第29話 10を知る
その日の夜、シアナは経過報告のため久方ぶりにレフと対面した。
「パクさんも良い人そうでしたよ」
「観測者の中に悪人はいないよ。
負の感情の増大は統治の妨げに繋がるし、世界最上位の武力をもつ悪人が治める国なんて、何の変化も起こらないつまらないデータしか採れなさそうだしね」
まるで知っていることのように推測するレフに、シアナは冷めた視線を向ける。
レフはニヤリと笑って言葉を続ける。
「あぁ、そうだよ。これは僕の経験則さ。
いやー、あの頃は本当に酷かったね。
質の悪い負の感情データしか収集できなくなった状態が何年も続いて、僕が手ずから圧政者の排除を検討したこともあったくらいだよ」
「それでもあなたなら実験と称して暴君統治をせさそうですけどね。
地球とは全く異なる世界なのだからやろうとは思わなかったんですか?
それとも、やらなかったのは自分のポリシーのためでしょうか?」
レフは再び口端を吊り上げる。
「べつに絶対というわけではないけど、自分で決めたことくらいは貫かないとね。
創った世界は基本的に後から手を加えない。
もしそれを”あり”としてしまえば、いつか望むデータのために手を加えるようになってしまうかもしれないだろう?
そうなったらそれまでの苦労が無意味になってしまう」
「なら私の存在はどうなんですか?
これも立派な干渉になると思いますけど」
大げさな身振りを加えながら話すその姿に、シアナは呆れながら言葉を返した。
その返しに、レフの方も呆れを見せながら回答する。
「べつにこれくらいは問題ないよ。
ゲームで不具合やバグがあればアップデートや修正パッチを加えるだろう?
君は世界の攻略が進まなくなっている中に
「なんだか都合のいい解釈をしているように聞こえるんですが……」
「ならもう1つ理由を加えようか。
君を送り込んだあの日、生命ユニットが1つ消えていたんだ。
偶然ではあるけど、データ母数維持のために補充として君は
選ばれた。これでいいかい?」
「いいもなにも、別にケチをつけたつもりはありませんよ……」
レフの拗ねた様な口調にシアナが言い淀む。
上位存在であるレフの機嫌を損ねれば、いくら協力者と言えど容易に消される可能性があるからである。
「あー……それじゃあ、話題を変えようか。
僕の顔を見たくて読んだわけじゃないんだろう?」
魂がむき出しになっているこの空間において隠し事は不可能。
事実、レフはシアナの心に生じた僅かな恐怖に気付き、あえて軽く提案した。
「そんな色味の無い顔を見に来ても仕方ないでしょう。
呪いとその解除方法について今一度確認しておきたいと思いまして。
以前は省きましたが、呪族についても知っている限りの情報を下さい」
「いいよ、分かった。
僕としても貴重なサンプルデータ採取のチャンスを逃す気はないからね」
———
瞼越しに光を感じ、シアナは目を開ける。
瞬間差し込む朝日に視界を灼かれ、堪らず薄目にして慣れるのを待っていると、窓とは反対側からスープの香りが鼻腔をくすぐり、脳の覚醒を促す。
「起きたか」
「ギュンター……朝食、持ってきてくれたんだ。ありがとう」
「周囲の視線を気にしながらではうっかり殺したくなってしまうからな」
昨晩の夕食の時に周囲の席から向けられていた視線を思い出し、シアナは苦笑する。
シアナ自身は仕方ないと割り切っていたが、する側とされる側の違いなのだろうと判断し、追及はしなかった。
「今日はどうするつもりだ」
フォアグラのガチョウから親に餌を与えられる雛鳥状態に改善されたペースで食事を済ませ、着替えさせられる途中、ギュンターから質問が提示される。
「んー……課題分の解呪が終わるまでは部屋に籠るかも。
正直外を見て回りたい気持ちはあるけど、この腕じゃ十分に堪能できないだろうから」
「そうか」
ギュンターは短く言うのみで、特に意見も反論もしなかった。
着替えを終えたシアナは部屋の椅子に座り、解呪作業に取り掛かる。
「これでいいか」
「うん、ありがとう」
「何かあればまた言え」
ギュンターの助力を得て、両腕を投げだすようにテーブルの上に置いて視界内に収める。
会話を終えるとギュンターは部屋の反対側、出窓の縁に腰掛けて読書を開始した。
「えっと、まずは魔眼で観察して呪いの種類を判別する……」
魔眼へ魔力を流し、記憶から解呪方法を復唱しながら両腕へそれぞれ視線を向ける。
呪いの掛け方は対象の
それぞれで特徴と解呪のコツがことなるため、まず初めにそれを見分ける必要がある。
「ふぅん…………右が物質体型、左が魔素体型ね。
なら右腕からやっていきますか」
物質体に付与する呪いは対象の肉体に持続性の魔術陣を投射する。
その性質上常に呪いの起点が晒されているため、魔眼で魔素を視覚化できるシアナにとっては比較的解呪が容易な呪いとなっている。
「ギュンター、どうしてエルザ様はわざわざ2種類の呪いを課題にしたのかな?
呪族の呪いだと分かっていたなら片方だけでいい気がするんだけど」
「エルザ様がこれまでに解呪されたことのある呪族の呪いは3つ。
それらの呪いはお前に付与された呪いの基となったものだそうだ」
本から目を離さず、事前に用意していたように答えるギュンターの様子から、シアナはエルザーツに思考を見透かされているように感じた。
「なるほどつまり、実際現地に行くまでどっちか分からないのね。
本当に面倒なの押し付けられたなぁ……」
シアナは憂鬱な気持ちを吐き出すようにため息をつく。
物質体型の呪いと魔素体型の呪いは解呪難易度が段違いとなる。
物質体型は魔力の感受性が一定以上あれば解呪できるのに対し、魔素型は魔素を視認できるのが解呪をする上での最低条件となっている。
そのため、魔素型の呪いを解呪できるだけで食べるのに困らなくなると言われている。
「今回は除去の方でやろうかな」
解呪方法も”除去”と”返し” の2つに分かれており、シアナは除去を選択する。
除去は呪いを対象から取り除き、元に戻す解呪方法である。
返しに比べて手間とリスクが抑えられ、一般的な解呪と言えばこの方法を指している場合が多い。
「返しは色々と後が怖いから、いつか機会があった時にしよっと」
一方、返しは途中過程で呪いによって発生する対象と術者との魔素的な繋がりを探り、取り除いた呪いをその繋がりを通して術者に移し替える解呪方法である。
手間がかかる上に失敗した際には解呪者も呪われる可能性があるため、手練れの者でも進んでやりたがらない方法と言われている。
「よし……ギュンター、ちょっとお願い」
ギュンターに頼み、手のひらを右腕に向けるように左腕を動かす。
以前エルザーツから「腕で指向性補助をしているうちは二流」と言われたシアナだが、格好をつけるような場合でもないため迷わず確実性を選択する。
右腕表面に視認した呪いの魔術陣に設定。
その中で主要と思われる術式に向け、
効果が見られず、魔力を普段の2割増しにして再度放つ。効果無し。5割魔視で三度目の挑戦。効果無し。
「うーん、ただ撃ち込むだけじゃ効果が薄いかな……」
簡単な難易度の右腕解呪だが、あくまでそれは左腕と比較した場合の話。
解呪経験のないシアナは初めから方法を模索する必要があるため、該当しない。
「でもアプローチの方向性としては会ってる筈なんだよね。
この呪いは移動しないんだから、今度は一部じゃなく全体に干渉するように……」
シアナは着想を魔術阻碍から魔術妨害に戻し、魔術陣全体を吹き飛ばすイメージを固める。
確信には至らないが、先程よりも成功に近付いた自信があった。
「一度中断しろ。少し出てくる」
しかし、それを実践する前にギュンターの言葉によって意識が散らされる。
視線を向けると、ギュンターは既にドアノブに手をかけて外に出ようとしているところだった。
「何しに行くの?」
「今日中に買っておくべき物がある。
お前は少し休んでいろ。視野が狭まっている」
「どういうこと?」
シアナの真剣な声色に、ドアを半分開けていたギュンターは閉め直してから向き直る。
「一部聞いていたが、随分と考えが平面的になっていた。
もっと多角的に物事を捉えろと言っている筈だぞ」
そう告げるとギュンターは今度こそドアを開けて部屋から出て行った。
「……まぁ、確かに思考が煮詰まり気味だったから丁度いいっか」
椅子の背もたれに背中を預けて目を閉じ、ここまでの成果と思考を整理する。
情報毎に仕分けしていき、最後にギュンターの言葉を改めて反芻すると、自分の考えに大きな穴があったことにシアナは気が付いた。
「あ……あぁ、多角的・多面的にってそういう……!」
魔術は二次元的なものではない。
普段
ならば、それに干渉する手段も三次元的なものにしなければ十全の効果が得られない。
「考えてみれば魔術阻碍だって魔力をぶつけるだけじゃなく、撃ち抜くことで初めて無効化させていたんだから、解呪だって根本は同じじゃなきゃおかしいよね。
となると、物体に投射されているものに対して撃ち抜くのは危険かな……下にある相手の魔素体を損傷させかねない。
確実に多面的な干渉をしつつ、他には干渉しないようにするには——」
シアナは集中するため目を瞑り、思考の海へ投身した。
———
「——うん、やっぱりこれが最善かな」
「何をしている」
「とぅわっ!?」
結論が出て意識を引き上げたのと同時にかけられた声に、シアナは思わず飛び上がる。
いつの間にか日も落ち、灯りの点けられた廊下からギュンターが訝しむような表情でシアナを見ていた。
「びっくりした……いつから?」
「そんなことにも気付かなかったのか?いつも気を張れと言っているだろ」
「ここ宿なんだけど……まぁいいや、灯り点けてくれない?
解呪方法に目処が立ったかもしれないんだ」
「ほぅ……」
興味をそそられたギュンターは手に持ったランタンをテーブルの上に置いた。
部屋の広さに対してランタン1つでは少ないが、テーブルの上で起こる出来事を見届けるには十分な明るさとなる。
「いくよ……」
ギュンターが向かいの椅子に腰を下ろしたのを確認し、シアナは自分の腕に集中する。
「ふぅー……」
魔力を練り上げ、呪いの魔術陣を自身の魔力で包囲する。
漏れなく包囲されているのを確認し、中心に向けて一斉に圧縮を開始。
圧力を同時に、偏らせずに掛けることで確実に魔術陣全体へ干渉する。
「……っ!?」
硬質的な破砕音が二人の耳に届く。
それは幻聴。
空気の震えでなく、魔術陣が破壊された際の振動を音として知覚したに過ぎない。
しかし、それに続いてシアナの右腕から引いていく痺れと痛みは幻ではなかった。
「やった……」
ポツリと呟くシアナの頭に手が乗せられ、僅かに左右に動かされる。
それだけでも十分に異常な対応だが、その後に聞こえた言葉はシアナを更に驚かせた。
「よくやったな」
「ね……ねぇ、ギュンター……もしかして今、私のこと褒めた?」
「なんだ、悪いのか。
こんな日くらいは俺だって褒めることもある」
「別に嫌ってわけじゃないけど、1回しか褒められたことなかったから驚いて……って、こんな日?今日って何か記念日なの?」
質問には答えず、ギュンターはランタンとシアナの右手を取って部屋を出る。
そのまま隣のダイターが泊まる部屋に向かいノックすると、すぐさまドアが開かれる。
「あぁ、お二方。
お待ちしていました。ささ、どうぞ中へ」
「入れ」
「お、お邪魔します……」
疑問を抱きつつ部屋に足を踏み入れると、テーブルには宿のものとは違う豪華な食事と小さなケーキが置かれていた。
「10歳のお誕生日おめでとうございます、シアナ様」
「え?あっ、私の誕生日!?」
「お前以外誰がいる」
「いや、でもどうして?誕生日教えてなかったでしょ?」
シアナの疑問にギュンターは面倒くさそうにため息をつきながらも正直に答える。
「以前年齢についてエルザ様に話した際に言っていただろう。
その時のことを覚えていたエルザ様に言われたんだ」
予想していなかった情報源にシアナは今日一番の衝撃を受けた。
「エルザ様が!?
あんなポロッと零した程度のことなのに覚えていたんだ……」
「お前を家族から引き離してしまったのはエルザ様も意図したことではない。
言葉にこそされないが、今でも気に揉まれている。
恨む気持ちがあるのは当然だが——」
「分かってる。
アスレイにいたままじゃ経験できなかったことも多くあったし、レアに来たから今の私があると思ってる。
恨みがないとは言えないけど、感謝もしてるんだよ。エルザ様に……あなたにもね」
その言葉に嘘偽りはなかった。
家族との時間を年単位で失ったのは大きかったが、それに匹敵する経験と技術を身に付けられたことはシアナ自身が最もよく分かっていたことである。
「……ならいい」
「これからも帰国までよろしくね」
「うるさい。早く帰れ」
乱雑な言葉とは異なり、内心そこまで拒絶していないことを声色から理解する。
それと同時にわざわざ席を設けてくれた感謝が湧き上がり、感謝の雫となって零れ落ちた。
その後二人からプレゼントを受け取って料理に舌鼓を打ち、言葉を交わす。
気分を良くしたまま解散して部屋に戻り、満足感を抱いたままベッドに入り込む。
家族と離れた状態で迎えた10歳の節目であるが、悪くない思い出のままシアナは1日を終えられた。
—備忘録 追記項目—
・魔素体の損傷
魔素体の回復は特殊な魔術属性の適正が必要。
しかし現在その適正を持った者は存在しないのため、安静にして時間経過による回復を図るしかない。
複数回魔素体の損傷を繰り返すと回復が遅くなるため、基本的に魔素体の損傷は避けるべきリスクである。
例外として、魔素体で構成された魔眼は一度破壊されると元の状態に戻せない。
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