第10話 憎しみを知る
シアナが異世界に転生してから5年が経った。
シアナの誕生日もペトラの時同様盛大に行われ、多くの人々が訪れたが、一部を除き大半の招待客が枕詞のように彼女の魔術適正が無かったことへの慰めから入ったため、途中幾度となく猫の皮が剥がれそうになったことを記しておく。
「あ、あのっシア……!」
「アトラ?」
パーティーもお開きとなり招待客が減っていく中、シアナに声を掛けたアトラは頬が紅潮し、多少の緊張状態にあるように見てとれた。
「あ、あの、あのね……」
「どうしたの?ゆっくりでいいから」
「その……お誕生日おめでとう!」
言葉と共にアトラが差し出したのは木製の球——に見えるが、観察してみると上部が被せ蓋になっているのにシアナは気付いた。
開けてみると中には一対の羽根を模した木彫りのアクセサリーが入っている。
「
「もう別にプレゼントは貰ったのに……わざわざありがとう、嬉しい」
所々に造形の粗い部分が見られるが、アトラが魔術でなく手作業で頑張った証と考えると、シアナは胸の奥からこみ上がるものを感じた。しかし同時に何故先程他のプレゼントと一緒に渡されなかったのかと疑問が浮かぶと、それを察したようにアトラが顔を寄せて耳打ちする。
「これはお礼も兼ねてるからボクがシアに直接渡したかった物なんだ」
「お礼?」
「うん。ボクと男の子達との問題を解決するきっかけをくれたのと、ボクの大切な友達になってくれたお礼」
そう言って見せたアトラの微笑みは紅い夕焼けに重なって逆光となり、シアナが今まで見たことのない眩さに映った。同時にシアナの胸の奥で一瞬心臓がビートを強めた。
「——っ!?」
「どうしたの?」
「う、ううん、何でもない。大切にするね」
顔を覗き込もうとしたアトラから不自然にならないよう上体を引きながらシアナは胸に手を当ててみたが、心拍は通常通りに戻っていたため先程のは気のせいとして処理した。
その後家の中で両親からのプレゼントを受け取ってから誕生日ケーキを食べ、最終的には”良い日”として一日を締めくくった。
———
ウォーベル家の大黒柱であるギルベルトは数年前まで肩身の狭い思いをしていた。
家族からつま弾きにされていたわけではない。彼が愛を注いだ分だけ家族も十二分にそれに応えていた。
しかし長女のペトラは魔術に特化した素質を持って生まれ、魔術に関しては魔術師である妻のカレンの方が秀でているため、ギルベルトの教えを必要としていなかった。
更に、次の子供が次女であったため家族内の男女比も大きく傾き、勝手に肩身が狭いと思い込んでいたのである。
そんなある日、ギルベルトの心に立ちこめた暗雲の隙間から一筋の光が差し込んだが、それは彼にとって諸手を挙げて喜べるものではなかった。
「ギル、シアを助けてあげてちょうだい。あの子……魔術適正が無かったの」
肩を震わせながら胸元に顔を埋めて懇願する妻に対し、ギルベルトは背中を摩ることしかできなかった。
姉と同等以上に魔力総量と魔力放出量に優れ、普段生活を見ている限りおそらく地頭も良い。おまけに魔術師向けである『魔視の魔眼』を授かっている。
たった1つでも魔術適正があれば将来は大物魔術師になれたという評価は、ギルベルトの親バカを差し引いても妥当なものであっただろう。
情報開示順が逆であったとはいえ、娘が不遇な状況下で一瞬でも喜んでしまった自身に対し自責の念に駆られていたギルベルトの下へシアナが頭を下げに来た時には、流石に驚きを隠せなかった。
しかし、まっすぐな瞳で剣術の指導を乞う姿勢に心打たれない筈もなく、ギルベルトは自身の技術全てを余すところなくシアナに伝えようと決意した。
「違う、剣の強弱を身体強化頼りにするな」
身体強化は魔力による技術であり、肉体全体または各部位に魔力を流すことで筋肉や骨等の組織にはたらき掛け、身体能力・強度を向上させることができる。
魔力を扱うが魔術のように適正を必要とせず、センスや努力により差は生まれるが誰でも使用可能な剣士の必修技能とされている。
「あくまで剣術を扱うのは自分の身体だ。身体強化はその補助にすぎない」
「はい!」
シアナの打ち込みを正面から受けながら随時指摘していく。
まだ成長期を迎えていない娘の成長を妨げないよう気を遣いつつもその時々で教えられる”最適”へ論理的に導くギルベルトの指導方法はシアナに合っていた。
また、シアナも前世で習い事として剣道を修めていたため土台となる動きは身に付いていた。そのため、スポンジが水を吸うように教えた内容をものにしていくシアナはギルベルトにとっても良い指導練習となっていた。
だからこそ、そんな一言が出たのかもしれない。
「こりゃオレより上の指導者を立てる日もそう遠くないかもな」
その発言を聞いたシアナの脳裏に以前学院でレオのとった態度がフラッシュバックした。
「父様とシヴェルズ様はどちらが強いんですか?」
何の気なしの素朴な疑問であったが、予想だにしていなかった角度からの質問にギルベルトの焦り方は大きかった。耳打ちの形で回答する彼の声からもそれは強く感じられた。
「ばかっ、そんな滅多なこと言うんじゃない!」
「でも、この前レオさんは父様に指導を求めていましたよ。
それでもしかしたらと思いまして」
「あぁ、それか……」
ギルベルトはペシペシと首の後ろを叩きながら辺りを見回し、聞いている者がいないことを確認すると地面に胡坐を掻き、シアナを膝に乗せて顔を寄せた。そして口外しないという条件の上で話し始めた。
「面識があるなら分かると思うが、団長はお堅い人でな。剣術一筋で生きてきたせいで他の事に対してどう接すればいいのか分からんと言っていた。
結婚だって家督を譲り受ける条件としてしただけらしいしな」
「そうだったんですね」
「そんな馴れ初めもないような婚姻でも一応夫婦としての務めを果たしていたらしくてな……レオが生まれたのは団長が50を超えてからだった。
剣術のみに捧げてきた人生に突然恵まれた子宝。しかし歳が離れているからか、もしくは団長の気質の問題か……適切な距離を測れないもんだからレオの方からも甘えにくいのさ」
レオとシヴェルズの年齢を考慮して予測していたとはいえ、実際にレオが生まれた時の年齢を聞いた時にシアナは思わず声が漏れそうになった。
しかし出産に関して根掘り葉掘り訊くわけにもいかず、後でレフに異世界での出産事情を訊こうと心のメモに書き留めた。
———
学院で行われる魔術の公開訓練では、基本的に詠唱魔術について取り組む内容となっている。それは魔術の行使方法が詠唱に偏っていることを裏付けるものとなっているが、それが都合の悪い者も存在する。
「それじゃあいくつかに分かれて実際に練習してみようか。
近くの友達と集まってみてくれ」
「それじゃ後で。私はまた隅でやってるから」
号令がかかると同時にペトラとアトラに一言断りを入れたシアナは自然な足取りで子供達のグループから離れ、ステージを降りて客席との間にある砂の地面のスペースへ移動する。
適正が無い自分が入ることで変な滞りを発生させず、且つマリンに習った刻印魔術の復習ができる一石二鳥の過ごし方であったが、今日はそれに目を付けた者がいた。
シアナが刻印魔術の自習を始めて数分が経過した頃、視界の端に誰かの靴が映り込んだ。
「おい、邪魔だよ」
その言葉は確実に聞こえていたが、思考を目の前に書いた魔術陣に全て割いていたシアナは返事をしないまま横へスライドした。
しかし再び魔術陣を書き始めてすぐに今度は魔術陣の中央へ靴が入り込み、そこで初めてシアナの意識は自身の頭上へ向けられた。
焦げ茶色の髪に同色の目をした中年男性がシアナの横に立ち見下ろしているが、シアナはその顔に見覚えがなかった。分かるのは男の身に着けているものが騎士団の制服であるということのみ。
そもそもとして、ステージから降りた場所で自習をしていたシアナが誰かの邪魔になるなどあり得ないことであり、シアナもそれにはすぐに思い至ったが、その前に男の方が口を開いた。
「こんな場所で魔術陣を書くなんてどういうつもりだ?」
「どういうつもりと言われても、自習としか言えないですね。詠唱は苦手なもので」
「そんな事を聞いてるんじゃねえよ。危険性を考えろっつってんだよ」
シアナが言葉の意味を理解できないでいると男は、はっきりと声に出してため息をつき、シアナが最初に書いていた魔術陣を指して言った。
「魔術陣はそれだけで魔術を発動できる。もし誤作動で発動した魔術が子供達に当たったらどう責任を取るつもりだ?」
「……そうですね。すみませんでした」
そう言ってシアナが魔術陣を消そうとすると、伸ばした手を踏まれそうになり、立ち上がりながらシアナは反論する。
「何ですか?危ないじゃないですか」
「言われたから消す。全く反省の色が見えないんだよ。
そんなんで終わらせるから何度も同じことを繰り返すんだ」
シアナは内心ふつふつと苛立ちの温度が上昇していくのを感じていた。
自分と相手の心の波を荒立てないよう慎重に言葉を選びつつ、シアナは謝罪の言葉を口にする。
「すみませんでした、反省してます」
「子供だからって何でも謝れば済むと思ってんだろ?まったく、親の顔が見てみ——」
鼻で笑いながら威圧するようにシアナの顔を覗き込んだ男の表情が固まる。
シアナの表情は先程までとは打って変わり、まるで立場が逆転したかのように男を見下す視線を向けていた。
「な、何だよ……!」
「この魔術時が危険だと、本当にそう思っているんですか?」
男は一瞬とはいえ子供に気圧された自分に腹を立てながら睨み返すが、シアナの態度に毛ほどの影響も及ぼすことはできなかった。
シアナは表情を変えないまま最初に書いていた魔術陣を指しながら説明を始めた。
「魔術陣は確かに魔術を発動させられますが、それは完成した魔術陣だけです。
見てもらえれば分かると思いますが、これらは全て魔術の属性記述を抜かしているので絶対に起動しません」
「そ、そんなの、何かの拍子に書き込まれたらどうすんだよ!」
シアナの指摘に分が悪いことを悟りながらもプライドから意固地になって言い張る男に、シアナの視線はどんどん冷却されていく。
男の声量に引き寄せられたステージ上からの視線を感じながら、論争に決着をつけるべくシアナは、ため息が漏れそうになるのを我慢して決定的な反論要素を告げる。
「もし仮にそうなったとしても、起動するなんてことはありません」
「どうして言い切れる!」
「……これは今地面に書かれています」
「地面でも効果は変わらないだろうが!」
「ええ。ですが、魔術陣はただそこらに書くだけでは未完成ですよね」
シアナの強調した言葉に男はハッとした表情を見せる。
魔術陣は刻印魔術における回路である。いくら
つまり、それを用いずに書いただけの魔術陣は設計図に過ぎず、魔術を発動する手段にはなり得ない。
全てを言い終えたシアナが返答を待っても、男は硬直したままだった。
あてつけのような形で子供を責め立てたのにも関わらずそれは勘違いであり、言い負かされるところを同僚に目撃されたショックは測り知れないものであるが、シアナにとって男は興味を持つ対象から既に除外されていた。
「シア、大丈夫……?」
「すみません、邪魔をしてしまったみたいですね」
心配の声を掛けるペトラとアトラに苦笑で返しながらシアナがステージに戻ろうとしたその時、二人だけでなくその周囲全員の表情が凍った。
視線が集約される先を辿って振り返ると、硬直が解けた男が吽形増のような表情で腰の剣に手をかけようとしているのが目に入る。
「このっ……クソガキが……!」
衝動的な行動をおし留めようとしているが、その右手はじりじりと、着実に剣の柄へと近付いている。剣へ向かう手だけでなく腕、そして感情爆発寸前の額には血管が浮かび上がり、我慢のタイムリミットが近いのは誰の目にも明らかであった。
「おい、バカな真似はよせ!」
講師をしていた魔術師団員の一人が制止するも虚しく、男の手が柄に触れた瞬間身体強化を併用して地面を蹴った。その視線は当然シアナへ固定されている。
「コケにしやがってえぇぇ!」
シアナと男との距離は20メートル弱。
魔術無しでも3秒とかからないその距離を、剣を持っているとはいえ身体強化でそのデメリットを補って余りある能力補助を得た男は、瞬きの間にシアナの眼前へ肉薄した。
そのまま剣の刃がシアナの体へ吸い込まれる直前、二人の間に土の壁がせり上がり、同時に誰かがシアナの服を掴みステージへと勢いよく引き上げた。
ヒュッと息が詰まるショックからシアナが立ち直る前に土壁が十字に分割され、破片が落下するのを待たずに男が再度突進しようと試み、踏み込んだ瞬間——まるで簀巻きにされたように直立姿勢のまま受け身も取れずに前方へ倒れた。うっと漏らした呻き声から男が意図した倒れ方でないことを理解する。
「決闘以外で戦闘状態でない相手への攻撃は犯罪よ。軍に所属しておきながら分からない訳がないでしょう」
修錬場の入口から響いたその声に場の全員が振り向くと、短い杖を構えたカレンが厳しい表情を浮かべ立っていた。
「母様」
「通りかかったら言い争う声が聞こえたから来てみれば……何があったの?」
シアナは見つからないように子供達の中に紛れながら、カレンが事情聴取のために男の拘束を引き継ぐ様子を魔眼を開いて観察した。
通常の視界では男が勝手に倒れたように見えたが、魔眼の視界では男の身体に魔力が巻き付いて拘束しているのが視えたことから、カレンが使用したのは風属性の魔術であると推察する。
男は拘束が緩む瞬間を狙っている様子だったが、団員はカレンが拘束を解いた瞬間にタイミングを合わせて土魔術で拘束し直した。
シアナは先程土壁で自分を守ってくれたのはあの団員だと判断し、礼を言うため近付こうとしたが、その前に横から伸びてきた4本の腕に引っ張られ中断を余儀なくされた。
「シア、大丈夫?!怪我してない?!」
「気分は大丈夫?!」
「だ、だい、丈夫……です」
ガクガクと視界が定まらないほどに肩を揺らされながらどうにか返事をすると、今度は腹部へ2回衝撃を受けた。視線を落とすとペトラとアトラがクワガタムシのアゴのように両腕でがっちりとシアナの胴体をホールドしていた。
当事者として無自覚に興奮した精神状態となっていたシアナは気付いていなかったが、妹/親友が突然武器を持った相手に襲われるという非日常的な光景は、年端もいかない少女達へ大いに恐怖心を植え付けた。犯人が拘束されたとしても容易に払拭できるようなものではない。
シアナはその心境を未だ十分に理解していなかったが、二人の背中に触れ、撫でることでもう安心だと伝えながらカレンへ視線を向ける。
公平な立場で冷静に事情聴取をしようとするカレンに対し、男はまだ興奮状態から抜け出せていないようだった。回答する言葉全てにシアナへの憎悪が溢れている。
「そのガキがオレをはめたんだ!恥をかかせるために魔術陣なんて見せつけやがって!」
「あなたに恥をかかせて何の得があるの。
それに、この魔術陣が起動しないことなんて冷静に見れば学院の学生でも分かります」
カレンの意見は誰が聞いても正しいものであり、そこに私的な感情は読み取れなかった。
ただ一人を除いて。
「自分のガキだからって庇ってんじゃあねぇぞ!
そいつだろ、魔術適正無しの出来損ないってのは。
今じゃ軍の中でも噂になってるぜ!一丁前に刻印魔術なんて練習して、なれもしない魔術師のままご——」
男の言葉は乾いた打音により遮られた。
男の頬を打った平手を振り切った姿勢のまま、僅かに息を荒くしてカレンが警告する。
「今ので聞かなかったことにします。
でも、もし次再び私の家族を侮辱する言葉を発した場合……口と舌は泣き別れすることになると覚えておきなさい」
シアナだけでなく、その場に居合わせた誰もがカレンの凍傷と火傷を同時に負わされそうな温度の警告に言葉を失い、中には涙を浮かべている子もいた。
カレンがひとつため息をつき、いつものトーンに戻った後もそれは継続し、終始無言のまま一人また一人と帰路についた。
数日後シアナがカレンと二人きりになったタイミングで訊くと、男は軍法会議にかけられた結果1ヶ月の謹慎処分になったと教えられた。
初めは3ヶ月と処分が下されたが、同席していたカレンがシアナの説明不足と不必要に煽るような言動にも問題があったとして減刑を求めた結果だと軽い説教を受け、数日間の外出禁止を言い渡される藪蛇となった。
その数日間シアナがどのような理由をつけても頑として外出は許可されず、隅々まで見尽くして新しい発見のない状況に限界を迎えたシアナは、隙を見ては昼寝をしてレフを呼び出し何か本をせがむという奥の手に頼らざるをえなかった。
—備忘録 追記項目—
・身体強化
肉体全体または各部位に魔力を流すことで筋肉や骨等の組織にはたらき掛け、身体能力・強度を向上させることができる技術。
剣士にとって必須項目だが魔術のように適正を必要とせず、センスと努力で誰でも習得可能。
効果は基礎的な身体能力を基準として作用するため、肉体トレーニングを並行すると効果的。
・魔術陣
刻印魔術で使用される、魔術の回路となる図式。
円形の層を重ねて構成され、記述が正しければ自身が持たない適正の魔術を扱うことも可能。
上記の特性を利用して生み出されたのが魔道具。
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