第33話 目的地を知る

 この世界はアスレイやレア含む六大国家の大半が属している中央大陸と、シアナ達が船で向かうオケノスが属する魔神大陸の2つの大陸から成り立つ。


 人族が中核となり発展した中央大陸とは異なり、魔神大陸には魔族が中核となり発展した土地である。

 そこには中央大陸と異なる独自のルールや文化が存在するが、双方の住民にも共通する部分は存在する。


「うぇぇ……気持ち悪い……」

「わ、わたしも……これは堪えます」


 船酔いによる不快感もそのうちの1つ。


「うぅ……我の求むる所に…癒しの恩寵を賜らん……神の威光を以て彼の者に…漲る力を取り戻さん……解毒デトクション


 額に当てた手のひらから解毒魔術が浸透し、気分の悪さが軽減される。

 少し経てば新たな気持ち悪さが到来するが、この一時の安息が落ち込み続ける気分を支えていた。


「ダイターさんも、いりますよね?」


 もはや返事もできずにただ頷くダイターにも同様にして解毒魔術を施す。

 頻繁な魔力行使を2人分となるとかなりの魔力消費量となる。

 しかし観測者お墨付きの魔力総量へ日々近付いているシアナにとって、もはや初級魔術程度は一日中使用しても問題にならなくなっていた。


「前世では乗り物酔いとは無縁だったから、こんなに気持ち悪いものだなんて知らなかったなぁ……知らずに済んだ方が絶対幸せだったけど」


 乾いた笑い声を上げながら長椅子に寝そべり、を空に掲げる。


「まぁ、課題は片付いたから今回は良しとしますか」


 リッサの協力を得てから宿に籠り、根掘り葉掘り質問責めにして数日。

 リッサが感覚的に捉えているものと自身の視覚的な見解を組み合わせたシアナは、船の搭乗数時間前に左腕の呪いの解呪に成功した。


「それにしてもこれ、絶対エルザの嫌がらせだよね……」


 解呪から2日が経過してもなお以前と同様には動かせていない左手を見ながら、シアナは恨めしそうに呟く。


 左腕の解呪に成功し、シアナはリッサと手を取り合って喜ぼうとした。

 しかしその直後に遅延式の魔術陣が浮かび上がり、一切外傷を残さない純粋な痛みの塊がシアナを襲った。

 その痛みの残滓が疑似的な呪いの追体験となり、精密な動きを取り戻せないままになっている。


「絶対いつかひと泡吹かせてやるんだから、覚えてなさいよ……」


 シアナはいつ叶えられるか見通しもつかない覚悟を口にしながら、甲板で剣を打ちつけ合う二人に目を向ける。


「違う」

「くっ……」


 ダウン組とは異なり、酔い知らずのギュンターとリッサは剣術の訓練に勤しんでいる。

 生まれ持った素質か、リッサは正常な食生活にしてからものの数日で、全力の連続運動をこなせるようになった。

 魔術適正が分からないため、今は剣術のみに絞って訓練に取り組んでいる。


「なんだかんだ面倒見いいんだから」


 リッサの訓練指導を最初に頼んだ時、ギュンターは取り付く島もない態度で拒否した。

 彼の仕事はシアナの教育係であり、それもエルザーツの命に従っているに過ぎない。

 新しくリッサが加わったからと言っても、訓練の相手を務める義理は存在しなかった。


「どうした、もうやめるか。

 俺は一向に構わんぞ」

「いえ……もう一本、お願いします……!」


 挫けず訓練に取り組むリッサを微笑ましく思いながら、その動きを目で追う。

 左腕の解呪と並行して繰り返した説得の末に提示された条件は以下の通り。


・最低限の基礎が出来上がったらシアナの訓練と進捗を同期させる。

・成長が見られないと判断した時、又はついていけないとギュンターが判断した時は猶予を与えず切り捨てる。

・訓練から脱落する過程で死亡した場合の責任は負わない。


 通常で考えると条件としてはかなり厳しめな設定である。

 しかし、義理も責任もない状態から半ば無理矢理引き受けさせた代価として了承し、リッサは新たな一歩を歩み始めた。


 そうして見ているとまた、剣ごと弾き飛ばされたリッサが甲板を転がる。


「真面目にやれ。俺は難しいことは求めてない。

 ただ剣を構えて攻撃を防げと言っているだけだぞ」

「は、はい……」


 リッサは剣を杖代わりにして立ち上がりながら手首の魔道具に魔力を流し込む。

 魔道具の術式により傷がたちどころに癒え、手の甲で目尻に浮かんだ涙を拭う。

 シアナと同じく寸止めなし、真剣での訓練をするにあたり、治療の時間分を短縮させるため、しばらくの間シアナの魔道具を貸し付けられていた。


「お前はただでさえ始める時期が遅れている。

 1秒たりとも無駄にできる時間はないと思え」

「はい……!」


 治癒魔術でも即時に消せぬ痛みの残滓に表情を歪めながら、リッサは再び剣を構える。

 二人が交錯し、リッサが弾き飛ばされ、魔道具で治療して立ち上がる。

 そんなループが繰り返されるのを眺めつつ、シアナは再来する船酔いの波に備えた。



———



 そんな変化の少ない日々が1週間続いた。

 目的地であるオケノスに到着した時には、シアナとダイターは船酔いによる寝不足、リッサは訓練による疲労でそれぞれげんなりとしていた。

 出発前と比較して変化がないのはギュンターのみであった。


「船酔いしなくなる魔道具とか無いのかな……」


 船から港へのステップを降りながらシアナが呟く。


「ははは、そんな物があれば飛ぶように売れるでしょうな。

 わたしも是非1つ欲しいものです」


 後ろを歩くダイターからも同意の言葉が聞こえる。

 鷹の頭では判断が難しいが、心なしか青ざめているように見えるその表情から、本当に欲しているのが感じられる。


「魔物への対策がされているのは知っていますが、備えは多くて困りませんからね」


 海には独自の進化を遂げた魔獣が存在し、航海にはそれらを寄せつけないための対策が必須になる。

 しかし物事に完全な万全などない。

 万が一の事態に備えて個人が取れる対策は確保するべきだとシアナは考えていた。


「私、将来絶対に船酔い防止の魔道具を作ってみせます」

「おお、それは頼もしい。

 協力は惜しみませんので、その際には是非ともお声がけください」

「はい、その時は頼らせていただきますね」


 ダイターを振り返り、共通の目的意識により生まれる団結を感じる。


「ところで、この後はいかがいたしましょうか?

 すぐ解呪に取り組まれるのでしたら準備しますが」


 港に用意されていた馬車に乗り込む。

 シアナは横目でリッサの様子を窺うが、顔には疲労の色が濃く、覇気を感じられない。

「いえ、被害者の方のお話も聞けていませんので、まだ時間に余裕があるようなら解呪は明日からにさせていただきたいです」


 リッサの体調を鑑みて判断し、今日は休みを選択する。

 奴隷からの解放、陸路から海路と、激しい環境の変化による体力の消耗はシアナの創造できる範疇を超えていた。


「承知しました。それではお部屋の方へご案内いたします」


 暫くの間馬車に揺られて到着した先にあったのは、宿というよりは”工場”や”研究所”の方が似合いそうな、重厚感のある建物だった。

 予想外の風貌の建物に呆気にとられていると、それを察したダイターから説明が入る。


「ここは我が国で運営している呪いに関する研究所です。

 情報漏洩を防ぐために、皆さまにはここに宿泊しながら解呪をしていただきます。

 宿泊スペースは研究員と同じですが、最高水準のものを提供いたしますのでご安心ください」

「呪い専用の研究所ですか?

 随分と手がかかっていますね」

「呪いに関わるのは死と隣り合わせと言っても過言ではありませんので」

「思い残しのないようにいい生活を、ということか」


 ギュンターの言葉にダイターが肯定を示す。

 その例えに不穏な想像をしたシアナだが、説明を受けながら案内された研究所内の雰囲気は穏やかなものだった。


 研究者に限らず被験者と思しき人々の顔にも一切の翳りはなく、ダイターの言うように呪いと、死と隣り合わせでいるとは到底考えられない光景だった。


「部屋はこちらをお使いください」

「ありがとうございます。

 リッサ、大丈夫?」


 部屋に着くなりベッドに腰を落としたリッサに声をかける。


「だ、大丈……夫」


 言葉ではそう言いながらも、リッサの顔色は場所の時よりも悪くなっていた。

 シアナはやはりこれ以上の行動は難しいと判断する。

 しかし同時に、部屋に着くまでに興味を引かれるものを見つけていた。


「リッサは食事まで少し休んでいて。

 私は少し見て回ってくるから」

「ならワタシも——」

「ギュンター、頼んでいいよね?」

「今だけは快く引き受けよう」


 意図を読んだギュンターにリッサを任せ、シアナはダイターと共に部屋を後にする。


 下の階に降りて研究員が作業をしているフロアを抜ける。

 人気のないエリアに出ると、やがて地下に続く階段が現れた。


「し、シアナ様、この先は……」

「この先に誰かいますよね。

 おそらく依頼の関係者と推測するのですが、違いますか?」

「な、何故それを……」

「眼がいいもので」


 言葉ではぐらかしつつ魔眼を見せると、ダイターは納得の表情を浮かべる。


「さっき案内していただいていた時に見つけたんです。

 この先にある魔力だけ、他とは根本的な質が異なるって」

「ええ、仰るとおりです。

 この先の地下は特殊な呪いのための特別研究施設となっています。

 現在は1室だけ使用されており、今回の依頼の加害者が収容されています」


 ダイターの答えを聞いてシアナの全身を悪寒に襲われる。

 視線を落とすと、無意識に手足が震えていたのに気付く。

 胸が高鳴り、理性と本能が中に入れと訴えかけてくるのを感じながら口を開いた。


「ダイター様、すみませんが、予定を変更します。

 今日……今、これから中の方とお話をさせてください」

「え、えぇっ?!」


 ダイターが驚きの声を上げる。

 しかし、シアナの耳にそれ以降の言葉は入らず、彼女の意識は既にまだ見ぬ未知へと向けられていた。



—備忘録 追記項目—

・海国オケノス

 六大国家の1つ。

 中央大陸から海を渡った場所に位置する魔神大陸中央部に存在する。

 魔族発祥の地となっており、住民も魔族中心。

・呪術研究所

 オケノスが国で運営している、呪いの真髄に至る研究のために建てられた施設。

 過去にオケノスで呪いによる大量殺戮事件発生の際、緊急治療所として設営されたのが始まり。

 地上階は呪いの研究所、地下は重度の呪いの治療と解析、封印のための特別施設となっている。

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