第52話 謝罪を知る
シアナとリッサ以外で最初に気付いたのは、二人に最も近い位置にいたロルフェであった。
左拳を腰に、右拳を左胸に当てた騎士式の礼で頭を下げながら、周囲の参加者にも聞こえるように声を張り上げる。
長耳族でも剣士になる場合もあるのかと、シアナはひっそりと思った。
「これはカミナシ様、ようこそいらっしゃいました」
よく通る低音はその場にいる全員を振り向かせ、各々一斉に頭を垂れる。
レア同様に認識阻害の魔道具を着けているせいか、エルザーツへ声を掛けるものはいない。
「こんばんは皆さん。お招きいただきありがとうございます。
皆さんに紹介したい方がいましたので、勝手ながら帯同させていただきました」
カミナシがエルザーツへ目を向けると、全員の視線もそちらへ吸い込まれる。
魔力供給を切って魔道具を外すとエルザーツの美貌が露わになり、男性陣の表情筋が緩んで隣のパートナーから肘鉄を受けた。
「こちらは魔国レアの観測者であるエルザーツ様。
本日までレアでシアナの面倒を見てくださった方であり、そして——」
カミナシはそこで言葉を切った。
急に黙ったカミナシの様子に、シアナとリッサ以外が困惑を示す。
「どうした。
さっさと言わないと話が進まんだろう」
「……そして、シアナをレアへ誘拐した犯人でもあります」
重々しい口調でカミナシが告げた途端、場の空気が凍りつく。
全員の顔から笑顔が消え、カレンとペトラがシアナとエルザーツの間に割り入った。
シアナがギルベルトの姿を探すと、ちょうど家から剣を手に出て来ていたところだった。
「今日は記念日になる……我が家に観測者が2人も訪れ、そのうちの1人が娘との時間を奪った犯人だとは……!」
「大切な子供から目を離すもんじゃないぞ」
ギルベルトは肩をわなわなと震わせながらも必死に堪えていた。
しかしエルザーツの煽るような一言に我慢の限界を迎え、一足飛びに斬りかかる。
両者の距離は20メートル弱。
身体強化を用いれば瞬時に詰められる距離である。
「父様、待っ——」
「シア、駄目!」
シアナは制止に入ろうとするも、ペトラに腕を引かれ阻まれる。
袈裟懸けに振り下ろされたギルベルトの剣は誰にも止められず、エルザの肩口へ吸い込まれ——下から滑り込まされた刃と重々しく硬質的な音を響かせた。
「誰だ……君は!?」
「剣を引いて…くださいっ……!
お願いします……!」
予想外の出来事にギルベルトは驚きながらも力を抜かない。
それを受け止めるリッサは必死に剣を押し戻そうと踏ん張りながら訴えかける。
「邪魔をするなリッサ」
「それはできません……!」
体勢が崩れて均衡を保てなくなってきたリッサにエルザーツが声を掛けるが、リッサは頑としてそれを拒否する。
リッサが退いた先の結末を彼女と同じく予想していたシアナは、驚きで緩んだペトラの腕を解き、ギルベルトの傍へ駆け寄ると柄を握る。
「やめてください父様っ……それ以上はいけません」
身体強化の出力を全開にしてようやく引き離し、ギルベルトは一時的に剣を引いた。
「何故止めるんだシア!?」
「彼女との戦闘は無意味です、何も生みません。
それに、私達が止めているのは父様ではなく彼女の方なんですよ!」
シアナが声を大きくして告げると、それまで野犬のようにエルザーツを睨んでいたギルベルトの剣幕が怯むように治まる。
「……どういう意味だ?シア」
「ギル、そこまでだ!祝いの席だぞ!」
勢いが衰えた隙を逃さず、シアナとは逆側からロルフェがギルベルトの腕を抑えつける。
エルザーツから離れるように足を引かせて距離が空くと、リッサはようやく剣を下ろした。
「今に限って言えば、あたしは例え何をされても抵抗しない。
ほら、思う存分恨みつらみや鬱憤をぶつけろよ」
再びエルザーツへ襲いかかろうとするギルベルトを制し、逆にシアナが前に進み出る。
リッサがどくのと入れ替わりにエルザーツの前で足を止め、シアナはエルザーツの左頬を思いきり平手で打った。
「っ……」
シアナの全開の身体強化を乗せた一撃に、エルザーツの上体が僅かによろめく。
次の瞬間漏れ出た殺気に、ほぼ全員が無意識に構えをとらされた。
「お前……何したか分かってんだろうな?」
「もちろん。
でも、今は一切抵抗しないんでしょ?」
周囲がどよめく中、シアナの中に恐れは生まれていなかった。
この程度の殺気には慣れている悪習と、感情により昂った精神状態が相まり、普段であれば感じている恐怖を打ち消していた。
「お前の親の気持ちを汲み取って好きに攻撃させてやろうって言ってんだ。
そこにお前は関係ない——」
「ふざけないでよ……!」
シアナとエルザーツの距離は1メートルを切っていたが、シアナは更に半歩踏み込む。
成長したといえど、未だ身長はエルザーツの方がシアナよりも20センチほど高い。
そのため見上げるような姿勢になりながら、シアナはエルザーツの鳩尾に指を突き立てた。
「父様や母様、姉様が抱えてきた辛さはそんな程度のことで発散されるものだと思っているのなら大間違い。己惚れも甚だしいわ。
相手の傷の深さも知らず勝手に気を遣ったつもりになった上に、それを誘導するために蒼って挑発する……控えめに言って最低だと思うけど?」
単語を余さず相手の体の奥へ撃ち込むよう発しながら、シアナは全力でエルザーツを睨み上げて続ける。
「第一、そういうことは対等な条件でやってこそ意味があるものなの。
不死者であるあなたを一時的に無抵抗で攻撃したところで、何も得られず虚しいだけ。無意味この上ない。
あまり人の感情を馬鹿にしないでよね」
最後にひと際強く押すと、エルザーツは驚いたような表情を浮かべてシアナを見下ろした。
「……言うようになったな、小娘が」
「ギュンターからの教えに従ってるだけ。
気にくわない?」
一瞬エルザーツの眦が吊り上がるが、それはすぐ元に戻った。
薄く笑うエルザーツの後ろからカミナシが声をかける。
「エルザさん、いい加減意固地になるのはやめましょう。
あなたが謝罪をしたいと言うからお連れしたのですよ」
カミナシからの宥めに小さく舌打ちすると、エルザーツはシアナを通り過ぎてギルベルト達の前に立ち頭を下げた。
「あたしの勘違いが原因で長い期間家族の時間を奪ってしまい、申し訳なかった。
時間を奪われる辛さは覚えがあるから許してくれとは言わない。
だが、謝罪と反省をすることは認めてほしい」
頭を下げたと言っても、角度的には通常の礼と大差ないもの。
しかし観測者が一般の住民に対し謝罪し頭を下げるなど、通常ではありえない行動。
もしもこの事実がひろまれば、それだけでエルザーツの威厳がある程度失墜することは避けられないレベルである。
しかし、それでもエルザーツは頭を下げて謝罪した。
シアナからすればして当たり前の行動も、その他にとっては異常な光景だった。
「あ、謝った・・・・・・!?」
「観測者様が頭を……」
周囲の動揺も大きかったが、エルザーツの行動に最も困惑していたのは謝罪を受けたギルベルト達3人であった。
考えたこともない状況に脳がキャパオーバーを起こし、ただ口を開閉させるだけであった。
「大丈夫ですか?父様」
「あ、あぁ、シアか……大丈夫だ。
あそこで止めてくれてありがとうな」
声をかけると、ギルベルトは機械的な動きでシアナへ顔を向ける。
その声から怒りが消えているのを確認し、シアナは内心でホッと息をついた。
「私は間に合っていませんでしたので、お礼ならリッサに」
「あぁ、そうだった。
リッサちゃん、ありがとう」
「い、いえワタシはただ夢中で……せっかくのお祝いの席で死人が出るのはあんまりですから」
「死人って……それ俺のことだよな……やっぱり強いのか?あのお方は」
そう言いながらギルベルト離れた場所で不機嫌そうにカミナシと話すエルザーツを見た。
半信半疑といった声色に、シアナは憶測ですよと前置きしてから回答する。
「私も彼女の全力戦闘は見たことがないので、人づての情報になりますが……もし彼女を止めようとするなら他の観測者数人でかからなければ相手にならないとか。
剣術・魔術どちらも天級に到達し、特異属性の魔術すら持っています」
シアナの言葉が進むにつれてギルベルトの顔が徐々に青くなっていった。
「よく生きてたな、俺……リッサちゃん、シア、本当にありがとう。
リッサちゃんのご両親にも挨拶したいんだが、どこにいるんだ?」
ギルベルトの何気ない一言に、シアナとリッサが固まる。
すぐさま取り繕ったが、両親の目は誤魔化せなかった。
ほどなくして興奮の波も治まり、パーティーがお開きになった後、家の中でシアナは誘拐から帰国までの出来事をかいつまんで説明した。
「そうだったのか……」
「シア、凄い体験してたんだね」
「遅くなってすみません。
皆さんに挨拶をしたらお話しようと思っていたのですが……」
ギルベルトとペトラが感心を示す中、カレンが口を開いた。
「リッサちゃん」
「は、はい!」
カレンの声は真面目そのものであり、それに感化されたのかリッサは椅子の上で背筋を伸ばし直した。
「見てのとおり私達は人族で、あなたとは容姿や寿命のように異なる部分が多いわ」
「はい……」
「もし一緒にいれば誰からでも言われる可能性のあることよ。
後ろ指を差されながら生きていくことになるかもしれないわ」
「……はい」
淡々と言葉を並べるカレンの様子に、シアナは不穏な気配を感じ取った。
「ここに来る途中に寄ったという集落で祖父母とクラス選択肢があったにも関わらず、あなたはシアと一緒にアスレイへ来ることを選んだ。
それは自分にとって辛い選択になる可能性があることも承知の上での決断なのかしら?」
「……そう、です」
「……そう。あなたの決意はよく分かったわ」
隣でリッサが生唾を飲み込んだのにつられてシアナも同様にする。
どちらに転ぶのか分からない話の流れから、二人は今日一番の緊張感を覚えていた。
「そういうことなら追い返す理由もないわね。
あなたを3人目の娘として歓迎するわ。
これからよろしくね、リッサ」
「……っ、よろしくお願いします……!!」
感極まったリッサが隣のペトラの胸に顔を埋めて泣き出す。
その様子を暖かい目で見ていると、シアナは誰かにトントンと肩を叩かれた。
振り返ると、再び認識阻害の魔道具を着けたエルザーツが立っている。
「どうしたの?」
「渡しておく物がある。
今回の詫びと餞別だ」
シアナを連れて玄関へ移動したエルザーツは無造作に手を空間に突っ込み、中から何かが入った袋とシンプルなデザインの短杖を取り出した。
「開けてみろ」
衝撃の大きさにフリーズしたシアナは、言われるがままに袋の結び目を解く。
中にはエルザーツが普段着用しているものを半分にしたような、顔の下半分を覆うハーフマスクタイプの面が入っていた。
「以前パクがあたしの
着けている間、相手の記憶に残らなくなる程度の認識阻害効果がある。
必要なければ売るなりしろ。仮にも観測者渾身の一品だ、長命種でも一生暮らせる程度の金にはなるだろ」
「あ、ありがとう……こっちの短杖は?」
シアナは半分思考が麻痺したまま、条件反射的に質問する。
短杖はシアナがこれまで見てきたどの杖よりもシンプルなデザインであり、前世のもので例えるならば太いポ〇キーだった。
「さっき編入試験を見ていて、贈ってなかったと思ってな。
使えばお前の異色ぶりも少しは色褪せるだろ」
「なるほどね、ありがとう……」
ようやく思考が回復したシアナは、先程見た光景を問い質す。
「ねえ、さっきのって何?
空中から物を取り出したように見えたんだけど」
「あ?そんなことか?
あたしの特異属性の空間魔術だよ。
風属性の上位的な位置にあり、現在の空間そのものに干渉することができる」
エルザーツの説明に、シアナは今までの謎に合点がいった。
それと同時に、残った1つの謎も解けそうな予感がした。
「もしかしてだけど……異なる2つの地点を繋げて一瞬で移動することができたりしない?」
「できるが、それがどうかしたか?」
時折発生していた、エルザーツが背後に突如現れる現象。
それが魔術によるものだとすると、どうしても確認しなければいけないことがあった。
エルザーツを前屈みにさせ、家族に聞こえないよう声を潜めて訊ねる。
「瞬間移動できるなら、それですぐ私を言えに帰せたんじゃないの!?」
「あぁ、そういうことか……無理だ」
「どうして?一瞬なら年齢関係なく大丈夫でしょう」
エルザーツはやれやれとため息をつきながらも説明を開始した。
「空間を繋げるには、特殊な空間をつなぎとして間に通す必要がある。
そしてその特殊な空間は時間の流れがこっちとは異なり極めて不規則だ。
移動自体は一瞬でも、その空間を通る過程で数年、数十年が経過したなんてこともざらだ。
もしこの方法で帰していれば、一瞬で老婆になっていたかもしれないが……それでも試したかったか?」
自分が全く知らない分野の話であるため、シアナは魔眼を開いて真偽を確かめながら話を聞いていた。
エルザーツの話に嘘はなく、悪意があってこの方法を隠していたのではないことが分かる。
しかしそうなると、シアナの脳裏に新たな疑問が浮かんだ。
「じゃあ、どうしてエルザは変化がないの?
まさか自分の魔術だから影響がないなんて都合の良いものじゃないよね?」
シアナがそう言うと、エルザーツは苦虫を噛み潰したような顔になった。
「都合が良いと言えばその通りだが、これはあたしが望んだものじゃねえ。
あたしが何ともないのは、観測者に与えられているクソッたれ権能の状態変化自在があるからだ。
それで自分の身体の時間経過を止めることで特殊空間を通っても影響がないようにしてる」
「あぁ、そっか……ごめん」
「実際これは役立っているから悪くはないが、
エルザーツは舌打ちをすると、新たに空間から剣を取り出してリッサに渡すように言い残し、去っていった。
その背中には言いようのない哀愁が漂い、彼女が闇夜へ完全に溶け込んで見えなくなるまでシアナは目が離せなかった。
—備忘録 追記項目—
・空間魔術
特異属性魔術の1つ。
風属性の上位属性にあたる。
空間に直接干渉する魔術であり、通常の空間とは異なる特殊な空間にまで及ぶ。
・特殊な空間
空間魔術を扱う術者が干渉可能な、通常空間とは異なる空間。
その内部に空気は存在せず、時間の流れが極めて不規則。
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