第5話 ニーチェ
宗教学の講義が終わり、私は言葉少なに香苗と別れて、哲学の教室へ行った。教室には、もうすでに詩織が来ていた。
「お昼は学食へ行こう。香苗と美沙も来るから」
「あぁ、前は香苗と一緒だったのね」
「宗教学でね」
「続けてじゃ、頭が疲れない」
「そうでもないよ」
「そうね、そんなに頭を使ってないか」
と言って、詩織は笑った。
そして、哲学の教授が教室へ入って来た。私は、いつも哲学を教える感じには見えない教授の明るさに戸惑っていた。
「『ツァラトゥストラ』を読んだことのある人、手を上げて」
と、教授は言った。誰も手を上げなかった。
「そうだね。読むような人なら、私の講義は受けないか」
と言って、笑顔で納得している。
「今日は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』について講義します。
ニーチェと言えば、ニヒリズムに徹した人といえるでしょう。ニヒリズムと言えば、この世界を無意味・無価値と判断して、既成の権威や秩序を一切無視しょうとする思想的立場をとるものです。
しかし、それぞれの立場からニヒリズムの相手が違ってきます。社会主義者がニヒリズムと呼ばれたのは、資本主義に対してでしょう。そして、キリスト教はこの世の実存に対してでしょう。また、ニーチェの場合は、この感性的世界の外に元々ありもしない超感性的価値を設定したキリスト教に対してでしょう。
そこで、ニーチェは当時の心理状態をニヒリズムと診断して、その価値を積極的に否定するニヒリズムに徹したといえます。その意味で、ニヒリズムとはヨーロッパの精神史と呼べなくもないのです。
ニーチェは、『悦ばしき知識』で初めて、『神の死』という有名な言葉を使いました。それは、超感性的世界、彼岸の世界、真なる世界、形而上学的世界というような背面世界全体が終わったことを意味するものでした。
この『悦ばしき知識』で『永劫回帰思想』が言葉となり、このとき受胎されたヴィジョンが、18ヵ月の懐妊期を経て『ツァラトゥストラ』として分娩されたと、『この人を見よ』で言っています。
ニーチェの態度は、耐え難いものであればあるほど、それを肯定によって突破しようとしました。こうして、ニヒリズムの極端な形式である永劫回帰は同時に“生の肯定の最高形式”となったのです。
『ツァラトゥストラ』は、ニヒリズムを確認し、直視することが出発点になっています。
『聞け、私はあなた方に超人を教える。超人は大地の意義である。あなた方は意志の言葉としてこう言うべきである。‥‥あなた方は天上の希望を説く人々を信じてはならない。彼らこそ毒の調合者である‥‥。
彼らこそ生命の侮蔑者、死滅しつつあり、自ら死毒を受けている者である。‥‥
かっては、神を冒涜することが最大の冒涜だった。しかし、神は死んだ。そして神とともにそれら冒涜者たちも死んだのだ。今日では大地を冒涜することが、最もはなはだしい冒涜である。そして探究しえないもの臓腑を、大地の意義を崇める以上に崇めることが。
かっては、魂が肉体をさげすみの目で見た。そして当時はこのさげすみが最高の思想であった。魂は肉体がやせおとろえ、飢餓の状態にあることを望んだ。こうして魂は肉体と大地の支配から逃れうると信じたのだ。
おお、そのとき魂自身も恐ろしくやせ細って、飢餓の状態に陥った。そして残忍ということが、その魂の悦楽となったのだ』(第一部ツァラトゥストラの序説3 手塚富雄訳)
と、ツァラトゥストラは群集に向かって語りました。
これは、神の否定を生の肯定という反対概念であらわしたものです。
そして次に、生の最高の肯定式として、ニヒリズムの極端な形の永劫回帰思想が語られます。
『“この瞬間を見よ”と私は言葉を続けた。“この瞬間という門から、一つの長い永劫の道が後ろに向かって走っている。すなわち、我々の後ろには一つの永劫があるのだ。
すべて歩むことの出来るものは、すでにこの道を歩んだことがあるのではないか。すべて起こりうることは、すでに一度起こったことがあるのではないのか、なされたことがあるのではないのか、この道を通り過ぎたことがあるのではないか。
‥‥したがって、この瞬間は来るべきすべてのことを後ろに従えているのではないか。だから――この瞬間自身をも後ろに従えているのではないか。
なぜなら、歩むことの出来るものはすべて前方へと延びるこちらの道をも――もう一度歩むにちがいないのだから。‥‥
そしてそれらはみな再来するのではないか、我々の前方にあるもう一つの道、この長いそら恐ろしい道をいつかまた歩くのではないか――我々は永劫に再来する定めを負うているのではないか。――“』(第三部幻影と謎2 手塚富雄訳)
と、ツァラトゥストラは小人に永劫回帰をほのめかし始めます。‥‥」
私は次第に神や仏を考え始めていた。私の考える人間を越える超越的存在の結論が迫られてくる。私にも、宗教の嵐が吹きはじめたようだ。
哲学の講義は終わった。
「聖子、どうしたのよ。香苗と美沙が学食に来るのよね」
詩織は私を急がせた。
私は歩きながら、香苗の悩み事を話した。
「それで、考え深げだったのね」
と言って、詩織も考え込んでいた。
四人は食事をしながら、香苗の悩みから発展して宗教論議になった。しかし、無信仰の四人がどんなに宗教の話をしても、とどのつまりは神仏を困った時の神頼みぐらいにしか考えられないでいた。
そして、話は運命論議へ移っていった。
「運命を変えることが出来ると思う」
と、詩織が聞いた。
「運命はその人の努力によって、変えられると思うわ。そうでないと、人生に張り合いがなくなるでしょう」
と、香苗が言った。
「私も、同じ考え方よ。たとえば、AとBのバイト先があるとして、Aを選ぶのとBを選ぶのとでは、知り合う相手が違ってくるじゃない。もし、そこで知り合った彼と結婚でもすることになれば、人生にとって大問題になるわけでしょう」
詩織が香苗の考えに賛同した。
「それが、運命でしょう」
私と美沙が同時に言って、顔を見合わせて笑った。
「それは、最初から決まっていたのよ」
と、私が言った。
「もしよ。聖子が、今の劇場でバイトを続けるうちに、女優になりたいとか歌手になりたいとか思ったとしても、それは数あるバイト先からその劇場でバイトをするように、運命付けられていたというだけなのよ」
と、美沙が言った。
「そうかな」
香苗は言って首を傾げた。
「そうなのよ。私たち人間はそんなに強くはないのよ。運命という杖に支えられながら生きているんじゃないの」
と、私は言った。
「まぁ、それは見解の相違よ」
と詩織が言って、話が断ち切れになった。
「運命はいいとして、私のバイト先で、頭にくることがあったのよ‥‥」
私はとうとうと話して、気を晴らした。それから、みんなは別々の講義を受けに行った。
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