ね♪

 馬久和まくわ神社/社務所内


 泣き止んだ志穂を社務所内に招いた青年は、四つ折りにされた一枚の紙を掲げた。


「順番は前後したが確認だ。これはお前からの依頼で間違いないか?」


 人外を屠るチカラを持つ青年の名は、田中たなか雪梁せつりょう。年は20。

 筋肉質で185センチほどの上背、黒いセミロングヘアに無骨な面構え、建設作業員と思しき格好と大鍬も相まって、ガテン系という表現がぴったりの男である。


「は、はい。この神社のお賽銭箱に内容を書いて入れると、良くないものを祓ってくれるって話をおばあちゃんに聞いて」


 雪梁はわずかに嘆息しながら志穂の思い違いを指摘する。


馬久和まくわ神社は『魔に見初められし者からの救済依頼』を受けるための窓口であって、実際に動くのは人間だし、内容の精査や調査もするし、料金だって取る。要するに商売だ」

「魔に見初められし者って……わたしみたく、悪霊につきまとわれたり、襲われたり、とか?」

「平たく言えばな。……長いこと憑き纏われてたのか?」


 この雪梁の一言に、志穂の瞳はまた潤みを含みだす。


「一ヶ月くらい前から、最初は金縛りと、幻聴から始まって、窓に手跡が付いたり、身近な物が突然壊れたり、洗濯機の中の下着がヌルヌルしてたり、四六時中視線を感じるようになったり、姿の見えない誰かに尾けられたり、真っ黒な手に暗がりや踏切へ引きずり込まれそうになったりっ、どんどんエスカレートしてってっ、でも誰にも相談できなくてっ、そんで今日……ううっ、うっ」


 瞳と声と全身を蝕む震えが志穂の味わった恐怖の日々を物語っている。

 そんな志穂へ温かいお茶を淹れた雪梁は、すでに"排霊"は済んでいると志穂に告げた。


「"排霊"……除霊じゃなくて?」

「除霊とは正攻法に則った説得を主とする平和的解決。排霊とは邪道に則った暴力を主とする戦争的解決で、俺は後者を生業とする外法者モグリだ」


 志穂はいまいち意味が分からなかったので、そうなんですねー、と言って軽く流した。

 わかってないなコイツ、と志穂の心中を見透かしていた雪梁は、とにかく、と言って空気を締める。


「本来であれば投函された依頼内容の裏付けをしたうえで動くんだが、たまたま俺がいる時に現行犯で処理できるとは、運が良いんだか悪いんだか」

「あ、あはは、昔から割と運は良い方で」


 この時、初めて雪梁は志穂の笑顔を見た。まだぎこちないが、段々と普段の調子を取り戻し始めている。


「てか、悪霊って神社とかに入って来れないと思ってたんですけど、違うんですか?」

「おおむね合ってるが、イマドキの女子高生らしくない知識だな」

「ここ一ヶ月、オカルト関連の情報ネットで漁ってたから。今のわたし、ちょっとしたマニアと化してます」

「なるほどな。確かに一般的な妖霊ようれいは神社仏閣に入れない。ただ今回は少し特別な例だ」

「特別な例って?」

「元坊さんなんだよ、あの悪霊」


 神職に就く者が悪霊になった。――この事実に志穂は驚愕を露わにした。


「もちろん人にもよるが、坊主の中にも禁欲を謳っておきながら金やら酒やら女やら権力やらにご執心の生臭は多くいる。とはいえ坊主は坊主、生前それなりに修行を積んでもいるから、悪霊になっても神域に対する抵抗力は持っている。だからさほど格式の高いものでない神社や寺には自由に出入りできる」

「そもそもお坊さんに狙われるとかイミフなんですけど。わたしそんなのと絡んだことないですし」

「生前最も強く執着していた事柄に寄って来るのが霊の性質の一つ。そして悪霊にとって性欲とは即ち殺人欲。生前はおそらくJK好きの変態坊主だな」

「キっモ! キっっっっモ!」

「ともかく依頼は達成され、お前の問題は解決した。今日はゆっくり風呂に浸かって、たっぷり休め」

「はいっ! 助けてくれてありがとうございました!」


 ◇


 馬久和神社/鳥居前


 境内を出て階段を下りきった所に立つ鳥居の下、何度も何度もお礼を言う志穂を雪梁は見送る。


「あ、そういえば料金かかるって言ってましたよね。えっと、学生なんでできれば分割に……」

「一応業界のルールってのがあってな。16歳以下からは取れないんだ」

「え! てことはタダ⁉ ちなみに17だったらいくらくらい……?」

「内容にもよるが、今日みたく命のやり取りが絡む場合は100万てとこだ」

「きゃーー! 超ラッキーー! これ見てください!」


 ガッツポーズで狂喜する志穂はしゅばっと雪梁の鼻面に生徒手帳を差し出した。

 生年月日欄に記載された誕生日は……なんと16年前の明日だった。


「……ついてるな、お前」

「ね♪」


 ◇


 社務所


 志穂の排霊を行なったその日の深夜。

 雪梁は黒電話の受話器を取った。じーじーとしたレトロなダイヤル音は未だ降り続く雪の静寂さに映えている。


「馬久和神社の神主代行を務めています、田中と申します。依頼書を見てお電話しました」


 賽銭箱には志穂の物とは別に、もう一枚依頼書が入っていた。

 記載された連絡先に電話してみたものの、耳に流れてくる依頼内容はこれまでのものとは毛色が違うもののようで、段々と雪梁の表情は曇っていく。


「俄かには信じがたいですが……はい、入念な調査が必要かと……俺が、ですか。はい、はい……わかりました、また後日。……失礼します」


 依頼主から齎された驚天動地の提案に雪梁の胸中は様々な感情に満たされた。

 もしこの世界に神がいたならば、きっと己に命題を課しているのだろう。そんな予感を覚えさせている。


「デカいヤマになる、か」


 問われているのは……"覚悟"である。



 ◆



 とある学校/教室内


「シホ、あんた最近肌つや良くねー?」


 排霊から数日後、志穂は級友の一人からそう指摘された。ふふん、と自慢げに鼻を鳴らす志穂は胸を張って答える。


「寝不足の原因が解決したからね。マジぜっこーちょー♪」


 すっかり排霊前の調子を取り戻した志穂はビシッとピースサインをキメた。


「ったくよー。結局なーんもうちらに相談しねーし。ストーカー被害とかマジでシャレになってねーじゃん」

「どんどんやつれてくのにすっごい空元気振り撒いて、見てて痛々しかったけど、もうほんとに平気なの?」

「リコとナナには特に心配かけたよね、ほんとごめん」


 少し乱暴な口調で志穂よりギャル度の高い金髪ロングの女子がリコ。少し丁寧な言葉遣いで"裏で遊んでる清掃系"を地でいく黒髪ショートボブの女子がナナ。

 彼女らは小学校三年生からの付き合いで、お互いがお互いを親友と言って憚らない良好な関係性を築いている。


「でもさ、もしわたしがこの件を話してたら二人はどうした?」

「待ち構えてぶっ殺」

「とっ摑まえて通報」


 リコとナナは友人間の問題に対し、良くも悪くも真摯に向き合い過ぎて直接的な対処を行なってしまうきらいがある。そのことをわかっていたからこそ志穂は相談しなかったのだ。――しかし二人の気持ちの温かさはちゃんと志穂に届いている。


「女子高生狂いで超狂暴なストーカーだったからさ、二人を巻き込みたくなかったんだよ(あ~ほんとはなにがあったか言いたい言いたい言いたい言いたい言いたい言いたい言いたい言いたいっっ)」


 志穂の中で"言いたい言いたい病"が発症している中、雪梁の戒めが薬となりて効いていく――。


『霊体験を口外してはならない。悪霊が存在するという認知が周囲に広がれば、悪霊はその存在を確固にし、強力に具現化してしまう。その実例が有名な"口裂け女"だ。とある県のとある町で起こったたった一件の霊体験が町中に広がったことで口裂け女の存在は強固に具現化し、住人を襲うまでになった。何人もの霊媒師が除霊に挑んだが、10人以上が失敗して殺されている』


『怪談やテレビやネットから伝えられる話には"どうせフィクションだ"という認知が根底にあるのでそうそう具現化はしない。しかし身近な人、親愛の情が深い者から実体験として話を聞かされれば、フィクションであるという認知を超えてしまう可能性が高い。そうなれば結果、身近な人を悪霊の危機に晒すことになりかねない』


 以上が雪梁からの戒めである。

 実際に悪霊の脅威を体感している志穂は、親友や家族に同じ思いをしてほしくないとし、固くこの戒めを順守する誓いを立てている。


「とにかくキャンセルしまくってた分、遊び倒すかんね! 放課後どこ行くどこ行くっ?」

「病み上がりがムリすんなっつーの。とりま定番コースから慣らしてくべ」

「マック寄ってプリ撮ってカラオケ、だね」


 三人が「おー♪」と拳を掲げて友好を深めているところ、水を差すように校内放送が流れた。内容は全校生徒の集合であり、昨日急きょ決定された行事である。


「全校集会とかマジだりーわ。バックレね?」

「賛成だけど反対。それっぽっちのことで内申下げたくないもん」

「どうせ大したことじゃないでしょ。さっさと済ませてカラオケ! 久しぶりでときめく~♪」

「ニヤけ顔きめぇw んなツラで整列してたらまたセンコーに怒られんぜ」

「あったね小5の時。シホが全校集会で騒いで怒られたこと」

「あれはアンタたちがわたしを笑かすからでしょ! てかもう子供じゃないし、騒いで怒られたりなんてしないっつーの」


 ◇


 体育館


『本日から学校用務員としてお世話になります、田中雪梁と申します』

「ええええええええええええええええええええっ⁉」


 労働者丸出しのつなぎ姿で壇上に立ち、マイク越しに挨拶を行なった雪梁は、教師に怒られている約一名を一瞥もすることなく表情を歪めた。


 彼は依頼を受けてここにいる。覚悟を決めて壇上に立っている。しかしその覚悟はすでに揺らぎ始めていた。

 それも致し方ないことであるだろう。いかに頑強な精神を持つ男であとうと、目下に広がるえも言えぬ圧力には到底抗いようがない。


 何故ならこの学校は、開校から240年の歴史があり、全寮制・中高一貫教育制度を取り入れ、総数3152名の職員と生徒が在籍し、10万㎡の敷地面積を拡げる国内最大規模の――、


聖輪館セイリンカン女学院のみなさん、よろしくお願いいたします』


 女子校であるのだから。

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