第16話 訓練を知る

 エルザーツによってレアへ誘拐されてから2週間。

 その間シアナはギュンターから魔神語を学ぶことから始めていた。

 この世界では用用語が3つ存在するが、地域により主な公用語が変化する。

 そしてアスレイでは人族語が使用されていたが、ここレアでは魔神語が主に使用されている。


 シアナはレフとの世界授業で公用語について予習済みであった。

 しかしシアナの魔神語を聞いたギュンターは顔を顰めて言い放った。


「なんだその古臭い訛り方は。

 本当は数百歳越えの長耳族エルフじゃないだろうな」

「えっ……?」

「そんな訛りで喋られてはこっちが恥ずかしい。

 まずは発音の矯正からだ」


 そう決定されてから合格を貰うまで、ほぼカンヅメ状態で魔神語の発音を叩き込まれていた。


「いいだろう。明日からも随時指摘はするが、簡単な会話であればこれで十分な筈だ」

「ありがとうございました、ギュンターさん」

「郷に入っては郷に従えだ。

 また城内に閉じ込められたくなければ、ゆめゆめ忘れるなよ」


 厳しい環境に置かれていたように聞こえるが、シアナは基本的な単語や文法を覚えていたのに加え、例の如く一度聞いた発音を確実にインプットできるため、数回練習するだけで違和感をなくしていけた。

 2週間という期間も、一度クセづいていたと考えれば驚異の短期間で矯正に成功したと言えるであろう。


「それと」


 ギュンターが威圧するように目力を増してシアナを見下す。


「敬称も敬語も、気色悪いからやめろと初日に言った筈だが?」

「きしょ……分かった、ごめん。これでいい?」


 ギュンターはふんと鼻を鳴らすと、今日の分の終わりを宣言して部屋を出て行った。

 足音が遠ざかるのを待ってから、シアナは伸びをしながら大きく息をつく。


「なんっであんなに人嫌いなのかな……子は親に似るって言うけど、主従関係でも当てはまるものなの?」


 無論、その問いに答える者もいなければ、シアナ自身も回答を求めた問いではない。

 しかし、言葉にせずにはいられないほど彼女から見たエルザーツとギュンターは価値観が似通った部分が多かった。

 その1つが人嫌いである。


 エルザーツが他の観測者以外の住民も嫌っているとは意外だったが、観測者としての務めをこなしている様子を観察していたシアナはそれを確信した。


「務め以外では人との関わりを極力減らして、自分でやらなきゃいけないもの以外は全て人材を派遣して権限を一任。

 その間エルザーツは各地を飛び回ってる」


 指を折り曲げて数えながらシアナは脳内を整理する。

 しかし、ただでさえあまり国内にいないエルザーツの背景事情を把握するなど、今のシアナができる筈もない。

 矛盾を含む表現と自覚しながらも、アウトドアな引きこもりという印象をシアナは受けていた。


「そんなエルザがわざわざ傍に置く人材……何か理由があるのかな」

「俺にできてあの方にできないことがあるからだ」


 シアナは椅子に座ったまま驚きで身体が浮いたような錯覚を覚えた。

 振り返ると、ギュンターが呆れたような視線をシアナに向けていた。


「びっくりした……エルザ様にできないことって?」


 ギュンターはその問いには答えず、黙ったままついて来るよう顎で促す。

 シアナは椅子から立ち上がると、その背を追いながら思考を巡らせる。


「技能的なこととは考えられないよね……基本的に住民よりも長生きの観測者に不可能な技術がそうほいほい出てくるようには思えないし。

 あ、でも生産系なら可能性はあるのかな?

 偏見かもだけど、なんとなく観測者の技能って戦闘寄りになってるイメージあるし。

 ねぇ、どう?違う?」

「それをお前に教える義理も必要もない。

 知りたければ直接訊ねることだな」


 シアナを振り返りもせずにギュンターはただそう言い放つ。


「また教えてくれないの?これで何回目よ」


 アスレイの時にシアナの周りにいた人達との決定的な違いがここにあった。

 エルザもギュンターも、一度回答を拒否したものは何度リトライしても決して答えを引き出せないのである。

 その頑固さのせいでシアナの中には解消できない謎が積み重なり、常に胃の下がムズムズするような感覚に悩まされていた。


「答えて問題ないものは答えているし、必要なことは教えている。

 必要以上に俺と関わろうとするな。余計なものまで求めるな。

 エルザ様から命じられたのは監視と教育であり、お前の友達になることではない」


 食堂に到着する。

 ドアを開けながら断言するギュンターにはこれまでよりも強い拒絶の感情が込められていた。

 その言葉と眼光に威圧されたシアナはそれ以上何も言い出せず、用意された夕食を黙々と口に運んだ。



———



 翌日、シアナはどういった顔をすればいいのか分からないまま起床した。

 いそいそと着替え、ギュンターが起こしに来るギリギリの時間までかけて頭を回しながら食堂へ向かう。


「お、おはよう……」

「来たか。早く食え」


 シアナの予想に反し、ギュンターは昨日のやり取りなど無かったかのようにいつも通りの対応で応えた。


「今日は魔術の訓練だ。

 食べ終わったら俺が行くまでに準備を終わらせておけ」

「分かった。あのさ、昨日のことなんだけど——」

「内容は代わり映えのないものになるが、お前に合わせて組んだ結果だ。

 音を上げるようならいつでもやめるぞ」

「それは分かってるけど、それよりも昨日——」

「しばらくすれば実戦に放り込む予定だ。

 せいぜいそれまでに教えたことを自分のものにするんだな」


 まるで蒸し返すのを拒むようにシアナの言葉に被せて話すギュンター。

 一方的な言葉の押し付けであったが、シアナにはそれで充分だった。

 良し悪しはともかくとして、ギュンターにとって前日のやりとりはどうでもいい出来事ではなかったというのが判明したのはシアナにとって大きかった。


「今日からまたよろしくお願いします」

「次から敬語を使ったらその日の訓練はなしだ」

「あぁごめんごめん!もうしないから!」


 人嫌いではあるが、無関心ではない。

 シアナはギュンターとの距離が少しだけ分かった気がした。



———



「——このように、魔術陣は最低限機能するための記述があれば動作するため、術式の記載を簡略化することができる」


 シアナは予め魔術適正事情についてギュンターに申告していた。

 その結果、ギュンターは分かりやすく面倒臭そうな顔を見せながらも訓練内容の調整を請け負い、刻印魔術を細分化した内容へと変更していた。


「聖級以上となるとあまり実践の機会はないが、上級以下であればこの恩恵はかなり大きい。

 これによって生死が分かれる局面が必ず訪れると思え」


 シアナはアスレイにいた際にもマリンから刻印魔術を習っていた。

 しかしギュンターが教える魔術刻印はマリンが教えるそれとはコンセプトから異なり、毎回新鮮な気分で訓練に臨んでいた。


「最低限の情報だけって言うなら、単語の羅列じゃ駄目なの?」

「術式はあくまで力を紡ぐ言葉のまとまりでなければいけない。

 単語だけではその繋がりが弱いため、効率が落ちて逆効果だ」


 アスレイでシアナが学んだのは主に魔道具を作成する際に重視されるような正確性や長持ちさを求めた魔術陣。

 それに対しレアで学んでいるのは戦闘時に使用する最低限の動作と速度を両立させることを求める魔術陣だった。

 どちらの理論も間違いではないと感じたシアナは、違いが生まれるのは国風の違いによるものだと解釈した。


「魔術陣を書く塗料はどうするの?多く持ったら荷物になるでしょう」

「あれの主な原料は魔獣の血が使われている。簡単に手に入るからな。

 近くにあればその死体から、無ければ自分の血で代用しろ。

 血単体でも十分機能させることは可能だ」


 レアという争い絶えない国風故か、道具や材料も事前に準備するよりも即席で代用する方を重視しているものが多い。

 アスレイで教わる機会があるかどうか分からなくなるようなベクトル違いの方針の内容に、シアナは新たな発見の尽きない幸せに包まれていた。



———



 魔術と同様に、剣術でも国の違いを感じさせられる方針が取られた。


 アスレイでは5歳で訓練が本格化した際にも寸止めが基本だった。

 しかしレアでは最初の訓練から寸止めなしの実戦的な訓練が実施された。


 剣術には三大流派と呼ばれる天剣流、天象流、天狂流が存在する。

 それぞれ攻撃型、防御型、バランス型の流派となっている。

 それら全てを皇級まで極めていると聞いたシアナはさぞ効率的な訓練を望めると考えていたが、二人の考える”効率的”はベクトルが違っていた。


「また隙がある。これで腕何本目だ」

「うっ……うぅ……!」


 誕生日に両親から贈られた腕輪は使用を禁じられているため、毎回治癒魔術で治す。

 魔術適正無しでも使用できる魔術を伸ばす意図があっての指示だが、シアナの記憶力をもってしても折られた瞬間は痛みと怒りが勝るため、何度も投げ出しそうになった。


「——其の試練を越えし力を与えん、集中治癒ハイヒール

 いちいち止まっていたら効率悪いし、寸止めの方が良い気がするんだけど……」


 取り落とした木剣を拾いながら小さく抗議するシアナ。

 ギュンターは一切表情を変えずに返答する。


「寸止めにしてもいいが、それは自分の限界を下げる選択だと理解しているんだろうな」

「どういうこと?」


 シアナが構えたのを見たギュンターは打ち込みを再開しながら回答する。


「寸止めで本当の剣の恐怖を知らずに強くなったと己惚れる奴と、寸止めをせずに自分の弱さをその身で覚えて訓練を積んだ奴がいるとする。

 そいつらに初めて本物の剣を持たせて殺し合いをさせると、まず寸止めが死ぬ」

「それは……地力が違っていたんじゃないのっ?」


 精一杯剣を返しながら反論するシアナに、ギュンターはため息をつく。


「そんな差じゃない。自分を殺す剣を知っているか否かの違いだ」

「そんな曖昧な根拠を信じろって?

 寸止めでも攻防どちらの技術も身に付けられる筈でしょう」


 ピクリと反応したギュンターが木剣ごとシアナを後方にはじき返す。


「それは寸止めという剣術のの範疇での話だ」


 距離が開いた状態でシアナを挑発するように指を動かしながらギュンターが宣告する。


「相手を倒す剣と殺す剣は決定的に違う。

 同じ軌道で振ったとしても質が異なるからな。

 そういったものは上辺や形だけの技術で捌けるものではない。

 日頃から身体に受け、刻まれることで覚え、ものにすることができる」


 ギュンターのその言葉はシアナにとって才のない者を突き放す言葉に聞こえた。

 自分でもよく分からない苛立ちを抱えたままシアナは地を蹴り距離を詰める。


「それなら……寸止めなしに耐えられなくて剣術をやめてしまう人が出てしまうでしょう。

 そうなったら強い弱い以前の問題、本末転倒じゃないの!」


 言葉と共に振り下ろしたシアナ渾身の一撃は不発に終わる。

 気付いた時には木剣が手から消え、体勢を崩したシアナの頸動脈にはギュンターの木剣がピタリと当てられていた。

 後方で木剣が地面にぶつかる音が聞こえる。


「そんな奴はどうあがいても強くなれんのだから問題にもならん。

 四の五の言わず立て。お前ら人族のような短命種は経験密度を上げる以外に本当の意味で強くなる手段は無いぞ」

「っ……!」


 歯を食いしばって悔しさを噛み殺し、背後に落ちた木剣を拾う。

 振り返って再度構えたシアナの顔にはギュンターを見返してやるという強い意志が感じられた。



—備忘録 追記項目—

・剣術

 この世界において魔術と並んで最も重要視されている武術。

 階位が高くなると岩や鉄の両断、剣閃を飛ばす等の離れ業を可能にする。

 細かい流派は数多く存在するが、主となっているのは三大流派と呼ばれる3つの流派である。

 元は1つの流派であったが、その継承者が分岐させたとされている。

 天剣流:攻撃型の流派。

     一撃の重さと速度を重視した先手必勝型。

     自ら攻めて敵を倒す流派。

 天象流:防御型の流派。

     敵の攻撃を受け流す、或いはカウンターを重視した後の先型。

     要人警護で需要のある受動的な流派。

 天狂流:バランス型の流派。

     独特な体裁きで戦闘の流れをコントロールする戦況操作型。

     様々な状況に対応しやすいため、習得必須とされている流派。

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