第6話 可能性を知る

 部屋の空気が凍結していた時間は10秒にも満たなかったが、シアナにとっては何十分にも感じられた。

 思考が定まらないまま彼女が選択した行動はカミナシの言葉が嘘であることの証明であった。


「我の求むる所に風の恩寵を賜らん。

 清爽なる大気の——」


 以前感じたのと同種の痛みが出ると同時に、カレンがシアナの肩を掴み引き寄せた。

 予期しない動きに流れた上体を両腕で支えて見上げたシアナの視界では、カレンが涙を滲ませていた。


「やめなさい。またあんな目に遭いたいの?」

「母様、でも……」


 一般的にカレンの言うことは尤もである。

 しかし、カミナシよりも上位の存在であるレフの証言内容との相違に納得のいかないシアナは、必死に脳を巡らせ、理論武装となる言葉を探した。


「カミナシ様の言葉を疑うのは失礼にあたるわ。

 それ以上は怒るわよ」


 冷静さを装いながらも震えるカレンの言葉に罪悪感が積もる。

 シアナが白旗を揚げようとしたところでカミナシが口を挟んだ。


「カレン、少し外してもらえますか。

 この子と話をさせてください」

「カミナシ様……いえ、私がしっかりと言い聞かせますのでどうか——」


 シアナの粗相を庇おうと、カレンが懇願するような表情でカミナシに訴えかける。


「説教をするわけではありません。

 ただ、時間をおいた方が良いと思っただけです」

「……分かりました。それでは一時失礼します」


 やんわりと窘めるようなカミナシの口調に、カレンはシアナを何度も振り返りつつ退室していった。

 それを見届けたカミナシは改めてシアナと向き直ると、口を開く。


『あなたはもしかしてゾフィではありませんか?』


 シアナが聞き取りやすいようゆっくりと発音されたため、あまりネイティブさは感じられなかった。

 しかしそれはこの世界で一般的に使用されている”人族語”ではなく、シアナが前世で聞き慣れた”英語”であった。


 日本語ではなく英語で話しかけられたことにシアナは疑問を抱いたが、今の自分の容姿がこちらの住民寄りになっているのを思い出す。


『いいえ、私はゾフィという名前ではありません。

 私はあなた達観測者と同じようにこちらの世界に転生した人間。前世は日本人でした』


 予想外な返答内容にカミナシは一瞬困惑したが、すぐに自身の中で答えを出して日本語に切り替えると、言葉を続けた。


『ならその見た目は——いえ、転生ならむしろそうなるべきでしょうか……でも、あなたはどうしてこちらに転生を?何か事情があるのですか?』

『簡潔に説明しますね。実は——』



———



 どれだけの時間が経ったか、部屋のドアがノックされる音で二人の会話は中断される。

 カミナシが入室を許可すると入ってきたカレンは、目の周りを赤くしたまま畳の前でカミナシに向かって頭を下げた。


「もう大丈夫ですか」

「はい。先程は失礼いたしました」

「母様」


 カミナシへ下げたカレンの頭が上がりきる直前のタイミングで、居住まいを正したシアナが畳に手をついてカレンへ頭を下げる。

 その唐突な行動に動揺したカレンは制止することも忘れて動きを止めた。


「母様が私を心配していてくださったにも関わらず、勝手な行動で以前と同じ間違いを繰り返そうとしてしまい、申し訳ありませんでした」

「そ、そんな……やめてちょうだい」


 ハッとしたカレンが慌てて制止するが、シアナは畳に額を擦り付けんばかりに姿勢を固定し続ける。


「私がもっと聞き分けが良ければ母様に恥をかかせずに済んだんです。ごめんなさい」

「そんな……悪いのは私よ。

 あなたをちゃんとした状態で産んであげられなかった。

 だからこんな結果になってしまったのよ……」


 畳に落ちる水音にシアナが顔を上げると、カレンの目尻から頬に伝う雫があった。

 カレンは肩と言葉を震わせながらヨロヨロとシアナに近付くと、その身体を抱き寄せて感情ごと吐き出すように泣き出す。


「私の方こそごめんなさい、ごめんなさいシアナ……不自由に産んでしまって本当にごめんなさい……!」


 カレンの慟哭につられるようにシアナの目にも水分が溜まり始めたところで、横から口が挟まれる。


「カレン、あなたが気落ちする必要はありません。

 シアナが魔術を使える可能性はまだ完全に絶たれていませんよ」

「ど、どういうことでしょうか?」


 困惑するカレンに座るよう指示し落ち着かせてから、カミナシは言い聞かせるように話し始めた。


「先程視た時に違和感があったので、あなたが席を外した後に再度シアナを視たところ、この子の魔術適正を微かに感じました」

「感じた、とはどういう意味でしょうか?」

「普段魔眼で視た場合にはっきり知覚する適正ものが、まるで霞がかかったように朧げにしか分からなかったのです。

 例えるならば元々あったものを盗まれたような、痕跡のようなものでした。

 それを戻すことができれば、もしかしたら魔術が使えるようになるかもしれません」

「本当ですか!?」


 カレンが大きく脱力する。

 危うく倒れ込みそうになった上体をすんでのところで自ら支え、ゆっくりと上げられた顔には安堵の色が見えた。


 シアナが生まれてから抱え続けていた不安と、今回の悪い結果の重責に押し潰されそうになっていたカレンの精神は、ひとつまみ程度ではあるが、確実に救われた。

 畳み掛けるようにカミナシは言葉を続ける。


「それに、詠唱するだけが魔術ではないでしょう。

 例え魔術が駄目だったとしても剣術があります。

 この子の可能性はまだ広がっている最中なのですから、あなたが先に哀れんではいけませんよ」

「はいっ……申し訳ありません」


 実際のところカミナシが再度魔眼を使用したのは、シアナからレフの発言との相違点を指摘されたからであり、一度目では痕跡も知覚できていなかったが、それはカレンに知らせる必要のない事情である。

 そのため、シアナの背景を隠すという意味合いでもカミナシの手柄とした方が都合が良く、丸く治められた。


「学院に入るまでまだ時間はあります。

 それまでじっくり話し合って、この子に合った道を考えてあげなさい」

「分かりました。シア、あなたはそれでいい?」

「もちろんです。よろしくお願いします、母様」


 礼を述べて席を立とうとしたカレンをカミナシが呼び止め、1つの提案をした。

 シアナの希望もあり、またとない話に二つ返事で快諾したカレンは上機嫌で帰路に着く。


 その日、いつも以上の笑顔が絶えず上機嫌のままでいたカレンは、ギルベルトとペトラを大いに困惑させた。



———



 数日後、カミナシの部屋にはシアナの姿があった。

 シアナの顔を覆っていた両手を離し、様子を観察しながらカミナシが訊ねる。


『どうですか?』


 カミナシの言葉に瞼を開いたシアナは視界を確認するようにゆっくりと上下左右を見回す。

 彼女の蒼い瞳は右眼だけが先程までとは異なり、少し淡い色に変化していた。


『私の顔は見えていますか?』


 目が合ったところでカミナシから質問を投げかけられ、シアナは小さく頷く。

 心の中でホッと息をつきながら、カミナシは次の質問に移る。


『視界の歪みや欠け等、異常はありませんか?』


 シアナの首が今度は小さく横に振られ、否定を示す。


『私の内側に、これまでと異なる色彩が視えていますか?』


 シアナが頷く。


『それはどのように視えていますか?』

『視覚の表現として適当か分かりませんが、内側を暖かい色が巡っているように視えます』

『成程、分かりました。もう結構ですよ』


 カミナシは頷くと、和室スペースの一角から茶器を取り出す。


『これで合っているんですか?』

『視え方には個人差がありますので断言はできませんが、特に問題ないでしょう』


 太鼓判を捺されたシアナは脱力するように大きく息を吐き出す。

 カミナシは魔術を併用して二人分のお茶を点て、菓子と共にシアナへ差し出した。


『これで魔眼の励起は完了です。体調に異変はありませんか?』

『平気です。それにしても、なぜ右眼だけなんでしょうか?』

『あなたに関しては前例のないことばかりなので分かりません。

 魔力総量と魔力放出量は人族の規格を越えて観測者に迫り、魔術適正が無いかと思えば全属性の痕跡だけが残っている。

 おまけに本来対になって発現する筈の魔眼は片方のみ……イレギュラーの詰め合わせのような存在ですよ』


 現在室内に二人以外に人影はなく、日本語で話しているため万が一聞かれても困ることはないが、とても年端もいかない少女と国の実質的最高権力者観測者の会話内容とは思えないものであった。

 しかし二人には会話を盗聴されるリスクを鑑みても、それに勝る充実感を得ていた。


 アスレイ王国の観測者、カミナシ・サン。

 本名を神無月かんなづき 陽子ようこといい、元日本人の彼女は日本語に飢えていた。


 公平性のために観測者は全員違う国から選出されているが、そうなると必然的に観測者間での会話には共通語であった英語を使用することになる。


 この世界では日本語や英語等――所謂前世の言葉は「神語」と呼ばれ、一部単語を除いて使用することが禁止されている。


 そのため、秘匿性を考慮せずともシアナにとっても数年ぶり、カミナシに至ってはこの世界に来て以来となる母国語での会話であり、充実した情報収集の時間となっていた。

 シアナの魔眼が休眠状態にあったのは、二人が会う口実の切り口として都合が良かったのである。


『何か異常があればいつでも知らせてください。

 できる限りのことはさせてもらい』

『ありがとうございます。しかし、こんな方法をどこで知ったんですか?

 魔眼は先天的なものなんですよね?』


 純粋な興味から訊ねたシアナだったが、それに対するカミナシの返答は嫌なものを思い出したような渋い顔だった。


『もしかして訊いてはいけない話でしたか?』

『……いえ、そういうことではないのですが、これを知った出来事があまり心象の良いものではなかったもので』


 カミナシはそう言ってため息をつくと、ポツポツと話し始めた。


 300年ほど前、各国で殺人や盗みを繰り返していた腕の立つ盗賊兄弟がいたが、ある時アスレイ国内某所で捕縛され死罪となった。

 兄は数秒先が視える『予見の魔眼』を、弟は物の向こう側が視える『透視の魔眼』を持っており、左目を抉り取ってそれぞれを交換することにより、両名が2種類の魔眼を使用できる状態となっていた。


『捕縛される直前にも人を殺めていてハイになっていたのでしょうね。

 さも自慢のように誇らしげに話していました』


 カミナシが苦虫を嚙み潰したような表情で吐き捨てたところでドアがノックされる。


「カミナシ様、カレンです。

 シアナを迎えに参りました」

「入りなさい。ちょうど終わったところです」

「失礼します」


 日本語から人族語へ切り替えたカミナシとアイコンタクトを交わしたシアナは姿勢を正す。


 ドアを開けて入室したカレンは、開かれているシアナの魔眼を見て驚きと喜びがブレンドされた表情で顔を綻ばせた。

 早足で駆け寄った勢いそのままにシアナを抱き寄せ、優しく頭を撫でる。


「無事に終わって良かった……制御はできそう?」

「ええと……」

「意識を集中すると魔眼に魔力が流れているのが分かるでしょう。その流れを断つことで魔眼を閉じられます」


 言われたとおりに目を閉じ感覚を集中させると、体内を巡るものから分岐した魔眼への流れを感じた。

 その回路を遮断するようなイメージで魔眼への魔力供給を切り目を開けると、先程まで視えていた魔力の色彩が消え、元の視界に戻っていた。


「どうでしょうか?」

「きちんと閉じれています。

 一度で成功するとは、魔力操作のセンスが良いのでしょうね。

 慣れないうちは感情の昂ぶりや乱れで魔眼を開いてしまうことがあるので、できるだけ意識しながら生活するよう気を付けなさい」

「はい、分かりました」

「何かあればまた来なさい。

 私の時間がある時であればいつでも歓迎します」


 カミナシに礼を述べて家への帰路につく最中、カレンはシアナの体調を労りながらも質問攻めにし、その答え1つ1つに嬉しそうな笑顔を見せた。

 そこには打算的なものは何もなく、ただ純粋に我が子が希望を持って前を向いていることへの喜びだけが存在していた。



—備忘録 追記項目—

・人族語

 こちらの地球で公用語として使用されている言語の1つ。

 人族語の他には魔神語と獣神語が存在する。

・神語

 あちらの地球で使用されていた言語全般を指す。

 流用されている一部単語を除き、住民は使用と学習を禁じられている。

・観測者

 レフが現地での管理者として選出し、送り込んだ7人の転移者。

 各大国に1人ずつ存在し、国の維持・管理・各種調整を担っている。

 過去に起こった事件と事故により2人死亡し、そのうち1人は現地の住民が後を継いでいる。

・カミナシ・サン

 アスレイ王国を担当する観測者の女性。

 黒髪黒眼。

 右に識別の魔眼、左に魔視の魔眼を持っている。

 こちらの住民とは風貌から異なる部分があるが人望は厚く、能力も認められている。

 本名は神無月 陽子だが、住民との初コンタクトの際に前世での相性「カミナシさん」を名乗ったところ定着してしまい、訂正できずにいる。

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