第5話 現実を知る
3歳を迎えてから数日後、シアナはカレンに連れられて街の中心部に位置する建物を訪れた。
街のみならず国の中でも有名な建造物の1つ”学院”である。
「母様、今日はなぜここに?」
「3歳になったら観測者様に面通しをするの。
これは誰もがやっているし、あなたにとっても大切なことなのよ。
というかシア、建物を見ても驚かないのね?」
「え、いや、ちゃんと驚いています、よ?」
不思議な色味を帯びたレンガを積み上げて築かれた学院は威圧感を放ち、大きさもここら一帯では最大となるため、カレンの疑問は尤もなものである。
しかし、生前からこれを越える建造物を見慣れているシアナにとって、この程度の大きさはさして感動を覚えるほどではなかった。
言葉に詰まったシアナの反応にカレンは一瞬訝しげな表情を浮かべたが、深く追求しなかった。
「観測者様は希少な能力をお持ちな方の一人でね、相手のことが何でも分かるの。
前に魔術でミスをして痛い目に遭ったでしょう?本来はああいったことが起こらないように、事前に素質を視ていただくのよ」
「へぇ……凄い方なんですね」
「そうね。私はあの方がこの国の観測者をしてくださっていることに誇りを持っているわ」
カレンの言葉に相槌を打ちながらシアナは脳内で事前にレフから聞いていた情報とのすり合わせする。
多少主観的な意見で盛られているが大筋は合っていることを確認し、胸を撫で下ろす。
カレンが言う能力とは観測者がレフから与えられている権能の一部であり、この世界で「魔眼」と呼ばれているものの1つ『識別の魔眼』である。
観測者以外にも魔眼を持って生まれる者はいる。
しかしアスレイでは過去に起こった事例からの教訓で、魔眼持ちであることを不用意に吹聴するべきではないという公然のルールが存在するため、存在を知られているだけで希少とされる。
入口にある窓口で入場許可を受け、カレンに手を引かれながら中を進むシアナは、周囲を見回しながら質問を投げかける。
「色んな人がいますが、ここは誰でも入れるんですか?」
「ええ、そうよ。基本的には自分の生まれた国にある学院に入ることが多いのだけれど、中には卒業後に他の国の学院に入り直す人もいるわ。
特にこの国の学院は様々な面で世界的にも有名だからか、他の国からわざわざ留学しに来る人も多いの。
私が通っていた時も同級生に10歳年上の人がいたわ」
「へぇ、そうなんですね」
カレンの言葉を肯定するように、老若男女とまで言わずとも、幅広い年代・種族の学生達が制服と思しき共通の衣服を着用し歩いている。
自身は体験したことのない雰囲気に、大学に行けば同じように感じられるのかと推測しながら、シアナは将来的に見込まれている学院入学に早くも心躍らせる。
———
その後も軽い会話を交わしながら通路を進む二人。
初見の光景に興味を引かれながらも歩くペースを崩さないシアナに対し、来たのが初めてではないカレンの方にはどこか落ち着きがみられない。
「母様、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。あなたも自分の子供を持てば分かるわ」
「はぁ……?」
多少ズレがみられるカレンの回答にシアナが首を傾げたところで目的の部屋に到着し、会話が中断される。
コクリと小さく音を立てて生唾を飲み込んだカレンが、緊張の色を増した面持ちでドアをノックする。
「カレン・ウォーベルです」
一拍おいて澄んだ声で入室を促す応答があり、一度大きく息を吐き出したカレンはドアノブに手をかけ、躊躇うようにゆっくりと開ける。
不自然なカレンの緊張にシアナは声をかけようとしたが、部屋の内装が視界に入った瞬間声帯が硬直し、開いた口はそのままの形で固定された。
通常の2倍はあるであろう部屋は中央で内装が二分されている。
入室して正面に広がる半分はこの世界ではありふれた素材――しかし確実に平均的なそれよりもグレードが上の物を使用されている洋風。
そして右側奥へ伸びたもう半分のスペースには、シアナが生前見慣れていた和の空間が広がっていた。
和と洋の境界部分には襖が引かれ、床は木材で一段上げた上に畳を敷くという仕事の細かさを窺わせる造り。
薄々予想していたにも関わらず小さくない衝撃を受けたシアナの視線は、襖の前に立つ女性が歩み出たことでようやく動きを思い出した。
20代後半程度の見た目の女性。
すらりと通った鼻筋についた小さな鼻と口。
僅かに紫がかった黒髪は緩く編み込まれて腰辺りまで伸ばされ、前髪は眉の上で切り揃えられている。
形の良い眉の下から覗く双眸は優しさを感じさせるように少し垂れ気味であり、その奥の瞳は髪よりも深みを増した漆黒。
美人と称して遜色ないが、この世界の人々と比較すると多少彫りが浅く、美しさの中から可愛らしさが覗く。
衣類は部屋同様に洋服でありながら和のテイストが入っている、シアナがこの世界で未だ見たことのないデザインのものを身に付けている。
「カミナシ様、こちら以前お話しさせていただいていたシアナです。
本日はよろしくお願いします」
「シアナ・ウォーベルです。
よろしくお願いします」
カレンの紹介に続いて挨拶したシアナが自然に礼をすると、黒髪の女性が驚いた様子を見せ、カレンが慌ててシアナの上体を起こす。
「申し訳ありませんカミナシ様。
礼儀作法についてはまだ教育が至っておらず。
シア、一般式の挨拶はこう、体の前で両手の指を組んで頭を下げるのよ」
内心思うことはありつつもカレンの真似をして頭を下げ、元に戻ったシアナとカミナシと呼ばれた女性の目が合う。
カミナシの目には驚きと共に僅かな疑惑の色が滲んでいたが、すぐさま気を取り直したように口を開いた。
「初めまして。私はカミナシ・サン。
今日何をするのかは聞いていますか?」
「あ、はい。私の素質を教えていただけると聞いています」
「ええ、それで大方合っています。
訂正するとすれば、私は視た相手の素質をそのまま伝えているだけです。
特段偉い事をしているわけではありません」
カミナシはそう言いながら手振りでシアナとカレンに畳に上がるよう促し、もう片方の手を振るうと、畳の隅に積まれていた正方形の薄いクッションが浮遊し、三人の目の前に並んだ。
襖、畳、座布団と続く懐かしさの波状攻撃に精神的な眩暈を覚えながらシアナが端の一枚に座ろうとすると、カミナシから制止の声がかかる。
「ああ、そこではなく。
あなたは真ん中の一枚に私と向き合うように座ってください。
カレンはシアナの後ろへ座りなさい」
カミナシの意図が読み取れないまま、言われた通りにシアナが座り直すと、正面に座ったカミナシと目が合う。
その双眸からは先程までの微笑みが消え、真面目な視線が真っ直ぐにシアナを覗き込んでいた。
「それでは始めます。準備はいいですか?」
「えっと……準備と言われても何をすればいいのか……」
「あなたはただ楽にしていてください。
変に身構えず、もし痛みや耐えられない不快感があった場合のみ教えてください。
その時は一時中断します」
余計な心配をさせないようにあえて事の詳細は語らず、シアナが緊張の面持ちを見せながらも頷くのを確認し、カミナシは両手をシアナの顔に添え、右眼を『識別の魔眼』に切り替えて瞳から彼女の内部を覗き込んだ。
シアナの意識が白目よりも清らかな純白に変化したカミナシの魔眼に吸い込まれていく。
同時にシアナの身体がビクリと硬直するが、初めての者がほぼ例外なく見せる反応のためカミナシは無視して続行した。
———
いつもしているように魔眼の力で
「あの、カミナシ様……大丈夫でしょうか?」
意識を失ったシアナの身体を受け止めたカレンがそれに気付き、不安そうに声をかけるが、それに対する返答にたっぷり数秒を要してしまう。
「……えぇ、大丈夫です……この子が以前何度か話を聞いていた子ですか?」
「はい、そうです。
最近は良くなったのですが、お話を聞いていただいていた頃の様子を思うと不安が拭えず……その節はご迷惑をお掛けして——」
「いいえ、構いませんよ。
聞くくらいしかできませんが、また何かあればいつでも来なさい。
……それに、あれでは仕方ないでしょう」
カミナシは思わず漏れ出た最後の一言にハッとしたが、お咎めがなかったことに安堵したカレンは愛娘の髪を撫でていたため耳に入っていないようであった。
カミナシが胸を撫で下ろした直後、シアナが意識を取り戻しゆっくりと目を開ける。
左右を見回し現状を理解したシアナがカレンの手を借りて座り直し、シアナの後ろに座っていたカレンが座布団をシアナの隣に移動させ座ったところでカミナシは再び口を開いた。
「シアナ、体調に異変はありませんか?」
「少し力が入りにくい感覚がありますが、他は問題ありません」
「一時的とはいえ、自分の内側に他人を入り込ませるというのは考えているよりも精神的疲労が大きいものですので、その程度であれば問題ありません。
しっかり休めば明日には元通り動けるようになります」
迷いなく断言するカミナシの態度を信用したシアナは居住まいを正し、素質の如何を待つ。
水属性魔術は何故か使用できなかったが、それ以外の全属性魔術適正があることはレフから太鼓判を押されている。
にも関わらず、両手は膝の上で無意識に握られ、じっとりと汗がにじむ感覚を覚えたところでようやくカミナシは言葉を発した。
「では、あなたの素質についてですが——」
カミナシが息を吸うのに要した時間は一瞬。
しかし、その刹那でさえ待てないというようにシアナだけでなくカレンまでもがゴクリと生唾を飲み込む。
「——その前に1つ祝いの言葉を贈らせてもらいます。
おめでとうございます。あなたは神に祝福されています」
「……はい?」
「あなたの魂はこの世界の創造神から護られています。
今後どのような時も、何人にも侵されることはなく純潔を保てるでしょう」
予想だにしていなかった言葉に間の抜けた返答をしてしまったシアナだったが、カミナシにそれを気にした様子はなく、淡々と言葉を並べていく。
「そして祝福と同時に『魔視の魔眼』も授かっていますが、こちらはよく制御できているようですね。素晴らしいです。
そのまま不必要にひけらかさないようにするのが得策でしょう」
「魔眼を……?!本当なの?シア」
「えっ……え?」
「魔力総量は凄まじいの一言に尽きます。
最終的には権能を除いた私達観測者に匹敵するでしょう。
魔力放出量も総量に相応しい出力が見込めますので、大抵の魔術を扱うことが可能になるでしょう。
修錬に励みなさい」
魔力総量は個々が保有する魔力の総量であり、これが発動する魔術に必要な魔力量に満たない場合はその魔術を使用できない。
そのため、魔術師を目指す場合に最も重視される素質である。
魔力放出量は一度に放出できる魔力量を指し、魔術の発動速度や術式強度の一因となる。
つまり魔力総量と魔力放出量を褒められるということは、良い魔術師を目指す者にとっては最大の賛辞となるが、事前に知らされていなかった情報の羅列に戸惑うシアナは素直に受け止めきれずにいた。
「それで、最後に魔術適正なのですが……」
直前まで機械がディスプレイに表示するが如く淡々と結果を告げていたカミナシが、ここで初めて言葉を詰まらせた。
とても言いづらそうに視線を落とす様子に、小躍りしだしそうだったカレンが冷静さを取り戻して気がかりな視線を向ける。
「カミナシ様、大丈夫ですか?」
「……えぇ、大丈夫です。ごめんなさい」
カレンからの言葉にハッとしたカミナシは頭を振って迷いを取り払うと、改めてシアナの目を正面から見据え、重々しく口を開いた。
「シアナ」
「はいっ」
怒りや敵対心を向けられたのではなく、ただ名前を呼ばれただけ。にも関わらず無意識に背筋を伸ばし姿勢を正している自分にシアナは驚いた。
「あなたに魔術適正はありません」
言葉を反芻し、理解するのに数秒。
返答の言葉を喉から口へ出力するのに更に数秒がかかった。
「……はっ?」
「魔術適正無しです。あなたは自分自身で魔術を扱うことはできません」
天は二物を与えずという言葉があるが、この世界において天そのもののような存在であるレフから直接言われていた内容と異なる事実に、シアナはただ困惑する。
カミナシの言葉が鼓膜から脳へ届いた時にシアナは自身の中身が空になるような、虚無に落ちるような感覚に陥った。
—備忘録 追記項目—
・魔眼
稀に持って生まれることがある、特殊な能力を有した眼。
通常の眼球を媒体として表面に現れるが、魔眼単体での使用も可能であるため視力を失っても能力は失われない。
両目に発現するため、原則所持できる魔眼は一個体で1種類。
先天的に生まれ持つものであり、原則後天的に魔眼を取得することはできない。
・魔力総量
生物個々が有する魔力の総量。
総量によって使用可能な魔術の規模が変動する。
種族差・個人差があり、生まれた時に最大量が決まっている。
基本的に経年でのみ総量が増加していき、15歳あたりで最大量となる。
・魔力放出量
個々が魔力を扱う際に一度に放出できる魔力量。
魔術の発動速度や術式強度が変動する一因となる。
個人差があり、訓練によって多少向上させることが可能。
・術式強度
魔術を構成する術式の強度。
魔術の階級や規模、込められた魔力量によって変動する。
魔術戦において勝敗を分ける要因となりえる。
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