第39話 思いを知る

 エルザーツに部屋へ連行され、丸一晩を費やして行われたレア出発から解呪終了までの経緯説明タイム(強制)の末、判決が下される。


「好きにしろ」

「えっ……それだけですか?」

「あたしは説明を求め、お前はそれに答えた。

 そしてその中に責めるに値するほどの非はない。それだけだ。

 他に何を求める?」

「リッサを勝手に買ったこととか、何かしら何く……文句を言われると覚悟していたんですが」


 エルザーツはシアナに向けて純度100パーセントの呆れ顔を、言葉とセットで向ける。


「何を言ってんだ?

 お前がお前の金で買ったんだろ。

 それに対して何故あたしが意見しなくちゃいけないんだよ」

「あの、そのことなんですが……私がアスレイに帰った後、彼女が成人するまでレアで面倒を見てもらえませんか?」


 頭を下げるシアナにエルザーツは眉根を寄せた。


「はぁ?一緒に連れて帰れよ」

「アスレイにも少なからず魔族への差別があるのは私でも知っています。

 ただでさえ奴隷期間に虐げられていたあの子に、これ以上他人に対して不信感を抱くような環境にいてほしくないんです。

 その点レアなら種族的な差別はなしで心の傷を癒せますし、もし面倒を見てもらえるならその方が将来的に強くなれます。

 あの子のためなんです」


 レアではアスレイで教えられたような形式ばった礼は使われておらず、前世と同じように腰を折って頭を下げるのみ。

 前世から身体に染み付いた自然体でできる動作ながらも、この時のシアナは頭頂部からつま先まで神経を張り巡らせた、まさに全身で誠意を示した礼をしていた。


「勝手に引き取っておきながら手前勝手であることは重々承知した上です。

 成人とまで言わずとも、一人で稼げるようになるまででも構いません。

 どうか彼女の面倒を見ていただけないでしょうか」


 頭を下げたままエルザの反応を待っていると、軽く吹き出すのが聞こえた。

 それに釣られて頭を上げそうになるが、シアナはすんでのところで堪える。


「頭を上げろ」


 エルザーツからの短い言葉にシアナは躊躇いつつ頭を上げた。

 口元を手で隠したエルザーツが妖しく笑いながら言葉を続ける。


「奴隷を買って所有権を持つのはお前だし、預かること自体は難しくない。

 だが、せっかく当事者が揃ってんだ。お前が本当にそいつのことを思ってこの提案をしてるんなら、意見を聞いて気持ちを尊重してやれよ」


 そう言いながらエルザーツはドアに目を向ける。

 するとドアがひとりでに開き、リッサが呆気にとられた表情で廊下に佇んでいるのが見えた。


「リッサ……?!」

「話は聞いてただろう。お前はどうしたい?」

「ワ、ワタシは今来たばかりです。盗み聞きなんて——」

魔眼持ちあたし相手に嘘をつくなんていい度胸してるな」


 エルザーツの鋭い眼光にリッサは言葉を切られる。

 エルザーツの左眼には既に魔眼が開かれ、それを見たシアナは言葉の意味を理解した。


「リッサ、比喩的な表現じゃなく、この人には本当に嘘が通用しない。

 本当の気持ちを話してちょうだい」


 まだ十全に使いこなせていないシアナでも嘘を見抜くことはできる。

 練度や経験でシアナの遥か上をいくエルザーツが嘘を見逃す道理がなかった。


「この眼はこいつが持っているものと同じだ。

 つまり……これ以上は言わなくても分かるだろう」


 リッサは怯えを見せながら頷いた。

 エルザーツは室内へ入るよう命令してからシアナとリッサを向い合せ、自らは傍観を決め込む。


「……シアにとって」


 数十秒の沈黙から口火を切ったのはリッサだった。


「シアにとって……ワタシは、いらない子?

 またワタシは置いて行かれるの?」


 その言葉の端は既に感情を抑え込むように細かく震えている。


「ち、違う!リッサのためにそうするべきだって判断したの。

 レアで生活してれば不必要に受ける差別で嫌な思いをせずに済む——」

「でもシアには会えなくなるんでしょ……!?」


 徐々に震えが大きくなりながらも、溢れかける感情を我慢しリッサは言葉を吐き出す。

 それでも滲み出る感情によって声がくぐもり、言葉に詰まり、聞いている側も息が詰まるような空気が伝わる。


「ワタシ、ずっと独りだった。

 ある日突然知らない人が家に来たと思ったら奴隷にされて、状況を理解する前にお父さんとお母さんは別々に買われちゃって……何も残らず、何も与えられないまま、大きな人達から”お前はなんで売れないんだ”って叩かれる毎日だった……」


 言葉を重ねるほどに感情の蓋に穴が空き、漏れ出た感情は涙となり頬を伝って足元へ落ちていく。

 それを拭いもせず——もしかしたら涙を流している自覚がないのかもしれないが——目を見据えて訴えかけるリッサの感情を、シアナは肌で強く感じた。


「そのまま一生を終えるんじゃって思ってた時に出来た隙に逃げ出して、その先でシアに出会った。

 一度は引き戻されながら助けてくれて、でもそのせいでシアは捕まったのに責めもせずにワタシを買ってくれて……新しい未来を示してくれた」


 シアナは思わず合わせていた目を伏せる。

 自らの中で法を知らずにしくじった失敗事例として片付けていたものを、リッサがそんな風に思っていたなどとは思いもしなかった。


「私の……せいかな」


 リッサに、そしてエルザーツにも届かない声量でシアナが呟く。

 シアナはリッサを引き取った時から彼女をエルザーツに任せて帰国するつもりだった。

 それ故突き放すようなことはせずとも、正面から彼女に向き合って接していなかった。

 そうした結果シアナの真意は伝わっておらず、現在の状況となっている。


「だから、その時に決めたの。

 ワタシの残りの生はこの人のために使おうって。

 必要とされる存在になって全力で支えて、少しでも恩返ししようって……!」


 悲壮感に押しつぶされそうになり、耐えられなくなったシアナは目線を上げる。

 そこには笑みを浮かべたリッサがいた。


「でも……シアにはそんなの必要なかったんだよね。

 国に帰れば家族がいて、友達もいて、きっと他にも助けてくれる人がたくさんいる。

 ワタシなんかが割って入る隙間なんて、最初から存在してなかったんだよね」


 口元に笑みを、目元にも笑みを。

 但し、目尻から頬を流れる涙だけは止まることを知らず。

 心で泣き顔は笑うリッサに、これまでに感じたことのないほど胸が締めつけられる。


「リッサ……おいで」


 手を引き寄せると、リッサはそのままシアナに抱きつき、肩に顔を埋める。


「シア——」

「私がレアに連れて行かれたのは6歳の時だった」


 唐突に始まった独白に、リッサは言いかけた言葉を引っ込めた。


「エルザ様の勘違いでそうなったのにすぐには帰せない、なんて言われちゃって。

 家族とも、たった1人の友達とも急に引き離されてレアでの生活が始まったの」


 背後の舌打ちは無視し、リッサにだけ語りかけるようにシアナは言葉を続ける。


「だから成り行きとはいえ、リッサと出会えて一緒に過ごしたこの数日間は本当に楽しい日々だったよ。

 久々に心の底から潤うのを感じられた。

 でも、だからこそ、アスレイについて来て傷付くあなたを見たくない。

 幸せに生きてほしい……そのためにはレアに残ってもらうのが一番なの」

「嫌だよ……!」


 肩に額を押しつけてすすり泣きながら、リッサはついに感情を吐き出す。


「ワタシ……シアと一緒にいたい。シアの役に立ちたい。

 シアの役に立って恩返しできるかどうかが今のワタシの生きる意味なの。

 必要なくなったら捨てていいから、ワタシを傍に置いて……一緒にいさせて……?」


 肩から顔を離させ、シアナとリッサは正面から顔を見合わせる。

 止めどない涙により若干焦点が定まっていないその目を逃さず、しっかりと捉えながらシアナは口を開いた。


「それじゃあ、私の方こそリッサに愛想を尽かされないように頑張らなきゃね」

「……いいの?

 ワタシも、アスレイに連れて行ってくれるの?」

「レアに残った方がためになるのは確実だけど、本心では私だってリッサと離れたくないからね。

 大切な友達で……家族だから」

「話は終わりか?」


 リッサが再びシアナ肩で泣き始めたところでエルザーツから横やりが入った。

 不機嫌を隠そうともしない目で睨む目を、シアナは正面から受け止める。


「ご機嫌斜めですね」

「やっぱり子供は五月蠅ぇと思ってな」

「ここで話をさせたのはあなたでしょう……」

「あぁ?」


 シアナの失言にエルザーツがヒートアップしかけたのを見計らったようにドアがノックされる。


「失礼。朝食の準備が出来たと伝えるためリッサを送ったのですが、時間が経ってもいらっしゃらなかったので何かあったのかと思いまして」


 ドアの向こうから聞こえるギュンターの声に、リッサがハッとした表情で顔を上げる。

 それを見たエルザは片眉を上げると返答する。


「少し話していただけだ。すぐに行く」

「かしこまりました」


 足音が遠ざかり、室内に静寂が訪れる。

 一度中断されたことで興が削がれたのか、髪をかき上げ舌打ちをしながらエルザーツがボヤく。


「……ま、決まったんならそれでいい。

 そもそもお前の面倒を見てるのはあたしに非があったからであって、お前……リッサだったか?の面倒まで見る義理はないからな」

「もし残留方向で決まったら私が帰った後にほっぽり出すつもりだったんですか?」


 少し責めるようなニュアンスを含むシアナの言葉にもエルザーツは悪びれない。


「その場合はレアの学院に入れた。

 学院を卒業すればその後は1人でも生きていける程度にはなるだろうからな。

 その時まだお前に会いたければ自分でアスレイまで行けばいい」


 代案も考えられていたことにリッサは驚きを表すが、シアナは想定通りだった。

 今回の依頼のように、エルザーツは自分と同じような境遇の者をつくりたがらない。

 帰るからと理由づけて一度でも放り出そうとした自分よりも余程しっかりとした人間性の芯を持っていると認めていた。


「ギュンターには言っておくが、レアに帰ったらそいつも冒険者登録させろよ。

 理由はお前から説明しておけ」

「分かりました」

「あと、帰る時にはあたしも同行する。

 人族はすぐに死ぬからな。途中で魔獣のエサになりましたなんて寝覚めが悪すぎる」

「あ、ありがとうございます」


 親切心を一瞬でも期待した自分を馬鹿らしく思いながらも、エルザーツの同行は心強いためシアナは礼を述べる。

 シアナは道中冒険者を護衛として雇うための資金をリッサ購入に使い切った。

 理由はどうあれ、費用削減と冒険者以上の安全性確保はかなり嬉しい情報となる。


 そこでシアナは顔を上げていたリッサと目が合う


「頑張ろうね、私達の家に帰るために」

「うん……!」


 今度はうれし涙を浮かべるリッサの手を取り、シアナはエルザーツに続いて食堂へと足を向けた。



—備忘録 追記項目—

・話し合い

 何らかの議題や懸案について解決したり、一定の合意に達することを目的として意見を述べ合うこと。

 言葉を交わすことで初めて通じる意思もあり、それを目的として行われる場合もある。

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