第2話 子育てを知る

 明け方。地平線から太陽が顔を出す直前。

 大国と呼ばれる国の1つ、アスレイ王国の首都ハイマトルトにある一軒家・ウォーベル家の寝室で夫婦が目を覚ました。


「くあっ……」


 ベッドの上で男性が上体を起こし、大きく伸びをする。

 髪をガシガシと掻きながら欠伸を噛み殺し、床に降り立つ。

 寝汗をかいた寝間着を着替えると、髪を邪魔にならないよう紐で纏め、顔を洗う。


「ふぅ……すっきりした」


 男性は視線を鏡に向ける。

 180センチ前半の高身長に細身ながら筋肉質な肉体。

 男性としては少し長めの茶髪は妻からのリクエストで今の長さを維持している。

 強気ながら優しさを感じさせるその両目は深い蒼色。


「今日も暑くなりそうだな」


 そうひとりごちながら寝室に戻ると、ちょうど妻が出てくるところに遭遇する。


「んっ、んん……」

「おはようカレン」

「ギル……おはよう」


 ギル——フルネーム:ギルベルトは、まだ若干寝ぼけ眼な妻——カレンを抱きしめ、覚醒を促す。

 カレンもギルベルトの服で眠気を拭わんとばかりに、グリグリと頭を押し付ける。


 ギルベルトよりも頭1つ低い身長。

 目鼻立ちがはっきりとしつつも全体的に小さくまとまっている。

 髪の毛は彼女自身が毎日丹寧に手入れしていることもあり、背中まで伸ばされた金髪は日光を当てると輝いて見える。

 多少視界にかかる程度の長さの前髪から覗くのは澄んだ緑色の瞳。

 柔らかなハリのある肌はいつ触れても心地よい弾力を感じさせ、小柄ながらも破壊力抜群なフォルムを描く。


「昨晩も夜泣きはなかったみたいだな」

「そうね……」

「悪いことじゃないのは分かってるんだが……ずっとこのままなのか?」


 同性との接触では味わえない柔らかさを感じ取りながら問い掛けると、カレンに両手で頬を挟まれる。


「ギル……心配なのは分かるけど、あの子達の前でまでそんな顔しないでね。

 子供は口に出さない感情の動きに敏感なんだから」


 カレンに窘めれられ、ギルベルトは無意識に表情筋が意図しない挙動をしていたことに気付いた。

 妻の手ごと両手で自らの頬を押し、グニグニとほぐすようなマッサージを行う。


「ふぅ……もう大丈夫だ」

「そう?しっかりしてよね、お父さん」

「あぁ、任せろ母さん」


 出会いが戦場だったこともあり、言葉よりもスキンシップで多くの意思疎通を可能にしていた。

 小さく微笑み合って身体を離し、2人で子供達の眠る部屋に向かう。


 一般的に子育てにおいて夫婦が心配することには、子供の急激な体調変化や夜泣きに振り回されることが挙げられる。

 しかし、二人の心労はその逆、新しい家族の大人しさからきていた。


「まさか何も心配事の起こらないこと自体が心配事になるとはな……」


 ギルベルトがため息にも満たない短い息を吐く。


 この夫婦の子育ては今回が初めてではない。

 2年と少し前に生まれた長女は他の家庭の子供にも劣らずよく泣く子であり、その度に振り回されていた思い出がまだ新しい。

 その苦労も初めて授かった子宝への喜びと幸せが勝り、周囲の協力があったのもあったため、音を上げることはなかった。


 そんな良い意味での苦労の思い出が残った長女と異なり、今回生まれた次女のシアナは全くと言っていいほど手のかからない子供だった。

 昼も夜も泣かず、母親の乳を拒む素振りすら見せ、その行動全てに意思を持って物事を観察しているようにすら思わせる節がある。

 子育ての難易度で言えば非常にやり易いとなるが、なまじ長女での育児経験があったがために、どこか異変があるのではないかと気を張る結果となっていた。


「……!どうしたの?!」


 先に部屋へ入ったカレンの悲鳴にも近い声に、ギルベルトは慌てて後に続いた。

 2つ並ぶ子供用ベッドのうち、次女のベッドに駆け寄る。

 そこでは次女がカレンに抱えられながら静かに涙を流していた。


「シア、どうしたの?どこか痛い?」


 カレンが呼びかけながら魔術で治療を施す。

 しかし次女は意味を理解できないように瞬きを繰り返している。

 その表情から怪我や痛みを我慢しているようには見受けられない。


「大丈夫だ、父さん達がついてるぞ」


 ギルベルトが頬を流れる涙を指で拭う。

 それが合図になったように次女の表情が崩れていき、声を上げて泣きだした。


「よしよし、大丈夫よ。

 怖い夢でも見たのかしら?」

「分からない……でも、こんな時に不謹慎だけどオレはホッとしたよ。

 この子もちゃんと泣ける子だったんだな」

「……えぇ、そうね」


 ギルベルトの言葉にカレンは同意を示す。

 生後半年以上が経過してからの初泣きだが、不安が積もる一方だった二人にとってはそれでも嬉しかった。


「ねぇ、シア、どうしたの?」


 不安を滲ませた声にギルベルトは視線を落とす。

 そこには隣のベッドの柵に顔を乗せ、妹を心配そうに見上げる長女の姿があった。


「なんでシアは泣いてるの?」


 次女を心配し、腕を精一杯伸ばして頭を撫でようとする様子に微笑ましさを覚える。

 ギルベルトは長女を抱え上げ、次女の顔が見えるようにしてやる。


「シアは大丈夫だ。ちょっと怖い夢を見ちゃっただけだよ」

「……本当に?」


 妹に感化されて涙を浮かべる長女。

 その頭を撫でながら、ギルベルトは断言する。


「あぁ、本当だ。心配するほどのことじゃない」


 未だ泣き続ける妹を心配する視線を向けながらも、不承不承といった様子で長女は納得を示した。


「いい子だ」


 そう言ってギルベルトが長女の額に短くキスをしてから床に下ろす。

 妹が視界から外れたことで再び心配する視線を上げる長女に、カレンが言葉をかけた。


「もう少しすればシアも落ち着くと思うから、父様と朝食の準備をしていてくれる?

 こんなにいっぱい泣けば、きっとお腹を空かせている筈だから、皆で一緒に食べましょう」

「はい、母様!分かった!」


 威勢のいい返事とともに長女はギルベルトの手を引き、キッチンへと駆けていく。

 カレンは微笑ましさを感じながら視線を戻し、再び次女をあやし始める。


「そしてあなたは眠りについた♪

 降りゆくおわりなき"そこ"へ一歩また一歩と♪」


 カレンには、相変わらず愛娘が泣き続ける理由に心当たりがなかった。

 しかし、落ち着かせるように自身の上体ごと優しく左右に揺らし、囁くように子守唄を歌うその顔には、憑き物が落ちたような……慈愛に満ちた表情が浮かんでいた。


「——大丈夫よ、シアナ。

 どんな事があっても私必ず守るわ。

 だから、安心しなさい」


 この時次女が泣いていたのは両親が心配していたようものではなかった。

 その理由を知る術はシアナ以外誰も知らない。


 ただ1つ断言できるのは、原因は分からずともこの日を境に次女の感情が徐々に豊かになっていき、それに伴って家族の雰囲気も多少改善が見られるようになったということである。


 その背景に起こっていたことを家族が知る機会が訪れることはないが、それは一家にとって些細な問題であった。

 家族にとって幸せな時間が増えた。それだけが事実であり、必要な情報だった。


 だからこそ、家族にあのような不幸が訪れるとは、この時一家の誰一人として予想し得なかったのは、ある意味必然と言えるのかもしれない。



—備忘録 追記項目—

・カレン・ウォーベル

 シアナとペトラの母親、ギルベルトの妻。

 金髪碧眼。

 クセのない髪を背中まで伸ばしている。

 魔力が際限なく湧き出る特異体質の対策として魔力貯蔵用の魔石を身に着けている。

・ギルベルト・ウォーベル

 シアナとペトラの父親、カレンの夫。

 茶髪蒼眼。

 後ろ髪を伸ばし紐で括っている。

 妻と娘に弱く、あまり負の感情を表に出さない。

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