間話 朗報を知る
湯を沸かし、茶葉の入ったポットに注ぎ蓋をして蒸らす。
彼女は普段緑茶を好んで飲むが、客人がいる場合は相手の好みに合わせて提供する。
どちらにせよ、この世界の食物は魔素の影響か地球とは味が異なるものが多い。
「どちらにせよ、些事にすぎませんね」
小さく呟きながら茶葉の様子を見定め、抽出された紅茶をカップへ注ぎサーブする。
「どうぞ」
茶葉をこす道具は無いが、水属性魔術の液体操作により茶葉が入らないようにする。
科学や技術の面で多少劣ったところは見られるが、その大半をカバーできる利便性が魔術には秘められていた。
対面に座る男性は香りを堪能してからカップに口をつける。
そして大げさな仕草で驚いて見せながら賞賛を送った。
「うーん、これは素晴らしいですね。
日本人なのに紅茶を淹れるのも上手とは、相変わらず素敵ですね、カミナシさん」
「この世界に来てからいいかげん長いですからね……人並み程度には上手くなりますよ。
それよりも今日のご用は何でしょうか?私の紅茶を飲みに来たわけではないでしょう、ダニエルさん」
男性——ダニエルからの賞賛を受け流しながら女性——カミナシは本題を促す。
ダニエル・アレクサンデルソン。
中央大陸より海を挟んだ向かいの国オケノスの観測者であり、この世界一番の自由人。
放浪癖に任せて世界中を転々としている彼がわざわざ自分の所へ訪ねて来たことに、カミナシは嫌な予感がしていた。
「それはもちろん、紅茶目当てですよ……というのは流石に嘘ですが、大した用ではありません。
本命の要件を先程済ませたところでして、久しぶりにご挨拶をと思った次第です」
碧色の瞳を見つめ返しても真意を読み取れず、カミナシは小さくため息をついた。
「あなたは全く変わりませんね」
「それは貴女もでしょう。
この世界に来てから1画素も色褪せないその美貌の秘訣は何でしょうね」
「ただの観測者の権能です。あなたにもあるでしょう」
ダニエルの薄い賞賛の言葉をバッサリ切り捨てながら、カミナシは軽く睨みつける。
放浪癖にかまけて最低限の職務以外を他人に任せているダニエルの不真面目さを、生真面目な気質を持つカミナシは昔から苦手に感じていた。
「ええまぁ、
しかし不変とは生命にとって停滞。
移りゆく時の流れに合わせるには、多少の変化を加えるのも必要だと愚考します」
しかし時折物事の核心を掠めるような一言を刺すこともある。
その能力を何故民のために使わないのかと、カミナシは苛立ちにも似た感情を抱いていた。
「……まだ各地を彷徨っているのですか?」
明確な答えを用意できないカミナシの話題転換に、ダニエルは気付きながらも追及しない。
代わりに態度をいつものように崩したものに戻しながら回答する。
「その表現は遺憾ですね。
昔失くしてしまった者を探すついでに、各地で人助けもしているのです。
今回この国へ立ち寄った別件もその一環なのですよ」
「いつもそう言っていますが、一度として実例を見たことがありませんので、にわかには信じられません」
カミナシの返しにダニエルはハッとした表情を浮かべる。
そして首に手を当てて考えると、数秒後口を開いた。
「実例でしたら、今回はお見せできるかもしれませんね」
「それはどういう——」
カミナシが言葉の意味を訊ねる前に、部屋のドアがやや乱暴に開け放たれた。
驚いたカミナシが目を向けると、息を切らせた女性が立っていた。
「どうかしましたか?来客中ですよカレン」
普段礼儀正しい彼女の珍しい慌てぶりに意外さを感じつつ、カミナシは静かに窘める。
「申し訳ありません、カミナシ様!
しかし、至急お知らせしたい内容がありまして」
「それは、来客中に乱入するほどの内容なのですか?」
「そ、それは……」
言葉を重ねるうちに自分の行いに気付いたカレンは、視線を泳がせる。
しどろもどろになりながら泳がせた視線の先にダニエルを捉えると、それに気付いたダニエルは手を振った。
「ごきげんよう。
先程ぶりですね、若奥様」
「あなたはさっきの配達員さん!?どうしてここに?」
「配達員?カレン、あなた何を言っているのですか?
こちらはダニエル。オケノスの観測者です」
ダニエルの身分を知ったカレンは一瞬固まったが、すぐに魔術師式の一礼をした。
その様子を見たカミナシは、何らかの理由でダニエルがカレンに対し身分を偽装し接触したことを悟る。
「あなた、本当に手紙の配達をしたのですか?
どうしてそんなことを……?」
「実例ですよ」
簡潔な回答にまだ半分程度の理解度を示しているカミナシに対し、ダニエルはクスリと笑うと補足する。
「探し者をしている最中に盗賊から襲撃を受けましてね……荷物を見てみるとどうやら配達詐欺もはたらいているようでして。
警備隊に任せてはいつ正しい場所へ配送されるか分かりませんので、心優しい
「なるほど……そのうちの1つがカレンの持つ手紙で、それが実例ということですか」
カミナシが直前のダニエルの言葉の意味を理解し納得を示す。
その間ダニエルは興奮気味のカレンに自分が座っていた椅子に座るよう勧めていた。
「それで、その手紙がどうかしたのですか?
見たところ随分と数があるようですが」
「はい、それなんですが……実はこれら、全てシアナからの手紙なんです」
「なんですって?!」
思わず声を大きくして反応してしまい、カミナシは慌てて誤魔化す。
「んんっ、失礼……シアナからの手紙ですか。
どこから送られてきたものか分かりますか?」
「それが……レアからなんです」
「レアですって?!
どうしてそんな所から……偽物ではありませんか?」
「書いているのが本人かは別として、手紙自体は本物ですよ。
エルザさんの印が使われていますから」
カレンから1通受け取って見ると、確かに蝋印にはエルザーツの印が捺されていた。
それを確認すると同時に、カミナシの脳裏で今年の魔剣祭で交わしたエルザーツとの会話が再生される。
———
『今試合したあの娘、ウォーベルって言ったか?』
『ペトラ・ウォーベル。
全属性の魔術適正を持ち、魔力操作にも長けたている逸材です』
『……魔力総量はそうでもないみたいだな』
『えっ?人族としてはかなり破格の総量でしょう。
確かに私達と比べれば少ないかもしれませんが——』
『あぁ、こっちの話だ。気にするな』
『少し先になるが、こっちの学院に入れたい奴がいる。
転移陣はまだ使えないのか?』
『学院ならそちらにもあるでしょうに、わざわざそうする理由は何ですか?』
『あたしには無いが、本人はきっとこっちの方を望むからな』
『とても勉強熱心な方なのですね。
転移陣の解放はできませんが、その時には歓迎しますよ』
———
「あ、あぁ……あぁぁ……」
「か、カミナシ様?!」
突然椅子から崩れ落ちたカミナシに、カレンが驚きの声を上げる。
慌てて駆け寄り支えて立ち上がらせると、カミナシは顔を青くしていた。
「ごめんなさいカレン、私のせいです……私が……」
「落ち着いてください!
断じてカミナシ様のせいではありませんので!」
カレンはカミナシを椅子に座り直させると、紅茶を飲ませて落ち着きを促す。
カップを空にしてようやく落ち着きを取り戻したカミナシへ、横から声が掛かる。
「カミナシさん、貴女のその責任感は美点であり同時に弱点でもあります。
シアナさんの失踪はあなたのせいではありません。
それははっきりとした事実です。
それに、手紙に準備が整い次第帰ると書いてあります。
今はただ生存を喜び、来る日に向けて迎える準備を進めるべきではありませんか?」
「ダニエル様の仰るとおりです。
今はあの子が生きていてくれたということが分かっただけでも十分過ぎる喜びです。
1日でも早く帰って来てくれることを祈って、家族全員であの子の帰還を待ちます」
言うとともにカレンはダニエルに魔術師式の礼で頭を下げ、感謝の意を伝える。
「礼には及びません。
「それでもです。
この手紙がなければ安否も分からないまま、不安を抱えた日々が続くところでした。
それが解消され、希望となったことにはどれほど感謝してもしきれません」
カレンに続いてカミナシも立ち上がってダニエルに頭を下げる。
こちらはアスレイでは使われない、ただ腰を折った礼だった。
「……私も、感謝とお詫びを。
ここ数年の憂いを晴らしてくださったことへ感謝し、今まであなたの言い分に不信を抱き続けていたことに対し謝罪します」
転移と転生。
形は違えど同じ地球からの移住者で同じ日本人。
そして数少ない心から気を許せる友人であるシアナの生存確認が取れたことは、カミナシの肩の荷を下ろして精神的な余裕を取り戻すのに十分なものだった。
今日ばかりは個人的なわだかまりを無視し、素直に感謝すべきだと判断した。
「お役に立てたようで何よりです。
では、
「行かれるのですか」
「ええ。目的は果たしましたし、いずれ再会するにしても今はエルザさんからできるだけ距離を取っておきませんと。
呪族の被害が出たようなのですが、
よりによって面倒な案件である呪族関連を、よりによってエルザーツに向けてしまったという二重の運の悪さに、カミナシは呆れを通り越して同情すら覚える。
「いざとなったら骨は拾いますよ」
「ははは、もし本当に死ねるのならば、
ダニエルは冷や汗を浮かべながらも笑い声を止めず、優雅に一礼をしてから部屋を後にして行った。
閉じられたドアを見ながら、カミナシはカレンに声を掛ける。
「カレン、ギルベルトを呼んできてくれませんか?
今日は3人で祝杯としましょう」
「……はい!」
パッと表情を明るくしたカレンが部屋を出て行く。
カミナシは椅子に腰を下ろしてから深くゆっくりとした呼吸を繰り返す。
「……今日は暫くぶりに美味しいお酒が飲めそうですね」
呟いた言葉は響かずすぐに消えたが、カミナシはその余韻に暫く浸ったまま笑顔を浮かべていた。
—備忘録 追記項目—
・ダニエル・アレクサンデルソン
海国オケノスを担当する観測者の男性。
元アイスランド人の男性。
右眼に遠視の魔眼を所持。
金髪に碧色の瞳を持つワイルドな顔立ち。
観測者でありながらその職務をほぼ現地の高官に任せきりにし、世界各地を放浪している。
前世は良家の生まれであり、家に縛られた人生を送っていた反動でこちらの世界に来てからは最低限の責務を全うする以外の時間は自由に行動している。
言動が軽く、心の底を見せない。
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