第30話 代償を知る

 暗闇から声が響く。


「よくも……」

「よくも……俺達を……」

「仲間を……殺したな……」


 続々と増加する声に、シアナは深く息を吐き出す。


「はぁ……またここ?」


 呟くその声に含まれているのは、恐怖ではなく呆れ。

 シアナがこの空間に呼ばれるのは今回が初めてではない。

 “呼ばれた”とは、少なくとも彼女が望んで訪れていない態度からも明らかである。


「憎い……恨めしい……」

「復讐…してやる……」


 増える声に呼応するように、暗闇から生気を感じさせない色の腕がシアナへ伸びる。

 それらはシアナの身体を掴んで放さない。

 腕…足…腰…肩……と掴まれる度に身動きが取れなくなっていき、最後に現れた手がシアナの首にかかる。


「ぁ……っぐ……」

「俺達が味わった苦しみはこんなもんじゃない」


 シアナの眼前に、全身を掴む腕と同じ、生気を感じさせない肌色の顔が現れる。

 3年前のあの日、シアナを殺そうとし、そして彼女に殺された男の顔。


「斬られ、刺され、焼かれ、燻され、毒責めにされ……俺達があんなにも苦しんで死んでいったのに、何故お前だけがのうのうと生きている?」

「夢……これは…夢……」


 首に掛けられる圧力が増し、呼吸の必要がないにも関わらずシアナは息苦しさを感じる。

 周囲にはいつの間にか生気の無い顔が増え、その全てに見覚えがあった。


「いつ、までもっ……夢で人をつけ回して……どれだけしつこいの……っ!」


 首だけでなく、全身を掴む手の力もいつの間にか増していき、巨大な万力に掛けられたように身体が悲鳴を上げる。


「ぅ…ぁっ……こ…ろ——」


 急上昇する痛みと息苦しさに、シアナが思わず漏らしかけた言葉に反応するように、全身を掴んでいた手が離れて暗闇に溶け込んで消えた。


「……まただ」


 呟くシアナの声に先程のような呆れは残っていない。


「当り前だ……お前の、望む……時に……殺して…など、やるも…のか……ゆめゆめ……忘れるな……」

「忘れられるわけないでしょ」


 消える腕と顔、その後に聞こえる声。

 どれもがいつもこの場所に来た時と同じ。


 声が完全にフェードアウトすると、シアナは身体がふっと軽くなる感覚を覚える。

 目が覚める合図だ。


「……ふぅ」


 毎度これが夢であることに気付きながらも仮想の冷や汗が止まらないまま夢を終える。

 身体に加わる力のリアルさや死のプレッシャー、亡者達の執念に、本当に自分を殺す力があるんじゃないかと疑いながら呟く。


「これが人の命を奪う代償なのかな……」



—————



 現実に意識が戻った途端に訪れるあまりの蒸し暑さ。

 その熱気が倦怠感を生み、動くことさえ億劫にさせる。


「……ん?」


 そこでシアナは違和感に気付く。

 確かに今は真夏だが、朝方にここまでの温度を記録するのは些か不自然ではないかと。


 そんなことを考えていると、胸元に風が当たって幾分か涼められる。

 蒸し暑さから突然感じた涼の正体を探るべく、シアナは瞼を上げる。

 視界に最初に映ったのは、馬乗りになって寝間着を脱がせている男の姿。


「——っ!?」


 暑苦しさも倦怠感も一瞬で吹き飛び、シアナは全力で飛び退く。


「ぐっ……っ痛~……!」


 シアナは勢い余って壁に頭を打ちつけ、視界に火花が散る。

 しかしそのおかげで思考がクリアになり、相手の全体像を把握した。


「なんだ、ギュンターか。脅かさないでよ」

「昼前まで寝ておいて何を言うか」

「えっ、昼?」


 シアナは思わず窓の外へ目を向ける。

 視線の先には、気持ちいいくらいに晴れ渡った青空と、さんさんと輝く太陽があった。


「……本当だ」

「さっさと来い。寝汗で風邪を引きたいのか」

「あ、はい」


 何事も無かったように声を掛けるギュンターに呑まれ、シアナは着替えを再開する。

 右腕が使えるようになったとはいえ、濡れて肌に貼り付いた服を脱ぐのは難しいため、されるがままに任せる。


「うなされていたが、何か夢でも見たか」


 ギュンターに訊かれて直前の夢を思い返したシアナは寒気を覚える。

 それが濡れた服を脱いだのとは無関係であると確認しながら、溢すように話した。


「——ていう夢だったんだけど、ギュンターはそういった夢を見たことはある?」

「無い」


 短く言い放つとほぼ同時に着替えが終わる。

 そのまま離れてどこかへ向かおうとする背中を呼び止める。


「自分から聞いておいて一言はないでしょ。

 それに、私が見るくらいなんだからギュンターも何度かはある筈だけど?」


 シアナの推測に至極嫌そうにため息をつくと、ギュンターはそのまま吐き出すように言った。


「あぁ、確かに見たことはある。

 だが俺の場合はそんな悠長に付き合ってやらなかった。

 あの頃は起きて活動している間は常に命を狙われていたからな……寝ている間まで奴らの相手をしてやるような親切心を持ち合わせていなかっただけだ」

「それももう数百年前の話なんでしょ。

 今でも覚えている相手はいないの?」

「最初と最後の数人くらいだ。他は覚えていないし興味もない」


 はっきりと言い切るギュンターにシアナは少し羨ましさを覚える。


「忘れられるって恵まれてるよね……」


 シアナの呟きに対しギュンターは告げる。


「訳の分からんことを言ってないで外の空気でも吸ってこい。

 どうせ昨日今日でホイホイと解呪できるものでもないだろう」

「ギュンターが一緒じゃなくてもいいの?」

「面倒は起こすなよ」


 1人での外出許可を得たシアナは、肩掛けバッグに最低限の荷物を詰めて宿を後にする。

 目指すのは図書館。目的はすっかり枯渇してしまった生の活字成分の補充である。


「今からでも1冊……いや、これを使えば数冊はいけるかもね」


 露店で小腹を満たしつつ図書館への道を訊き、そちらに足を向けながらバッグを叩く。

 その中には昨日ダイターから貰った誕生日プレゼントが入っていた。


 ダイターがシアナに贈ったのは眼鏡型の魔道具。

 周辺視野と情報認識能力を強化し、通常の数倍~数十倍での速読を可能にする。

 品質により性能差が大きく、使うまでは効果の程度が分からない運要素はあるものの、愛読家には必須級の魔道具と言われている。


「レアでは取り扱ってる店無いから欲しかったんだよね~」


 機嫌の良さからスキップ気味に歩くシアナは脇道を見つけて立ち止まった

 教えてもらった道順と現在地を照らし合わせ、その道がおそらく近道になると予測。

 効率を求めて足を進めようとしたところで、すぐ手前の角から自分と同い年くらいの少女が飛び出してくるのが見えた。


「っ!」

「おっと……どうぞ」


 衝突を回避するために両者が立ち止まり、シアナが先に道を譲る。

 少女は何かを言おうとしていたが、数秒迷った末に何も言わずに走り出そうとした。

 しかしそれよりも早く、背後から伸びてきた腕が少女を捕まえると、あっという間に小柄な身体は路地裏へ消えた。


「……え?」


 たっぷり数秒間呆けてしまってからシアナは状況を理解する。

 少女と遭遇し、道を譲り、少女が攫われた。


「ちょっと待ったぁ!」


 バッグをその場に置き去りにしてシアナは走り出した。

 路地が一本道なのが幸いし、すぐに先程の少女と太った男の姿を捕捉する。

 少女を荷物のように担いで走る男はシアナに気付いていない様子だったが、足取りに迷いはなく、人の運搬にも慣れているように見えた。


「見つけた……!」


 シアナはバッグの中を探り、ギュンターからの誕生日プレゼントを取り出す。


「レアに帰るまで使う機会なんて無いと思ってたんだけどなぁ……」


 口を上手く使って右手にはめたそれは、魔獣の皮を素材にして作られた手袋である。

 魔導具ではないが、素材となった魔獣の性質が残っており、魔力に反応して硬化する。


「待ちなさい!」


 狭い路地に響くシアナの声に男が驚いた様子で振り返る。

 身体強化の出力を上げて男へ肉薄したシアナは、無防備な男の顎へ拳を打ち抜く。

 不安定な体勢で一撃を受けた男は受け身も取れず、走っていた勢いそのままに倒れて気を失った。


「痛……くはないね。流石ギュンターの見立てた道具」


 男の身体を乗り越え、男が倒れる時に投げ出された少女に手を貸す。


「あの、大丈夫?」


 立ち上がった少女の全身は土埃にまみれていた。

 服はボロボロで髪もボサボサ、肌も乾燥している。

 栄養が足りていないのか、骨格の浮き出たその肢体から健康状態も悪く見受けられる。

 そして何より、身体中至る所に細かな切り傷や青痣が見えている。


「とりあえず……これ使って」


 シアナは5歳の誕生日に両親から貰った腕輪型魔道具を少女に貸し与え、全身の傷を治療した。

 少女は傷が消えて驚いていたが、それにより少なくとも怯えの表情はなくなった。


「こんにちは」


 シアナは極力明るいトーンで話しかけるが、返事はない。


「私はシアナって言うの」


 それでもシアナは声をかけ続ける。


「もう大丈夫。あなたを辛い目に遭わせる人はいないから」

「…………ほんと?」


 初めて言葉による反応があったが、その声は掠れていた。

 恐怖か緊張か、理由までは分からないが、シアナは場所を変えるべきだと判断する。


「ちょっと明るい場所に出ようか。歩ける?」


 言いながら少女の手を取ると一瞬抵抗するようにピクリと動いたが、すぐに握り返された。


「……うん」


 しっかりと了承を得てから歩調を合わせて先程の道へ戻る。


 通行人や商人から向けられるぎょっとした視線から少女を隠すため、物陰で待たせて露店で食べ物を購入。少女の下へ戻る。


「ほら、美味しいよ?」

「……!」


 初めは遠慮していた少女だったが、匂いを嗅いで盛大にお腹が鳴ったことで抵抗を諦め受け取り、一口齧りつく。

 そこからは止まらず、噛む度に涙を溢れさせながら嗚咽混じりに完食した。


「ちょっと待ってて。すぐ買ってくるから」

「……ありがとう」


 先程よりも硬さの取れた謝意にシアナは笑顔で応える。

 少女もここで初めて小さく笑顔を見せたところで突然、全身を硬直させて倒れる。


「え、どうしたの?!」


 突然発生した異様な光景にシアナは反射的に魔眼を開いた。

 すると、少女の全身にここ数日で見慣れた類の魔術陣を発見する。

 その魔術陣から伸びた魔力の鎖が、蛇のように少女を縛り上げているのが視える。


「こんな小さい子に……最っ低!」


 シアナは自身の右腕の時と同じ手順で魔術陣に干渉し、素早く解呪する。

 途端に身体の自由を取り戻した少女が声を上げた。


「逃げて!」

「え——」


 その言葉の意図を理解する前に、シアナに変化が起きる。

 右手に痛みと同時に浮かび上がる、今しがた少女から取り除いたのと同じ魔術陣。

 その意味を考える前に解呪を試みるも、間に合わず。


 瞬く間に伸びる魔力の鎖と、それに伴い走る痺れと痛み。

 身体の自由を奪われ、狼狽する少女の姿だけが視界に映る。

 その間も痛みは増大し続け、薄れていく意識の中でシアナは自分の中で誰かと目が合ったような、不思議な感覚に遭った。



—備忘録 追記項目—

・魔獣が持つ性質

 魔獣の素材の中には死後も生前の特性を保ったままの物が存在する。

 それらの素材は加工する事で特性を活かした様々な準魔道具となる。

 流通数が少なく、小型の物でも高値で取引される事が多い。

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