第15話 絶滅種を知る
ギュンターはエルザーツの使用人となるまで、生きる理由を持たずに生きていた。
しかし、伽藍洞というわけでもない。
彼が抱いていたのは人族への恨み、そして金に目が眩んで自分を狙う子悪党共に命をくれてやるものかという、死なない理由だけだった。
「が、あぁ……この、人殺し野郎め……!」
「ふん……そっちから仕掛けておいて何を」
賞金稼ぎを返り討ちにし土に還す。
幼少期から日常的に命を狙われ続けて約300年、殺しすらもルーティーンと化しつつあった。
「よくも飽きないものだな……」
呆れたようにため息をつきつつ相手の服で手と武器についた血を拭う。
彼自身殺しを好んでいるわけではないため、初めの頃は重傷を負わせる程度に止めて警告していた。
しかし何度そうしても賞金稼ぎ達に諦める気配は一向にない。
それどころか怪我を治してリベンジに挑む者までいる次第だった。
ギュンターにはそれらの行動が全く理解できなかった。
「ぎゃははは!むざむざ見逃したことを後悔させてやるぜ!」
「……本当に愚かだな」
殺し、金品を奪い、死体を処理する。
一般人は知らない、人間を焼いた臭い。
吐瀉物で下味をつけた肉を炒めたような、強烈で不快な臭い。
まるで絶対に忘れさせないという執念を感じさせる匂いが記憶へ鮮烈に刻まれる。
「……ちっ」
鼻腔を経由して脳にそれが届いてから風属性魔術で気流を操作し、上空へと臭いを拡散させる。
一度嗅げば二度と御免だと誰しも思う臭いをあえてひと吸いし、殺した相手を忘れない。
必要だからしているのだと言い聞かせ、湧き上がりかける悦を抑え込む。
彼が決して欠かさない贖罪の行為であった。
「へぇ、本当にいるとはな」
敵意も殺意も込められていない、まるで日常会話を切り取ったような緊張感のないトーン。
しかし、自分に近付く=命を狙っているという考えが染み付いていたギュンターの警戒心を高めるには十分だった。
「誰だ!」
武器を抜き、振り返りながらバックステップで距離を取る。
燃やしている遺体に近付くことになるが、魔術で上向きに風を起こしているため臭いは気にならない。
そうして相手を見定めようと睨みつけたギュンターは目を見張った。
「どうした、こないのか?」
「お前……何者だ?」
ギュンターの視界には何も情報がなかった。
相手は見えているにも関わらず、その詳細が全く読み取れなかった。
体格、装備、容姿、性別すらも見えている筈なのに分からないという異常事態にギュンターの脳はオーバーヒート寸前だった。
「こないならこっちからいくぞ」
「なっ?!」
言葉と同時に相手が突進する。
経験からの教訓に従い、ギュンターは更に距離を取ろうとする。
しかし地面を蹴ろうといくら足に力を込めても身体はピクリとも動かず、その場に固定されたように身動きが取れなくなっているのに気付いた。
相手はそのまま距離を詰めるとギュンターの首を掴んで身体ごと持ち上げる。
「なんだ、こんなもんか」
「ぐっ……放せっ……」
相変わらず身体は動かず、自重により首を掴む手がめり込んでいく。
徐々に意識が遠のく中、自分を見上げる相手の言葉が辛うじて耳に届く。
「少し視せてもらうぞ」
相手の目が白く変化した。
そう思うと同時にギュンターの意識はその一点に吸い込まれた。
———
鼻腔に入り込む不快な臭いに意識が覚醒し、ギュンターは目を開ける。
視界には快晴の大空が広がり、日の位置からほとんど時間が経っていないことを察する。
臭いの正体はギュンターが気を失ったことにより風属性魔術が消え、再び漂い始めた遺体の焼けた臭いだった。
「起きたか」
反射的に声から遠ざかるように飛びずさりながら目を向けると、紺色の髪の美しい女性がギュンターが直前まで寝ていた場所の横に座っていた。
「お、お前誰だ!?あいつ……あの怪しい奴はどこに行った!?」
「まぁ落ち着け。怪しい奴ってのはもしかして……こんなのか?」
くすくすと笑いながら女性は服の内側からハーフマスクタイプの白い面を取り出し、金色の目を覆うように装着する。
次の瞬間女性の姿がぼやけ、何も分からない謎の人物が現れた。
「っ貴様!」
「落ち着けと言ったぞ」
言葉と同時にまた身体が動かせなくなる。
ギュンターは面を外して再度素顔を見せた女性を睨みつける。
女性の容姿と圧倒的な実力差からギュンターは以前耳にしたある噂を思い出した。
「もしかしてお前、いやあんた、レアの観測者か?」
「なんだ、知ってたのかよ」
「噂を聞いただけだ。
100年ほど前にカリスを滅亡させた犯人として有名人だからな」
ギュンターの皮肉めいた口調に女性は鼻で笑い飛ばす。
「あたしはエルザーツだ。エルザと呼べ。
有名人に会えて良かったなぁ。同族に自慢できるぞ」
エルザーツの皮肉返しにギュンターは舌打ちする。
されるがままにするしかない今の状況で言われるその言葉は、ギュンターにとっての死刑宣告だった。
「心配するな。あたしにお前を殺すつもりはない」
「はっ、どうだろうな。
今までそう言って近づき寝首を掻こうとしてきた奴は腐るほどいた」
気丈に振る舞って見せるが、ギュンターの内心はどうやってこの境地を切り抜けるかを全力で模索していた。
しかしそれを見透かしたようにエルザーツは小さく吹き出すと、ギュンターの身体拘束が解かれた。
「どういうつもりだ」
「殺すつもりはないと言っただろう。
それに、拘束せずともお前程度いつでも殺せる」
言い方は別として、内容は否定できないため、ギュンターは押し黙るしかなかった。
エルザーツはギュンターの前に歩みを進めると、右手を差し出した。
「お前、あたしに使える気はないか?」
「はあ?」
思わず出た間抜けな回答を咳払いで誤魔化してギュンターは問い返す。
「観測者ならいくらでも手駒がいるだろ。
どうしてこんな素性も知れない奴を引き入れようとする?」
断られるのを想定していなかったのか、差し出されたエルザーツの手が行き場を見失たように揺れながら引き戻される。
そのまま数秒考えてからエルザーツは答えを返した。
「あたしに余計な手駒はいらない。必要な分だけでいい。
あたしと見劣りしないか、あたしにできないことをできる奴が欲しいんだ」
「俺がその眼鏡にかなうと?何もできなかったぞ」
「お前の特異性は戦闘向きじゃないだろ」
エルザーツの指摘にギュンターはギクリとする。
彼女が指摘したものは、誰にも見せたことのないギュンターの虎の巻だった。
それが見破られた時点で逃走の希望も潰えた。
「……煮るなり焼くなり好きにすればいい」
「そんなつもりじゃないっての」
投降宣言にエルザーツは笑いながら手を差し出し、ギュンターがそれに応える。
こうしてギュンターはエルザーツに仕えることとなったが、その実態は彼が想定していたものとは大きく違っていた。
「てっきりこき使い倒されるものかと思ってたが……」
「あたしの食事を作るのは不満か?」
「賃金は十分過ぎるくらいだからむしろこんな程度のことでいいのか?」
「それが終わったら次は掃除だ」
「いや、そういう意味じゃないんだが……」
ギュンターが最初に命じられたのはエルザーツの居城における彼女の身の回りの家事全般だった。
使い捨ての駒にされると思っていたギュンターにとって欠伸が出そうになるほどに単純な作業ばかり。
清潔で自分に合ったサイズの服に身を包み、危険性のない作業をするだけで衣食住の確保だけでなく賃金まで手に入る。
長い放浪生活中には頭をよぎりもしなかった生活だった。
———
数週間後、ギュンターはエルザーツに連れられて寂れた酒場に訪れた。
中では20人ほどの男女が何かに怯えたように固まっている。
ギュンターが入ると一斉に睨まれるが、続いて入ったエルザーツを見た途端全員が目を伏せた。
「何したんだ?あんた」
「隙間風が入って寒いんだろうよ。ここもボロだからな」
とぼけたように言いつつ店内を回りながら、エルザーツはギュンターへ問いかける。
「こいつらが誰か分かるか?面識は?」
「ある筈がないだろう。
「生き残りがいないなら何故何百年もお前の下に刺客が送られ続けていた?」
「昔見逃していた頃の奴が情報源になっていたんだろうな。
拠点さえ知っていれば難しいことじゃない」
エルザーツの意図を読み取れず疑問符を浮かべるギュンターに質問が続く。
「なら、それを完全に止めるにはどうすればいい?」
「俺か賞金稼ぎを送り込んでいる連中どちらかを消せばいい」
ギュンターの回答に笑みを浮かべたエルザーツが男女を指して告げた。
「ちゃんと正解できた褒美にこいつらをやろう。お前の好きにしていいぞ」
「はぁ?部下にしろってことか?」
「したければすればいい。殺してもいいかもな」
エルザーツの挙げた選択肢を聞いて、ギュンターは彼女の意図と目的に気付いた。
同時に腸の煮えくり返るような憎悪が身体の奥底から湧き上がってくるのを感じた。
「こいつらが……そうなのか?」
「あぁ、そうだ」
主語抜きの短いやり取りだったが、二人は互いの言いたいことを完全に理解した。
ギュンターは手前にいた小太りの中年男性に跳び掛かると馬乗りになった。
そのまま手刀を振り下ろそうとして直前で動きを停止する。
「どうした。お前が待ち望んでいた仇だぞ」
エルザーツの言葉を受けてもギュンターは動かない。
「あたしが代わりにやってやろうか」
「いや、その必要はない」
片手を挙げて制したギュンターは男の上からどくと、冷酷な無表情で男女全員を視界内に収めた。
「お前達の悲願は今日成就した。
ここで最後の魔人族を討伐し、その証を持って帰り吹聴するがいい」
男女はギュンターの言っている意味が分からないという風に困惑の表情を浮かべる。
ギュンターは男女に向けて手を翳しながら続けて告げる。
「そして、目標を遂げたお前らにそれ以上の幸福は必要ない。
気のすむまで吹聴して回ったあとは各々人目のつかない場所で自害しろ」
困惑しながらも最後の命令に反抗するような顔を見せる男女。
そんな彼らに向けてギュンターは、他人に初めて見せるとっておきを放った。
その翌年、歴史書には新たな一文が追加された。
『魔人族最後の1人討伐と種族絶滅を確認』
———
魔人族が絶滅してから数百年、レアの観測者には種族不明の側近が仕えている。
その高い能力から絶滅した種族ではないかとの噂が幾度となく立つが、決まって毎回噂を流した本人が間違いだったと否定して回るという不可思議な現象が起こり終息を迎える。
否定して回る本人の周囲には直前に全身黒の服を身に付けた来訪者がいることから、死神に頭を弄られているのではないかと囁かれているが、その真意は定かではない。
—備忘録 追記項目—
・ギュンター
エルザーツに仕える使用人の魔族。
黒髪赤眼。
過去に絶滅したとされている種族の生き残り。
それが原因で過去他種族に対し強い憎しみを抱いていた。
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