第6話 旧友
私は、田舎からでてきて、東京の見るもの聞くもの、物珍しく楽しかった。この東京で孤独を感じる暇もなく、バイトに疲れ、遊びに疲れ、勉学に疲れ、あとは眠るだけだった。
しかし、友人は違った道を歩んでいた。私は、そんな友人の信恵から、会社も辞めてクリスチャンになり、教会の仕事をしていると聞かされ、驚いた。
私は早速、出掛けて行った。
「由紀が田舎へ帰って、寂しくなったの」
と、私は聞いた。以前訪ねたときは、楽しく二人で共同生活をしていると思って、安心していた私だった。
「別に、由紀が田舎へ帰った事とは関係ないわ。それに、入信したのは由紀がまだこちらにいる時からよ」
と、信恵は言う。私は、以前の信恵の様子と違っている感じがしてならなかった。
「どうして、入信したの」
「それがね、まるでイエス様に導かれるように書店へ入り、聖書を手にして、気が付くと買っていたわ。そして、書店を出ると今度は、クリスチャンが私に声を掛けてきたの。その人に付いて行き、教会で神父のお話を聞いていると、聖霊を私は感じられて何かに打たれてしびれたわ。
本当に聖霊が私におりて来たのよ。私はこれこそが、神の力だと思ったわ。それで、私は神の存在を信じ、イエス様を信じたのよ。神は存在するのよ」
と、熱を帯びて言っている。信恵は、すぐ都会の言葉を使っていた。私はまだ田舎なまりが抜けていない。そして、信恵は以前と違って話が上手になっていると感じた。
「私は、キリスト教を信じていないし、信仰を持っていない。でも、人間を越える超越的存在があると思っているけど」
「そうよ、それが神なのよ」
「それを神と言えなくもないけど、その超越的存在がこの世を導いているにしても、統治しているとは思えないんだ」
「どうして、導いているお方が神でないのよ」
「盲導犬だって、盲人を導くけど神じゃなく、人間が主人でしょう。そんな事から考えると、宗教家や道徳家や政治家や教師など先生と呼ばれる人たちは、何か間違いをしているんじゃない」
「どうして、その人のためになっているなら、その先生に対して敬うのは当然でしょう」
「そう、その存在は敬うのが妥当なの。奉るのは、やりすぎなの。ましてや、宗教になると唯一神とか言って、他教を排除するから信じ難いんだ」
「イエス様は、私たち人間を創造し、罪人の私たちをこの世界からお救いしてくださるお方なのよ。崇拝するのは当然のことよ」
「私は、キリストが人間を創造したとは思わないし、逆に人間が神を想像してきたと思っている」
と言って、宗教学での旧約聖書の作成過程を思い出していた。
「神の救いの日は近いわ」
「私が生きているうちに来れば、明らかになるんだろうけど、それはないでしょう。でも、神の救いのないまま死期を迎えた人は、あの世に神が救いに来るの」
「そんなことないわ。イエス様を信じる者は楽園へ行けるし、信じない者は楽園へは行けないわ」
「そうなんだね。宗教というのは、背面世界への憧れや夢で、この世の中の生を嘆いて実存を無視し続けているんだよ。
私は、どんなにこの世の中が辛くても、自分を考える限り、背面世界や輪廻が信じられない。救い主がいるとも思われない。それは、見たことも聞いたこともないから。私は宗教も哲学や道徳や倫理の一部としか、今は捉えることができない」
と言って、今度は哲学のツァラトゥストラを思い出していた。
「宗教を全面的に信じないというのでないなら、そのうち教会へ来て。牧師のお話を聞くと、考えも変わるわ。私は、まだ上手に説明できないから」
「拝むとしたら、素直に仏様というか祖先に対してね。仏教というのは、信じる信じないという存在と違って、日本人には日常的に関係があるからね。
今の私には、お正月に初詣へ行く神社と、命日やお彼岸にお坊さんにお参りしてもらうとか、クリスマスにツリーを飾ったり、ケーキを食べたりするぐらいの宗教との付き合いね。
そして、私が死んだときには葬式をあげてもらわなければならないかな。日本人だから仏教であって、でも国や宗教で違うか」
と言って、今更のように自分自身のよりどころの不確かを思った。
「結局、神様が存在していないと思うわけでしょう」
「私は、死ぬまでに神という存在を自分自身の中で解明したいと思っている。でも、今現在言われているような神は信じられない」
「でも変わるわ。信じた人は皆、最初そうだったもの」
と、信恵は自信ありげに微笑んだ。
私の脳裏から、信恵の言った『でも変わるわ』という言葉が離れなかった。しかし、信恵の高校時代によく使っていた“わが道を行く”という言葉が思い出されてきて、この言葉と信仰が結び付かなく、私は戸惑いを感じていた。
私は、信恵と会うのにキリスト教を否定するだけの理論武装をしていかなかった。それで、改めてこの日から神について真剣に考え始めた。そして、ニーチェの『ツァラトゥストラ』を読み耽る日々が続いた。
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