梁は「なるほど」と感心の声を漏らした。

 そんな朴念仁に「わたしの許可なくこの子に触れないこと!」と念押しした志穂は、プリプリと怒気を吐きながらSHRに臨んだ。


 ◇


 昼休み/宿直室


 昼休み、荷物を持った志穂は宿直室に入室するなり雪梁を強引に退室させた。

 待つこと20分、入室許可を得た雪梁は改めて志穂と対面する。


「なにしてたんだ?」

「着替え、汗拭き、体位変換、水分補給です」


 志穂は排泄管理まで行なうつもりでいたのだが、現状必要なさそうだったのでなにもしていない。


「須藤さんが目覚めてもわたしがそれやったって積極的には言っちゃダメですよ。本人の自尊心を守るためなんですから」

「朝といい、手馴れてるな」

「わたし看護師志望なんです。実家にいた頃も亡くなったおじいちゃんの介護をよく手伝ってました」


 立派だな、と零した雪梁の称賛に照れつつ、志穂は遅ればせながら報告を開始する。


「須藤凛さんの交友関係は良好です。明るくて嫌味のない性格で、目立つ方ではないにしろ敵もいない良い子だそうです。友情や恋愛のこじれも彼氏もなしで、最近は男子との接触自体ないようです。写真部に所属していて趣味は絵画鑑賞。オカルト心霊系は関心なし。ハマってるコンビニススイーツはまるごとイチゴで好きなミュージシャンは髭男とアイコ。推しの俳優は横浜くんで好きな芸人はもう中。実家で飼ってた犬はチワワで名前はコロッケ。一番笑ったドキュメンタルはシーズン7で――」


 後半のノイズがひどいが、交友関係に焦点を絞っての情報収集は中々できている。その中で引っかかった点を掘り下げるべく、雪梁は行動に出る。


「俺は現場検証と調査に出る。羽有は教室に戻っていいぞ」

「え、でも須藤さんこのままにしとくのは……」

「桐原学院長からこいつを預かってきたから心配ない」

「なんです? そのカギ」

「"施錠した室内を妖霊が入って来れない空間に変える"効果を持つ術印入りの鍵だ。しかも対象範囲が狭いほど強力になるタイプだから、手狭な宿直室ならかなり安全度は高くなる」

「へー、つまりここが安地になるってわけですね」

「じゃあ行こう」

「あ、あの!」


 すくと立ち上がった雪梁を志穂は真剣なまなざしで見つめ、一歩寄る。


「雪梁さんなら大丈夫だと思うけど、ぜったい気をつけてくださいね! 祟りとか、怖いし」


 もし雪梁まで祟られたら……そう考えてしまう志穂は思わずうつむき気味に雪梁の袖を掴む。その手を取り、ぐっと握り込んで意を伝える雪梁の眼に恐れはない。


「大丈夫だ。朗報を待て」

「……はい」


 ◇


 実習棟/第一美術室


 不安げな志穂と別れた雪梁が真っ先に訪れたのは、須藤凛を発見した第一美術室であった。

 事件現場であるということも然りであるが、聞き取り情報の中で絵画鑑賞が趣味という点もあったことから、霊障媒体の定番である絵のチェックをしたかったのだ。


 しかし印象としては芳しくない。ごく普通の美術室にしか見えない。

 室内には名画のレプリカやどこぞの者が描いたか寄贈したと思しき絵の数々が掲示されているだけで、昨夜感じた悪しき霊気は不自然なほどに欠片もなく、霊障箇所とは思えぬほどだった。


 なぜ須藤凛は深夜にここへ来たのか。

 なぜあんなにも強い霊気が欠片も残っていないのか。

 大きな疑問が解決されぬまま、雪梁は部屋を出た。


 ◇


 文化棟/写真部部室


 次いで雪梁はあらゆる文化系部活動の部室が並ぶ文化棟へとやって来た。

 オカルトと言えば心霊写真。最もポピュラーな霊障媒体ということもあり、被害者が写真部であるならば調査するべき場所であると判断し、学院内の限られた者しか持たないマスターキーを用いて写真部の扉を開けた。


 まず目立ったのは壁面の掲示物で、歴代の部員が撮ったであろう受賞作品の数々であった。そのほとんどが風景や自然物を撮影したものばかりで、悪しき霊気は感じられない。

 次に確認したのは現在の部員で撮られたであろう手近な写真たちだ。添えらえている札には須藤凛の名もある。撮られているのは飼っているというチワワの写真と花の写真ばかりで、やはり無害であった。

 最後に確認したのは、カルボン酸の匂いに満ちたフィルム用暗室、いわゆる現像室。歴史ある学院の設備だけあって中々クラシカルであるが、やはり悪しき霊気は感じられない。しかし――、


「鏡……?」


 床に落ちていたのは小さく丸い手鏡だった。裏面の装飾はどこか古臭く、鏡面はざらざらで覗き込む雪梁の顔は全く映らない。かなりの年代物のようだ。

 霊気は感じないが、妙に引っ掛かりを覚えた雪梁はまじまじと鏡を観察してみた。そこへ――、


「わっ⁉ びっくりしたー」


 部員と思しきメガネの女生徒が入室してきた。


「新しく来た用務員さんですよね? 写真部の部室でなにしてるんですか?」

「あー、設備の点検だ。もう少しチェックしたらちゃんと施錠して出ていく」

「そうですか、お疲れさまです。あれ? それって……まさか夢鏡?」


 "夢鏡"……決して聞き逃せないワードに雪梁は食いつき、内容を問う。

 返ってきた答えは雪梁が初めて耳にする、セイジョ内でまことしやかに囁かれているあるオカルトに関する話だった。


 聖輪館学院セイジョ七不思議:夢鏡 ~ユメカガミ~

 現世と常世の狭間にて夢鏡を合わせると夢の世界へ行くことができ、その先には至上の幸福が広がっている。


「最近うちの部員がその鏡をどこかから見つけてきたんです。きっとこれは夢鏡だって言って学院内の色んな鏡と合わせてみたらしいんですけど、結局何も起こらなかったそうで。でも昨日、謎が解けたってはしゃいでて」

「その部員の名は須藤凛か?」

「はい。今日どういう意味か聞こうと思ってたんですけど、彼女休みで」

「なるほど……。ありがとう、助かった」


 点と点がつながった確かな感触を覚えた雪梁は、小首を傾げるメガネ女子を捨て置き、足早に写真部の部室を出ていった。

 目指すのはやはり事の始まり、須藤凛を発見した現場……第一美術室だ。


 ◇


 実習棟/第一美術室


「現世と常世の狭間にて夢鏡を合わせると夢の世界へ行くことができ、その先には至上の幸福が広がっている……これか」


 夢鏡の不思議を復唱しながら室内を闊歩する雪梁は一枚の絵の前で足を止めた。

 鏡台の前に座る和装の女性が、長い黒髪を髪梳ける様が背面から描かれており、女性の微笑は鏡台の鏡から確認できる。日本画ならではの奥ゆかしさがある質素な絵ではあるが、その絵にタイトルは無いようだった。


 ここで雪梁は懐から夢鏡を取り出し、絵に近づけてみた。

 すると突如、夢鏡から霊気が漂い始めた。しかも鏡だけに止まらず、絵からも禍々しい霊気が漏出し始めた。まるでお互いを呼び合っているかのように相乗的に増大している。――これらは昨夜の悪しき気配と合致している。


「そういう仕掛けか。なら……」


 雪梁は解決への糸口を発見し、己の為すべきを見出した。

 その初手はスマホを取り出し、とある人物たちへいくつかのメッセージを送ることだった。


 ◇


 5限/2-A


「っ⁉」


 雪梁からのメッセを受けて立ち上がった志穂の驚愕は授業中の静かな教室内に響いた。


「んだよシホ、ガテン系のが残ってたん?」

「後で病院付き添ってあげるから、早くトイレ行ってきなよ」

「え? ん? あ、あー、うん、先生すいません! ちょっとトイレ行ってきます!」


 担任教師の承諾を待たず、わざとらしく下腹部を押さえた志穂は教室を出て全速力で廊下を駆け出していった。

 リコナナの言ってることがいまいち理解できなかったけどなんでかトイレを勧めてくれてラッキー♪ とほくそ笑む志穂を、教室内の女生徒たちは卑猥にイジっている。

 余談だが、以上のやり取りを見ていた教師は志穂を放課後に呼び出す旨を固く決意していた。


 ◇


 実習棟/第一美術室


「雪梁さん⁉」


 息を切らしながら美術室に辿り着いた志穂は驚愕した。なんと部屋の中央付近で雪梁が大の字で倒れていたのだ。


「雪梁さん! 雪梁さんっ! 起きてよねぇ!」


 いくら揺すっても全く反応がない。これは紛れもなく――、"夢不知ユメシラズシュ"。


「そんなッ、そんなッ」


 震える手で志穂は己のスマホを覗く。そこには先ほど雪梁から送られてきたメッセが表示されている。これらは志穂にとって恐怖を掻き立てるに十分な言霊であった。


『須藤凛が祟られた経緯が判明した』

『これから俺は夢の中に入る』

『もし放課後までに戻らなければ桐原学院長へ連絡してくれ』

『絶対第一美術室には来るなよ』


「どうすれば……ッ⁉」


 言いつけを破って美術室に駆け込んできた志穂を更なる驚愕が襲った。手首に巻いていた桃籠がリリリリリと甲高く鳴り始めたのだ。

 しばらくもしない内に倒れ伏せる雪梁の傍らに転がっていた夢鏡は霊気を噴出し始め、絵も呼応するように鳴動を開始した。


「え、え、きゃあああああ‼」  


 ――ここで志穂の意識は途切れた。

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