第43話 脅威を知る

 レオニーの用意した馬を購入し、シアナ達はアスレイへ向けて出発する。

 この世界には、魔獣という予測の難しい脅威が点在しているため、飛行機や電車などの機械的構造物ではなく、馬や調教した魔獣による移動が一般的に採用されている。


「金貨30もあればいいだろ」


 そう言いながらエルザーツは金貨の入った小袋をレオニーに投げ渡す。

 現地で移動手段を確保する際にはレンタルが基本的だが、今回のように返しに戻る予定がない場合は購入という形を取る。


「流石に多過ぎますが……まぁいいでしょう。

 ご厚意感謝いたしますわ」


 街の門までという制限つきで、レオニーも途中まで同行した。

 周囲へ視線を走らせながら、リッサが疑問を口にする。


「どうして街中なのにこんなに自然が多いんですか?」


 リッサの言う通り、街中の至る場所に緑が繁茂している。

 道路脇は言わずもがな、店舗や家屋の隙間を埋めるかのように広がる植物はまるで森の中に街を切り拓いたかのよう。


「あれらは神樹の膨大な魔力にあてられて急成長した植物になりますわ。

 ワタクシは切っても構わないと言っているのですが、住民の皆さんが切るなどとんでもないと言うので、その意思を尊重しているのですよ」

「あてられてって……あの樹はどれほどの魔力を有してるんですか?」

「フフフ、それは企業秘密ですわ」


 上品な笑いで受け流されたところで一行は正門に到着した。


「今回は時間がありませんでしたし、またの機会にお話いたしましょう。

 心配せずともすぐに再会できますわ」


 柔らかく笑うレオニーにつられて口角を上げそうになったところで、エルザーツが不機嫌さを隠さずに割り込む。


「行くぞ。雨季に入る前にきりのいい所まで進む」


 子供のような身勝手さに苦言を呈しかけたシアナをレオニーが制止する。


「よろしいのですよ。

 あの方の境遇を考えればワタクシ達に対する態度も十分理解できますので。

 この度は災難でしたが、あまり彼女を悪く思わないでいていただけると嬉しいですわ」


 エルザーツとは対極になるような気遣いに疑問を覚えつつ、シアナは笑顔で応える。


「得られたものも多いので、全部が全部悪い思い出ではありませんよ。

 エルザ様は理不尽ではありますが、不可能を押しつけるような悪人ではありませんので」

「……同情は不要でしたか。

 良き旅路になることをお祈り申し上げます」

「ありがとうございます。

 馬、大切にします!」


 馬脚を止めて挨拶を交わす間にも、エルザーツは後ろを気にせず進み距離が開いていた。

 今以上に機嫌を損ねないようにと、シアナとリッサは駆け足でエルザーツに追いつく。


「……よし、決めた」

「……何をですか?」

「お前、この旅が終わるまであたしに対して敬語禁止な」

「えっ……それはどうして——っ」

 シアナは思わず癖で「ですか」まで言いそうになったが、エルザーツの眼光に言葉を飲み込む。

 たかだか言葉遣いにも関わらず、込められた殺気は今までのどの場面よりも本気だった。


「お前とレオニーあいつからは似たにおいを感じる。

 敬語で話しかけられるだけであいつを思い出して気分が悪くなるから、少なくともこの旅の間は敬語を禁止する」

「だからって私だけなん……だけなの?リッサは?」

「似てるのはお前だけだから問題ない」

「あっ、そう……」


 早速訪れた理不尽に文句が口から出そうになる。

 しかし、思い返してみて思考の中ではいつも呼び捨てにしていたことを思い出し、それと同じにすればいいだけだと区切りをつけた。


「……それじゃあ、敬語取り払うついでと言ったらあれだけど、訊いてもいい?」


 否定が返らないため肯定と受け取り、言葉を続ける。


「レオニー様がそんなに苦手なら、転移先をディオニスにしなきゃ良かったんじゃないの?

 確かディオニスの他にアスラピレイもアスレイからほぼ同じ距離だったでしょう」


 シアナの指摘したとおり、ディオニスの他にもアスラピレイ皇国という六大国の1つがスレイから頭程度の距離に存在している。

 シアナは機嫌を損ねることを覚悟で指摘したが、予想に反してエルザーツは特に顔色を変化させずに答えた。


「アスラピレイは魔族の排斥思考を持つ国風が強い部分があって、交流自体が極端に少ない。

 だからディオニスの方がまだマシだと思ったんだが、あてが外れた」

「そうだったんだ……じゃああと1つだけ。

 転移先にあったあの神樹、あてはレフ(神様)から授けられたものなの?」


 追加の質問を口にした途端変化したエルザーツの纏う空気に、シアナは失敗を悟る。

 しかしそれ以上の状況悪化はなく、間を空けてエルザーツは語りだした。


「昔……観測者の1人が減ったあのクソったれな事件の後、しばらくの間各地で戦争が絶えない状態が続いた時期があった。

 大国の中核までその火が広がることはなかったが、魔眼で全てを見ていたあの女はその惨状を嘆いていたらしい」


 エルザーツはそこで一度言葉を切り、ニヒルな笑みを浮かべた。


「全てが視えているのに手が届かない皮肉な状況に、あの女はせめて難民のシェルターを作ろうとある木の苗を植え、それを土魔術で成長させた。

 その過程にどんな術式を使用したのかは無我夢中で覚えていないと言っていたが、結果的にあいつは神樹と呼ばれるようなバカげた樹木が誕生させた。

 それまで誰も成し遂げられなかった『想いを形にする魔術』を成功させてな」

「……そんな——」

「あぁ、バカげてる。

 だが実現しているあれを他の誰も再現できていない以上、全てを否定することはできない」


 漏れ出る怒気に、エルザーツを乗せている馬が怯えを見せる。

 それに構わずエルザーツは言葉を続けていく。


「魔術を構成する術式は理論に基づいて定義される。

 しかし、理論だけでは説明がつけられない魔術の術式も確かに存在し、しかも術者はそれを説明できないまま使用している場合がある。

 論理と感覚という矛盾した要素が混ざり合って成り立っているのが魔術だ」

「あの神樹はその感覚を大半が占めた状態で作り上げられた魔術によって出来たものだって言うの……?」


 シアナが言葉を噛みしめるように絞り出すと、エルザーツは同意するように頷いた。


「あの神樹を成らせた魔術は感覚で成り立たせる魔術の究極系——概念的の具現化だ。

 その証拠に、あの樹は無限治癒能力の他にふざけた機能をもう1つ持っている。

 何だか分かるか?」


 シアナは思考を巡らせるが、これまでのヒントだけでは答えを引き出せなかった。

 仕方なくギブアップしようとした時、隣を進むリッサが口を挟む。


「魔素が無くならない……ですか?」


 その答えはエルザーツも予想外だったのか、珍しく素で驚いた表情を見せて振り向く。


「どうしてそう思った?」

「さっきシアが試しに傷をつけて神樹がそれを治した時、治療に使われた魔素がその場で補充されたのを感じたんです。

 方法までは分からなかったけど、もしかしたらって思って……」


 リッサの答えを聞いたエルザーツは急に笑い出す。

 少しの間声を上げて笑っていたエルザーツは、うっすら目尻に滲んだ涙を指で拭いながら答え合わせをする。


「あぁ、正解だ。

 あの樹にはあたしら観測者と同じように、無尽蔵に魔力を補給する機能がある。

 端的に言えば、神樹は回復専門の観測者みたいな存在ってことだな」


 エルザーツの回答による衝撃にシアナは言葉を失う。

 レフは以前、観測者は観測者でしか倒せないと言っていた。

 つまり、国規模での争いの場合は勢力に加わる観測者の数が戦局に大きく影響を及ぼす。


「エリア限定とはいえ、実質観測者2人のディオニスって、もしかして国家レベルでは一番強いんじゃ——」


 過ぎた発言を自覚したシアナは慌てて口を噤むが、何故かエルザーツからの反論反撃はなかった。

 恐る恐る表情を伺うと、下唇を噛んで悔しさを滲ませるという、シアナも初めて見る表情をしている。


 そこでシアナの脳内でパズルが完成する。

・武力で物事を解決するエルザーツのレオニーに対する嫌いよう。

・それに対するレオニーの余裕と、部分的に垣間見える同等以下に扱うような姿勢。

・その根底に存在すると考えられる神樹とその誕生過程。


 背中に走る悪寒に、シアナは思わず振り返る。

 街の正門は既に遠くなり、レオニーはおろか人の姿を確認することもできない。

 しかしシアナには、街を取り囲む壁の向こう側でレオニーが浮かべている笑みを何故か鮮明に思い浮かべることができた。



—備忘録 追記項目—

・神樹

 豊穣国ディオニスの首都ゾフロートの中心に存在する巨大な樹木。

 ディオニスの観測者であるレオニーが過去に魔術によって作り出した。

 直径は目算で500メートル以上あり、その内部は高濃度の魔素で満ちた空間となっている。

 内部では空間内の魔素により自動で治癒魔術が掛けられ、入るだけで傷が感知する。

 エルザーツを始めとした他の観測者達が再現しようと教えを乞いたが、誰一人として叶わなかった。

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