第47話 誘拐を知る

 リッサの祖父母との邂逅から2ヶ月が経過し、雨季の終わりが近付いていた。

 シアナとリッサはレウルの口利きにより自警団の活動に参加できるようになっていた。

 しかしシアナは、その空き時間で加えて子供達に向けて魔術教室を開いていた。


「——つまり、ちゃんと構成を理解できれば、自分だけの魔術を作ることもできるんだよ」


 きっかけはシアナの課題である攻撃用の新魔術開発のため、人気の少ない空き地で実験をしていたのを通りかかった獣人族の子供に見られたことだった。

 魔術の扱いに長けているとは言えず、深く触れる習慣自体がない獣人族にとって刻印魔術は馴染みがなく、子供の目には特に新鮮に映った。


「うわぁ、すごい!」

「ボクもやってみたい!」


 人の——それも子供の口に戸を立てられる筈もなく、更には集落という小さなコミュニティの中。

 噂が広がるのは必然的であった。

 最終的にはカシュが条件付きで魔術教室の開催を許可したことで事態は収拾がついた。


「はい、それじゃあここでその一歩のための問題。

 火を消したい時に使う魔術と、その魔術陣が分かる人いるかな?」


 言い終えるとすぐさま参加者ほぼ全員の手が挙がる。

 今日が最後だと周知されているため、子供達は普段よりも意欲的な姿勢を見せている。

 シアナはその中で最初に目が合った一人を指名した。


「はい、じゃあ前に出て来て書いてみて。

 皆も見えるように移動してね」

「あれ?何だろう、このにおい……」


 獣人族の子供の1人が鼻をひくつかせながら呟き、他の子供達も徐々に気付き始める。

 そこで風向きが変わり、ようやくシアナにも物が燃える臭いが届いた。


「皆落ち着いて。

 今状況を確認してくるから、ここで待っててね」

「シア!」


 子供達に言い聞かせていると、臭いのしてきた方向からリッサが駆け寄って来るのが見えた。


「リッサ、ちょうどよかった。これはいったい——」


 状況確認をしようとしたところで背中に衝撃を受け、言葉が強制中断させられる。

 振り返ったシアナは視界の上方に人影を確認したところで後頭部を強い衝撃に打ち抜かれ、意識を失った。



———



 シアナが目を覚ますと、そこは小汚い倉庫の中だった。

 起き上がろうとしたところで、後ろ手に縛られているのに気が付く。

 続いて後頭部に鈍痛が走るが、耐えながら腹筋に力を入れて上体を起こした。


「ひっ……!」


 小さな悲鳴が聞こえる方へ視線を動かすと、部屋の中にはシアナの他に少女が4 人いた。

 1人まだ眠っているようだったが、全員シアナと同じように後ろ手に拘束されている。

 シアナは彼女達が魔術教室に参加していた子供達だとすぐに気付く。


「ここにいるので全員?他の子達は?」


 怪我がないことを目視で確認しながらシアナが訊ねると、一人が口を開く。


「連れてこられたのはわたし達だけよ」

「それは確か?」

「うん、間違いないわ。

 お姉さんが倒された後人族の大人達に襲われたんだけど、わたし痛いのは嫌だから気絶したフリをして薄目で見てたの」


 他の子が震えている中怖気づかずに冷静でいる少女に、シアナは素直に感心した。

 それと同時に、完全に油断しきって不意打ちを2連続で受けた失態を思い出す。


「こんなことをギュンターに知られたら……」


 万が一の場合に起こる事態を想像し、シアナは思わず身震いする。

 そこで、眠ったままだった少女が「んみゅ」と小さく声を漏らしながら目を覚ました。

 焦点の定まらないままの目で周囲を見回し、ハッとした表情になった途端、大声で喚きだす。


「嫌だニャ!やだやだ何ここ怖いニャ!ニャんでこんな所にいるのニャ?!家に帰してほしいニャ!!」


 寝起きでここまで鋭い声が出せるのかと一周回って感心するほどの大声は、それまで不安に包まれていた他の少女達がそれを一時的に忘れさせた。


「人は無意識に緊張と弛緩を繰り返していて、痛みや強いストレスに晒された際に大声を出すことでそちらに意識を偏らせ、一時的に忘れさせるんだっけ……」


 シアナが呟いたのは前世で読んだ本に載っていた”聴覚鎮痛法”という本能的な防衛手段である。

 主に子供が怪我や怖い思いをした際に大声で泣くのはこれが理由と言われており、生物的に正しい処理法とされているが、現状ではマイナスに働いた。


「うるせえぞクソガキ!」


 少女が騒ぎ初めて1分もたたないうちに、1人の男がドアを乱暴に開いて部屋に入った。

 逆立てた髪に悪趣味なバンダナを巻き、細かい傷の目立つ革製の服装からはあまり好ましくない臭気が漂っている上に無精髭が生え散らかしている。

 レアで幾度となく似たような風貌を見てきたシアナにはすぐに男の正体が盗賊であると分かった。


「いっ……いやニャッ!臭いニャ!近寄るニャ!気持ち悪ィギッ!」


 ドッ。という中途半端に空気の入ったボールを蹴ったような音とともに、少女が宙を飛んで壁に叩きつけられる。

 男はその勢いのまま少女を踏み潰さんばかりに数回追撃を加える。


「痛、いた…やめ……ぐげぇ……あぼっ、やめっ……て…くだ……」

「何もできないクソガキの分際で何調子乗ってんだ!あぁん!?

 1人くらい殺っちまっても構わねえんだぞ!自分の立場を……弁えやがれ!」


 あまりの光景に他の少女達が再度恐怖に硬直する中、シアナが男と少女の間に身体を割り込ませた。

 最後の踏みつけに肺が圧迫され、強制的に空気が押し出されてカヒュッと不自然な息が漏れる。


「なんだぁ、おめぇは!?」


 視界に散る火花を意識から排除し、シアナは男の神経を逆撫でしないよう言葉を選びながら口を開く。


「これ以上やっては死んでしまいます。

 私達を殺さずに攫っているということは、目的はお金なのでしょう?

 商品は1人でも多い方があなた達にとっても都合が良いのではありませんか?」

「口ごたえするつもりか!?」

「そんなことは考えていません。

 ただ、お互いに利のある状況にしようとしているだけです」

「利だぁ?」


 眉をひそめた男の語気から、怒りが引いたのをシアナは感じた。


「私は治癒魔術を使えますので、この子の傷を治せます。

 魔力量が少ないので今回しか治せませんが、商品としての彼女の価値を元に戻せますし、他の子達も今のを見れば反抗しようとは思わないでしょう。

 このままあなたが引いてくれれば私達は恐怖からの解放を、あなた達は収入の最大化をそれぞれ図れますよ」


 男は考え込むが、視点が定まっていないことにシアナは気付いた。

 男の臭気に混ざってアルコールの匂いを嗅ぎ分け、男が飲酒の途中だったのだと推測する。


「次騒いだら1人ずつぶっ殺すからな!」


 どんな思考回路を組んだのかは謎だが、男は物騒な言葉を残して部屋から出て行った。

 足音が遠ざかり、完全に聞こえなくなってからシアナは少女へ絶対叫ばないよう釘を刺してから治療にとりかかる。


「我の求むる所に治癒の恩寵を賜らん。

 神の御手で触れし彼の者に今一度機会を与え、眼前の障害を打ち破る力を授けん、完全治癒フルヒーリング


 シアナが触れた際に少女は痛みから小さく悲鳴を漏らしたが、魔術が浸透し治療が済むと、ゆっくり立ち上がった。

 完治したのを確認してからシアナも腕輪型魔道具で自分の治療をする。

 5歳の誕生日に両親から貰ったそれは、成長に伴いサイズ的に手首への着用が厳しくなったため、現在は服のポケットに仕舞われている。


「さてと、どうやって逃げようかな」

「大人しく助けを待った方が良いんじゃないかニャ?」


 シアナの呟きに暴力を受けた少女が反論する。

 力関係を知って心が折られたのか、先程の威勢の良さから打って変わり保守的な思考になっていた。

 シアナが他の少女達を見回すと、全員頷いている。


「私達を攫った盗賊達がいつ移動を開始するか分からないよ。

 奴隷として売り飛ばされるよりは、集落からこれ以上離れる前に脱出する方が良いと思わない?

 それに、いつ相手が口約束を破ってまた暴力を振るうか分からないからね?」


 シアナの言葉に少女達は青ざめる。

 最後の一文は根拠のない脅しであるが、発破をかけるには十分な威力があった。

 1人、また1人と決断し、やがて全員が脱出することに同意した。


「でも、どうやって逃げるの?」

「それはもう考えてあるから任せて」


 言うなりシアナは部屋の隅に散らばっている木箱の破片を叩き割り、即席の刃物で手を縛っている縄を切る。

 その後全員分の縄を切ると、シアナは部屋の中央を空けるよう指示して手のひらを切った。


「何を……?!」


 動揺する少女達に静かにするようジェスチャーで指示し、シアナは自らの血を塗料の代用として床に魔術陣を書いていく。

 書き終わる頃には出血で眩暈がしていたが、完全治癒を自身に掛けて解決する。


「……よし、出来たよ。 全員中に入って。

 入ったら互いの手を繋いで離れないようにして……そうそう、そのままじっとしてね」


 全員が頷くのを確認し、シアナは天井に向けて魔素崩壊エレメント・デモリッションを放つ。


「魔眼でこの建物全体が土魔術で建てられていることは確認済みだよ!」


 魔術で生成された物質は一見すると実際の物質と同じに見えるが、実際には術式で形状を維持された魔力の塊である。

 魔力、すなわち魔素由来のものであれば魔素崩壊の対象範囲である。

 天井の穴を確認するとすかさず床に手を触れ、魔術陣を起動させる。


「揺れるから気をつけて」


 シアナが書いた魔術陣は土属性中級魔術「土槍アースランス」だが、その形状は従来のものと大きく異なる。

 本来敵を貫くため鋭く尖って居いる先端は平たく円形に、直径も全員が乗れるよう部屋いっぱいの直径10メートルに設定され、土槍というよりは土柱と称した方が正しい。


 雨季の終わりを示唆するように雨足は弱く、雲の切れ間からは月明かりが差し込んでいる。

 シアナは再び手のひらを切って血を出すと、足元に新たな魔術陣を書き、魔力を流し込む。

 起動した魔術陣は上空に向けて火の球を射出し、50メートルほど上がったところで反日のように炸裂した。


「おいっ、何だこりゃ!?」

「分からねえ……あいつら、これで天井壊して逃げやがったのか?!」


 下から聞こえる盗賊達の怒号に子供達が身を寄せ合い震える。

 シアナは安心させるように背中を撫でながら言葉をかける。


「大丈夫、何があってもここまでは来させないから。

 落ちないように、手だけは離さないでね」


 万が一にも見つからないよう物音に聞き耳を立てていると、何事か言葉が聞こえた後、下が静かになった。


才能がないってのはこういう時に不憫だな。

 救援を呼ぶ以外選択肢がないなんて」


 突然後ろから声をかけられ、シアナは飛び上がりそうになりながら慌てて振り向く。

 そこには腕を組んでシアナを見下ろす、いつものエルザーツの姿があった。


「ど、どうやってここまで……」

「話は後だ。戻るぞ」


 シアナの質問を無視したエルザーツは土柱の周囲に階段を生成し、先に降りていく。

 無警戒に降りていくその姿に不安を覚えたシアナは小屋を見下ろすが、動いている魔素体は1つも映らなかった。


「あれ、何だろう、このにおい」

「なんか嗅いだことあるような……鉄かな?」

「本当だ、鉄臭いー!」

「……皆、降りよう。家に帰れるよ」


 シアナの嗅覚ではその匂いを感じ取ることはできていなかったが、視た下の状況と照らし合わせ、その正体に思い至る。

 そのため、子供達の意識を匂いから帰宅できる事実に向かせ、惨状が目に入らないように努めた。



———



 エルザーツに連れられて集落へ戻ったシアナと子供達を迎えたのは、熱烈な歓迎と抱擁、そして涙だった。

 特にリッサは激しく、子供を攫われたどの親よりも声を上げて泣く様子は周囲の視線を集めるには十分だった。


「シア……よがっだ・・・・・・本当に……!」

「リ、リッサ……落ち着いてよ……」

「心配、したんだがらねっ……?!」


 しかし、それを全く意に介さずに泣き続けるリッサの気持ちを理解したシアナは、されるがままに彼女を胸に抱いて背中を撫で続ける。


「よく全員無事に戻ってきてくれた。

 子供達を守ってくれたこと、集落を代表して礼を言わせてくれ」


 近付いてきたカシュが頭を下げ、それに合わせて周囲の大人達も一斉にシアナへ頭を下げた。


「いえ、私は何も……お礼ならエルザ様に言ってください」


 シアナが言うと、カシュは首を傾げる。


「エルザーツ様に?

 いやしかし、君の手柄だから礼を欠かすなと先程言われたぞ」

「え?」

「自分は逃げ出した君達を途中で回収しただけだから礼を言われるほどのことはしていないと……違うのか?」


 シアナは周囲を見回すが、既にエルザーツの姿はどこにも見られない。

 何故手柄を自分に譲ったのか、その意図を理解しないままにシアナはその場を治めるために礼を受け、一晩中盛大なもてなしを受けた。



———



 そこから数日後、雨季が明けたと判断された翌日。

 シアナ達は集落の入口で大勢に見送りをされていた。


「もうしばらく滞在してもらっても構わないぞ?子供達も喜ぶ」


 カシュの言葉に同調するように子供達から声が上がるが、シアナは首を横に振る。


「お気持ちは嬉しいのですが、帰りを待たせている家族がいますので」

「そうだったな……すまない、今の言葉は忘れてくれ。

 無事に家族と再会し、幸福が訪れるよう祈る」

「ありがとうございます。

 短い間でしたが、お世話になりました」


 深い礼で感謝を示し、シアナは横を見る。

 こちらは祖父母と挨拶を交わしていたリッサがタイミングを同じくして終わったようで、二人は顔を見合わせて微笑み合った。


 集落の外に出るとまだ若干雫が落ちてくることはあったが、葉の隙間から覗く太陽の光は快晴であることを知らせていた。


「そういえば、なんで事件の手柄を渡しに譲ったの?」


 集落の人々に声が届かない距離になるまで待ってから、シアナは先日のエルザーツの意図を問う。

 エルザーツは一瞬意味が分からないという表情を浮かべたが、やがて「あぁ」と呟いた。


「お前、カシュのあたしに対しての態度についてどう思った?」

「……すごく誠実なんじゃない?

 何年前かは知らないけど、過去に受けた恩に対しあそこまで真摯にいられる人は珍しいと思うよ」

「そうだ、だからこそあの件はお前の手柄にすべきだった」


 シアナがいまいち意図を理解できていないでいると、エルザーツは言葉を続ける。


「あそこであたしが助けたなんて言ってみろ。

 今回滞在を許したことでチャラにできそうだった貸し借りが、あたしの貸しでまた続くことになるだろうが」

「……あぁ、そういうこと。

 でも、そういう意図だったなら、無駄だったんじゃないかな?」


 今度はエルザーツが意図を理解できずに言葉を詰まらせる。


「カシュさんの真摯さは正直異常だと思うよ。

 あなたの名前だって、命令よりも恩義に対する姿勢を貫くことを優先していたよね。

 多分、何があっても恩を返し終わったなんて考えないんじゃないかな」

「マジか……」


 シアナの推測に、エルザーツは指でこめかみを抑えて頭を抱える。

 初めて見せる様子に一瞬悪戯心が芽生えかけたシアナだったが、その後のことを考えて実行は自重した。


 気持ちを切り替えつつ、シアナは前を見る。

 レアから出発して3ヶ月弱。

 道程としてはまだ半分以上あるが、残っている大きな障害はドライル山脈のみ。


「もう少し……」


 小さく呟き、シアナは気合いを入れ直す。

 その目には在りし日の思い出が映り込んでいた。



—備忘録 追記項目—

・密林地帯の集落

 ディオニスより北東部の密林地帯内部に存在する、複数の種族が住む集落。

 獣人族が中心となり長耳族、鱗人族を始めとした複数の種族が共存している。

 基本的に自給自足での生活を成立させており、外部との接触機会は少ない。

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