第55話 初日を知る
式典終了後、これからの希望に満ちた顔つきで寮へ歩を進める新入生の中に、疲れた顔をしたシアナの姿があった。
特待生の紹介とはつまるところ、新入生へ向けての発破かけである。
具体的な目標もなく空虚な時間を過ごすのを防止し、当て馬を用意することでスタートダッシュをかけさせる目的があった。
そしてそれは新入生だけでなく、同時に他の学生達への発破にもなる。
「目立たないようにしたかったんだけどなぁ……」
「前に呼ばれちゃあ、しょうがないよね」
「完全に予想外だったよ……エルザからのプレゼントが活躍する日は近そう」
シアナが呟いた直後、少々乱暴な言葉遣いの声に呼び止められ、歩みを止める。
声の主を誰か分かっていたシアナは応答するか数瞬思考した末、自分の望む学院生活のスタートダッシュを諦めて振り返った。
「何よ?エルザ……と皆様、お揃いで」
振り返ったシアナの予想通りだったことは、声の主がエルザーツだったこと。
予想外だったのは、彼女だけでなく観測者全員が近寄って来ていたということだった。
「レオニー様、パク様、お久しぶりでございます。
その節はお世話になりました」
初めに顔見知りの観測者へ挨拶をすると、二人は軽い笑みを浮かべて礼で応える。
まるで用があるのは自分ではないというような対応に、シアナは意外性を覚えた。
実力に差はあれど、立場上この6人は同列となっている。
にも関わらず挨拶すらも後回しにするほどの遠慮を見せるのは、シアナの中の観測者の関係性には存在しなかったものだった。
「横から失礼いたします。
麗しき淑女様方を差しおいて
ここは心を鬼にして——」
「早く済ませろ。殺すぞ」
レオニーの後ろから前に進み出た男性の芝居のかかった話し方に、エルザーツが静かに怒りを露わにする。
溢れる殺意にシアナ達のすぐ前を進んでいた学生が気付き騒ぎだしそうになるも、同様にエルザーツの眼光に口を噤まされ、そさくさと逃げるように駆けていった。
咳払いをした男性は人の良い笑顔を見せながらシアナへ右手を差し出す。
「初めして。
お会いできて光栄です、シアナさん」
「あなたが……!こちらこそお会いできて光栄です。
聞いた話では私が盗られていた手紙を届けてくださったとか」
握手を交わしながらシアナが伝えたかった礼を述べると、ダニエルは驚いた表情を見せた。
「いえいえ、偶然の成り行きでしたので、お礼をされるほどのことは何も。
むしろこちらの方がオケノスで発生した事件を解決していただいたお礼をするべきでしょう。
いやしかし類は友を呼ぶといったところでしょうか?シアナさんも非常に整ったお顔立ちをされている……何か美貌の秘訣がおありなのでしょうか?」
シアナこの短時間に交わした言葉の中から早くもダニエルの印象を修正させられる。
顔を見た初対面は”ワイルドな紳士”といった印象を受けるが、実際に会話を展開すると予想できない軽口のマシンガントークに若干辟易させられる。
「もういいだろ。
そろそろ我慢が限界に達しそうだ」
二人の会話を強制終了させたエルザーツは空間属性魔術で麻袋を取り出す。
その中から更に取り出した物をリッサ以外の全員に1つずつ投げ渡した。
シアナが受け取り見てみると、それは直径3センチ程度のガラス玉のような物だった。
「これは……?」
「共鳴石と呼ばれる特殊な鉱石だ。
魔力を流して何か話しかけてみろ」
言われるがままに魔力を流し込みながら話しかける。
「……こんにちは」
『こんにちは』
「わっ!?」
自分以外の全員が持つ共鳴石から同時に声が聞こえ、驚いたシアナは思わず自分の共鳴石を取り落としそうになる。
何度かお手玉をしながらなんとか持ち直すと、エルザーツが口を開いた。
「これはレアの奥地のとある場所からごく稀に採れる鉱石でな。
魔力を流している間の周囲の音を対応する欠片に伝える性質を持つ。
今後はお前の目的に関することはこれを使って連絡しろ。
手紙よりもよほど簡単で秘匿性も上げられる」
エルザーツはそこで言葉を切ると、人の悪い笑みを浮かべてカミナシを見やった。
「現存するものではこれが最大のものだった。
これを失くせば今度いつあたしら用の分を確保できるかは分からないと思えよ、カミナシ?」
「なんでカミナシ様にだけ言うの?
注意するのは全員一緒でしょ」
「前あたし達の連絡網様に配っていた分は、カミナシが失くしたせいで使えなくなったからな」
信じられない暴露にシアナはカミナシへ視線を向ける。
シアナの視線を受け止めたカミナシは慌てて弁明する。
「その言い方では語弊があります!
失くしたのではなく、誤って破損してしまっただけです!」
「破損もかなり難しいですが……」
レオニーが苦い表情になりながらやんわりとカミナシの主張を否定する。
シアナもよく観察するが、僅かに薄紅色の入った共鳴石にはヒビも気泡も見られない。
「そ、その……当時の議論に熱くなった際に思わず込める魔力量の加減を誤ってしまい、それが原因で破裂させてしまったのです。
魔術を用いて修復を試みましたが、鉱石であるにも関わらず叶いませんでした」
「元々稀少で必要量を満たしていない中で再度分配する余裕はなくてな。
去年ようやく十分な大きさのものが採れたからこうして渡したってわけだ。
お前の目的のためにも、あたし達との迅速な連絡手段があった方が良いだろ」
エルザーツの言葉の意味が理解できていないリッサだけが置いてきぼりをくらっているが、シアナにはそれをフォローすることはできない。
エルザーツの言うシアナの”目的”とはレフからの依頼内容を指し、現状その内容を理解しているのはシアナと観測者のみだからである。
「ありがとう、凄く助かる」
故にシアナは短く感謝を伝えて共鳴石をローブの内ポケットへ入れた。
電話というよりはチャンネル固定のトランシーバーのような仕組みであるため、完全な密談とはいかないが、情報交換の効率を重視すれば共鳴石の方が優れているのは明白であった。
「シア、リッサ、そろそろ……あっ……お取込み中でしたでしょうか?」
駆け寄ってきたっペトラは二人の話し相手に観測者がいるのを見て言葉の勢いを失う。
なんとか最後まで言い切るも、その表情には恐れの色がうっすら浮かび上がっていた。
この世界の住民にとって、観測者全員が揃うというのはそれだけで過大な過大な威圧感を与えるものだった。
「いいえ、美しいお嬢さん。
私どもの目的は既に果たされましたのでもう失礼いたしますよ」
わざとらしく軽いトーンで切り返したダニエルの言葉に乗るように、観測者達は各々各々踵を返していく。
カミナシとともにそれを見送るシアナは、1人動かずに自分を見ている人物に気付いた。
2メートルに達しそうな長身。
短く刈り込まれた黒髪を整髪料で逆立て清潔感を出した髪型。
この世界では初めて見るサングラスを装着し、同色のカソックに身を包む身体はよく鍛えられているのを感じる。
会話に参加していなかったため声は聞けなかったが、シアナは容姿と消去法で彼がアスラピレイの観測者であるリアムなのだろうと推測を立てる。
リアムは数秒シアナと向かい合うと、軽く会釈をしてエルザーツ達の後を追っていった。
「お待たせしました姉様。
どうかしましたか?」
「あ……えっと、そろそろ教室に向かってちょうだい。
特待生に必修科目は無いけど、月1回の朝礼への出席は義務付けられているの。
それに出ないと目をつけられて面倒になるから、できるだけ出るようにして」
そう言うとペトラは教室の場所を記した簡易的な地図をシアナに渡した。
シアナとリッサは礼を述べてカミナシに向き直る。
「それではカミナシ様、私達もこれで」
「ええ、存分に励んで楽しみなさい」
教室棟に入った所でペトラと別れ、シアナとリッサは地図に記された教室を目指す。
しかし二人の間に漂う空気はどこか重く、会話が発生していなかった。
その原因が自分にあることを自覚しているシアナが切り出す。
「えっと、さっきはごめんね。
渡しばっかり喋っちゃって」
「えっ……ううん、それは別にいいよ」
「……エルザの言っていたことが気になる?」
核心に踏み込んだシアナの質問に、リッサはピクリと反応した後にゆっくりと頷く。
シアナは立ち止まるとリッサの頭に手を乗せる。
リッサの方がシアナよりも身長が高いが、現在階段にいる二人の頭の高さは逆転していた。
「ごめんね、そのことについてはまだ話せないの。
リッサだからってわけじゃなく、私とエルザ達との間でだけ共有していることだから。
でもいつか話せる……話すべき時がきたら、絶対最初に話すのはリッサって約束する。
だからその時まで待っててくれない?」
相手が答えを持っていながらそれの開示を止められる。
その辛さはシアナが誰よりも理解している。
しかしそれでもなお、現時点で世界に関わる事情へリッサを巻き込む覚悟が出来ていなかった。
言葉による返事はない。
しかし、俯いたままの顔が上下に動き、上を向いたリッサの顔には陰りのない笑顔が広がっていた。
「……ありがとう」
ひと撫でした後にシアナはリッサの頭から手を離す。
言葉で語らないまま、その胸中に決意を固め、二人は歩みを再開した。
—備忘録 追記項目—
・共鳴石
レア領土奥地に存在する鉱山(?)でごく稀に採取される特殊な鉱石。
見た目は薄紅色を帯びたガラスに似ている。
魔力を流すと周囲の音を取り込む特性を持つ。
割って複数に分けると、取り込んだ音を他の破片から発することも可能。
使用に必要な魔力は少ないが、対応破片の距離に比例して必要量が増加する。
いつの時期からか突然採れるようになり、原因は伏せられている。
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