第8話 飲み会
それから数日後の休み前日に、四人で詩織のアパートで飲み会を開いた。詩織が、どのくらいお酒が飲めるか試そうと言ったからだ。
「わあっ、すごい料理、みんなこれ、詩織が作ったの」
と香苗が絶賛した。
「手が込んでいるのね」
美沙も賞賛した。
「さすが、料亭のお嬢さん。でも、家から取り寄せたりして」
私は、からかいながらも感心した。
「新幹線使って、取り寄せないわよね」
と、香苗が笑った。
「今時、宅配よ」
美沙も、楽しげに笑った。
「今日は、飲むわよ」
香苗は、張り切った。
三人は、買ってきた食べ物と飲み物を置き、テーブルに着いた。
やはり、詩織のピッチは早かった。次に、香苗だった。私は、一杯のウイスキーにかなり時間をかけていた。美沙は、アルコールは駄目と言って、ジュースを飲んでいた。
美沙は、飲めないわけでもないらしいが控えていた。
「もしかして、酒乱だったりして」
と言って、皆がからかう。ただちょっと、体調が良くないだけだった。
皆の予想が外れて、私はあまり飲めなかった。お酒を飲んで、一番先に眠ったのは私だ。私は飲むと口の滑りもよくなり、そのあと眠くなるのが常だった。
「聖子はもう寝たみたいね」
と、香苗が言った。
「早いわね。ちっとも飲んでいないのにね」
と、美沙が言って、私を指で押したのが分かった。しかし、私は睡魔に襲われていて身動きができない。
「寒い地方だから、お酒は強いと思っていたのにね」
詩織が言って、私を覗き込んでいるのもわかった。
しかし、三人の声が次第に小さくなり、別人が私に声をかけているような感じに襲われていた。
「これって、夢の中。あれっ、ツァラトゥストラが民衆に向かって、語っている。『背面世界論者』の場面だ。
『かってはツァラトゥストラも、すべての背面世界論者のようにその妄想を人間の彼岸に馳せた。そのとき、わたしには世界が、苦しみと悩みにさいなまれている一個の神の製作物と思えた。
苦悩する存在者にとっては、おのれの苦悩から目をそらし、自分を忘れることは、陶酔的な歓楽である。だが、人間の彼岸に思いを馳せて、真理にはいることができたであろうか。
ああ、兄弟たちよ、わたしのつくったこの神は、人間の製作品、人間の妄念であったのだ。あらゆる神々がそうであるのと同じように。
ひと飛びで、決死の跳躍で、究極的なものに到達しようと望む疲労感、もはや意欲することをさえ意欲しない疲労感、それがあらゆる神々と背面世界を創り出したのだ。
わたしたちの兄弟たちよ、健康な肉体の声を聞け。これは、より誠実な、より純潔な声だ。そしてそれは大地の意義について語るのだ。――』
と、ツァラトゥストラが語って去って行った。
今度は、埴谷雄高の『死霊』の中の
『もし彼が“一語”でも口に出していえば、この全宇宙の中の全てはその口に出された僅か一語の言葉通り、たちまち“変えられてしまう”とはたの患者たちに思われるに至ったのです。
彼がまわりのものから呼ばれる名前は、“宇宙者”というのでした』
と、黙狂の患者の担当医が言った。
『私は、自ら決め込んで黙ってしまったのは、もしその言葉を一語でも発すれば、この世界の何ものに向かっても決して言ってはならぬ事をついに言い尽くしてしまわなければならないからです。
それは、最後の審判です。この宇宙の全てへ向かっての最後の最後の審判です。
“影の影の影の国”では“見つけたぞ”と叫ぶ声が聞こえる。食われた亡者が食った亡者をついに見つけて弾劾する――この“影の影の影の国”の唯一の亡者たる自己確認のいわば一種悲しい極限の法則こそは、生きているものは生きているものしか弾劾できないのだ、というかってのひたすら「自己肯定」のみに由来する多様多彩な戦闘と弾劾方式をもった生の法則と全く正反対なものです。
亡者たちに聞けば、すべては、この全宇宙の生と死の流れのように、はっきりしてきた。罠だ、まず食ったものが次に食われ、そしてその次に食われたものもその前に他を食っている!この“かくて無限に”のはてしもない連鎖こそ、究極的な弾劾をついになりたたせまいとするこの上なく巧妙狡猾に考え抜かれつくりあげられたところの罠だ。そして、その生を讃えに讃える何ものかは、自分のこの上ない罪と誤りを認めたくなくて、その罠を《食物連鎖》だと名づけて、この生と存在の必当然的な自然のかたちのように声高く呼び続けてきているのだ!そして、食って食って食いつくす全的死のもたらし手の生の上限は――“人間”にほかならない。
また、人間における最も初源の原罪は、“兄弟皆殺し”にほかならない。かって、母親の胎内の深い闇の中でおこなった眼に見えぬ四、五億にも及ぶ兄弟殺しの大殺戮によっても弾劾されねばならない。
そしてまた、人間のあいだだけの“苦悩”や“罪”や“愛”とやらをいったものから、語ったものや説いたものよって、語られたものや説かれたものは、無惨愚かにも思い誤り、大いなる錯覚のつきせぬ連鎖こそがそこにはてもなく起こり、絶対に取り戻しがたい“誤謬史”を引き起こし、長く長く引き継ぎ続けることになった。そして、本来磨かれざる多様な宝玉であった筈のそれらの数知れぬ衆生からこの宇宙の事物と精神の本質をひたすら探索する努力への果てなき意志を永劫に奪い取ってしまった』
と、黙狂の患者つまり“宇宙者”が言葉を発していた。
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