第42話 出立を知る
出立の朝、転移陣前にはシアナ、リッサ、エルザーツ、ギュンターの4人の姿があった。
挨拶の際に見送りをすると言った者もいたが、エルザーツが全て却下した結果である。
「それじゃあ暫く留守にする間のことは任せたぞ」
「お気を付けて。
お前達、エルザ様の手を煩わせるなよ」
このような時でもこれまでと何も変わらないギュンターの態度に、シアナも同様に返す。
「できるだけそうならないように気を付ける。
結局6年も世話になっちゃったけど、色々と教えてくれてありがとう。
また会えるか分からないけど、教わったことは絶対無駄にしないから」
きっかけはエルザーツの勘違いという、シアナにとって迷惑なものであった。
しかしレアで過ごした期間に学んだ物事の中には、アスレイにいたままでは知らずにいた可能性があるものも含まれている。
家族と離れ離れになるという代償に対し、決して小さくないものをシアナは身に付け、獲得していた。
「お前のように物覚えが良ければ教えるというのも存外悪くないんだがな……健勝でな」
シアナは言葉とともにギュンターから差し出された握手に応じた。
一瞬だけ力を入れてすぐ離したギュンターは、続いてリッサに向き直る。
この二人だけの絡みは見たことないなとシアナが考えたのも束の間、リッサがギュンターの懐に飛び込んだ。
「ちょ、リッサ……?!」
ギュンターに突き放されるのを想像したシアナは止めようとするが、その予想に反して二人は抱擁を交わした。
予想外な展開にシアナが脳内で状況整理を完結できずにいると、囁くように何かを話していた二人が抱擁を解いて離れた。
「シア、どうしたの?
なんだか変な顔になってるけど」
「え、いや、だって……えぇ?」
リッサからキョトンとした顔で訊かれ、シアナはより混乱する。
大きく深呼吸をしてようやく冷静さを取り戻し、言葉を選びながら質問を返す。
「リッサ、その……いつの間にかギュンターと仲良くなってたんだね……?」
「え、そうかな?ワタシは割と前からこんな感じだったけど」
「……いつ、から?」
「えーっと……シアが奴隷法のせいで投獄された日かな」
突きつけられる自分の知らない新情報により、シアナは僅かに取り戻していた冷静さを崩されるのを感じた。
「出会った初日から?それはまた……」
「なんだ?」
「いえ、何でも……行きましょうか」
出発前から襲いかかる頭痛に、目の前の問題解決を先送りにするべきと判断する。
シアナとその言葉に頷いたエルザーツの後に続き、リッサが転移陣の中に入る。
エルザーツが転移陣に触れて魔力を流し込んだ。
周囲の空間が歪んだ次の瞬間光の無い闇に包まれた数秒後、眩いほどの白い光に包まれる。
その光が薄れた向こうには、暖かく柔らかい光に包まれた、白を基調とした空間が広がっていた。
「ここは……っ!?」
一瞬気が緩みかけたシアナだったが、同時に感じ取ったものに対し警戒レベルを引き上げながら魔眼を開く。
その隣ではリッサも同様に周囲を警戒している。
「ここ……前に『スカルパレード』に同行して攻略したBランク迷宮以上の魔素濃度なんですが、ちゃんと合ってますか?」
シアナは依然として自然体で立ったままのエルザーツに問い掛けるも、回答はない。
「ここは危険な場所ではありませんのでご安心ください。」
代弁のようなタイミングで頭上から声が掛けられる。
見上げると、踊り場のような場所から修道服のような服装に身を包んだ女性がシアナ達を見下ろしていた。
「出迎えが間に合わず申し訳ありません。
事前にご連絡頂ければ勘違いさせてしまうこともなかったのですが」
「うるせぇ。
その眼があれば連絡なんていらんだろうが」
女性はクスリと小さく笑うと、階段を下りてシアナ達の前まで進み出た。
シアナはその信じられない光景に目が釘付けとなる。
「このようななりですので多少は慣れていますが、あまりそうジッと見つけられると気恥ずかしいものですよ?」
「あ……す、すみません」
咎めるにはあまりにも優しさに満ちた口調で指摘され、シアナは顔ごと視線を逸らす。
そうしながらも意識はその女性から話せずにいた。
身長はシアナよりも低い150センチほど。
ライトグリーンの髪は頭の後ろで結わえて纏めているが、解けば地面に着くのではないかと思いたくなるボリュームがある。
その佇まいや全身から発せられる雰囲気はシアナが今まで出会ってきた誰よりも穏やかなものだった。
そして何よりシアナの目を引いたのは、女性の両目を覆い隠すように巻かれている黒い目隠しである。
「そいつに気を遣うのは野暮ってもんだ。
腐っても観測者だからな」
「まあ、腐ってもとは随分な言われようですわね」
エルザーツの吐き捨てるような説明に、口元を手で隠して上品に笑う女性は、優雅に服の裾をつまみ上げながら挨拶をする。
「初めまして。ワタクシ、ここディオニスで観測者を務めさせていただいております、レオニー・マイヤーと申します」
「初めまして。シアナ・ウォーベルと言います」
「リッサです」
「よろしくお願いいたしますね。
そして……エルザさんはお久しぶりですわね。
ご健勝そうで何よりですわ」
細くともしっかりと耳に届くソプラノは聞いて心地良くなるものだったが、表情を和らげたシアナとリッサとは異なり、エルザーツは顔を顰めた。
「あたし達に健勝も何もないだろ。嫌味か?」
「そんな滅相もない。
久方ぶりに再会した知人への挨拶以上の意味は含まれていませんのよ」
レオニーは答えながらホホホと誤魔化すように笑う。
二人の間には奇妙な緊張感が走っていたが、それはすぐに瓦解することとなった。
「あ、あの……それは、ちゃんと前は見えているんですか?」
リッサがレオニーに向けて質問を投げかけると、それまでの空気が嘘のように爽やかな笑顔でレオニーが向き直る。
「えぇ、見えなければ日常生活もままなりませんので。
とはいえ、ワタクシの場合は多少のズルをしていますが……」
「ズル……ですか?」
「そいつは『透視の魔眼』と『予見の魔眼』を持ってる。
だから目隠しをしていても動くのに支障はない」
リッサの反応を楽しむように遠回しな言い方をするレオニーに割り込むようにエルザーツが答えを告げる。
「あら、もう少しお喋りをしていたかったのですが」
「こっちにそんな暇はない。
こっちの要件は分かっているだろう」
突き放すようなエルザーツの言葉遣いをシアナは咎めようとしたが、レオニーがそれを制した。
「もちろん存じていますわ。
用意が出来次第連絡が入るようになっていますので、もう少々お待ちください。
でも、そうですわね……時間も有限ですし、あと1つだけ質問にお答えしましょうか」
「1つだけ、ですか……」
「その代わり、質問には絶対に嘘偽りなくお答えしますわ。
ワタクシの好物でも、スリーサイズでも、ディオニスの国事に関するものでも大丈夫です」
突然降ってわいたチャンスに、シアナはリッサへ目線を送る。
首を横に振って権利を放棄するのを確認すると、一度大きく息を吸い込んでから質問を口にする。
「それでは、今私達がいるここが何なのか教えていただけますか?
最初はてっきりどこかの迷宮かと勘違いしてしまったほどの魔素濃度なのですが……」
シアナの質問にレオニーは一瞬驚いた表情を見せた。
そしてまたもや上品に笑うと、目尻に浮かんだ涙を拭いながらくちを開く。
「確かに、ここの空気だけでは迷宮と勘違いしてもおかしくはないでしょうね。
ですが最初に申し上げたとおり、ここは危険な場所ではありません。
ここは世界でここにしかない聖地——神樹と呼ばれている場所になります」
「神樹……ここは幹の中ということですか?
とてもそうは思えませんが……」
シアナは再度周囲を見回しながら観察する。
すると、床や壁面には薄く木目のようなものが見て取れた。
しかしそれも気を付けて見なければ目立たないようなものであり、一見すれば白い石造りと言われても信じてしまいそうな光沢がある。
「この内部だけでは判断しずらいでしょうが、外観はちゃんと樹木になっていますのよ。
内部のこの空間は、有事の際の避難場所に利用するためですの。
見た方が早いので、試しに小さな傷をつけてみてくださいませ」
言われるがままにシアナは指の腹の肉を噛み切る。
当然の如く血が流れ出るが、次の瞬間から空間内の魔素が傷口に集まりだし、数秒もしないうちに完治した。
「これって、治癒魔術と同じ……」
「はい。内部にいる者には神樹の魔力が続く限り、治癒魔術と同等の恩恵を受けることが可能なのですよ。
まさに神の樹と称するに相応しいと——」
「はっ、それは自分が神に等しい存在って意味か?傲慢だな」
言葉を遮るように吐き捨てたエルザーツは、レオニーが登場した階段の上に視線を向ける。
すると、その奥でドアが開くような音とともに、目元以外を隠すような灰色の服を身に着けた男性がシアナ達の前に引きずり出された。
「用意は出来たんだろう。あたし達はもう行くぞ」
「あらあら、相変わらず強引ですわね。
まぁ、質問に答えましたし、ここらでおしまいといたしましょうか。
皆さんを案内してさしあげてくださいまし」
エルザーツに引きずり出された男性は何かを言いたげな目をしていたが、それを口にすることなく無言でシアナ達を外へと案内する。
エルザーツが歩き始めたタイミングでシアナの耳元に心地よいソプラノが囁く。
「あなたは賢い方なのですね。
ワタクシ達の領分に踏み入り過ぎないために質問を選ぶなんて」
「いえ、偶然ですよ。
目の前に気になる疑問があったのでそれに飛びついただけ……ぶら下げられた人参を齧ろうとする馬と同じです」
自虐気味に答えるシアナに、レオニーは口元に笑みを浮かべる。
「アスレイからの捜索隊が訪れた際に、カミナシさんからの手紙であなたのことは大まかに伺っていますわ。
この世界のクリアは観測者の仕事でもありますので、ワタクシも協力は惜しみません。
必要とあらば、何なりと頼ってくださいまし」
「ありがとうございます。
しかし、捜索隊まで派遣されていたのは知りませんでした」
「表向きは一般人の子供1人を探すために、公に人材を動かすわけにもいきませんからね。
彼女が独自に動かせる人員だけで構成されていたため、レアのように厳しい環境の土地までは手を伸ばせなかったのでしょう。
ワタクシだって、突然いなくなった子供がまさか世界の反対側にいるなどとは考え付きませんもの」
レオニーの言葉に、シアナは乾いた笑いで曖昧に同意する。
「それにしても、エルザさんには困ったものですわね」
「昔からあんな感じなんでしょうか?」
「むしろ今よりも酷かったくらいでしたわ。
ワタクシに教えを乞いても習得できなかったのに、大きな顔をしないでほしいものですけれどね……」
シアナはここでレオニーに対して初めて恐怖を抱いた。
これまで出会った観測者の誰にも見られなかったもの——エルザーツを下に見るような発言に、言いようのない恐れと腹黒さを垣間見た気がした。
—備忘録 追記項目—
・豊穣国ディオニス
六大国の一つ。
中央大陸南東部に位置する。
中央大陸で最も自然に恵まれており、農業が盛ん。
人族と獣人族を中心にあらゆる種族を受け入れて生活している。
魔族に襲撃された過去を持ち、遺恨の残った一部地域では過激な魔族排斥思想がある。
・レオニー・マイヤー
豊穣国ディオニス担当の観測者。
元スイス人の女性。
ライトグリーンの髪に深緑色の瞳を持つ。
物腰は静かでお淑やかなイメージを与える。
観測者としての公務以外では神樹に籠り、国土全体の土へ魔力を栄養として行き渡らせている。
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