第44話 雨季を知る

 ディオニスからアスレイへの陸路にはできる限り整備された道を利用して進む。

 道が整備されているということは、危険の少ないと判断された場所である。

 しかしどんなに整備しても、野生を相手にすると思い通りにはいかない。

 ましてやそれが攻撃本能の強い魔獣が空いてならば尚更の事。


「まぁ、前世あっちでも地域によっては鹿や猪が道路に飛び出してくることはあったしね……」


 思考内で質疑応答を完結させつつ、シアナは剣に付着した血を拭い、鞘に納める。

 依頼ではないので証拠品の切り取りはせず、エルザーツが火・風属性魔術で死体を一か所に集め焼却する。


「ったく、観測者に後始末させるなんてお前らくらいだろうな」

「す、すみません」


 皮肉めいた口調で文句を言うエルザーツに、リッサは申し訳なさそうに頭を下げる。

 しかしシアナはその隣で呆れた表情を浮かべる。


「適材適所なんだから仕方ないでしょ。

 リッサの適正は水と風だし、私は適正無しだもの。

 魔獣を私達だけで倒すことを条件に提案したのはエルザからなの、忘れてないよね?」

「冗談の通じない奴だな、つまらん」


 興を削がれたようにエルザーツは肩を竦めると身体ごと視線を外す。


「もうすぐ国境だ。

 そこから1週間も進めば密林地帯に入る。

 そこまで集中力を切らすなよ」

「今更だけど、南から山脈を迂回して群生国家を縦断するのは駄目なの?」

「生きて帰る確率を少しでも下げたいならそうしろ」


 エルザーツが選択したルートでは、ディオニスを出た後に密林地帯を通ってドライル山脈と呼ばれる大きな山脈を越える必要がある。

 シアナが脳内で地図を広げながら別案を提示すると、エルザーツは予想していたように答える。


「国家なんて言っちゃいるが、その辺りは今も年中領土を巡って小競り合いを続けている紛争地域だ。

 その中をわざわざ長く通るなんて、他で言ったら笑いものだぞ。

 それに、どうせ密林地帯に立ち寄る必要は出てくる」

「必要が出てくる?」


 シアナの疑問にエルザーツは明確な答えを提示しなかったが、それは数日後実際に現れた。



———



 夜、シアナとリッサは雨音に睡眠の中断を余儀なくされる。

 二人の聴覚が特別鋭敏なわけではない。

 バケツをひっくり返したようにテントの屋根を打ちつける雨は、テント内の狭い空間で轟音となって響く。


「耳が……痛い」

「そういえば、雨季には局地的に水害レベルの大雨が降るんだっけ。

 まだ密林地帯の外なのにこんなになるなんて……」

「当り前だ」


 雨音に紛れて聞こえた声に顔を向けると、エルザーツがテントの入口から入ってきていた。

 その身体はずぶ濡れどころか雫一滴さえも付着していない。

 エルザーツがテントに入ると同時に雨音が遠くなる。


「ここまでの範囲しか降らないという規則でもあると思ってるのか?

 そんな明確に決まっていたらあたしが警告するわけねぇだろうが。

 分かったらさっさと準備しろ。すぐに出発だ」

「え?まだ夜中じゃないの?」

「この雨の中で寝直せるならそうしろ。

 あたしはここから寝ずに2日ほど進んで雨宿りできる場所に着いた方が良いと思うがな」


 エルザーツの提示する選択肢にシアナはリッサへ目配せする。

 リッサが頷き、同じ意見であることを確認する。


「分かった。すぐに準備するから少し待ってて」

「急げよ」


 短く言い残し、エルザーツはテントを出る。

 15分後、二人が準備を終えた時にも雨は勢いを落とさず振り続けていたが、音は相変わらず遠くなったままだった。


「これ、エルザがやってくれてるの?」

「勘違いするなよ。お前達を気遣ってやってるんじゃない。

 こういうのは自分の周りに限定するよりも、ある程度範囲を広げた方が魔力消費が少なく済む」


 もっともらしい理由を挙げるが、レフから付与された権能により魔力が無尽蔵に湧き出る観測者にとって魔力消費量の違いは些事に過ぎない。


「そっか、勉強になる」


 しかしエルザーツの性格をある程度理解していたシアナは一言相槌を打つだけでそれ以上の追及はしなかった。


 舗装された道路と言っても、シアナの前世のようにアスファルトやコンクリートではなく、土属性魔術によって固められたものである。

 魔術は便利だが万能ではない。

 雨が強ければ土の表面がぬかるんだり、多少崩れたちする場所も存在する。


「おっとっと……やっぱり少し注意しないと危ないね」


 そのため、自ずと進行速度は通常時よりも遅くなる。


 だが、豪雨によって行動を阻害されるのは人間に限った話ではない。

 それまで多ければ1日数回あった魔獣の襲撃は、雨が降り始めてから目的地に到着するまで一度もなかった。


 しかし、無事に目的地のとある集落へ到着したところで、三人は新たな問題に直面する。


『中に入れるな!』

『こんな時期に来るなんて、何か企んでいるに違いない!』

『そうだそうだ、今すぐ殺せ!』

「……物騒だなぁ」


 とても歓迎とは受け取れない言葉に、シアナは思わずといった様子で呟く。

 しかし幸い、三人を取り囲む群衆の中にシアナの魔人語を聞き取れた者はいなかった。


「なんか思っていたイメージと違うんだけど、ここってよそ者お断りだったりしない?」

「あたしだって予想外だ。

 まさか恩人を拒絶するような恩知らずだったとは知らなかった」

「恩人……ですか?」

「あぁ……まぁ見てろ。話をつけてくる」


 そう言ってエルザーツが踏み出すと、視線が一斉に彼女へ集まる。


『何故あたし達を拒む?』


 自分達と同じ獣人語で話しかけられたことに驚いたのか、喧騒が止む。

 エルザ―ツの正面に立つ垂れた犬耳の男性が代表して受け答えをする。


『今はもう発情期に入る者が出る時期だ。

 よそ者は受け入れられない』


 発情期とは、同種族間でのみ子供が出来る身体のつくりの獣人族に存在する時期である。

 その時期になると生食本能と機能が強くなり、異種族間でも子を成せるようになる。

 そのため、個人差はあるが一般的に獣人族は発情期に入ると、他者との交流を制限する傾向にある。


『そんなことは知っている。

 だが、本格的な発情期は雨季の明けが近くなってからで、今はまだ少ない筈だ。

 まして入るのは女が3人、何の弊害がある?』


 エルザーツの言葉に男性は言葉を詰まらせながらも拒絶の姿勢を崩さない。


「なんでそれを知っててこのルートにしたの!?」

「ここの長はあたしに恩があるから一時的な逗留くらいはいけると思ったんだよ。

 だが、ここまで騒ぎ立てても長どころかその血縁者すら見えないとは……小佐野一族に発情期に入った奴でもいるのかもな』


 エルザーツが最後の一言をわざとらしく獣人語で言った途端、群衆の空気が凍りついた。

 人垣が広がり、住民が下がるのと入れ替わりに武器を構えた獣人族の兵士——見た目から戦士と表現した方がしっくりくる——が姿を現す。


「シア、あれ……」


 袖を引くリッサの視線を追って見上げると、樹木の上や高台には杖や弓を構える長耳族の姿が見え、その照準は全てエルザーツに向けられていた。

 しかし標的となっている本人は気にした様子も見せずにゆっくりと歩みを進める。

 シアナはほぼ無意識に魔眼を開き、周囲の挙動を見逃すまいと視線を走らせる。


『止まれ!』


 包囲されている状況にも関わらず、無手のままエルザーツは足を踏み出す。


『止まらんと射つぞ!』


 2歩。3歩。止まる気配はまだ見られない。


「やるなら早くしろよ。

 こちとらそんな武器と人数で止められるような人生歩んできてねぇんだ」

『っ何を……?!』


 エルザーツはあえて魔神語で話し、警告を無視していることを強調しながら足を止めない。

 5歩目が地面に触れた瞬間、弓矢と攻撃魔術がエルザーツに向けて一斉に放たれた。

 完璧にタイミングを合わせられたそれらはエルザーツへ迫り、その全てが同時に着弾する直前に消失した。


『…………なっ?!』


 誰一人として目の前で起こった出来事を理解できず唖然とするも、それをした張本人エルザーツはなおも戦士へ近付いていく。

 受けた衝撃がもう少し、シアナも同じように声を上げていたかもしれない。

 しかし魔眼の視界と、依然レフから聞いていた情報の掛け合わせにより彼女が受けたそれは、その場にいる者の中で最も大きかった。


「もしかして、あれがエルザの特異属性魔術……?」


 シアナの声が聞こえたのか、はたまた偶然か。

 そこで若い獣人族の戦士の男が我に返り、エルザーツの背後から斬りかかった。

 否、今の場においてこの行動は蛮勇ではなく無謀と呼ばれる。


『おっ』


 接近に気付いたエルザーツは振り返りざまに徒手で一撃を難なくいなす。

 その技量だけでも感嘆に値する滑らかさであるが、彼女はそこから刃を伝って根本へ辿る軌跡に手刀を振るった。


『残念』


 一瞬の間をおき、若い戦士の両手首から先が地面に落ちる。

 追って訪れた激痛に引き出される戦士の悲鳴が空気を震わせ、唖然としていた群衆の意識を現実へと引き戻した。


『うっせぇな……少し静かにしろ』


 迷惑そうに顔を顰めたエルザーツは再び手刀を掲げる。

 その場にいた誰もがその”静かに”を永遠の沈黙と解釈し、周囲の戦士達が止めに入ろうとするが間に合う筈もなく、無慈悲にも振り下ろされた手刀が肉を——


『よさんか!!』


 野太く重い声が響くと同時に、全員の動きが止まった。

 魔術ではなく、その声に込められた威圧感により肉体が硬直して動けなくなっている。


『よう、40年ぶりだな』


 シアナとリッサを含め未だに周りが動けないでいる中、エルザーツは何事もなかったように手を下ろして声の主に挨拶をする。


『これはいったいどういう状況だ?エルザーツ様』

『その名前で呼ぶなと言った筈だぞ。

 相変わらずいい度胸してるな、カシュ』


 どうにかエルザーツの視線を辿った先にシアナが見たのは、がっちりと鍛え上げられた肉体美の上半身を惜しげもなく晒した猫耳の獣人族の男性が、自分達を見下ろしている姿だった。



—備忘録 追記項目—

・群生国家

 独立した数十の小国が集まり、表向きでは頭を定めない協力関係を結び大国への対抗国とされている。

 実際は定まっていない頭と互いの領地を奪い合う紛争が絶えない地域となっており、観光等真っ当な理由で踏み入る者は少ない。

 上記理由から治安も悪く、日常的に犯罪が横行しているため、腕試しに訪れる変わり者の溜まり場と呼ばれている。

・獣人族

 獣の因子と交わったことをルーツとして誕生した種族。

 身体のいずれかに獣的な特徴が発現する。

 平均的な身体能力が他種族よりも高い傾向にある。

 魔力感受性が鋭敏であり、魔術の察知は得意だが、魔術適正には恵まれにくい。

 総じて全種族中で最も五感が優れている。


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