仁徳 ~身捧げの大王~

@MMNTOUR

序章

 第十五代スメラミコト(のちに応神天皇と呼ばれる)は、まだ幼い御子、大鷦鷯(オオサザキ)と共に大隅離宮(大阪市東淀川区)からの景色を眺めていた。


「おぉ」


 大鷦鷯が歓喜の声をあげ、「きらきら輝いとる」と率直な感想を述べた。


「うむ」


 父のスメラミコトもうなずき眼下を見る。

 大隅離宮は大隅島の高台にあった。眼下にはたしかにきらきらと輝く湖面がある。河内湖と呼んだ。

 初代スメラミコトこと神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)が、この地に船で辿りついた際には、まだ河内湖は海とつながり海流が遡っていた。船は、一気にその海流に乗り生駒山の山麓日下(くさか)まで辿り着いたという。その伝承から、この地は難波(なにわ)と呼ばれるようになった。

 その言い伝えがなければ、なぜこの地を難波と呼ぶのかわかりえなかったであろう。なぜなら、現在は湖と海を隔てる南から伸びる台地の開口部が、淀川と大和川が運んだ土砂によって狭まり、海流が一気に遡ることはなくなっていたからである。

 スメラミコトは幼い頃を回想した。自身も母上と共に見た河内湖の記憶を…。

 母上はかつて難波津で船団を組み、軍を率いて新羅征伐に向かった。半島の百済と加羅の要請を受けてのことである。わが倭国…本来であれば大和国とでも称するべきであるが(大陸ではそう呼ばれ便宜上そう呼ぶことが多かった)、その倭国が積極的に半島に介入するきっかけになったのは、父上から母上の時代に長らく懸念材料であった九州を征圧したことに発端する。九州征圧の目的は大陸までの海上航路を掌握することだったので、必然的に沖ノ島から対馬、半島南部を重要な拠点としても掌握していくことになった。

 加羅、および新興国だった百済は互いの利害が一致したことで倭国の配下についたが、新羅は反旗を翻し、加羅と百済に攻め入った。倭国軍は半島に向けて出兵し、百済との共同作戦により新羅の王城を制圧することに成功するも戦いは苦戦を極め、倭国側の被害も少なくはなかった。しかし、倭国にもたらされた恩恵も計り知れないものがあった。

 特に友好的な関係を築けた百済からは、一元的に鉄資源を得られるようになり、武具甲冑など倭国軍の軍備も飛躍的に増強することができた。母上は、百済との友好関係が長く続くことを望んでいた。

 いつの日か、われと大臣(おおおみ)の武内宿禰(タケノウチノスクネ)の前で語ったことが思い出される。


「ほれ見よ。この素晴らしい百済からの献上品の数々を。わらわは不思議な縁を感じられずにはいられない。思うに、百済は天からの授かりものではなかろうか」


 母上は空を見上げるようなしぐさをした。


「えぇ。そうでありましょう」


 武内宿禰が大袈裟にうなずく。

 母上は満足気に笑みを浮かべ、われの方を見た。


「息子よ。これから先、世がどのようにうつり変わろうとも百済にはあつく恩恵を与え続けるようにしなさい」


 母上の目は、有無言わせないものがあった。しかし、われはすぐに答えず、顔を伏せた。内心では、百済にそこまで肩入れする気持ちが理解できなかったからである。所詮は百済も利害が一致したから倭国に味方したに過ぎないのではないか…。世の変わりようによってはどのように動くかわからない…。


 われはゆっくりと顔をあげると、「もちろん。そのとおりに」と返事をした。

 母上は、安心したように微笑んだ。


 実質、それが母上の遺言となった。遠征による心労が祟ったのか、または大陸の病にかかったか、自ら角髪(みずら)を結い、新羅征伐に向かった母上も最期は呆気なかった。

 動かなくなった母上を殯(もがり)に入れ、正式にわれが第十五代スメラミコトとなった。宮は軽島豊明(奈良県橿原市大軽町)に定めた。

 しばらくは何事もなく日々が過ぎた。しかし、悪い予感が的中したというべきか、やがて不穏な空気が半島の方から漂ってきた。百済の政権が新たに辰斯王(シンシオウ)に変わってから、突如朝貢が途絶え、倭国からの使者も門前払いするようになったのだ。裏には、どうやら半島北方の高句麗の南下政策があるようであった。百済は屈し、倭国を裏切ったのだ。現状は予断を許せぬ状況になりつつあった。出来ることならばわれも母上の意志は継ぎたかったが、まもなく大きな決断を迫られることになるであろう…。


「あっ、お船!」


 大鷦鷯が嬉しそうに指をさして声をあげた。

 丁度、台地の北の開口部の方から船が河内湖に入ってくるのが見えた。


「お船!お船!」


 大鷦鷯ははしゃぎ、土手の縁を走り回った。


「御子さま、危ない!」


 うしろに従えていた武内宿禰が身が乗り出して叫ぶ。


「うぎゃ!」


 案の定、大鷦鷯は豪快にころんだ。

 武内宿禰はかけよろうとするが、スメラミコトは制して止めた。


「放っておけ」


「いや、しかし…」


 大鷦鷯は立ち上がると、泥だらけになった顔をこちらに向け、「へへへ」と笑った。

 スメラミコトは、武内宿禰に諭すように言った。


「ちょっと落ち着きはないが、御子はこれぐらい勇ましいくらいの方よいのだ。なにかあるようなら…、それまでの話」


「……」


 武内宿禰は納得いかないように肩をすくめたが、スメラミコトが大鷦鷯の方へ歩み寄ると後に続いた。


「ほら、これでどうだ。よく見えるだろ」


 スメラミコトは、そのたくましい腕で大鷦鷯を抱きかかえた。


「ひゃー、高い!」


 大鷦鷯は両手を上げて喜ぶ。


「大鷦鷯よ…」


 スメラミコトはそう言いかけて、ふと遠くを見て押し黙った。

 …不憫だな。と思ったのだ。

 これから、この倭国がどうなるのか一寸先は闇であった。次の世代は父上や母上、そして、われ以上に苦労するかもしれない。

 長男の大長守(オオナガモリ)は、血気盛んで頼り甲斐はあったが、どうもあれは実は単純で見境ないところがある。あるいは大鷦鷯のような、おおらかな心の持ち主の方が苦境を乗り越えられるのかもしれない。


「大鷦鷯は船が好きか?」


 スメラミコトが大きな声で訊くと、


「うん、お船好き!あと、乳の大きな女が好き!」


 と大鷦鷯も負けじと大きな声で答えた。

 武内宿禰が「はぁ…」と頭を抱える。


「ははははは」


 スメラミコトは大声で笑った。

 大鷦鷯は一瞬きょとんとするも、すぐに同じように「ははははは」と笑った。


「大鷦鷯よ、見よ」


 スメラミコトは河内湖を望んだ。


「お前が成人を迎えたら、この難波を任せよう。ここはこれから重要な土地になる。今はまだ人が住める土地も少ないが、いずれ多くのものも住めるようにしていかなければならない」


「うん。わかった」


 大鷦鷯は無邪気に即答した。

 武内宿禰は、また「はぁ…」と頭を抱える。

 しかし、スメラミコトは満足気に「うむ」とうなずいたのであった。

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