第20話 壁を知る

 ギュンターとの確執がなくなり、関係が良好になってからシアナは着々と地力をつけていた。

 しかしレアへ来て2年が経過しようという頃、シアナは壁に直面していた。

 剣術と魔術の両方で行き詰まったのである。


 これまでシアナは、魔術よりも剣術に比率をおいて訓練を積んでいた。

 異世界ならではの魔術を極めたいという気持ちは今でも彼女の中に残っている。

 しかし、詠唱魔術を使用できない現状ではあまりに現実的でないため、刻印魔術によって断片的に欲望を満たすことで飢えをしのいでいた。


 そして、シアナが初めに想定していた以上にこの世界の剣士が強いというのも、比率を多くしていた要因となっている。

・肉体を強化すれば直接的に能力向上に繋げられ、成長を実感しやすい。

・更には身体強化を使用することで、瞬間的に魔術を上回る速度での移動が可能。

・そこから繰り出される斬撃はほぼ全てが致命の一撃となりえるほどに強力。

 簡単に挙げてもこれだけの利点が出てくるのは、魔獣や魔物、迷宮といった明確な敵性存在がひと役噛んでいるとシアナは考えている。


 更に、魔術は生まれつきの素質である程度天井が見通せてしまうのに対し、剣術は努力次第でどこまでも昇り上がれる可能性が広がっている。

 そして、何より大きな理由として、前世で十分にできなかった全力の運動を活かせる剣術を、シアナは心から愛していた。


 しかし、自分が向けた気持ちに常に100パーセント応えられるほど人生は甘くなかった。


「駄目だな」

「もう少し、もう少しだけ……!」

「これ以上の訓練は逆効果になる。負荷はここまでだ」


 シアナの要望をギュンターはあっさりと却下する。

 しかし彼も悪意があってストップをかけているのではない。

 監視役としてシアナを常に観察しているからこその、彼女を思っての決断だった。


「魔術でも行き詰まりを感じているのに、剣術まで止まってられないでしょ」

「気持ちだけで先走っても上達は不可能だ。少し頭を冷やせ」


 そう言ってギュンターはシアナを連れて居城の奥、エルザーツの書斎へ連れて行った。

 ドアを開けた途端広がる未知の山にシアナは興奮を隠しきれずに訊く。


「ここ、普段立ち入り禁止されている場所でしょ。

 入っちゃっていいの?」

「俺はここに入ることを許されている。

 そして、俺が入ることを許可する。ここを掃除しろ」

「本当に入っていい……なんて?」


 素直に礼を述べようとしたところで、シアナの思考にブレーキがかかる。

 そんなことはないと分かりつつも、一応のため聞き直す。


「ここを掃除しろと言ったんだ。

 訓練に身が入らないのなら今日はなしにする」


 そして無情にも繰り返される同じ言葉。

 間違いなく、シアナは部屋の清掃を命じられていたのを確認し項垂れる。


「私の事情を知っておきながら、この見たこともない書物を目の前におあずけするの?

 それはあんまりじゃない?」


 うっすら目に涙を浮かべながらの訴えにも動じず、ギュンターは言葉を続ける。


「夜にはエルザ様が戻られる。

 それまでに可能な限り進めろ」


 ギュンターは言い終えると部屋を出るためドアノブに手をかける。

 しかし力を加える前にわざとらしく咳払いをすると、シアナに聞こえるように口を開いた。


「言い忘れていたが、俺はこれから食材の買い出しに行くので夕方まで帰らない。

 その間、既に掃除を済ませた部屋でお前が何をしようと俺に知る術はない。

 例えそこらの書物を読んだとしても、元に戻せばサボりを指摘することもできないだろうな」

「えっ……」


 シアナは意外すぎるギュンターの言葉に意図を確かめようと振り返るも、そこにギュンターの姿はなかった。

 閉じられたドアの向こうで遠ざかる足音を聞きながら、直前の言葉を反芻する。


「そういうこと、だよね?

 いや、でもいいのかな?

 手に取った瞬間バーンって飛び込んでこないよね?」


 疑り深くドアを観察しながら近くに置かれた本へ手を伸ばす。

 冊子を掴み、引き寄せ、胸に抱えてもギュンターどころか虫一匹現れなかった。


「本当に……?それじゃあ、ちょっとだけ読んでみようかな。

 さわりの部分だけ読んだら形だけでも掃除しておかないとね……」


 誰もいない室内で、誰に聞かせるでもない声量で呟きながら、シアナは手に取った本の表紙を開いた——。



———



 満足げな表情を浮かべながら、シアナは最後のページを閉じて脇に置いた。

 そして、首を回して長時間の読書で凝り固まった筋肉をほぐす。


「あぁ~……やっぱり初めての本を読んだ読了後は各段に気持ちいい——」


 自分の発言にハッとしたシアナは動きを止める。

 そして今置いたばかりの本へ視線を落とす。


「え、嘘……」


 驚愕するシアナの視界には、読み終えた本が積み重なっていた。

 その数は10冊に及ぼうとしている。


「……やっちゃった」


 読了後の清々しさから一転、頭を抱えて床に突っ伏すシアナの視界の端に人の脚が映った。

 視認した瞬間全力で上体を戻し、その正体を探る。


「もういいのか?」

「……おかえりなさい」


 書斎の持ち主であるエルザーツが、今まで見せたことのない爽やかな笑顔を向けていた。

 ただし、目は笑っていない。


「ここに入る許可を出した覚えはないんだが、何してるんだ?」

「えっとですね、一応、掃除をするために……」


 全く笑顔を崩さずに問い詰められ、シアナは体感温度が下がるような威圧感を覚えた。


「掃除ねぇ……」

「いえ、掃除は本当にするつもりだったんですよ。

 でも何と言いますか、目と脳が勝手に……」

「次は寝ながら勉強でもしてみるか?」

「ごめんなさい。どれも面白かったです」


 無言の圧力に屈し、脇に積んでいた本を差し出しながら頭を下げる。

 その本へ這わせていたエルザーツの視線が止まり、ある一冊を手に取る。


「おい……これをどこで見つけた?」

「へっ?」


 エルザーツが持っていたのは、他のとは違う、本というよりは紙の束に近いものだった。

 笑顔が消えたエルザーツの表情から、シアナはテキトーな回答が許されないことを悟る。

 必死に記憶を掘り起こしながら説明しようとする。


「えっと……デスクの右横にある本棚の上に乗っていた本を読もうとして取った時に、一緒に落ちてきました。

 結構埃が乗っていましたけど、もしかして探していた物ですか?」

「まあ……そうだな」


 不機嫌な声になったエルザーツにシアナは地雷を踏んだと勘違いし、命の危機を感じた。

 しかし何の攻撃も飛んで来ず、エルザーツは手に取った紙束をシアナに差し出した。


「え?これ……?」


 意図が理解できずにフリーズしているシアナ。

 その手から他の本を没収し、紙束を代わりに置きながらエルザーツが告げる。


「お前の方で処分しとけ。掃除より簡単だろ」


 そう言うや否やシアナは書斎から締め出される。


「それはお前が見つけたもんだからやるが、掃除もできない役立たずに見せる本は無い」


 その言葉を最後に、桃源郷がシアナの視界から消えた。

 シアナはそのまま数分間立ち尽くしていたが、身体が空腹を訴える音を聞いてハッとすると、食堂へ足を向ける。


「そういえばこれ、どんな内容だったっけ……?」


 シアナは呟きながら表紙に目を向ける。

 そこには手書きで「使えないもの」と書かれている。

 それを見た瞬間、シアナは思い出した。


「そうだ……これだったんだ、私が求めていたものって……!」


 食堂に向かうシアナの足が無意識に早くなる。

 そのまま加速していき、短距離走のような速度のままドアを開け放つシアナ。


「ギュンター、お願いがあるんだけど!」


 小爆発のような音を立てて入ってきたシアナを待っていたのは、快諾ではなく小一時間の説教だった。



—備忘録 追記項目—

・目と脳が勝手に

 俗に言う「手/足が滑った」と同義。

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