第34話 加害者を知る
地下への階段を下りようとするシアナの前にダイターが立ち塞がる。
「どいてください」
「いけません!危険すぎます!」
「話を聞くだけです」
訝しんで見上げたシアナが見たダイターには、必死さが感じられた。
ダイターの焦りは、シアナがまだ子供だからという理由だけではなかった。
「……中には誰がいるのですか?」
それを感じ取ったシアナは1歩引き、言葉を待つ。
その姿勢を見たことでダイターも落ち着きを取り戻し、ひとつ息をつく。
「この中には依頼した呪族の被害者と、加害者である呪族本人が幽閉されています」
「呪族が、ここに……?!」
予想していなかった者の存在に耳を疑いながら、同時にシアナは階段の向こうから目が離せなくなった。
「捕らえられるものなんですか?
かなり強い種族だったと記憶しているのですが……」
「えぇ、本来はそうなのですが……今回の呪族は何故か、自ら捕らえられるのを望んでいたそうで……」
「そんな人なら、話をするくらいは大丈夫なんじゃないですか?」
再度足を踏み出したシアナの肩を掴み、ダイターは強制的に離れさせる。
「いけませんと言っていますのに!
わたしとあなただけでは、何かがあった時に対処できません。
話だけだとしても、ある程度は護衛が必要です!」
「えぇ……大丈夫だと思いますが……」
「代理とはいえ、他国からの使者であるあなたに何かあれば、わたしの首どころでは済まされないのですよ!」
シアナは内心で大丈夫とほぼ確信していた。
しかし、強く折れないダイターの頑固さに負け、頷きながら小さくため息をついた。
———
「それで俺が呼ばれたわけか」
部屋から呼び出されたギュンターの顔には大きく不満の文字が書かれていた
「いやごめんて……ダイター様が言うには手練れの護衛じゃないと駄目だってことだし、それならギュンターが引き受けてくれれば不安なく入れるでしょ?」
加えて言えば、ギュンターはエルザーツからの影の命として、シアナを護衛する役目も担っている。
万が一の事態により、感知せずにシアナが死ぬのは彼にとっても望むことではない。
「はぁ……」
ギュンターはあえてシアナに聞かせるように大きくため息を吐き出す。
軽く頭を振って思考を切り替えたその目は、任のため感情を殺したものとなっていた。
「どこだ」
「この階段を下りていった所にある部屋の1つだって。
ダイター様、これで許可を頂けますよね?」
「……分かりました」
頷き先導するダイターの背にギュンターが言う。
「俺の実力も分からないまま許可して大丈夫なのか?」
ダイターがシアナから説明を受けていることを知らなければ当然の問いである。
しかし、立ち止まり振り返ったダイターの顔には笑みがあった。
「その必要はありません。
あのエルザ様の側近としてもう長くにわたり仕えられている。
その事実だけで十分信用に値します」
「そうか」
ギュンターは素っ気なく返事をしたが、毎日顔を合わせているシアナの目には僅かな喜びの色が見てとれた。
階段を下りると、薄暗い通路が奥へと続いていた。
10メートルほどの広い通路の両側には、まるで牢のような扉が等間隔で並んでいる。
ダイターが足を止めたのは、通路を数メートル進んだ場所の左側にある扉の前だった。
「では開けます。十分にお気をつけください」
「ありがとうございます」
思い切り押すと、素材を感じさせる重々しい音を立てて扉が開く。
シアナとギュンターが中に入ると扉が閉められ、再施錠する音が室内に響いた。
「……誰だ」
天井に埋め込まれた発光石による照らしは十分ではなく、奥にいる声の主の表情は窺えない。
それでもその低音はシアナの腹に響き、全身を震わせた。
「誰だと訊いているんだ」
足音が近付くとともに相手の顔が明らかになる。
最初に見えたのは丸太のような腕、次いで同様に——否、更に太い脚。
中間にある胴体も見事な筋肉で覆われており、シアナは筋骨隆々という言葉がここまで当てはまる人物を他に思いつかなかった。
その佇まいから感じ取る雰囲気は、自ら捕まったというダイターの発言を否定したくなるほどだった。
「なんだ、お前らは」
ただの質問。
しかしその重低音は、用意のない者を威圧するには十分すぎるものを秘めていた。
「は、初めまして。
シアナ・ウォーベルと言います……あの、あなたのお名前は?」
「アクスル・マーダー……そっちの男は」
「答える義理はない」
ギュンターのぞんざいな返答に、アクスルの眦が急角度で吊り上がる。
早くも剣呑な空気が流れはじめ、シアナは慌てて両者の間に割って入った。
「彼はギュンターと言い、私の護衛役です。
お話を聞くのは私だけですので、お気になさらず」
「当然だろうな。
お前のような子供、一瞬で……いや、3秒はかかるか。
よく鍛えられているようだ」
アクスルは素手に手枷足枷を装着された状態。
シアナも警戒してその間合いに入らない位置で立ち止まっているにも関わらず、告げられた時間に現れているのは自信か、はたまた己惚れか。
「それで、子供がオレに何の用だ?」
アクスルはシアナから視線を外して備え付けベッドに腰を下ろした。
シアナも入口脇に転がっている椅子を立て、そこに座る。
「私は今回、オケノスから依頼を受けてここに来ました」
「依頼?」
「はい。あなたが呪った人の解呪依頼です」
アクスルの目が見開かれ、殺気に反応したギュンターがシアナの前に躍り出る。
しかし何も起こらないままにすぐさま殺気は霧散した。
「……オレは、あの男が好かん」
「男と言うと、被害者の方のことですか?」
シアナの言葉に頷き、アクスルは語りだす。
「その日オレは森で
「えっ?!」
「……なんだ」
出鼻を挫かれたアクスルが不満げな視線をシアナに向ける。
「ひ、1人で、ですか?」
「それがどうした」
「い、いえ、何でもありません……すみません」
「まったく……人の話はちゃんと聞けと親に言われなかったのか?」
アクスルは短く息を吐いてから言葉を続けるが、シアナは愕然としていた。
沈黙熊とは、全身を長い体毛で覆われたBランクの魔獣である。
風系統の魔術で自身が起こす音を遮断しながら行動する習性を持つ。
加えて今の時期は複数で行動ため、Bランクの魔獣でありながらAランク以上のパーティーでの渡欧罰が推奨されている。
それを単独で狩れるという実力に、シアナは改めて衝撃を受けた。
「もうすぐ日も落ちるってところで、若い男女が走っていくのが見えてな。
普段なら放っておくんだが、その二人が装備らしい装備をしていなかったのが気になって尾行した。
見ていると、二人で走っているのではなく、先を走る女が男から逃げている状態だとも分かった」
話すアクスルの拳が握りこまれる。
シアナはそれを見て、この先の内容に対し怒りを覚えているようだと感じた。
「やがて男が追いつくと二人は揉み合いになったが、すぐに男が上を取って女に向けて何事か話していた」
「その内容は聞こえませんでしたか?」
「絶対に気付かれない距離を保っていたからな」
シアナは先を促し、アクスルが頷く。
「雰囲気しか分からなかったが、止めに入った方が良いような気がしてな。
二人に聞かせるように音を立てながら出て行くと、予想通りオレを見て固まった。
そうなれば感情をこちらに向けさせ、事態の収拾を迎えられると思っていた……いや、そう思いたかった」
言葉を一度切り、重々しく息を吐き出したアクスルの表情には、後悔の色が濃く浮かんでいた。
「しかしそれはあまりにも都合のいい事象想定でしかなかった。
本当にパニックに陥った奴がどんな行動を選択するのか、そんなの分かる筈がないのにな」
「……どうなったんですか?」
「ここまで言えば分かるだろう。
それでもオレに言わせるのか?」
「私は事態の正確な判断のためにお話を伺っているんです。
憶測が含まれた情報で取り組みたくありません」
シアナの言葉にアクスルはやれやれと首を振り、ひと呼吸おいてから回答する。
「男は獣のように叫ぶと、何の躊躇もなく手に持っていたナイフを女に突き立てた。
唐突な行動に驚いた俺が組み伏せるまでの数秒間、帰り血を浴びながら男は実に楽しそうな表情で何度も女の胸を刺し続けていた」
「治癒魔術は……間に合わなかったんですか?」
「急所にも刺されていたからな……ほぼ即死だったんだろう。声も上げていなかった」
「それで?お前は何故男を呪ったんだ」
突然話に割って入ったギュンターに、アクスルは動きを止めた。
何が起こるかとシアナは身構えたが、予想に反しアクスルはギュンターの態度を無視し回答した。
「
条件は対象者が”不殺”を破った時……つまり生物の命を奪った場面をオレが見ることで発動する」
「あれ、それなら狩りをするのは大丈夫なんですか?」
「呪族には呪族の呪いは効かない。理由は知らん」
「へぇ……」
呪いの仕組みに興味が湧き、シアナはそれについて話題を展開させようとする。
しかし、それを見透かしたようにギュンターに後ろから頭を掴まれ、アイアンクローの要領で力が加わる。
「集中しろ」
「ご、ごめんなさい……」
解放されたシアナは頭を揉みながら気持ちを元に戻す。
「その後はどうしたんですか?」
「男を気絶させ、夜が明けてから街の警備隊の巡回ルートで待っていた。
大人と死体を担いで沈黙熊の生息地を移動するのは危険だからな」
「分かりました。ご協力感謝します」
「別に協力したつもりはないが……こんな話で良ければいつでも聞かせてやる」
「その時はまた来ますね」
ギュンターが扉を叩いてダイターに合図し、開けさせる。
シアナも最後にアクスルに向けて一礼すると、後に続いて通路に出た。
「何か収穫はありましたか?」
「直接依頼に関係はしていませんが、有意義な時間でした。
このまま被害者の方にもお話を伺いたいのですが、大丈夫でしょうか?」
「本人の許可さえ取れれば可能です。
今確認して参りますのでお待ちになっていてください」
「いえ、時間ももったいないのでこのまま向かいましょう。
アクスルさんと同じ魔力が混ざった人が地下にいます。あっちですよね?」
シアナが通路の奥を指すと、ダイターは驚きを示す。
「急ぎましょう。時間は有限ですよ」
「あ、お待ちください、シアナ様!」
シアナはダイターの制止を振り切り駆け出した。
アクスルの話を聞いて持ち上がったテンションを維持したいという思いはあったが、それ以上に彼女を突き動かすのは、被害者男性の取った奇怪な行動の理由への知的好奇心だった。
—備忘録 追記項目—
・アクスル・マーダー
呪族の男性。
青紫の髪に同色の瞳をもつ。
二メートルを超える長身に筋骨隆々の体躯を備え持つ。
常に険しい表情をしているが怒っているのではなく、理性的な一面を見せる。
・沈黙熊(B-Aランク)
全身を長い体毛で覆った熊型魔獣。
風魔術を使用し、自身の周囲に空気の壁を作ることで無音で行動する。
時期によって集団で行動することもあり、その場合にはAランク以上のパーティーで対処するのを推奨されている。
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