第9話 記憶
この世に誕生した人間は、不思議な事に出会ったり、不幸な事に出会ったり、未知な事に出会ったりすると、すぐに神仏を考える。そして、生あるものは死と直面しなければならない。その時また、神仏にすがりたくなる。人間は、この未知なる世界が、この世の苦しさにもまして恐れている。これらの思いもよらぬ事に出会う時の心構えとして、人間は神仏を作り出してきたと考えられる。つまり、心構えがいつしか信仰になっていった。
百年前後のこの世の中で起きている事象は、何なのか。これらの思いもよらぬ出来事の正体は、何か。そう考えると、“偶然”でしかないと思わざるを得ない。あらゆる事は、因果律からなる。原因があって結果があるという自然の法則からのもの。
前世があると錯覚するのは、“遺伝子の記憶”なのではないのか。また、来世も前世があると思うから生じる考えだ。この人間の記憶には、多くの記憶が入れ子構造のように内包され、宇宙空間のように詰め込まれている。
人には歴史がある。生きてきた年数だけの記憶だけではない。祖先の記憶だ。人は細胞の集合体。一つの遺伝子の中に自分の記憶や両親の記憶や祖先の記憶が眠っている。その記憶が延々と続いて遺伝子の中に眠っている。それを呼び覚まさせるのは自分だ。それは、遺伝子との対話すなわち思考だ。人間、思考を止めたら他人の操り人形になる。
人間は、透視ができたり、予感したり、ひらめいたり、馬鹿力がでたりする。これらは、記憶との対話すなわち思考の延長線上にあるのだ。
思考こそが、人間が人間である証だ。この世の中は、必然と同じぐらい偶然にも左右されている。
人間は、この世に誕生して、そしてあの世に死出の旅立ちをする。そのあの世からの行き道を永劫の昇天とは認められずに、背面世界を妄想したり、この世での来世を夢見たりする。そんな時に、神仏を創造すれば意図も簡単に説明がつく。そして、この世の生き方が何千年に渡って、神仏を想定した世の中だった現実がある。
人間は永遠の命を夢見る。幸せならば、この幸せを永遠にと願うだろう。不幸せならば、来世には幸せになりたいと願い、人生のやり直しを永劫の先にみるだろう。しかし、私たち人間はリレー競争のように、バトンタッチをしなければならない生の限界を持ち合わせている。人生のリレー競争をしているのに、自分一人だけが、他人にバトンを渡さずに走り続けるわけにはいかない。いくら人生レースに勝利しようとしても、宇宙の摂理からは逃れることなどできない。人生のバトンは、子孫に渡されるべきだ。そして、人生というこの世だけの百年前後に実存をかけて生き抜き、現実を見つめていこうと私は考える。
あなたは誰。私の中の細胞なの、“遺伝子の記憶”なの。私は夢を見ているんだ」
私は、むにゃむにゃ寝言を呟いているようだ。
「聖子、寝言を言っていない」
と、美沙が言った。
「なんか、言っているね」
と、香苗が言った。
「聖子、ニーチェの『ツァラトゥストラ』を連日、読んで疲れているのよ」
と、詩織が言った。
「聖子に話し掛けちゃ駄目」
と、美沙が言った。
「寝ぼけているのよ」
香苗は、面白がっている。
「寝言と話すと、話された方は死ぬといわれているでしょう」
「ええっ、本当」
「死ぬのは大袈裟だけど、眠っている人にとっては、疲れる事かもしれないわね」
と、詩織が言った。
「じゃぁ、聖子を起こしてやりましょう」
香苗は、心配そうに言った。
「聖子、起きて」
友の呼ぶ声がしている。
私は、揺り動かされて夢から目覚めた。
「あら、私寝ちゃったんだ」
「寝言を言っていたわよ。聞き取りにくかったけど」
香苗は、不思議そうに言った。
「どんな夢を見ていたの」
と、美沙が聞いた。
「私が、人間について考えていたら、ツァラトゥストラが出て来たの」
「ほら、出た。ツァラ‥‥が。さつき詩織が言っていたのよ」
と香苗が言い、皆が一斉に笑い転げた。
「以前、私が言った運命論は、撤回するわ。やはり運命は、偶然で決まってくるのよ。
今までの私は、無神論者と言いながら、運命論者という仮面を被っていたみたい」
と言って、皆に笑いかけた。
「でも、私はまだ運命論を捨てないわ。どうして、聖子は運命論を捨てたの。寝言で、遺伝子とか記憶とか偶然とか思考とか言っていたみたいだけど」
と、美沙が探究心旺盛に聞いた。
「ううん。寝ながら、考えていたのかなぁ。私はこの世に誕生して、周りの環境つまり親の影響を受けて、知らず知らずのうちに神仏をわが身に取り込んできた。幼いころから見様見真似で、神仏に手を合わせていたからね」
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