2月23日

 例によって、起きたら昼過ぎである。15時から美容室の予約があるので、わたわたと身支度をする。東京に来て1年ほど、まだここだという美容室に巡り会えていない。初回限定の割引クーポンを駆使しながらさまよっているが、毎回ホットペッパーで探すのも面倒なので、いいところを見つけてしまいたい。


 今日も東京は雨。代官山駅で降り、予約した美容室へ向かう。少し歩いて、建物の地下へ降りると、そこには鏡と打ちっぱなしのコンクリートが無機質に並ぶ空間。代官山らしいおしゃれな美容室に見えた。


 席につくと、蛍光ピンクの髪色をしたスタイリストに、どんな髪型にしたいか訊かれる。適当にリクエストを伝えると、シャンプー台へ案内された。おなかに乗せる抱き枕のようなものを渡され、それを抱えながら、いかにも意識の高い――いわゆるボタニカルとかオーガニックと呼ばれるような――香りのするシャンプーで、髪が洗われる。


 一般的な美容室では、壁に取り付けられた鏡に向かって座るスタイルが多いが、この店では、真ん中に両面鏡があり、それぞれその向かいに人が座るスタイルになっている。そして、鏡と鏡の間には人ひとり分の通路があるので、ぼうっと前を見ていると、鏡に映った歩く人が突然消える、あるいはその逆で、通路にいた人が突然消えるという錯覚を感じる空間であった。店内が打ちっぱなしコンクリートの仕上げなので、鏡に映る景色と、通路の奥に見える景色がほとんど同じなのが、そうさせているらしい。


 先にカラーを終え、そのあとにカットという流れだった。どちらかというと静かに過ごしたいタイプなのだが、今回はスタイリストが寡黙すぎて、逆にこちらから話しかけないと気まずい雰囲気がした。


 ワックスをつけてもらい仕上げ。いい感じにしてみてください、というオーダーをすると、したことのないアレンジがされた。前髪を後ろに流したうえで立ち上げ、サイドは所々で跳ねている。抜け感があるといえばそうだが、到底自分ではできそうにない。


 地上に上がると、雨が少しおさまっていた。傘を差さずとも歩けるレベル。代官山駅に入場したものの、近くに有名なラーメン店があることを思い出し、再度改札をくぐった。


 まだ17時過ぎということもあり、並ばずに入店した。麺を注文すると、サイドメニューはどうかと聞かれたので、チャーシュー丼をオーダーした。


 届いたどんぶりには、巨大なチャーシューが2枚、入っていた。スーパーで売っている豚のブロック肉が2つ入っているような、そんなサイズである。時間をかけて平らげようとしたものの、小さくなりつつある胃がそれを受け入れてくれず、「腹も身の内」という言い訳をして、店を出た。


 代官山駅へ戻る道すがら、ご婦人に声を掛けられ、駅へ向かう道を尋ねられた。私も駅に向かうんですと答えてしまったので、一緒に歩くことになった。


 代官山駅の改札をくぐり、北行の列車に乗り渋谷に向かうか、南行で大井町線へ向かうか逡巡した結果、雨上がりの渋谷の景色を写真に撮ろうかと思い立ち、渋谷に向かった。


 三連休初日の渋谷は、ごった返していた。地上へ上がると、歩くのも一苦労な人込み。有名なスクランブル交差点にも、人がまみれていた。もはや一眼レフを構え、ファインダーを覗いて写真を撮っている余裕などなかった。


 ただ、街頭ビジョンやビルの明かりが、スクランブル交差点の濡れた路面に反射する様は、雨の日にしか見られない景色。人波に紛れながら、ほんの一瞬だけ、そういうことを想った。


 特に用はないが、センター街へ向かう。油汚れやたばこの吸い殻に塗れたセンター街の路面は、正直好きではない。東京はそういうところが多いが、ここは特にひどいと思う。センター街の入り口に、HUBというイングリッシュパブを見つけた。女の子とおしゃべりでもするかと思いながら、地下への階段を下りる。


 カルーアミルクをオーダーし、店内を見渡す。見ると、シングルの女の子がひとりで立ち飲みしているのを見かけた。その横が空いているので、とりあえず陣取ることにした。到着してすぐに声を掛ければよかったのだが、なんとなくそういう気になれず、結局、声を掛けるタイミングを逸してしまった。きれいなネイルですね、などと切り出そうかと思ったものの、こちらに目をやる気配はなく、逆にこちらから見つめてもみたが、彼女は携帯から一切目を離すことはなかった。


 そうこうしているうちに、隣に外国人がやってきた。空いているかと聞かれたので、空いているよと返事をしつつ、そこから結局その外国人と話し始めてしまった。英語のいいトレーニングになるなと思いながら話をしていると、彼の女の子は、ばつの悪そうな顔をしながら去って行った。


 彼らはフランス出身だという。たしかに、英語の中に、フランス語っぽいなまりがあった。大学生の頃唯一単位を落としそうになった科目であるドイツ語にあるような、女性名詞・男性名詞・中性名詞がフランス語にもあるんだよねという話で盛り上がった。聞くと、どういう名詞が女性・男性・中性などというルールはなく、「覚えるもの」らしく、名詞の性別どころか冠詞すらない日本人には、到底理解できない世界だなと、改めて思った。


 去年1年分以上の英語を話した気がするが、改めてボキャブラリーの不足を感じたので、あしたから少し単語を鍛えようと思いながら、渋谷を後にした。でも今度は、外国人ではなく、女の子に話しかけてみることにしたい。

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