第45話 恩義を知る

 手を叩く音が響く。

 それと同時に威圧感が消え、全員が身体の自由を取り戻す。

 しかし、誰も迂闊に行動できないままの中で、彼女だけは違っていた。


 エルザーツは先程切断した手を拾い上げると、若い戦士の手首に押し付ける。

 激痛を再認識した相手が怯む隙に肘を掴むと、そのまま群衆の中に放り投げた。


『うわあぁ!?』


 驚きの声を上げた若い戦士は綺麗な放物線を描いて背中から地面へ激突——なんてことはなく、猫のように空中で身を翻すとをついて無事に着地する。

 そこで彼は自身の両手が元通りになっていることに気付き、その驚愕に固まった。


『う、腕が……!』

『な、治ってる……!?』

『どういうことだ!?』


 驚愕の波は周囲の人々に伝播し、皆一様に信じられないといった様子を見せている。

 そんな中、シアナはエルザーツの横に立ち話しかける。


「あのまま放っておくのかと思った」


 エルザーツはただ手を切断面に押し付けたのではなく、同時に無詠唱で治癒魔術を発動していたのがシアナには視えていた。

 切断された四肢を即座に使用可能にするには聖級以上の治癒魔術が必要であるが、術式の複雑さから詠唱は聖級から各段に長くなる。


 しかしエルザーツはそれを無詠唱で、且つ被験者にも悟らせない素早さで治療を済ませる技量には一流の魔術師も脱帽ものである。

 エルザーツの技量を少しは知ったつもりでいたシアナは、己の理解の浅さを密かに恥じた。


「話の通じる奴が出てこなかったらそうしてたかもな」

「ということは、あの人が長?」

「その息子だ。

 あの様子じゃどうやら代替わりしたようだが、それはどうでもいい」


 エルザーツは顎を動かして降りてくるよう獣人族の男性——カシュに合図する。

 カシュは高所から飛び降りると、手どころか膝すら着かずに着地する。


 180センチ半ばの高身長に見合った量の筋肉が輝く逞しい体躯。

 ダークグレーの長い髪はたてがみのように風に靡き、風格のようなものを感じさせる。

 髪とは一変し瞳の色素は薄いが、新芽のように明るい黄緑は威厳の中に優しさを垣間見ることができる。


 声の届く距離まで近付いたカシュは、右拳で左胸を叩いて一礼した。


『お久しぶりです。

 しかし、随分派手なご挨拶ですね』

『連れと共に雨季を凌ごうとしたら阻まれてな。

 斬りかかられたから反撃しただけだ。

 もう治したし問題ないだろ』


 エルザの暴論に苦笑したカシュは周囲の群衆に向き直り、声を張り上げる。


『聞け!

 この方は長の……そしてこの集落の大恩人である!

 その恩に報いるためにも、雨季の間の滞在をこのわたしの名において許可する!

 無論、滞在中この3人について起こった事の責任は全てわたしが取る!』


 全責任を取ると宣言した時、人々を大きなどよめきが包む。

 よそ者でしかないシアナ達に対しての措置としては異常とも思えるその行為も、カシュからのエルザーツへの信頼の証であった。


 『文句があれば全てわたしへ直接言いに来い。

 どんな些細なことでもこの方々に迷惑を掛けることは断じて許さん』


 初めは大反対で始まった出迎えだったが、最終的にはカシュによる鶴のひと声で決定した。

 反論せず沈黙で肯定を示した群衆は徐々に散っていき、最後にはシアナ達4人だけが残った。


『ふぅ……それでは宿へご案内します。

 急なご来訪だったので大したもてなしはできませんがご容赦を』

『それはいい。だが、1つだけ教えろ。

 発情期に入ったのはお前の娘か?』


 エルザーツの指摘ともとれる質問に、カシュは僅かに動揺を見せた。


『……えぇ、そうです。

 今は隔離していますが、予断を許さない状況です。

 申し訳ありませんが、いくらあなたでも面会は——』

『分かってるっての。みなまで言うな』


 カシュの言葉を遮るように、エルザーツは食い気味に了承した。


『どういう意味ですか?』

『こいつの娘は純なんだよ。

 ギュンターが教えただろ』

『あっ……!』


 エルザーツの簡潔なヒントに、シアナとリッサは同時に理解した。


 獣人族の発情期は異種族間の子作りを可能とするが、これは正確であっても完全な情報ではない。

 純血の獣人族の女性であり、且つ純潔——発情期未経験という限定的条件を満たした者は、種族だけでなく性別の壁をも超越して子を成してしまう。

 種族間の混血が増えている現在では知る者自体少なくなっている、しかし重要な発情期の秘密である。


『我々長の一族は特に血統を重んじている。

 本人が望んだのでない限り、それを守るのも役目なのだよ』

『理解しました。

 失礼なことを訊いてしまい申し訳ありません』

『なに、謝ることはない。ただ理解してくれれば嬉しい。

 むしろこんなことを知っていて関心したくらいだ』


 軽口と呼ぶには少々重い内容の会話を展開しながら到着した先は、立派な一軒家だった。

 湿気対策なのか、地面から柱で持ち上げられた高床式の住居。

 4人が入っても狭さを感じない十分なスペースがあり、家具もひと通り揃ってる。

 シアナはその雰囲気から、どこかの家族が暮らしていたような感覚を覚えた。 


『素敵な家ですね。ここを使わせていただいていいんですか?』

『20年ほど前に住民が出ていってから空き家になっているものでな。

 一応定期的に手は入れてあるが、何か不具合があれば言ってくれ。

 エルザーツ様もご遠慮なく』

『あたしからの要求は1つだけだ。

 あたしをその名前で呼ぶな。

 次にその名前で呼んだら殺すと言わなかったか?』


 鋭く睨みつけながらエルザーツは言い放つ。

 しかし殺気の込められたその視線を受けても、カシュは動揺せずに答える。


『いくら言われようと、命の恩人の名前を間違った呼び方などできません。

 それに、この命はあなたに拾われたもの。

 あなたに殺されるのならば、やり残しや悔いはあれど、恨みはしませんよ』

『あぁっ?!』


 エルザーツの視線に更に濃密な殺気が込められるが、カシュの額には汗ひとつ浮かばない。


『……ちっ、勝手にしろ』


 ついにはエルザーツが根負けし、要求を通すことを諦めた。


『ありがとうございます。

 それでは、わたしはこれで』


 また右拳で左胸を叩いたポーズで一礼したカシュは、シアナとリッサにも同様にしてから出て行った。

 室内に沈黙が流れ、なんとなしにエルザーツの顔を眺めていると、苛立ちの込められた視線で射抜かれる。


「なんだ」

「さっきカシュさんが命の恩人って言ってたけど、過去に何かあったの?」

「あぁ!?そんなことが気になるのか?」

「私の事情は知ってるでしょ。

 別に秘密って言うなら今度カシュさんに直接訊くけど」


 エルザーツは大きく舌打ちをした後、苛立ち滲んだ声色のまま吐き捨てるように言った。


「別に大したことはしてない。

 昔あいつが病気に罹って手のつけようがないって時に治しただけだ」

「いやいや、十分大したことでしょ。

 正真正銘命の恩人じゃない」


 予想以上の偉業にシアナは驚きを示すが、エルザーツの声色は変化しなかった。


「あいつは他者の魔力に干渉されない特異体質で、そのせいで治癒魔術が効かなかった。

 だから魔術を掛けるんじゃなく、あいつの体内の魔力をいじって自らに治癒魔術を使わせた……それだけだ」


 さらりと告げられた高等技術の暴露に、シアナの思考は驚きを通り越して呆れに達しようとしていた。


「病気を治したくらいで大げさなんだよ。

 たった一度命を救われた程度であそこまで恩義を引きずるのは理解ができねぇな」

「普通の人はその1回で生が終わっちゃうからでしょ……」


 命を軽視するようなエルザーツの発言に、シアナの心境は呆れを更に通り過ぎ、ついには落胆へ到着した。


「ま、経緯は分かった。

 教えてくれてありがとう……なんだか疲れたから休むね」

「雨季が治まるまで暫く滞在するからな。

 過ごし方は自分で決めろよ」

「了解。おやすみ」


 シアナはリッサと共にドアから奥の部屋へ進み、そこに設置されているベッドに寝転ぶ。

 マットレスの敷かれていない木のベッドは固かったが、連日完徹で移動し続けた二人の意識は呆気なく眠気に吞み込まれていった。



—備忘録 追記項目—

・カシュ

 獣人族の男性。

 密林地帯の集落の長をしている。

 ダークグレーの髪に黄緑色の瞳。

 髪は背中まで伸びている。

 過去にエルザに命を救われた恩を感じており、それを返せる日を待っている。

 情に厚く見えるが公私混同はしないタイプ。

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