第10話 遺伝子

 私は、兄の交通事故で母の言葉から、神という存在を疎ましいと考えるようになっていた。その日神棚に手を合わせていれば、おそらく母は別な事でその事故の因縁を探しただろうと思う。そんな事があって、私は神を認めない無神論者として歩みはじめたのだった。

 しかし、一方で科学では割り切れない事を、ある種超越的存在者が行なっているかのように、運命を信じるようになっていた。そして、私は人生の言い訳として、運命論者を装っていたことになる。

 私は、この相反する人間を演じながら生きて来たことになる。それどころか、苦しい時の神頼みや現世利益を神仏に祈願したりして、無神論者とは思えぬ行動も取っていた。

 


「でも、気付いた。人間の中に眠る、私とも違う先祖の記憶があることを。それは、太古の昔からの“遺伝子の記憶”なの。その記憶は、宇宙のように広がりながら、小さい人間の身体全体に眠っている。それを、呼び覚ますのは自分自身だということを。それは、記憶との対話つまり“思考”なの。また、不思議だと思うことも、“偶然”でしかないということを確信した。

 人間は、透視したり、予感したり、ひらめいたり、馬鹿力を出したりする。それらは、記憶との対話すなわち思考の延長線上にあると考えたの。これが、運命論を捨てた真相よ。そして、同時に信仰ではなく、この世の実存を信じ、背面世界に心を奪われず、生に自覚を持っていこうと決心したの」

と言って、私はすっきりした思いに浸っていた。

 

「つまりは、自分で思考して行動すると言うことね」

と、美沙が言った。


「神仏や運命を認める認めないとしても、人生に張り合いが持てればいいのよ。つまりは、私も聖子のように実存主義だったのね」

と、香苗が言った。


「でも、ひらめきはわかるけど、透視とか馬鹿力とか、不思議よね」

と、詩織が言った。


「火事場の馬鹿力でしょう。機械には、スピードリミッターやブレーカーのように制御装置がついているのよね。人間もそうみたいよ。そうでないと、身体が壊れるみたいよ」

と、美沙が言った。


「そうか、アスリートはリミッターへの挑戦というところかな」

詩織は笑った。


「透視は、直感とか勘かしら。それともテレパシーとか以心伝心だったりして。探すと、人間にも力があるわね」

香苗も笑った。


「奇跡ってあるでしょう」

美沙が疑問を投げかけた。


「以前、三毛猫のオスは、遺伝学的にいないと聞いたのね。その時、100万匹に1匹ぐらいはいるので、幸運を招くと思われ重宝されているって言っていた。それで、奇跡というのを100万分の1と考えていたのよ。でも、調べてみると、染色体の異常で3万分の1の割合でいるんですって。それで、奇跡ってものも怪しくなるわね。『実在することは、起こりうるって事』よね」

と、聖子は言った。


「三毛猫って、オスは遺伝的にあり得ないのね」

香苗が不思議そうに言った。


「猫の毛の色は、元々ある白とX染色体にある色で決まるみたいね。メスはX染色体が2つだから、3色になりえるけど、オスはX染色体とY染色体なので白とX染色体だけの色で2色にしかならないみたい。でも、染色体異常のオスは、Y染色体のほかX染色体が2つ以上になることがあるらしいから、XXYで3色になるらしいね」

と、聖子は言った。


「不思議な事って色々あるわよね。外国語を勉強していないのに話せたり、臓器移植をしたら臓器提供者の記憶が転移したり、趣味嗜好が変わったりすることがあると聞くわね。私も、“遺伝子の記憶”に興味を持ったわ」

と、詩織が面白がった。


「そうね。今日までの三人の根本理念を変えるまで行かなくとも、今言った事で十分に私の考えを理解してもらえたと思う」

と言って、私は満足した。


 空が白みはじめた頃、四人に疲労が表面化してきて、寝ることにした。


 何も思考せずに誕生レースをし、何も思考せずに与えられた食物を口にし、気が付くとあらゆるものを創造していた。

 見回すと親兄弟がいて世間があり、見渡すと自然環境や人工的環境があり、見上げると空や天体があり、宇宙があった。

 この宇宙が誰によって創造されたのか。それは、生と死の合体のようなビッグバンにより、ニュートリノや光子・電子・陽子・中性子・中間子などの素粒子が高エネルギー粒子の状態で充満した。そして、次第に安定的な素粒子が残り、天体を形成していった。

 この宇宙で生まれきたものは、現在がどんなものであろうとも、昔の記憶があろうとなかろうと、この宇宙で生死を繰り返している素粒子には違いない。この世の物体も生命体も、物質の中で眠り、

生命体で目覚めて繰り返してこの宇宙に何十億年も存在している。

 そして、いま人間はこの世に実在している。私たち人間は、太陽系の中で太陽の周りを規則正しく回り、地球の周りを月が回っている。宇宙は限りなく規則正しく回り、太陽系も銀河系を回り、銀河系も宇宙を回り、規則正しく生死を繰り返す。

 しかし、宇宙史の中のこの時点がフラクタルの一部としたら、いま存在している全宇宙事態も、地球の46億年では計り知れない気の遠くなるような年数で生死を繰り返すのかもしれない。そんな中で、一個人の崇拝者が人間や自然界を創造したなどとは、自然史を一人占めするようなものだ。

 私は、神の存在を私の思考の中から除去する。そして、その思考の中で生命体に存在し続けるあらゆる『遺伝子の記憶』と私は対話し思考し続けていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

遺伝子の記憶 本条想子 @s3u8k

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る