第2章 少年期 国外誘拐編

第13話 国外を知る

 暗転した視界に薄く透ける明るさを感じ、シアナは意識を取り戻す。

 意識が定まらない状態から、この闇が周囲の暗さではなく自分が瞼を下ろしているからだと気付き、薄目を開ける。

 同時に襲い来る眠気の波。


「……はぁ」


 眠気を吐き出すため欠伸をするシアナ。

 その際に口が少し乾燥気味なことからそれなりの時間眠っていたことを悟る。


「ということはもう夕方……もしかして夜?」


 シアナは体に掛かっている毛布を剥ぎ取って上体を起こす。

 視界中には彼女の見知らぬ部屋が映り込んだ。


「ここ……どこ?」


 天井から吊るされている照明により室内の様子を把握するのは難しくない。

 しかし目に映るどの物もシアナが今まで見てきたどの場所にあった物とは違っていた。

 そこから導き出される結論は、彼女が行ったことのないどこかの施設内か、もしくは——。


「……ここで考えていても仕方ないか」


 ため息をついて思考をひと区切りつけ、シアナは眠っていたベッドから降りる。

 壁に立てかけてあった姿見で全身をざっと見るが、特に怪我をしている様子もない。

 安心してから部屋のドアを開けると、簡素でいて高級感漂う廊下が左右に伸びている。


「学院内かもって考えたてたけど、それもなさそうかな……」


 悪い予感の方へ思考をシフトしつつ右へ進む。

 人を探して途中目に入るドアを開けていく。

 そのまま左右へ上階下階へと歩き続けて15分ほどが経過するが、人はおろか動物の気配すら感じられないまま時間だけが過ぎていく。


「いい加減1人くらい出てきてくれていいんじゃない?」


 そんな願いが叶ったのか偶然か、開けたドアの向こうに広がった空間に人の姿を見つけた。

 高級ホテルのロビーのように広がった空間の中央に位置する床に、その人は立っていた。

 見えている筈なのに何も分からない、レフを彷彿とさせる印象の人物。


「おう、起きたか」

「あなたは……何者なんですか?」


 シアナの発言を聞いてその人物はくくくと抑えた笑い声を漏らした。


「ここがどこなのかじゃなく、相手の正体の方が気になるのか?」

「どこって、アスレイのどこかでしょう。

 こんなに広い場所は王城くらいしか思いつきませんが」

「普通はそう考えるか。いや、普通か?……まぁいい。

 とりあえず風呂に入れ。話は頭を働かせてしないとな?」


 パチンと音が鳴り、相手が指を鳴らしたのかと推察する前にシアナの周囲が一変した。

 広大なホールが消え去り、その10分の1程度の——しかし十分な広さをもった——一室へと変貌した。


「ここは……?!」

「聞いてなかったのか?風呂だよ風呂」


 隣から聞こえた声に内心跳び上がりながら視線を移すと、先程まで20メートル以上離れていた相手がシアナの隣に立っていた。

 見回せば確かに脱いだ服を入れるような籠がいくつか置いてあるのが分かる。


「こっちは向こうよりも暑いからな。寝汗を流してから話すぞ」

「はぁ……」


 言われるがままに服を脱いで籠へ入れ、隣の棚に積まれているタオルを1枚手に取る。

 そのまま浴場へと続いているであろう扉へ数歩進んだところで、背後から衣擦れの音が鼓膜を震わせ、その極微細な振動はシアナの意識を一気に覚醒させた。


「ちょ、何を……?!」

「あぁ?風呂に入るなら服は脱ぐもんだろうが」

「いえそうではなくてですね」


 後ろを振り返らないまま背後に問い掛けるも、全くシアナの意図を汲み取った返答がこない。 


「心配するな。広さだけは無駄にある」

「あぁ、なら大丈夫……ではなくて!私一応女——」


 痺れを切らせて思わず振り返ったシアナの目に驚きの光景が飛び込んで来た。


 魔導具を外した影響か、その人物の全貌が明らかになっていた。

 170センチを超える長身にすらりと伸びた手足。

 きめ細やかな肌から硬質的なものは感じられず、男性には再現不可能な官能的なアウトラインを描いている。

 グラデーションのかかった紺色の髪はセミロングとなっており、ミステリアスな雰囲気を醸し出す。

 強い勝ち気を示すようにやや吊り上がった眉と双眸からは凛々しさを感じられ、金色の瞳がシアナを捕捉している。


 これすらも偽装なのでなければ、誰がどう見ても相手の性別は女性であった。


「同性同士で風呂に入るのが問題あるのか?」

「……ええぇぇぇ!??」


 シアナの絶叫が室内に反響し、2秒後大声に顔を顰めた相手から手刀が振り下ろされた。



———



「落ち着いたか?」

「……はい、すみませんでした」


 シャワーで汗を流し、湯舟に半身浴状態で浸かると、緊張と警戒心が解けていくのをシアナは自覚した。

 そんな様子を見て短く息を吐き出した相手は先程の問いの答え合わせから入る。


「それじゃあ続きからだな。

 ここはアスレイから大陸の反対側に移動した国のレアだ。外では”魔国”なんて呼ばれているっけな。

 そしてあたしはそのレアを修める観測者、エルザーツだ」


 相手——エルザーツの言葉にシアナはの衝撃を受ける。

 その反応が不服だったのか、眉に角度をつけた相手が


「そう……でしたか」

「ん?反応が薄いな」

「一応悪い方の予感で候補に挙がっていましたから。

 当たってほしくはなかったですけれど」


 シアナが気を失う前に受けた質問は観測者以外では考えられない内容だった。

 そしてシアナが認知している限り、あの日アスレイ内にいた観測者はカミナシとレアの観測者であるエルザーツのみ。


「それらの情報を組み合わせれば、何らかの方法でレア(国外)へ誘拐されたと考えるのは至極当たり前でしょう」

「へぇ……頭が切れるとは聞いていたが予想以上だな。

 国の名前を聞いても無理だ不可能だと喚かないってことは、その移動方法にも察しがついているんだろ?」

「転移陣でしょう。それしか思いつきませんよ」


 転移陣。

 正式名称を転移魔術陣と言い、特異属性魔術を原理に利用し運用する最高級魔道具である。

 異なる2つの地点を繋げ、魔術陣内の物体を瞬間的に移動させることができるため、最良の移動方法として重宝されている。

 悪用防止のため運用可能なのは観測者だけとされているが、目の前にいるのがレアの観測者本人であれば十分に選択肢になり得るとシアナは考えていた。


「まぁ、大雑把に正解にしとくか。

 そうだ。あの場所とレアここの転移陣を繋げてお前を連れてきた」

「なんでそんなことを……私が何かしましたか?」

「いいや、何もしていない。

 何もされていないからこそお前を助けるために連れてきた」


 エルザーツの恩着せがましい言い方に、シアナは立場を忘れて睨みつける。


「助ける?突然家族や友人から引き離す行為が助けになると思っているんですか?」

「あのまま見逃せばお前は数年以内にカミナシの後釜として観測者の役割を押しつけられていたぞ」

「カミナシ様はそんなことはしません」


 シアナは本気で睨んでいるつもりだったが、その視線からは年相応の圧力しか発生していない。

 エルザーツは一切気にした様子を見せずに淡々と言葉を連ねる。


「いいや、するね。観測者なんて全員クソみたいな奴らばかりだからな」

「あなただって観測者でしょう」

「お前らみたいにレフあんな奴の願いをホイホイ受け入れられる異世界人と一緒にするな。

 あたしは望まず観測者に仕立て上げられただけだ」


 シアナの脳裏に以前カミナシから聞いた話が再生される。


「あなたは確か、先代の観測者が死んだことで新たな観測者になったと聞きましたが」

「あぁ、そうだ。

 あたしは自分の意思を全く汲まれることなく強制的に観測者にされた。

 そしてそのことに関して他の観測者達は我関せずと傍観を決め込みやがったんだ」


 シアナが信じられないと絶句すると、エルザーツは嘲笑うような表情で言葉を続ける。


「おかげであたしは観測者に必要な知識と責任だけが押し付けられ、誰からの助力もなしに他の小国から攻め込まれていたこの国を立て直す羽目になった。

 それでもあたしが他の観測者と同じだって言うのか?」


 エルザーツの言葉に込められた感情から、シアナは自分には計り知れない苦痛があったのを感じ取った。


「いいえ、そうは思いません。

 でも、私は私が知るカミナシ様のことを信じています」

「裏がないと言い切れるのか?あいつがその気になればすぐにでも私と同じ目に遭うぞ」


 その可能性を否定する根拠をシアナは持っていない。

 しかし、肯定するエルザーツの言い分にも完全な信用をおいていなかった。


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません。

 もし仮にそうするための転生だったとしても、人としてやり直すチャンスをくれたことへ感謝こそすれど恨んだりしません」

「その時になっても同じ文言を言えるか?」

「一語一句違わず言ってみせますよ」


 エルザーツからの問いに刹那の葛藤も挟まずに答える。

 エルザーツは強い眼力でシアナを見ていたが、やがてふっと目を細めると湯船から立ち上がり口を開いた。


「そうか。いらない世話だったみたいだな」

「分かってくれればいいです。間違いは誰にでもあるものですから」

「あぁ、本当にな……何年も引き留めることになって悪いな」


 平和に話が終わりそうになった矢先に紛れ込んだ不穏な言葉に、シアナは浴場から出て行こうとしているエルザーツを慌てて追いかける。


「今何て言いました?聞き間違いですよね?」

「いいや、間違ってない。悪いがすぐには家に帰してやれない」

「冗談でしょう。転移陣を貸してもらえれば今すぐにでも帰れる筈ですよ」


 シアナはエルザーツが投げたタオルを受け取り、身体の水分を拭き取りながら問い詰めようとする。


「こっちに戻る時には使い切りのものを使ったからもう残ってない」

「転移陣は大国各国に1つずつあると聞いています。それを使えばいいでしょう」

「アスレイ国土には転移阻害の結界が張られている。

 中から外への転移はできても逆は不可能だ」


 取り付く島もない態度で否定されるが、シアナも引き下がるわけにはいかない。


「元はと言えばあなたの勘違いで連れて来られたのですから、家に帰すまでが人としての義理でしょう」


 言い切るかどうかのタイミングでシアナの顔の横を何かが通った。

 視線を背後にやると、壁が斬りつけられたように傷付いているのが見える。


「観測者がそんな常識の枠組みに当てはまると思ってるのか?」

「都合のいい時だけ観測者の立場を持ち出すんですね」


 滲み出る冷や汗を拭き取って誤魔化しながらシアナが反論すると、エルザーツの眦が吊り上げれらるのが見えた。

 また何か飛んでくるかと内心身構えるが、何もないままエルザーツは深いため息を吐き出した。


「……今すぐお前を帰す手段が無いのは本当だ。

 それに、こっちの転移陣を使ったとしてもアスレイの転移陣が破壊されている状況じゃどのみち意味がない。

 アスレイの転移陣を破壊したのは他でもないカミナシ本人だしな」

「えっ、それはどうしてですか?」


 シアナの質問に突然エルザーツは顔を顰め、不機嫌を露わにした。

 どこからか取り出した簡素だが質の良い生地の服をシアナに投げて渡す。


「過去に起きた事件が原因だが、それは本人に訊け。あたしは話したくない」


 そう言い残してエルザーツは廊下へ出て行こうとする。

 つい数秒前まで生まれたままの姿だったその身体は、見るからに高級そうな印象を受ける寝間着を身に着けていた。


「ちょ……ちょっと待ってください、エルザーツ様!」


 シアナも急いで服を着て後を追おうと駆け出した直後、エルザーツが立ち止まった。

 振り返り様にシアナの眼前に手を翳す。


「それとな、今後二度と私をエルザーツと呼ぶな。

 話し掛けるときはエルザと呼べ」


 言葉と同時に身体が浮くような錯覚を覚え、シアナは意識を失った。



—備忘録 追記項目—

・転移魔術陣

 一般的には転移陣と略称で呼ばれる。

 2つの地点を始点と終点に設定し使用する。

 魔術陣内の物質を瞬間的に移動させることを可能とする。

 六大国各国に1つずつ存在する。

・誘拐

 欺く行為や誘惑を手段として、他人の身柄を事故の実力的支配内に移すこと。

 地球でも異世界でも犯罪行為。

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