第38話 依頼完了を知る
翌日、運命の日。
前日までと同じ時間に一分一秒の狂いもなくアルノの部屋に入る。
準備と体調は万全。危惧すべき点は1つ。
「おはようございます。
今回で終わらせますが、準備はいいですか?」
「あ、あぁ……もう、好きにすればいいさ……」
ひと晩明けて多少回復したが、それでも連日の解呪作業によって蓄積された疲弊を取り除くには不十分。
その様子からシアナは残された時間が少ないことを悟る。
「可能な限り短時間で終わらせられるよう尽くします。
アルノさんも踏ん張ってください」
出会った初日と比べ頬のこけた顔が上下するのを確認し、土属性魔術巻物でアルノの手足を固定する。
衰弱している彼がそこまで動ける可能性は低いが、火事場のバカ力という言葉もある。
失敗が許されない状況では懸念点を残したまま作業に入るべきではないと判断した。
「これは……!?」
魔眼を開いてアルノの魔素体を確認したシアナは驚愕した。
前日の終わり時よりも侵食が1割も進み、全体の8割以上が呑まれかけていた。
予想外な侵食率の跳ね具合に焦りを覚え、急ぎ作業に入ろうとする。
「では始め——」
しかしこのタイミングで危惧していた点が訪れた。
「待ちなさ————です!」
「放し——あいつ——直接——いんです!」
扉の向こうから聞こえる騒がしさがシアナの鼓膜を震わせる。
言い争う二人のうち片方がダイターというのは予想がつくが、届く声が不鮮明なためその相手までは分からない。
しかし、作業前から五月蠅くされてはたまらないと考えたシアナは、扉を開けて顔を出す。
「あれ、コンさんじゃないですか。
どうかされましたか?」
顔を出したシアナに気付いていなかったのか、呼ばれたコンは一瞬身体を硬直させた。
数日前と比べて少しやつれたように見えるその顔に笑みを浮かべ、騒いでいたことへの弁明を始める。
「解呪がそろそろ佳境だって聞いて、いてもたってもいられなくなったんだ。
頼む、中に入れてくれないか?」
「中にいられるとむしろ集中できなくて邪魔なんですが……」
「な、ならあいつと話をさせてくれ!ほんの数分でいいんだ!」
「……なら、5分だけですよ。
ダイターさん、ここは大丈夫です。それよりも1つお願いしたいことが——」
話すコンを視て真意の一端を読み取ったシアナは、入室を許可すると同時にダイターへ耳打ちする。
「おお、それは大変ですな。
急いでお持ちしますので少々お待ちを」
ダイターが駆け足で階段を駆け上がって行くのを見送ってから二人で室内に入る。
それまで横目で様子を窺っていたアルノは、コンの顔を見た瞬間猛烈な勢いで顔を背けた。
「ではどうぞ」
「はっ?」
「お時間を許せるのはダイターさんが戻って来るまでの間だけです。
それと、アルノさんは体力の限界なので、”はい”か”いいえ”で答えられるものだけで会話をお願いします」
体力の限界という言葉に一瞬怯みつつ、コンはアルノの傍へ歩み進む。
対するアルノは少しでもコンから離れようと脂汗を流しながらもがくが、魔術で作り出した枷を外せるわけもなく、無駄に体力を消費する。
「久しぶりだな。
最後に話をしてからもう1年以上経つのか……あの時はまさか次に会うのがこんな形だとは毛ほどにも考えちゃいなかったよ」
コンの口調は穏やかなものだが、アルノはまるで耳元で叫ばれているように顔を顰め、一語一句にビクビクしている。
「仕事から戻って今回の事件のことを聞いた時も、お前に対して最初に抱いた感情は心配だった。
数日前まではな」
最後の一言で、コンがまるで熱湯に放り込まれたかのように激しくもがく。
しかし相変わらず拘束は解けず、やがてぐったりと力尽きた。
「なぁ、嘘だよな?
事故じゃなく、嬉々として殺したなんて真っ赤な嘘だって言ってくれよ!!」
アルノは弾かれるようにコンへ顔を向けると、涙と汗と涎でぐちゃぐちゃになった顔を縦に横にと千切れんばかりに振り回した。
否定とも肯定とも受け取れる動きだが、シアナがそこから感じ取ったのは懇願。
命だけは助けてくれという、魂からの叫びであり、自白同然の行為であった。
「……はぁ~……」
シアナと同様に受け取ったのか、コンは長く大きくため息を吐いた。
そしてため息と共に感情を捨てると、表面に貼り付けていた笑顔は消え失せ、憤怒の炎を覆う無表情となる。
「じゃあな」
短く告げて懐からナイフを取り出すと、コンは無造作にそれを振り上げた。
それをコンの後ろで待ち構えていたシアナは、膝カックンの要領で膝裏へ蹴りを入れる。
上半身に意識が集中して力のこもった不安定な体勢に身体強化で威力の増した蹴りを受け、想像よりも容易に体勢が崩れる。
「なっ……?!」
同時に手の届く位置まで下りたナイフを奪い取り、シアナは壁際まで距離を取る。
「何が……ほーぅ……」
突然体勢を崩されて一瞬呆けていたコンは、手に持っていたナイフが無くなっていることに気付くと、今度は感情を前面に出しながら距離を詰め始める。
「それはおれのもんだ。
ひと様の物を盗っちゃいけませんって親に教わらなかったのか?」
狂気に満ちた目で見られ、普通の少女ならば走って逃げだす状況。
しかしシアナが逃げ出せばおそらくコンはアルノを躊躇なく殺す。
シアナは時間を稼ぐ必要があった。
「返せばアルノさんを殺すつもりでしょう?」
「アルノは事件の日に妻と共に死んだ。
おれが今から殺すのは、そこから生き延びた害獣だ」
「そんな簡単に割り切ってしまったら、後で絶対後悔しますよ」
コンが詰め寄るのに合わせてジリジリと壁沿いに距離を保とうとする。
しかし部屋がそこまで広くないためそれも難しく、何度も繰り返せるものではない。
「それにしても、バレないように持ち込んだのにまるで分っていたような反応速度だったな。
参考までにいつバレたのか教えてくれないか?」
できるだけ穏便に事を治めたいシアナは、悟られないよう自然体で返答する。
「殺しに来るのは初めてお会いした日に分かっていましたよ。
まさか最終日ちょうどで来るとは予想外でしたが、想定外ではありません」
シアナの答えにコンは眉をハの字にする。
「そんなに怪しかったか?
殺すと決めたのはあんたにあの話を聞いてから帰るまでの間なんだぞ?」
「えぇ、ですから、それを分かっていたと言っているんです」
シアナ思惑通り食いついてアルノへの注意が散漫になったのを見逃さず、シアナは右眼を指す。
「気付いていたでしょうがあの日、私は終始魔眼を開いたままにお話ししていました」
「あぁ、珍しいと思ってた……もしかして心を読む魔眼なのか?」
「そんな強力なものだったらあの日すぐに警備隊を送ってますよ。
これはあくまでも魔素を視覚化するだけです」
理解できないという風にコンが首を傾げる。
せっかちなその反応に笑うのを堪えながら、シアナはネタバラシする。
「実は最近魔素の繊細な動きを捉えられるようになりまして。
その影響で簡単な嘘なら見分けられるようになったんです」
正確にはシアナが分かるようになったのは感情の変化である。
魔素体は感情の変化によって状態に変化が生じる。
シアナはその変化を見極めることで感情の変化がある程度分かるようになった。
しかしシアナが魔眼を本当の意味で使えるようになってからまだ日が浅く、全て呑ん感情の変化を見極めることは難しい。
しかし魔素体の変化が大きい怒と哀、そして魔素体全体にノイズが走る嘘は今の彼女でも比較的容易に見極められる。
「実は前からその片鱗はあったんですが、その時には全く気付けていませんでした」
シアナがまだアスレイにいた時、騎士団員の男から襲撃を受けた際もそのおかげで不意打ちを避けることができていた。
思い返せばあれは男の殺意が強すぎた故に未熟な状態の魔眼でも分かるほど魔素体の変化が大きくなり、気付けたのだと考えられる。
「なるほどね……最初っからおれは信用されていなかったってワケか」
「いえ、信用どうこうの問題でなく、ただ事実を客観的に見るため、練習がてらに開いていただけです。
最後の質問に嘘をつかなければ今でもずっと信用していましたよ」
「単純に全部見透かされてた方か……そっちの方がクるものがあるなぁ……でもな!」
声のトーンが変わるのにつられてシアナも身構える。
壁を背にした状態で位置も体格も相手の方が優位。
「だからってここで退くなんてできねぇんだよ!!」
そんな状況から無傷で抜け出せる方法などシアナは知らないが、先程までとは違い焦りはなかった。
何故なら——その答えは既にシアナの”視界”に映っている。
「シアに……手を、出す、なぁぁああ!!」
シアナにタックルを仕掛けようとコンが上体を沈ませて踏ん張ったまさにその時。
開け放されたままの扉から走り込んで来た人影が床を蹴ろうと力を込めていたコンの右足の腱から腿にかけてを切り裂いた。
「ぐぁっ?!」
完全に不意を突かれた形で支えを失ったコンはうつ伏せに倒れる。
人影はそのままコンの両腕を背中で縛り上げると、焦りを滲ませた声で話しかける。
「シアっ、大丈夫!?」
「大丈夫だよ。ありがとうリッサ」
「斬り込みが浅い。この程度ならまだ動ける奴もいるぞ」
「はいっ、すみません!」
コンの足の傷を確認しながら冷静にダメ出しをするギュンターに向けて、シアナは冷ややかな視線を照射する。
「あのね・・・・・一応今私危なかったんだよ?
訓練の一環にしないでくれない?」
シアナのささやかなクレームをスルーしたギュンターは、水属性魔術でコンを拘束すると振り返らずに部屋から出て行った。
「まったく……ひとを何だと思ってるの。
リッサはありがとう。危なかったから本当に助かったよ」
「ううん、間に合って良かった……」
涙ぐむリッサの頭を撫でながら、シアナは部屋の状況を確認する。
幸いなことに、大暴れする前に取り押さえられた結果、このまま作業に戻れる状態を維持できていた。
「シアナ様……っ、ご無事で……!?」
「おかげさまで。ダイターさんもありがとうございました」
ギュンターと入れ替わりで息を切らしながら戻ったダイターにリッサを預けると、アルノの下へ近寄る。
緊張が限界値を超えたのか、アルノはいつの間にか失神していた。
「……ま、いっか。今は解呪に一本集中!」
頬を叩いて気合いを入れ直し、気絶したアルノへ語りかける。
「コンさんはある種あなた以上の苦しみを味わい葛藤した筈です。
あなたの中に少しでも罪悪感が残っているのであれば、腹を割って本音で話し合ってください。
絶対にとは言いませんが、苦しみを味わった者同士、少しは理解し合える筈ですよ。
親友ってそういうものでしょう?」
反応がないのを確認し小さく笑ってから、シアナは今度こそ集中の海へ身を投じた。
———
「——それであれから3日。
懸念していた呪いの再発もなく、魔素体も順調に快方へ向かっているので、明日レアに戻ることになりました。
二人の関係がこれからどうなるのかは当人達次第といったところですが、これ以上部外者が割って入るのも違いますのでここらが引き際かなと」
「そうか……ならこうしてお前と話をするのもこれが最後になるんだな」
「あれ、もしかして寂しかったりしますか?」
「いや、むしろ根掘り葉掘り訊かれなくなって清々するな」
オケノス滞在最終日、シアナはアクスルの部屋を訪れていた。
相変わらずの仏頂面だが、最初は最低限会話を聞くだけで精一杯だったのを考慮すれば、砕けた話ができるようになった今の関係をシアナは好ましく思っていた。
「アクスルさんはこれからどうするんですか?」
「それに関しては昨日、いつも扉の向こうにいる……確かダイターと言ったか?奴からの提案を受けることにした。
ここに残って呪いの研究員として協力しようと思っている。
どうせ帰る場所も無く彷徨うだけのこの身、何かの役に立てれば儲けものだろ」
「そうなんですか。それは良かったですね!」
「あぁ……望みは薄いが、協力して研究が進めばいつか元に戻れるかもしれない。
お前と話していたらやはり死ぬ前にもう一度家族に会って詫びの一つも入れたくなった」
突然呪族になって家に帰ることもできずに過ぎた60年余り。
人族のシアナにはそこからの立て直しなど想像できないが、そういった話を聞くと家族を想う気持ちに種族は関係ないのだと実感させられる。
「きっと戻れますよ」
「無責任に言うな」
言葉では否定しながらも、アクスルの表情は希望の光で晴れやかになっていた。
「微力ながら私も協力しますよ。
調べて分かったことがあれば手紙でお知らせしますので、アクスルさんの方でも何か進展があれば教えてください」
シアナが住所をメモして渡すと、アクスルは怪訝な顔をした。
「どうかしましたか?」
「アスレイ?お前がいるのはレアじゃないのか?」
「あぁ、そのことですか。
レアにはちょっとした縁でお世話になっている状態で、実家はアスレイなんです。
もうすぐ帰る予定なので、連絡がある時はそっちに送ってもらった方が受け取り損ねがないと思います」
「そうか、分かった」
その時、扉の外から出る時間を知らせる合図でノックされる。
「それでは時間みたいなので行きますね」
「ああ」
アクスルは立ち上がると、シアナに無言で右手を差し出した。
予想外の行動に、それが握手を求めるものだと理解するまでに3秒を要した。
シアナがそれに応えると、固くガッシリとした手で包まれる。
「元気でな。誰かと面と向かって話す時間は久しぶりだったが、存外悪くなかった」
「私も充実した時間を過ごせて楽しかったです。
アクスルさんもお元気で」
後ろで開錠音が響き、時間を知らせる合図が再度ノックされる。
「はい、今行きます!」
アクスルに深く頭を下げてから扉を開けて通路に出るのと、頭上から衝撃が与えられるのは全く同時だった。
「……ったぁ!何するんで……すか……?」
予想外の出来事に視界が揺れる。
2、3度頭を振って視界が正常に戻ってから視線を上げると、そこには待機している筈のダイターではなく、レアに残っている筈のエルザーツが立っていた。
「え、なんで……?」
「結構ギリギリだったみたいだな」
「せ、成功はしましたよ」
瞬間的に偽物の可能性を疑い魔眼で確認するも、魔力量と質から本人であることを認識する。
エルザーツも魔眼を開いてシアナを観察していたが、やがて短く息を吐き口を開いた。
「ま、及第点だな。
あんなに魔素体をボロボロにされちゃ解呪が終わる前に殺しいてほしくなるレベルだが、一応生きたまま解呪は成功してる」
シアナはホッとしたが、それを見透かしたようにエルザーツから追撃が入る。
「さっきダニエルから連絡が来てな。
それにお前、あたしに説明することがあるだろ?」
「……あ」
シアナは該当事項に思い至るとともにエルザーツの捕食者のような目に正面から捉えられる。
「行くぞ」
「……はい」
エルザーツの言葉に従い、その後に続く。
手や腰を縛るロープも無ければ肉体的接触すらしていなかったが、その光景は誰が見ても”連行”そのものだった。
—備忘録 追記項目—
・感情による魔素体の変化
魔素体は感情により状態を変化させる場合がある。
喜——拡散
怒——膨張
哀——縮小
楽——規則的な膨張と収縮
嘘——ノイズが走る
殺意——刺々しい
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます