第31話 奴隷を知る

 意識を取り戻したシアナの目に映るのは鉄格子。

 その向こうから彼女を見下ろすギュンターの顔が灯りに照らされていた。

 下を見ると床は固い石畳であり、接した箇所から冷気が浸透するのを感じる。


「初めて訪れた国での最初の外出でよくもまあ問題を起こせるものだな。

 隠していた特技か?」

「私はどうしてここに入れられているの?」


 シアナはギュンターの煽り言葉をスルーして冷静に質問する。

 気を失う前の情報を整理し考えても、どうして自分が牢に入れられているのか理解できなかった。


「自分が何をしたのかも分かっていないのか……」


 珍しく本気で頭を抱えている様子のギュンターに、シアナは不安を抱く。

 その予感は的中し、ギュンターの口から信じられない言葉を耳にする。


「お前は法を犯した罪で投獄された。

 当然の報いというやつだな」

「私は何もやましい行いはしてない!

 目の前で攫われた子を助けて、掛けられていた呪いを解いただけ!」


 シアナはムキになって反論するが、それを聞くギュンターの顔には嘲りも呆れもなく、ただ無表情に見下ろしている。


「分からないのか。

 その行動全てが今回のお前の罪だ」

「そんな……だったら目の前で攫われたあの子を見捨てるのが正解だったって言うの!?」

「そうだ。それが奴隷法を順守した正しい行動だ」

「奴隷法……?」


 聞き慣れない単語に、反論の次弾装填にストップが掛かる。

 奴隷。

 人でありながら人格や権利を否定され、元は同じである人の下で物同然の扱いを受ける、非人道的処遇の極み。

 それが当たり前に認められている現実に、シアナは茫然自失とする。


「奴隷って…こんな身近に存在するものだったの……?」


 この世界に生まれ落ちて10年。

 ベクトルは違えど、シアナはその異質な文化に殺人の容認以上の衝撃を受けた。


「必要ないと思って後回しにしていたツケがこうして出るとはな」

「接する機会があるなんて思いもしなかった……できればこんな実態も知りたくなかった……!」


 部分的にでも知れば、肥大化する欲望が目を背けることを許さない。

 シアナの脳内では、知りたくない理性と知りたい本能欲望が戦争を開始している。


「ニホンやアスレイのような平和な場所で過ごしていたお前には異質なものに映るかもしれんが、光差す場所があれば同時に闇も生まれる。

 何事も表裏一体……どちらかだけを知らずにいるのは不可能だ」


 ギュンターの言葉を待っていたようなタイミングで部屋のドアがノックされる。


「あっ……」


 ドアを開けて入って来たのはダイターと手を引かれたあの時の少女。


「シアナ様、目を覚まされましたか。いや良かった」

「あ……ごめんな、さい……」


 少女はシアナと目が合った途端に泣き出しそうな声で謝罪し、ダイターの陰に隠れる。

 その頭を慈しみの手で撫でながら、神妙な面持ちでダイターが告げる。


「シアナ様、ギュンター様から既にお聞きとは思われますが、今回あなたが犯した罪は2つです。

 1つは他者の奴隷である彼女を不当に奪ったこと。

 そしてもう1つはその所有権を証明する奴隷印を無断で解除したことです」


 詳細を知らずとも、ギュンターとの会話で重大な事を侵してしまったのを自覚していたシアナは、黙ったまま頷く。


「2日後に尋問が行われますので、質問されたことにのみ嘘偽りなくお答えください。

 そこでは正しいか否かではなく、如何に誠実に罪へ向き合っているのか、誠実であるかを問われる場です」

「……分かりました」


 シアナの答えを聞いた牢の外側の3人は一言ずつ残し、その場を後にした。

 肯定を示しながらもシアナは、面従腹背とまでは言わずとも、自分が選択した行動に後悔していなかった。


 もしもあの場で見て見ぬふりをしていれば、その行動がこの世界において正しい行動だったとしても、一生晴れない靄を抱えて後悔しながらの人生になっていたかもしれない。

 それに比べればこの結果は許容の範疇というのがシアナの本心であった。



———



 何も起こらない1日という、最も苦痛な時間を過ごした更に翌日、錆びついた開錠音でシアナは目を覚ました。

 牢に入ってきた女性に手枷を填められ、その後に続いて飾りの無い簡素な廊下を進む。


「これから尋問を受けてもらう。

 いくつか質問をされるだろうが、全てに嘘偽りなく答えろ」

「尋問はどのような形式で行われるんですか?」

「そちらからの質問に答える義務はない」


 女性は立ち止まるとドアを開け、中に入るようシアナに促す。

 女性に会釈をしつつ入室すると、20畳程度の広さの部屋に長テーブルと椅子が並べられているのが見えた。


 向かって右側には商人風の服装を身に着けた中年男性とシアナが殴って気絶させた男が座っている。

 男性は平然としているが、男の方はシアナを見るなり恨みのこもった目で睨みつけてきた。


 その反対、左側にはギュンターとダイターが座っている。

 ダイターが心配そうに視線を向けるのに対し、ギュンターはいつもと変わらぬ様子で前を向いている。


 そして向かって正面奥には、天秤の詩集が入った黒いローブを身に着け、眼鏡を掛けた初老の男性と少女がそれぞれ座っている。


「そこに立ちなさい」


 女性に指示を受け、シアナは3区画の中間に置かれている腰程度の高さの台へ歩み出て立つ。

 女性が手枷と台を鎖で繋ぎ、初老男性の隣に座ったことで尋問が開始される。


「それでは始めましょうか。

 初めに、この場において虚偽・偽証はいかなる理由において発言者の不利にはたらくことを理解した上で発言すること」


 意義が出ないことを確認し、初老男性が続ける。


「罪人はシアナ・ウォーベル。

 罪状は奴隷商人からの奴隷強奪及びその解放。

 対象の奴隷はそこに立ちなさい」


 呼ばれた少女はオドオドとしながら立ち上がり、シアナの横に移動する。

 それを見届けてから、初老男性は再び口を開く。


「奴隷の状態を確認する。

 鉱石族ドワーフの父親と長耳族エルフの母親を持つ魔族。年齢は11。

 読み書きはできず、獣人語と魔神語が話せるのみ。

 健康状態は良好。処女。

 何か訂正することがあれば挙手で発言を」


 言葉が終わるや否やシアナが挙げられる限界まで手を上げる。

 張った鎖と金具が衝突してけたたましい音を立て、ギュンター以外が驚きを示す。


「……何かね」


 初老男性はずれた眼鏡の位置を治しながらシアナに発言許可を与える。

 額に手を当て天を仰ぐダイターに心の中で謝罪しながら、シアナは口を開いた。


「私がこの少女を助——強奪した時、彼女の全身には無数の切り傷や痣が残っていました。

 加えて年齢に見合わず細すぎる体躯……これは日常的に飢餓状態にあったと推測できます。

 私見ではありますが、それが健康状態良好とされているのには些か疑問を抱きます」


 シアナの言葉に初老男性はシアナを連行した男性に耳打ちする。

 男性は少女の前に立つと服を脱がせ、その場で回らせて身体の状態を確認する。


「やめてください!こんな……子供を辱めるようなことを——」


 シアナは思わず声を荒げるが、初老男性は気にも留めずに全身を確認した。


「今確認した限りではそれらの傷は見当たらなかったが、どう説明しますか?」


 涙目になった少女に視線で謝りながら、シアナは説明する。


「あまりにも痛々しい姿だったので、私の魔道具を貸し与えて治療しました。

 彼女が手首に着けているのがそうです」


 ここで、それまで無言だった奴隷商人の男が挙手した。


「それは後からいくらでも言える真っ赤な嘘だ。

 治療を行える魔道具など、こんな子供が持っている筈がない」


 シアナには男の言い分が全くの的外れに聞こえたが、冷静に反論する。


「それは私が5歳の誕生日に両親より贈られたものであり、自分で購入したのではありません」

「ますます怪しい。

 治癒魔術を行える魔道具はそれなりに高級な魔石を使用しなければ作れない。

 5歳の誕生日に贈られた?どこの貴族令嬢の話だ」


 まだピンときていないシアナだが、思い返せば自分と姉以外にこの魔道具を着けている子供を見たことがなかったことに気が付く。

 その背景に興味が湧いたが、今は別の問題が目の前にあるため思考を切り替える。


「信じられないのでしたら実演してみればいいでしょう。

 治療ができなければ私の証言は嘘になります」

「いいでしょう。では誰か被験者に——」

「おれがやります」


 奴隷商人の隣に座っていた男がシアナを睨みつけたまま立候補し、採用された。

 少女が青ざめ、全身を小刻みに震わせながら魔道具を渡しに男へ歩み寄る。

 男の前で立ち止まり、魔道具を外そうとしたところで突然少女の身体が床に叩きつけられた。


「うがあああ!このクソガキぃぃ!!」


 男は拳を振り抜いた体勢からすぐさま少女に馬乗りになる。


「いやああぁぁ!」


 悲鳴を上げる少女を助けるため、シアナは駆け出そうとする。

 しかし繋がれた鎖と手枷がそれを阻む。


「止め——」


 あわや少女に追撃が加えられようかというタイミングで、ギュンターが男を引きはがして組み伏せる。

 直後鈍く響いた音はが折れた音か。


「ぎゃあああ!!」

「ここは話し合う場だ。口が使えない奴は出て行け」

「そこまでにしなさい」


 初老男性から注意され、ギュンターはあっさりと男から離れた。

 男は女性によって拘束されて連行され、室内には静寂は訪れる。


「あ、あの……」


 弱々しい声に目を向けると、少女が立ち上がっていた。

 叩きつけられた時の負傷か、顔は腫れ、唇を切っている。


「や……やります」


 全員の視線が集まったのを確認し、少女は魔道具に魔力を流し込む。

 魔導具に刻印された術式が起動し、少女の怪我をみるみる治療していく。


「う、嘘だ!何か仕掛けが——」

「いいでしょう。

 少女の情報を訂正、商人側の虚偽1点とします。

 それと、どうやらあなたの商会を調べる必要があるようですね」


 初老男性の放った言葉に奴隷商人は目を白黒させる。


「な、何を……!?」

「先程部下が奴隷に襲いかかった際、あなたは制止せずに傍観していました。

 それも、まるで普段から同じ光景を見て慣れているような自然体で」

「そ、それは……」

「もしも先程のようなことが日常的に横行しているとすれば、奴隷法第2条1項『奴隷の心身安全の確保』が疎かになっていることになります。

 更に言えば、あなたの商会からは時折黒い噂も耳にするのですが……」


 奴隷商人はたった1つの指摘で誰の目にも明らかなほどに狼狽を見せた。

 そんな図星を突かれた態度を見逃される筈もない。


「……どうやら罪人側の陳述書に記載されていた”少女を救うための行動”という方が信憑性を持てそうですね」


 初老男性は少しの間考え込み、やがて通る声で告げた。


「処遇を言い渡します。

 初犯であること、奴隷法やこの国の内情に疎かったこと、そして商会側の管理状況に問題があった可能性を考慮し、奴隷を正式な契約で買い取ることを条件に放免とします。

 今後はその国の法について理解し、勝手な判断で行動しないこと。以上」



———



 その後奴隷商人から恨めしく睨まれながらも特にトラブルも起きず、少女の売買契約は成立した。


「ふぅ……お疲れ様でした、シアナ様。

 今回は災難でございましたね」

「いえ、ご迷惑をおかけしてすみませんでした。

 ギュンターもごめんね。本来なら今日の船便でオケノスに行く予定だったのに」

「どうせ席も足りなくなったところだ。ちょうどいいだろう」


 シアナが頭を下げると、ギュンターはふんと鼻を鳴らして目を逸らせる。

 それは本気で怒っていない時によくする仕草であったが、予定に大きな支障をきたしていることを考慮し、シアナは両腕全快後の訓練が苛烈になる覚悟を決めた。


「あ、あの……」


 シアナが肩を叩かれて振り返ると、元奴隷となった少女が申し訳なさを全身から醸し出しながら頭を下げた。


「その、ワタシのせいで巻き込んでしまって……ごめんなさい!」

「気にしないで。私が勝手に自分の意思で巻き込まれたんだから。

 それに、あなたの方が年上なんだから敬語もいらないよ」

「は、はい……」


 委縮してしまった少女の気持ちを解そうと話題を探していると、シアナは肝心なことを訊いていなかったことに気付いた。


「そういえば、名前は何て言うの?」

「……」

「あ、あれ……?」


 黙りこむ少女に困惑していると、ダイターが言葉を挟む。


「シアナ様、もしかして彼女は真名まなを与えられていないのではありませんか?」

「真名と言うと……長耳族の?」


 シアナの言葉にひとつ頷き、ダイターが続ける。


「はい。長耳族は生まれた時にその子供を形づくるための仮名かりな、5歳で守るための真名を与えられます。

 仮名は5歳を過ぎると自然と忘れてしまうそうなので、奴隷となった時期によっては真名を与えられないまま両親と離れてしまったのかもしれません。

 奴隷は買った主人が呼び名をつける場合がほとんどですので、おそらく気にされなかったのでしょうね」

「なら今回の場合は……」

「彼女を購入されたシアナ様が与えればよいのではと思います。

 これからどう生きるにせよ、流石に名前無しでは不便も多いでしょう」

「ですよね……」


 腕を組んで首を傾げ、シアナは悩む。

 予期せぬタイミングである意味人生最大の難関との遭遇に脳をフル回転させて考える。

 前世から通して初めての名付けが人というプレッシャーに、変な汗が背中を濡らすが良い案が浮かばない。


「ねえギュンター、何か——」

「興味がない」

「そう言うと思った!!」


 ギュンターの意見を参考にしようとするが一瞬で撃墜される。

 頼れるものが自身の経験しかなくなったシアナは前世の記憶に思いを馳せる。

 山のように読んだ本の記憶の中から、やがて”名前には両親の思いが込められている”という一文を発掘した。


「いや、でもこの子の両親とは面識ないし……」


 そうなるとシアナが少女の親として思いを込めることになる。

 しかし出会って数日、互いに何も知らない状態で思いを押し付けるような行為に躊躇いが生じる。

 重くならない程度に無難な願いを探りながら、更に記憶の海を探る。


 やがて1つの名前を見つけ、口に出す。


「……リッサ、はどうでしょう?」

「可愛らしい名前ではありませんか。良いと思いますよ!」

「ギュンターは——」

「興味ない」

「……だよね」


 地球のとある地方で使われている名前。

 それに込められる意味は”気高い”、”立派な”、”真実”。

 逆境に負けず気高く立派に育ち、いつか本当の両親に会えるようにという、シアナの重いと願いを体現した名前である。


「それじゃあ、これからあなたの名前はリッサ。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします、ご主人様」

「やめてよ。それに、敬語も本当に使わなくていいから。

 あなたはもう奴隷じゃなく、私の友——家族なんだから。

 気軽にシアって呼んで」

「わ、分かりま……分かっ…た、よ……シア」


 口調に少々ぎこちなさは残っているが、改善しようとする意志は見られる。

 今後の不安は残ったがこれで一件落着し、一行にリッサが加わった。

 最終的にリッサがどう生きていくのかはまだ分からず、最後までシアナが一緒にいる保証もない。


「さ、行こっか」


 それでもこの出会いがプラスになるよう祈りながら、シアナはリッサの手を取り宿へ歩き始めた。



—備忘録 追記項目—

・奴隷法

 奴隷の扱いについて制定された法。

 奴隷の定義、種類、権利等奴隷に関する取り決めの全てが記されている。

・仮名

 長耳族の子供が生後~5歳の間に呼ばれる名前。

 どのような成長をするのかを願う言葉を綴った名前。

 その子供を形づくるとされており、身体基礎が完成する5歳を過ぎると忘れてしまう。

・真名

 長耳族の子供が5歳以降に呼ばれる名前。

 将来どんなことから護られるかという願いを込められた名前。

 その子供を守るとされており、一人で物事を判断し行動する5歳から使われる。

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