第3話 魔術を知る

 少女が第二の生を享受してから1年が経過した。

 その頃には物づたいに歩行可能な程度には足腰も出来上がり、就寝時にはレフ指導の下で異世界について学ぶ日々を送っていたため、家族の会話内容を理解できるようになっていた。


 夜間はレフと顔を突き合わせて勉強三昧の毎日だが、さりとて日中ただボーっと何もせずに過ごしているわけではない。


「シアは~、今日もかーわいい~!」


 今日も窓辺で外の観察をしていると唐突にバックハグを受け、危うく壁との間で潰されそうになる。

 そうなる前に犯人の後ろから伸びてきた腕にブレーキを掛けられ、不意打ちプレス事件は未遂に終わる。


「こらペトラ、危ないでしょ。

 シアが怪我したらどうするの」


 精一杯首を捻り振り向いた視界に映るのはお揃いの金髪と碧の瞳を持った美少女と美女。

 遺伝子の強さと将来の有望性を感じさせる顔立ちの良さに、内心圧倒されながら笑いかけると、ペトラと呼ばれた美少女に再度抱きしめられる。


「だって母様、シアも見たがるから早く教えてあげようと思って……」


 少女は転生後シアナという名前がつけられた。

 尤も、両親とペトラは少女のことをシアという愛称で呼んでいたため、フルネームを知ったのは母親が近所の知り合いにシアナを紹介した時が初である。


 両親は無論であるが、姉のペトラからシアナへのかわいがりは特に激しかった。


 家のどこにいようとも視界に入る度に抱きつきにかかるため、今回のように怪我をさせかねない事態がしばしば起こっている。

 しかしそんな目に遭いながらも、シアナがペトラに対し嫌悪感を抱くことはなかった。


 その理由の1つはペトラがシアナと2歳しか違わない——まだ3歳の子供であるため。

 そしてもう1つはペトラが母親と一緒に声をかけてきた場合、その後高確率でシアナが日中最も楽しみにしているイベントが発生するためである。


「だとしてもよ、ペトラ。

 怪我をしたら痛いでしょ?」

「はーい。ごめんねシア」

「はい、よく言えました。

 それじゃあ今日も魔術の練習をしましょうか」


 “魔術”の一言に揃って目を輝かせる娘達を愛おしく思いながら母親は二人を庭へ誘導していく。

 シアナを椅子に座らせると日課である魔術の訓練を開始する。


 まだ長い文章の発音が難しいシアナは見学だが、実際に魔術が使われているところを見られる機会はそうないため、彼女が日々最も充実を実感できる時間であった。


「それじゃあ前回のおさらいから始めましょうか。

 水球ウォーターボールであそこの的を狙ってみて」


 魔術とは、それを構成する術式に魔力を投射し、大気中に存在する魔素を”つなぎ”とすることで、術式内容を事象として具現化させる手段である。

 この世界に生まれ落ちた者として誰もが使いこなすのを目標としている、最も身近で最も理想に遠い神からの授かりものとされている。


「はい、母様!」


 母親が魔術で作り出した的の土板を確認し、ペトラが元気のよい返事を響かせた。

 ペトラが手を体の前方に掲げ、単語を思い出しながら詠唱を開始する。


「我の求むる所に水の恩寵を賜らん——」


 魔術は以下の2つに分類される。

・生成魔術:魔力で球、槍、壁といった様々なものを生成する魔術。

・治癒・解毒魔術:魔力で対象を癒す魔術。


 生成魔術は対象の構造を理解し、生成する魔力量を確保できれば基本的に何でも生成可能となる。

 つまり知識量が手札の数に影響するため、シアナが使うのを最も楽しみにしている魔術であった。


「——清らかなる凪の一端をここに、水球!」


 ペトラの手のひらに拳大の水球が生成される。

 それは詠唱完了と共に射出され、見事的に命中しその衝撃で窪ませた。


「やったぁ!ねぇ母様、シア、見た?見た!?」

「見ていたわ、おめでとう」

「おめでとうございます、姉様」

「シアにはまだできないもんね!

 私の方がお姉さんなんだから!」


 卒乳もまだな赤子に何を誇っているのかと内心少し辟易しながらも笑顔を作って向けると、ペトラは満足気な表情を浮かべ、同じ魔術を数回繰り返す。


 この世界の言葉はシアナが前世で聞いたどの言語とも異なるものであり、魔術の詠唱文も同様だが、魔術の名称や一部の物などには英語がそのまま流用されている。

 シアナもそれに気付きレフに訊ねたが、返ってきた回答は“既存のものはそのまま使い回した方が楽"という怠惰なものだった。


「それじゃあ次は治癒ヒーリングね。

 これは生活の中でも使う機会は多いから、しっかり覚えておかないとダメよ」


 そう言うと母親は服のポケットから取り出した果物ナイフで自身の人差し指を切りつけた。

 刃が通った軌跡に沿って指の肉が割れ、内側から血が流れ出て肌を伝い落ちていく。


「母様、血が……!」

「大丈夫よ落ち着いて、ゆっくりでいいから。

 詠唱文はこうよ――」


 母親は果物ナイフをテーブルに置いてペトラの背中を優しくさすり、一時的に早くなった呼吸を落ち着かせてから詠唱文を聞かせる。


 魔術は平常心で行使するのが鉄則とされている。

 これは乱れた心では魔術を上手く扱えず、魔力効率が悪くなる等の問題が発生するためである。


「すぅー……はぁー……」

「もう大丈夫、ペトラならちゃんとできるわ」


 治癒魔術は魔力を術式を通して対象の組織へと変換し、損傷個所を修復・補填する魔術である。

 損傷の程度に合わせて適切に使用すれば、シアナの前世では全治数か月となるような重傷を即座に治療することも、欠損した部位を元通り修復することも可能。


 術式が自動で魔力を対象の組織に変換するため、生成魔術と違い対象について理解する必要はない。

 しかし、その代わりに対象のどこかに触れていなければ効果を発揮できないという制限がある。


「我の求むる所に治癒の恩寵を賜らん。

 神の威光を以て、彼の者に今一度立ち上がる力を与えん、治癒!」


 ペトラからカレンへ何かが流れ込んでいくのをシアナが感じていると傷口が淡く光る。

 みるみるうちに傷は埋まり、光が治まった数秒後には跡も残らずに完治していた。


「ありがとうペトラ、綺麗に治してくれて」


 微笑む母親に優しく頭を撫でられながら、ペトラが自慢げな顔をシアナに向ける。

 見ようによっては喧嘩を売っているとも受け取れるその表情に、いつかそれとなく注意しようと決めながらシアナはぎこちなく拍手した。


「ペトラは本当に凄いわね。

 少し教えるだけで何でもできるようになっちゃうんだもの」

「えへへ~、だって母様の子だもん」


 だらしなく頬を緩めるペトラを褒めていると、玄関から来訪を知らせる声が聞こえ、母親はその声に応じて席を外した。


 ペトラも的に向けて水球の自主練習を再開し、一時的にシアナを監視する目がなくなる。

 シアナは前方のテーブルに置かれたコップに入った水を標的に定め、暗記している魔術の詠唱を開始する。


「我の、求むる、所に……水の、恩寵を、賜らん——」


 舌を噛まないように確実に、しかし母親が戻る前に済ませなければいけないため焦らず急いで詠唱をしていく途中、シアナは違和感を覚えた。

 僅かだが確かに痺れを感じた。

 コップに向けた右手の指先から徐々に広がり、詠唱を進めるにつれてそれは強まっていく。


「清涼なる、水禍の、一片を……ここに——」


 詠唱も終わりに差しかかると一層強まる痺れは次第に痛みへと変化していき、シアナの脳内にアラートが流れる。


 しかし今回は身体からの警告よりも、このまま続けたらどうなるのかという彼女の知的好奇心に軍配が上がった。

 痛みを無視するように魔術を実践する機会だと言い聞かせ、シアナは詠唱を終える。


氷化アイシクル——っ?!」


 詠唱が完了してもコップ内の水に変化はなく、魔術が発動するに代わりシアナの腕に広がっていた痛みが、神経を直接ヤスリで削られるような激痛となって瞬時に全身に走る。

 未知の痛みに、抗う暇もなくシアナの意識は刈り取られた。


 痛みを堪えようとした際に声が漏れていたのか、驚愕の表情で自分の方へ振り返るペトラの様子がシアナの脳裏に刻まれた。



—備忘録 追記項目—

・魔術

 体内で練り上げた魔力と空気中の魔素を結びつけることで具現化させる奇跡。

 基本4属性(火/水/風/土)と系統外2属性(種族固有/特異)の6属性から成り立つ。

 個々が持つ魔術適正と合った属性の魔術のみ扱える。

 治癒・解毒魔術は適正がなくとも習得可能。

・魔素

 世界のあらゆるものに存在する魔術的因子素粒子。

・魔力

 生物が魔素を取り込み、蓄積する過程で変換したエネルギーの呼称。

 食事や睡眠、他者からの譲渡で回復可能。

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