第32話 準備期間を知る
次回のオケノス行きの船便まで1週間が空く。
その期間を利用しシアナはリッサに必要な物と環境を揃えることにした。
シアナ自身はリッサの購入に数年間の貯金を使い切ったため素寒貧だが、ダイターから門出の祝いとして軍資金を支給されている。
「ほら、これとかどう?
凄く似合うと思うけど」
「これは……こういう可愛いのは、ワタシには似合わない……と思う。
動きやすい方が……好き、かな」
リッサはシアナよりも頭半分ほど身長が高く、手足も長い。
奴隷期間の待遇が悪かったためか肉感もあまりないため、どの系統の服も似合うとシアナは考えていた。
しかし本人はそれとは反し実用的なものを好んで選択した。
「そう?絶対似合うと思うけどなぁ」
それを見越したシアナはジャストよりも少し大きめのサイズで選定し購入していく。
「——合計で大銀貨3枚と銅貨6枚です」
「……はい、ではこれで」
この世界では貨幣価値は統一化されている。
額の小さい順に銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨となり、大抵はこれで解決される。
シアナが経験と記憶に照らし合わせ、前世での物価価値に換算すると銅貨=10円、大銅貨=100円、銀貨=1,000円、大銀貨10,000円、金貨100,000円程度となる。
「ありがとうございました」
リッサの売買価格は金貨5枚。
成人1人が1ヶ月過ごす生活費が大銀貨5枚程度であることを考慮すると、彼女がいかに高額であったかが理解できる。
しかし、それはリッサが素体として優れた資質を生まれ持っていたからである。
半分とはいえ、今では希少になってしまった
健康的な小麦色の肌は染みひとつなく弾力を持つ。
少しくせのついた茶髪は伸び放題だったが、今はセミロングに切り揃えられ、本来の性格を表すように若干吊り気味な双眸は琥珀色に輝く。
顔の各パーツも整っているため、着飾れば貴族の令嬢と言っても通りそうなほどである。
「はい、リッサ。これでレアに戻るまではもつと思うよ。
レアで必要になる分はまたその時に買うから、少しの間我慢してね」
「あ、ありがとう……シア」
購入物を包んだ袋を受け取ったリッサの視線がシアナの左腕に注がれる。
騒動に巻き込まれた流れで引き取ることとなったため、自身の現状について何も説明していないことをシアナは思い出した。
「あぁ、これ?やっぱり気になるよね」
現在シアナの左腕は三角巾で肩から吊るした状態にしている。
「えっと……その、怪我してるのかな……って。
魔術でも治せないような酷い状態なの?」
前世であれば骨折でもしたのかな、程度で済まされる。
しかし、魔術で大抵の怪我や病気を治せるこの世界においては、特殊な事情を勘繰らせる原因となりかねない。
「えっとね……簡単に言うと、これは私がまだ未熟だから治せてないだけなんだよね」
回答前よりも頭上の疑問符が増えてしまったリッサの様子に苦笑しながら、シアナは順を追って説明した。
「——なるほど……つまり今シアは、その課題を片方解決した状態ってこと?」
「依頼をできるだけスムーズに進めるためにも、オケノスに着くまでに
そう言いながら無意識に肩を竦める動きをしてしまい、動かした左腕の呪いが起動する。
「——っ!!」
激痛走る左腕を抱いてしゃがみこんだシアナの視界から逃げるように、リッサの足が引くのが見えた。
「ごめん、驚かせちゃ……った?」
シアナの言葉に空白が生まれた理由は、リッサの表情に対する困惑にある。
「ど、どうしたの?リッサ」
シアナが見上げたリッサの顔には、初めて会った時のような怯えが浮かんでいた。
シアナの声にハッとしたリッサは、表情を隠すように手で口元を覆う。
「ご……ごめんなさい……なんと言うか、その……気味が悪くて……」
シアナは思わず左腕を見下ろす。
ピクリとも動かない腕は気味が悪いというのは理解できる。
しかし、怯えるほどかと問われると、動かない以外は普通の腕と変わりないため素直にイエスとは答えにくいものだった。
「え、そんなに変かな?」
「え、あ、いや違う、違うよ!
シアに対して言ったんじゃないの!」
少なからずショックを受けたシアナの反応に、リッサは顔の前で手を振りながら否定する。
彼女の言葉に恩人であるシアナを傷付ける意図は皆無であった。
落ち着くためにひと呼吸おいてから、言葉を選びつつ弁明する。
「シアナじゃなくて、その左腕……の中。
さっき、中でシアとは別の魔力が生き物みたいに蠢いてて……すごく気味が悪く感じたの」
「腕の中で……感じた?」
リッサの言いたいことがよく理解できなかったシアナだが、嘘をついているようには思えなかった。
言葉を噛みしめていると、1つの可能性に辿り着く。
「もしかしてリッサ、魔眼を持っていたりしない?」
「ううん、持ってないけど……別にワタシはシアの魔力を見たわけじゃないよ?
ただ感じてそのままを言葉にしただけ」
その言葉にシアナはハッとする。
リッサは初めから視たのではなく感じたと言っていた。
つまり魔眼や道具ではなく、彼女の——正確には長耳族の有する特性があった。
魔力とは元来視認不可能なもの。
現象として起こっている魔術も完全に視認しているわけではなく、個々の感受性によって魔力の動きを知覚しているに過ぎない。
長耳族は全種族中最も魔力感受性が優れていると言われている。
その血を半分受け継いでいるリッサが感受性に富み、シアナの呪いの魔力を鮮明に知覚したと考えれば、先程の反応にも納得がいく。
「その気味の悪さって、今は感じる?」
「今は全然感じない。
さっきシアが痛そうにしていた間だけ感じたの」
リッサの言葉に確信を得ると同時に、シアナの背に悪寒が走った。
恵まれ持った魔眼を駆使してようやく理解しているものと同等のものを、リッサは生まれながらにして自然と感じ取っているのである。
今までは環境に恵まれていなかったが、これから訓練を積んで成長していった場合の将来を考えると、末恐ろしいと直感した。
「でも、これなら……」
「シア、大丈夫?ごめんね……?」
突然俯いて呟き始めたシアナに対し、リッサは困惑しながら謝罪する。
しかし顔を上げたシアナの顔には彼女に対して抱いた負の感情など微塵も存在していなかった。
「リッサ、お願いがあるの。
この左腕の解呪に協力してくれない?」
唐突な要請に戸惑うリッサ。
しかし理解の追いつかない頭のまま、彼女は自然に頷いていた。
それを受け、シアナの顔に満面の笑みが広がる。
「ありがとうリッサ!
あなたが協力してくれればきっと成功する!」
例え仔細を理解せずとも、ここまで直球で好意的な言葉をかけられて悪い気分になる者はいない。
そして同時に、理解できていないということは、その後に起こる出来事の予測もできない。
「じゃあ早く宿に戻ろうか」
「う、うん」
リッサは手を引いて先を歩くシアナの後ろ姿から、ここで初めて根拠のない不安に駆られる。
「えっと……シア?」
しかし理由もなく恩人を疑うのは失礼という理性のブレーキが掛かり、質問が言葉として口から出たのは宿まで数十メートルの所だった。
「どうしたの?」
「宿で……何をするの?」
振り向いたシアナの顔を見たリッサは、全身から変な汗が噴き出るのを感じた。
後に酒場で冒険者にこの時の話をした際、リッサは身震いしながら語った。
「あの時のシアから感じた恐怖を上回るものなんて、この世のどこにも存在しない」
—備忘録 追記項目—
・リッサ
シアナの1つ年上の魔族の少女。
鉱石族の父と長耳族の母を両親に持つ混血の魔族の元奴隷。
茶髪に琥珀色の瞳を持ち肌は薄い褐色。
一家全員が借金のカタで奴隷となり、早々に離れ離れとなる。
ヘストで商人から逃げ出したところでシアナと出会い、奴隷印を解呪された事で解放される。
その後シアナが投獄されるが、後日の尋問により環境に難ありと判断され、シアナに買い取られる形で身柄の保護を受ける。
獣神語と魔神語を話せるバイリンガル。
長耳族である母親から優れた魔力感受性を遺伝しており、他の技能にも期待がかかる。
・魔力感受性
生物個々の魔力に対する感度や性質。
その優劣によって魔力や魔術に対する理解度の違いが生まれ易い。
個人差があるが、種族差による格差が大きく出る傾向にある。
訓練である程度高めることは可能。
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