第25話 魔眼を知る

 シアナがレアに来てから4年が経過し、10歳となる誕生月を迎えてから数日後。

 朝食の席にて会話を切り出したのは、珍しくレアに戻って来ていたエルザーツだった。


「ギュンター。こいつの出来はどの程度だ」


 意外な話題にシアナは朝食を吹き出しそうになったのを、すんでのところで堪える。

 ここ2年のギュンターのしごきは以前よりも苛烈さを極め、シアナは何度も打ちのめされた。

 無数の切り傷を作り、骨を折り、血反吐を吐きながらもシアナはそれに食らい付いた。


「なっ……なんでそんなことを——」

「お前は黙ってろ」


 シアナの苦言を一蹴に伏し、エルザーツはギュンターの答えを待つ。

 途中、成長期に入ったこともあってか剣術では中級を修め、魔術対処も魔術阻碍を防御の主体に、ある程度の立ち回りを安定させることを可能とした。

 しかしシアナは、現状でギュンターやエルザーツから及第点を貰えるとは微塵も考えていなかった。


「教えたことはすぐさま吸収し、最近では冒険者ランクもCに昇格しました。

 最終目的には遠いですが、ある程度のレベルには達しているものと評してよいかと」


 酷評を受け入れる準備をしていたシアナは、想定外の高評価に思考を一時停止させられる。


「ほぅ……」


 シアナほどでなくとも同様の予想をしていたのか、エルザーツの表情には僅かな驚きがブレンドされていた。


「なら今日はあたしが面倒を見る。

 シアナ、準備ができたら庭に来い」


 エルザーツはそう言うと、席を立って食堂を後にした。

 シアナは何か裏があるのかと一瞬疑ったが、ギュンターの視線による圧力からそれを否定し、急いで朝食を胃に流し込んだ。


 食堂から出たシアナはシャワーと着替えの自己ベスト記録を修めると、最低限の装備を持って庭へ向かう。

 シアナが着くとそこには、それだけで絵になりそうな雰囲気のエルザーツが立っていた。


「お待たせしました」

「何でもありであたしに一撃入れてみろ。話はその結果を見てからだ」


 シアナは返答せず、エルザーツが言い終えると同時に魔眼を開きつつ地面を蹴って袈裟懸けに斬りかかる。

 これはエルザーツがギュンターの教えをどこまでものにしているのかを確認するもの。

 とすれば、最初の掛け合いから既にそれは始まっていると考えるべきである。


「いいな。まずはクリアだ」


 普段であれば十分に不意打ちとなる一撃も、エルザーツには通用せず。

 真剣を使用しているにも関わらず、シアナの剣は余裕をもったエルザーツの指の腹で受け止められていた。


「ふん……次」

「っいいえ!」


 シアナは押し返される力に逆らわずに後ろへ跳び、着地の反動を利用し再度接近する。

 細かく左右に切り返しつつ肉薄し、多方向からエルザーツへ斬撃を撃ち込む。


「そうか、現時点でここまでか……」


 シアナの最速を捌きながら呟いたその声が耳に届いた。

 同時に首筋へチリリと嫌な感覚が走り、本能的にバックステップで後退する。

 その鼻先を何かが掠めたのをシアナは辛うじて視認し、戦慄した。


「お、勘はいいとこまで育ってるな」


 地面に食い込んだ剣をゆったりとした動作で抜きながら、エルザーツが感心したような声を上げる。


「実戦経験の大切さを今最も実感していますよ」


 背中が冷や汗でぐっしょりと濡れるのを感じながら、シアナは平常を装って返答する。

 その最中も左手が腰のバッグから魔術巻物を掴み出し、エルザーツが完全に姿勢を戻す前に魔力を流し込む。


 記された魔術が起動し、直径50センチは下らない炎の砲弾がエルザーツに飛来する。

 火属性中級魔術、炎砲弾フレイムキャノン


中級魔術こんなのを迷いなく撃つのはあたしの実力を測ってか?それとも頭のネジが飛んだからか?」


 呆れたように言うエルザーツの前に炎の壁が現れ、炎砲弾を呑み込む。


「えっ、水属性じゃないの?!」


 驚きで思わず足を止めるシアナ。

 まるでその隙を狙ったように炎の壁が霧散し、中から接近してきたエルザーツの動きに対応する前にシアナの視界が暗転した。



———



 背中に感じる冷たさと石のように硬い感触にシアナは目を覚ました。

 上体を起こし周囲を見回すと、格子を挟んだ向こう側にエルザーツを確認する。


「起きたか」


 空間内に窓は無く、灯りとなるものは天井に埋め込まれた鉱石が発する光のみ。

 空間の両端はおろか、3メートルも離れれば相手の表情も分からなくなるほど。

 そんな状態でも二人が互いの様子を把握できているのは、両者が持つ魔眼の視界だった。


「1つ、質問いいでしょうか?」

「何だ」

「ここはどこですか?」


 エルザーツが鉄格子ギリギリまで顔を近付ける。

 薄暗い中でも陰りを知らないその美貌に、シアナは不覚にも一瞬ドキリとしてしまう。


「地下牢とだけ言っておく。

 お前の課題を解決するにはここが最適だからな」

「課題、ですか」


 言葉の意図を理解できないシアナが引っ掛かった単語を復唱すると、エルザーツは真剣な表情で質問する。


「お前、さっきあたしの動きが見えていなかったよな」

「ええ、全く捉えられませんでした」

「あんなに分かりやすく動いたのにも関わらずか」

「それってどういう——」


 言葉の意味が理解できずに訊き返そうとするシアナを手で制すエルザーツ。

 その手でシアナの魔眼を差しながらエルザーツは再度質問をする。


「動きは視えていなかったんだな?」

「……はい」


 シアナの肯定にエルザーツはため息をつく。

 そしてシアナが異論を唱える前に言葉を続ける。


「今のあたしの問いかけを覚えておけ。どうせ忘れられないんだろうがな」


 どこか棘のある言い方に反応しかけたが、シアナは堪える。


「お前が動きを追えなかったのは、魔眼を十全に使わず腐らせているからだ。

 ギュンターは魔眼を持っていれば指導させたんだが、こればかりは仕方ないな……」

「原因が分かっているのなら教えてください。お願いします」

「理屈を説明してどうにかなるものじゃない」


 そう断言したエルザーツは二人の間にある格子をコンコンと叩いてみせる。


「魔眼を使ってこの牢を破壊せずに出てこい。

 そうすればある程度勘が掴める筈だ」


 告げ終えたエルザーツは踵を返して地下から出て行った。


「魔眼を使ってって、どうしろって言うのよ……」


 シアナの呟きは誰にも反応されることなく、床や壁、天井の隙間に吸収されていった。



———



 シアナが地下牢に入れられてから1週間が経過した。

 その間に分かったことは以下の通り。


・牢は内部の生物から魔力を吸収する効果を持つ魔道具を兼ねている。

・吸収した魔力は牢の材料である魔鋼に流し込まれ、強度が増していく。

・閉鎖空間であるため、新しい情報が何一つ入ってこない。


 牢の魔力吸収量はシアナが自然に回復する量を大きく上回っており、最初はそれほど気にしていなかったシアナも余裕がなくなってきていた。

 今では周囲の様子を見逃さないために開いていた魔眼も閉じている状態となっている。


「こんなのすぐ干からびちゃうんじゃないの……?」


 魔力切れの初期症状である頭痛により、些細な思考にもノイズが走る。


「そろそろお前でも辛くなる頃合いか」


 声と配膳口へ置かれる食事に視線を上げると、ギュンターがシアナを見下ろしていた。

 その表情にはシアナを観察する以上のものは見られない。


「辛いって言ったって出してくれないんでしょう?」

「そういった口が利けるうちは平気だ」


 短く言って戻ろうとするギュンターを、シアナが呼び止める。


「ここって何のための場所なの?

 自画自賛するようだけど、私がこんな状態なら普通の人は何日ももたないでしょ」


 そう言いながらギュンターと目を合わせた瞬間、シアナは言いようのない不快感を覚える。

 同時に何かが自分の中から抜けていきそうになるのを感じ、よく分からないままに精一杯拒絶していると、次第に不快感が引いていった。


「ここは以前尋問部屋として使用されていた。

 並みの奴なら情報を抜き取るのに2日あれば済むが……お前の場合あと数日は必要そうだな」

「今……私に何をしたの?」


 少し試しただけだと言い残し、ギュンターは今度こそ地下から出て行った。


「ここを出たら絶対聞き出してやる……」


 ギュンターの残像を追うように入口を睨みつけながら食事を素早く胃に流し込む。

 魔力は魔素を体内で変換したエネルギーであり、同時に魔素は万物に含まれている。

 そのため、食事によって多少の魔力回復が見込める。


「胃袋が四次元〇ケットになれば疑似的な魔力無限が再現できるんだけどね……」


 シアナは呟きながら両手を目の前に掲げ、魔眼を開く。

 視界には物質体マテリアル・ボディである肉体の内部に存在する魔素体マギケーション・ボディが映る。


「ここ数日観察を続けたおかげでかなり鮮明に視られるようになったけど、出られなきゃね……」


 そう呟いた時、シアナは一瞬気分が楽になるのを感じた。

 視線を落とすと、今まさに魔力が回復する瞬間を目の当たりにする。

 食べ物から魔素が滲み出し、シアナの魔素体に馴染むように魔力へと変換された。


「これが魔力回復のプロセス……」


 魔力が少なくなったことにより体内の魔力の流れを正確に把握できるようになったシアナは、魔力に変換される前の魔素を異物として判別した。

 その考えに至った瞬間、シアナに閃きの雷が走る。


「そっか、同じ器の中でも質が異なるものは魔眼で識別できるんだ……」


 シアナは素早く牢の全体に視線を走らせる。


「私から吸い上げられた魔力は……っと、あそこだね」


 一見無作為に流れていっているように感じていた魔力だが、よく視れば法則性があることに気付く。

 それを辿った先にあったのは他と同じような床。


「勘違い?……いや、違う!」


 視覚と触覚を併用して探ると、床材の間に平らな隙間を発見する。

 シアナは食事に使用したスプーンの柄を差し込む。

 すると、カチリと小さな音とともに魔力を吸い上げられる不快感が止んだのをシアナは感じた。


「止まった……?」


 シアナが呟くのに続いて牢の扉部分からガチャリと金属音が響いた。

 ゆっくりと押してみると、何の抵抗もなくあっさりと開いたため外に出る。


「魔力を吸収するのと同時に、施錠の仕組みでもあったんだね」


 地下を後にして階段を上がると、地下に下りようとしているギュンターと遭遇する。


「いいタイミングで出てきたな。

 これから迷宮の処理に向かう。ついて来い」

「処理って、魔物討伐でもするの?

 悪いけど、私もう魔力素寒貧だから無理だよ」


 シアナが否定するとギュンターは一瞬眉を顰めるが、すぐに納得を示した。

 シアナの手を取り地下へ引き返させると、シアナが差したのと同じ箇所にスプーンの柄を差し込む。


「いったい何を……」


 ギュンターはてこの原理で床材を持ち上げると、中から魔鋼製のキューブを取り出した。


「手を乗せろ」


 言われるがままにシアナは手を乗せる。

 ギュンターがキューブの側面を押し込むと、触れた手からシアナの体内に魔力が奔流となって流れ込み、瞬く間に魔力が全快した。


「これで十分だろう。行くぞ」


 魔力が回復しても精神的疲労がそのままのシアナは断るための言い訳を模索するが、続くギュンターの言葉にそんな不真面目な思考は消し飛んだ。


迷宮決壊ブレイクアウトの処理だ。気合を入れてかかれ」

「……はい!」



—備忘録 追記項目—

・属性の力関係

 魔術の属性は有利不利が存在する。(風→火→水→土→風)

 属性が有利であれば魔力量の差をある程度補えるため、魔術戦ではこれを最大限利用し、自身に優位を保って戦うのが通説となっている。

 同属性の魔術同士が衝突した場合は、魔力量・術式強度の勝る方が劣る方を吸収する。

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