第36話 真実を知る

 海洋国オケノスの首都ワックストムに存在する呪術研究所。

 この世界に呪術というものは存在しないが、ここでは呪いとそれに関連する魔術の類を一括りにしてそう呼称している。


 研究所内では、人々を苦しめる呪いに関する研究が日夜を問わず進められている。

 既存の呪いに対する解呪方法の改良から新種の呪いに対する解呪方法の検証、解呪を通して呪いというものの根本的解決を目指す研究、それらを応用した呪いの被害者の解呪・治療と内容は多岐に渡る。


 研究者だけでなく呪いの被害者達も同じ区域で生活を送り、一日も早い社会復帰を目指しているが、その表情に曇りは見られない。

 全員が最善の将来に向けて日々奮戦し、共闘しているのが伺える。


 しかし現在、そんな地上階と床を隔てて地下に広がる特別施設の一室では、男性の悲鳴と怒号が飛んでいた。


「——っぅぐああぁぁ!痛い!痛い!!」

「……我慢してください」


 言葉とともに、いやむしろ言葉よりも先に男性の振るった拳が、目の前に座る少女の頭を捉える。

 鈍い音に続いて少女の上体が揺れ、腰掛ける椅子から落ちそうになる。

 しかし少女は特に反応を見せず、再び男性の腕に両手を翳して何やら始めた。


「……ぁぁあああ!!」


 先程よりも声量を増した怒号が少女に浴びせられる。


「いい加減にしろ!痛みなくできないのか!!この下手くそが!!」


 最後の一言に少女——シアナがピクリと反応を見せた。

 シアナはため息を吐きつつ、諭すような口調で答える。


「……最初に、そして先程から叩かれる度にお答えしていますが、それは不可能です。

 解呪の手順と呪いの性質上、多少の痛みを伴うので覚悟してくださいと言いましたよ」

「俺は痛みをなくせと言ったんだ!

 治療しに来たならそれくらいのことはしろよ!」


 前日に話を聞いた時の優男っぷりはどこに行ったのかとシアナは考える。

 それを口にしようとするが、痛みで余裕がなくなり本性が出ているのだろうと結論付けて開きかけていた口を閉じた。


「私が請けた依頼内容にあなたの言うことに従うのは含まれていません。

 それに、本来ならもっと荒っぽくやるところを、十分すぎるほどに抑えているんです。

 言葉ではいくら言われても構いませんので、暴力は控えてもらえませんか?」


 実際解呪開始からこのやりとりに至るまで20分も経っておらず、シアナが男性——アルノの拳を受けるのはこれで5度目となる。

 ただでさえ集中力のいる作業を中断させられるのは両者にとって不利益であったため、妥当な提案である。


「このっ……子供のくせに……!」


 シアナの淡々とした物言いに憤ったアルノが、今度は明確な暴力行為として拳を振り下ろした。

 しかしその拳は手首を掴まれて止められる。


「そうですか。何度も警告したにも関わらず、それでも痛みをご所望ですか……物好きですね」


 言葉と同時に手首に走った激痛に、アルノは反射的に腕を引いた。


 精一杯睨みつけるが、シアナに怯んだ様子はない。

 同じ人族の、それも子供に言われたことで意固地になっているのを、アルノは自覚していなかった。


「ふざけるな!こっちは依頼人なんだぞ!

 その要求には全て答えるのが常識だろう!

 これだから常識のない子供は……!」


 アルノの言い分にシアナが不快気に目を細める。

 依頼を出したのは呪術研究所であり、アルノ自身はその対象となる被害者に過ぎない。

 そのことを知っているシアナは筋の通っていない言い分に対し小首を傾げる。

 言葉に表さずとも、アルノの忌諱に触れるには十分だった。


「もういい、出て行け!!

 今日はもう絶対に顔を見せるな!!」

「分かりました」


 沸き立つ激情のままに怒鳴りつけているようで”二度と”ではなく”今日は”と言うあたり、冷静さの一片は残っているのかもしれない。

 そう考えながらシアナは立ち上がると、一度も振り返らずに部屋を出て行った。

 一切言い返されず拍子抜けしたアルノがどんな表情をしているのか確認しないままに。


「——力を取り戻さん、治癒ヒーリング……はぁ」


 退室し通路を歩くシアナは、治癒魔術で殴打された箇所を治療しながら深く息を吐き出した。


 解呪初日としてのアルノの反応は、シアナの想定通りだった。

 解呪はその過程において対象の物質体マテリアル・ボディ魔素体マギケーション・ボディに干渉する必要がある。

 その際には痛みを感じるが、物質体よりも魔素体への干渉の方が激しい痛みを伴う。


「初めてだから末端部から慣らしていくつもりだったけど、まさかあそこまで痛み耐性が 低いとは……」


 魔素体で感じる痛みはまるで神経を直接ヤスリで擦られるような激痛である。

 シアナは諸事情により定期的に体感しているため耐えられるが、素人が容易に耐えられるものではない。

 慣れているが故にその程度を見誤ったのを反省しつつ、今後の予定を見直す。


「今日くらいの干渉でも侵食は数パーセント進んでいた。

 痛みへの慣れにあと数日使うとしても5割……いや、できれば4割に至るまでに本格的な解呪に入らないとね」


 考えながら歩を進めると、地上に上がる階段の前に人影が見える。


「シアナ様、本日は終わりでしょうか?」

「ええ。力足りずに追い出されてしまいました。

 こんな子供ですから仕方のないことですけど、少し悔しいですね」

「きっとすぐに受け入れられますよ。

 それではご案内いたします」


 先導するダイターに続いて階段を上がり、所内の応接室に案内される。

 ダイターがドアを開けると中には先客が待っていた。


「まさか夜にお願いしてその翌日にお会いできるとは……無茶をさせてしまいましたか?」


 先客として待機している人物は昨夜食事時にシアナがダイターに面会を希望した人物である。

 流石に気後れしながら訊くと、ダイターは微笑みながら答える。


「ははは、いつもこなしている無茶ぶりに比べれば何のこれしき」


 半分死んだ目で笑うダイターに、シアナは乾いた笑いで応えるしかなかった。


「あはは、そうですか……では彼が?」

「はい、被害者の夫のコンです。

 コン、こちらは今回依頼を請けてくださったシアナ様です」


 少しこげた茶色の髪は短く刈り込まれ、その下には土色の瞳。

 意思の強さを示すように太い眉とそれに見合った強面は、子供が泣き出しそうな迫力がある。

 しかしレアの冒険者ギルドで似たような悪人面を見飽きているシアナにはそれほどに感じなかった。


「初めまして。シアナ・ウォーベルです。

 本日はお忙しい中時間を作っていただきありがとうございます」


 自己紹介と礼を終えて顔を上げたシアナを見て、コンは驚きの表情で固まっていた。

 その表情から内心を読み取ったシアナが先回りする。


「若いどころかこんな子供ですもんね、驚かれても仕方ありません」

「いっいえ、別にそんなつもりで言ったわけでは……」

「お気遣いなく。驚いたのは私も同じですから。

 冒険者の方と聞いていたので、数日はお会いできないと思っていました」


 シアナの発言にコンだけでなくダイターまでもが頭上に”?”を浮かべた。

 その反応に違和感を覚えていると、コンから注釈が入る。


「確かに昔は冒険者をしていましたが、結婚してからは今の仕事に変えましたよ。

 大きな儲けよりも安全性を求めた結果です」

「あ、そうだったんですね」

「いったい誰からそんな昔の情報を?」

「昨日アルノさんにお話を伺ったときに聞きました。

 冒険者のあなたに助けられたのが二人の結婚までのきっかけだったと」


 アルノの名前が出た途端、コンの表情に影が差した。


「そうですか。あいつが……」

「そのお話の中でいくつか主観性の激しい部分がありましたので、確認を兼ねてコンさんからもお聞きしたいと思いまして。

 それと、私は見ての通り子供ですので、無理に敬語を使っていただかなくても平気ですよ」

「え?あぁ……ありがとう。

 それじゃあ、まずは妻との出会いからで良いかな?」


 シアナが頷くのを確認し、コンは語りだした。

 要所要所でシアナからの質問を挟みつつもスムーズに進むそれを聞いているうちに、胸の中で欲望が高まっていくのをシアナは感じた。

 いつものことだと放置していると、今までに感じたことのない欲望の肥大化を実感する。


「——と、これがおれの記憶している過去と、事故後に聞かされた当日の様子だ。

 何かおかしなところはあったか?」


 シアナはダイターに一瞬目配せし、制止が入らないのを確かめてからアクスルに聞いたもう1つの真実を語る。

 初めは小さな声で否定していたコンだが、話が進むにつれて表情が暗くなり、ついにはテーブルの上で組んだ両手に視線を落としたまま動かなくなった。


 そのまま数分が過ぎてからようやくコンは口を開いた。


「なぁ……どうしてこの話をおれに聞かせたんだ?」

「今回の話では、存在する可能性はまだ証明されていません。

 内容がどうであれ、当事者の一人であるあなたには知る権利があると思いましたので」

「……そうか」


 証言の食い違いに気付いた時点で話すことは考えていたが、そこにコンへ語ったような崇高な理由は存在しなかった。


 知るべきことを、知れるにも関わらず知らされずにいるなど、今のシアナには耐えられないことである。

 たとえ他人であろうとも、シアナ自身が関与する限りそれを許容することはできない。

 いつしかその思いはシアナの中で”知るべき”という思い込みから”知らなければいけない”という押し付けに近い感情に膨れあがっていた。


「つまるところ、ただの私の身勝手なんだよね……」

「何か言ったのか?」

「……いえ、何も」


 応接室のドアに手をかけたコンの背に、シアナは最後の質問を投げかける。


「もし解呪が成功した場合、コンさんはどうしたいですか?

 アルノさんと今まで通りの関係を続けられますか?」


 足を止めて振り返ったコンは、口元に笑みを浮かべて言った。


「どうせあいつが言っていた方が事実なんだ、当たり前だろ?

 どうしてそんなことを訊くんだ?」

「……いいえ、忘れて下さい。無粋な質問でした」


 重々しい足取りで去っていくコンを見送り、シアナは右眼への魔力供給を断つ。

 その後ろからダイターが焦りを見せながら声を掛ける。


「どうでしょうか。

 必要な情報は得られましたか?」

「ええ、先に聞けて本当に良かったです。

 ありがとうございました」


 振り返り応えるシアナの顔には何か覚悟したのを感じさせるものがあった。

 しかしダイターは、彼女の身に纏うヒリついた雰囲気に圧されてその詳細を訊けないまま、ただ頷くしかできなかった。



—備忘録 追記項目—

・アルノ

 解呪依頼の対象者である人族の男性。

 明るい茶髪に黄土色の瞳を持つ。

 今回の呪族事件の被害者であると同時に、そのきっかけとなった殺害を犯した加害者。

 話してみると言葉に厚みを感じない空虚な空気を感じる。

・コン

 アルノに殺害された女性の夫。

 こげた茶髪に土色の瞳を持つ。

 強い意志を感じさせる強面だが態度は丁寧。

 過去に冒険者をしていたが、結婚後は別の定職に就いている。

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