第2話 アパート

 次の日、大学もアルバイトも休みなので、ゆっくり寝ていた。だが、アパートに新聞の勧誘が来ていて、起されてしまった。いないふりをしてもいいのだが、何度も足を運ばれるのもいやなので、はっきり断ることにした。

 私の部屋のドアがノックされた。

「どちら様ですか」

と、ドア越しに私は尋ねた。


「新聞屋です」

「もう取っていますから、いいです」

「どちらの新聞ですか」

「日本経済新聞です」

「そうですか」

と言って、勧誘は帰って行った。日経は、景品で替えるような新聞でないらしく、しつこい勧誘でもすごすごと帰って行く、水戸黄門の印籠のような新聞であった。しかし、景品をもらったことがない新聞でもある。


 私が、遅い朝食を済ませて新聞を見ていると、今度はキリスト教の宣教師がアパートを回っている声に耳を奪われた。

 ドアをたたく音がする。奥のOLの部屋へ行ったらしい。

「どなた」

「キリストの教えを伝えています」

「興味ないです」

と、突っ慳貪に断った。

「そうですか」

と言って、そこを去ったようだ。つぎにノックしたドアは、先ほど新聞屋に散々悪態をつかれた同じ大学の上級生の部屋だ。中からは応答がない。居留守を決め込んでいるらしい。また、別な部屋のドアをノックした。


 いつもこのアパートはそうだが、一軒に勧誘や宗教関係者が来ると、他の部屋には筒抜けなので、誰も応答しなくなる。私は、宗教の宣教師には、いつも不思議な思いがして興味が持たれた。何故、そこまで信じられるのかと。

 


 今度は、私の部屋のドアをノックした。私は、昨日のアルバイトでの不快な気分をはらしたい思いもあって、話したい気になった。

「はい、どちら様ですか」

「少々、お時間をいただけないでしょうか。イエス・キリストの教えを伝えに参りました」

と、神妙に応えた。


 私はドアを開けた。宣教師がにこやかな顔で独り立っていた。

「こんにちは」

と、挨拶された。私は、朝か昼か迷いながら、声を伴わず頭を下げただけになっていた。私は、東京に出て来てから、朝昼晩の曖昧な挨拶に戸惑う事が多い。


「イエス様は、私たちの罪を全部お引き受けになって、十字架にかけられました。そして、三日目によみがえったのです。私たちは、イエス様の教えを守り、神の国へ召される事を信じています」

やわらかい口調で言った。


「キリスト教を信仰しないでも、良い行いをしてきた人たちはどうなるのですか」


「救われません。ですから、私たちが布教に歩いているのです」

きっぱり強い口調で言った。


「キリストの教えは、道徳や倫理として受け入れられるのですが、唯一神としてのキリストは科学的には受入れ難いものがあります。何故、アダムとイブを信じたりできるのか不思議です」


「聖書を読めば、イエス様の教えが正しい事がわかります」


「私が聖書を読んでも、正しい事と作り事と分けて考えてしまうと思います」


「聖書には、嘘は書かれていません」


「私には、宗教の教えも、倫理や道徳や哲学と同一レベルでしか考えられません。それに、選択の自由がない教えは、強制でしかないと思います」

と言う私の思いには、宣教師は答える事ができずに帰っていった。


 私の言っている事は、至極当たり前の事なのだが、これを打ち破るものが宗教にはない。あるのは、宗教を受け入れたいと望む人の心だけなのだ。この世の中には、宗教や倫理や道徳や哲学が必要とされる。それだけ人間世界は、不条理が多いことになる。また、人間世界は、神秘的でもあるため、神仏の育つ土壌も備わっているとも言える。



 キリスト教の宣教師が帰ったあと、またドアをたたく音がした。

「はい、どちら様ですか」


「宏正会と言います」

と、応えた。


 ドアを開けると、小冊子を持って二人が立っていた。


「こちらの本を読んでみて下さい」


「新しい宗教ですか」


「宗教とは違って、倫理にもと基づいて生きることを考える団体です」


「今度、集会がありますので、参加してみませんか」


「立正佼成会や創価学会と同じですか」


「いいえ、どちらも法華信仰をしていますが、宏正会は倫理に基づいた人格完成を目指した団体です」


「でも、この本からすると一個人の倫理観で、宗教と変わらないようですね」


「先生の教えは、立派です」


「宗教はどこも、そう言いますね。結局、個人崇拝になるんですよね。それに、仏教であっても宗教ではなく、仏陀の教えだと言っていますよね。

 私は倫理や道徳を一時も忘れないで、雁字搦めの生活をするということのできない人間です」

と、私は言った。ここまで言うと、倫理を説く者も言いようがなくなって、去っていった。



 私は、何と人格向上の熱意に満ちた人々が多いものかと、日本の現状を顧みながら不思議に思えた。

 今度は、隣の部屋のドアをたたく音がした。二、三人が訪ねて来たらしい。知り合いなのか、すぐに部屋へ招き入れた。

 隣とは薄壁一枚隔てただけなので、かなりはっきりと会話が聞こえてくる。隣にも宗教の嵐が吹いてきているようだ。知り合いらしい人が、学会のベテランの力を借りて、隣の部屋のOLに入会を勧めているという雰囲気だ。


 私は困ると神頼みをする。しかし、私は信仰心がない。一体全体、私は何に対してすがっているのかと考える事がある。それは、キリストでも釈迦でもアッラーでもない。私の先祖なのか、そうなると神ではなく仏なのか、曖昧模糊とした状態だ。

 私の家では、ご飯が炊けると真っ先に仏壇へ供える習慣があった。また、食べ物の頂き物も必ず仏壇へ供えてからでないと食べられない。

 そんな習慣で、仏様に手を合わす事が自然に備わっている。また、母は仏壇の上にある神棚に対しても、毎日拝んでいた。だが、その事を知ったのは、私の兄が自動車事故に遭遇した後だった。

 母は、毎日の拝礼をその日は怠ったと言って悔やんでいた。それから、母は欠かさずに神棚へ手を合わしているという。


 私は、神という事からすると、人間を越える超越的存在を認めていた。それは、運命を信じていたからかもしれない。運命にはどうしても逆らえないと思っていた。超越的存在の指標や杖に導かれる人生を想定していた。

 こんな事を考えさせられたのも、高校を卒業すると突然、何処からともなく吹いてくる宗教の嵐にさらされるからだった。この嵐は、私を避けて通っているようだったが、私の友人を巻き込んでいた。その間接的なところから、私にも宗教が触れてきたのだった。


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